【FILE0011】行け!忌野高校オカルト研究部!
〜〜〜
どもども、こんにちは。
土野子夏っていいます。改めましてよろしくお願いします。
私は遊府桜町の私立忌野高校に通う女子高生で、オカルト研究部に所属しています。
トラブルメーカーの部長と、切込隊長の祢津さん。そして副部長の私……。
部活で恐ろしいものを見過ぎているせいか最近は目が肥えてきて、ちょっとしたホラー映画や心霊映像の特番なんかでは物足りなくなってきている今日この頃。
それだけならまだいいのですが、オカルトを抜きにしても、普通の人にとっては非日常的なイベントが、私にとっての日常になってしまっているんです。
それは学校の行事ひとつ取ってもそうで、やれ学園祭だの、やれ合唱コンクールだの、やれ球技大会だの──それら全てが「穏やかな日常」として処理されてしまってることが、私にとっては一番の恐怖なんです!
せっかくなので、今回はそんな「日常」の話をしようと思います――。
〜〜〜
先月までの蒸し暑さはすっかり鳴りを潜め、肌寒さすら覚え始めた十月上旬。
ブレザーの下に着込んだカーディガンの裾を直しながら、私は祢津さんに話しかける。
「もうすぐ今際ノ祭ですねえ……二日目、三日目の文化祭、うちは何を出しましょうか」
「オカ研だし、オーソドックスにお化け屋敷とか?」
「部長がはりきり過ぎて大変なことになる未来しか見えませんが……」
「わかる」
「今際ノ祭」とは、忌野高校で行われる学園祭の名称だ。
初日は体育祭、そして翌日、翌々日が文化祭という、合計三日間に渡って開催される忌野高校きっての一大イベント。その本番が一週間後に迫っている今日も、各部室や教室が下校時刻のギリギリまで活気に溢れていた。ここ、オカルト研究部室を除いて。
既に校舎内には、今年の今際ノ祭のスローガンである「イマのイマワノを魅せてみろ」という、わけの分からない文言が書かれたチラシが至る所に貼り付けられていた。
中には気が早い生徒もいて、既に二日目の文化祭で出す企画や、模擬店の宣伝を行なっていた。
部室の扉一枚隔てた廊下からは、例によってオカ研以外の文化部がチラシや看板の制作に勤しんでおり、時折その喧騒が聴こえてきていた。
「皆さん元気ですねえ……」
「ほーんと。今際ノ祭の最中くらいのんびりしてたいわ」
「……珍しいですね、祢津さんがそんなこと言うなんて」
「そりゃあ、毎日毎日ずっとあのオカルトバカに引っ張り回されてたら誰でもそう言うって」
辟易したような祢津さんの言葉に、私は最近の活動を思い出し、溜め息をついた。
「日雇いで怪奇現象が起こるらしいリゾートバイトに付き合って、カッパが出るらしい隣町の川まで行って、UFOが着陸するらしい森に突然呼び出されて……部長に引きずり回されっぱなしでしたもんね……」
「楽しめる場所もあるにはあったけど、肝心のオカルトが全部ハズレってのはねえ……」
「怪奇現象も起きなかったし、カッパもUFOも出ませんでしたね……」
すると部室の扉が開き、噂をすればなんとやら、モズクとワカメのハイブリッドのような髪をわさわさと揺らしながら、ちんまい生き物が姿を現した。
「君たち、何を腑抜けた顔をしている」
「腑抜けてるのは顔だけですよ部長。これでもオカ研が文化祭に出す催しを二人で考えてたんですから」
「……何を言っている?」
──猛烈に嫌な予感がする。
部長の「何を言っている?」は、決まって私たちの体力を根こそぎ搾り取るようなイベントが発生するときの前振りだ。
思わず祢津さんと顔を見合わせる。彼女の表情には、これから起こる事態を予期するかのような絶望の色が、はっきりと見てとれた。
そして次の瞬間、部長はこう言い放った。
「文化祭だけではないぞ。我々オカルト研究部は初日の体育祭で、部活対抗リレーに参戦する!」
「無理無理無理、無理」
「無理です、無理です、無理です」
私たちは、ちぎれんばかりに首を左右に振りまくり、必死に抵抗した。
ここで部長を止めないと、絶対にまずいことになる。
しかし部長の「もう参加を表明した」という言葉に、私たちはあっけなく打ちのめされた。
祢津さんが、まるで言うことを聞かない子供を説得するかのような口調で、部長を諭した。
「あのねぇ遥人……そういうのは運動部の役目なの。あたしたち文化部はのんびり適当に応援しながら、二日目以降の催しの準備をしてればいいの」
「部長と呼びたまえ祢津くん。しかし運動部が躍起になっているところに、我々オカルト研究部が飛び入り参加して勝利をもぎ取れば、今際ノ祭も大いに盛り上がるというものではないか。いわゆるジャイアントキリングってやつだ、ジャイアントキリングって名前のUMAいそうだな!」
そう言ってわははと笑い出した部長を見て、祢津さんは深い深いため息をつき、机に突っ伏した。グロッキー状態の祢津さんに代わり、私は尋ねた。
「一応、リレーに参加する部活の内訳を教えてもらっても良いですか?」
「男子野球部、男子バスケ部、男子水泳部、男子サッカー部、そして我がオカルト研究部だが」
「勝機が見えなすぎます……」
「正気じゃない……」
揃って頭を抱えた私たちに向け、部長は不敵な笑みを浮かべて言った。
「我輩が勝算のない勝負をすると思うか? それに君たちのモチベーションを上げるための、黒い噂も仕入れてきた」
「黒い噂……? なんですか、それ」
「ここ最近、運動部の連中がやけにおとなしいと思わないか?」
部長の投げかけに、私は授業中や休み時間のことを思い出した。
「言われてみれば確かに……いつもうるさい野球部の生徒が、妙に静かだなって感じはしてました」
「そういえば、うちのクラスの男子もちゃんと授業聞くようになってるかも……」
私たちの答えに部長は頷き、声をひそめて話し出した。
「その理由を教えよう。我輩の調査の結果、部活対抗リレーに優勝した部には裏の賞金として、月々の部費が来年度末まで三倍になるらしい。だから運動部の連中は今際ノ祭が迫るこの時期になると、体育祭のリレーが終わるそのときまで、運動部員同士での馴れ合いを控え、その内なる闘争心を静かに燃やしているのだ」
部長は一息ついてから、私たちを問いただすように続けた。
「文化部のまったく知らないところで金が動いているという許しがたい現状を、黙って見過ごすわけにはいくまい。そしてもうひとつ、これは各運動部の顧問と我輩しか知らない情報だが──この裏賞金を主催しているのは、我々の天敵でもある男子野球部顧問の中西だ。二人とも、やってくれるか?」
「……わかった、やればいいんでしょやれば。その代わり、やるからには勝つよ」
部長の問いに、祢津さんが席を立って応えた。
私と部長だけでは勝ち目はないが、切込隊長の祢津さんが乗るなら、勝機が残されているかもしれない。
「祢津さんがやるなら、私も出ます! 走りに自信はないけど……勝ちましょう!」
しかし部長が続けて発した言葉によって、私たちは見事に出鼻をくじかれた。
「走者は五人だから、あと二人助っ人を探す必要があるがな」
「はぁー……詠子を誘ってみる……」
「私も、クラスの人にダメ元で声かけてみます……」
【FILE0011 行け! 忌野高校オカルト研究部!】
翌日の放課後。無事に出走者のスカウトを終えたオカルト研究部室には、五人の生徒が集まっていた。
部長と祢津さんと私というオカ研オリジナルメンバーに加え、二人の頼もしい助っ人。
一人目は、祢津さんの連れてきた現役女子バスケ部の都井さん。そしてもう一人は、私のダメ元の誘いに何故か乗ってくれたギャルの帰宅部、松永さんだった。
「岡田さん久しぶり〜、相変わらずモッサモサだね~」
「岡田っち髪のボリュームエグくね? ツインテにしてみてもいい?」
「や、やめたまえ君たち……」
さっそく都井さんと松永さんにいじくり回される、部外者に人気の部長。きっと彼女たちからしてみれば、変な生き物で実験している感じなのだろう。助っ人として来てもらっている手前、二人には強く出られない部長が新鮮で、見ていて楽しい。
部長の髪型が見事なツインテールになったのをしっかりと見届けてから、祢津さんが口を開いた。
「さて、みんなそろそろ席ついて。遥人、ルールの説明と走順の発表よろしく」
頬を紅潮させた部長が、ツインテールのまま前に出て来て、語り出す。
「ま、まず都井くんと松永くん。リレー走者として我がオカルト研究部に臨時加入してくれたこと、誠に感謝する」
後方から二人の「いいってことよ〜」「うぇーい」などという気の抜けた声が上がる。あの二人、もしかしたら相性がいいのかもしれない。
部長は一度咳払いをして、話を再開した。
「我々の出場する部活対抗リレーのルールだが、第一走者からアンカーまで、各走者がトラックを一周してゴールという形だ。そして、土野くんと祢津くんには既に話してあるが……このリレーに勝てば、かなり大きな金が動く──」
部長から部活対抗リレーの裏話を聞いた都井さんと松永さんは、どうやら私と祢津さんよりも燃え上がったようだった。一瞬にして欲望が剥き出しになった二人は、口々に「椎奈、私新しいバッシュが欲しいんだけど~」「子夏、勝ったらクレープ奢ってー」などと言っている。都井さんはともかく、松永さんは部費を何だと思っているのだろうか。
いつもより騒がしい部室内で、部長がやりにくそうに宣言した。
「そ、それでは走順を発表する! どんな順番でも文句を言わず、全力で走るように!」
走順が記されたノートを、部長が机の中央に叩きつけた。一斉に覗き込む私たち。
そこに書かれていたのは──。
第一走者・土野子夏
第二走者・松永才華
第三走者・祢津椎奈
第四走者・都井詠子
アンカー・岡田遥人
「……いやいや」
「いやいやいや」
「いやいやいやいや」
「いやいやいやいやいや……」
しばしの沈黙を置いて、一気に噴出した困惑と不満の嵐に、部長は戸惑いながら言った。
「も、文句は言わない約束だっただろう! しかし祢津くんと都井くんの順番は逆の方が良かったかな……」
「そこじゃないですよ……いくらなんでもこのメンツで部長にアンカーは任せられません……」
「岡田っち、それガチで無謀だから」
「悪いけど、遥人がアンカーだけは有り得ない」
「アンカーは私か椎奈の方がいいと思うけどな〜……」
奇しくも走順をなぞる形で私たち四人にこき下ろされた部長は、しょんぼりしながら、観念したように言った。
「実は君たちに言ってなかったんだが……アンカーは部長、またはキャプテンというルールがあってだな……」
「よし、帰ろ」
「文化祭が楽しみですねえ」
「オカ研は何やるの~? やっぱお化け屋敷~?」
「マジ? 都井ちゃんと二人で遊び行くわー」
「ま、待ちたまえ諸君! 勝算はゼロでないと言っただろう!」
揃って部室を出て行こうとした私たちを、部長が慌てて呼び止めた。
「確かに我輩がアンカーでは頼りないかもしれない……しかし、だからこそ我輩が直々に、勝算を上げる秘策を用意してきた。これを見てくれ」
そう言って部長がカバンから取り出したもの、それは禍々しい雰囲気を纏った小さな木箱だった。
中に入っているものを想像するだけで背筋に寒気を覚えるような不気味さに、私たち四人は言葉を失い、薄汚れた木箱を凝視した。
「部長……なんですか、それ」
沈黙を破り、やっとの思いで私が声を出すと、部長は「口で説明するよりも実際に見てもらった方が早い」と呟き、おもむろにその木箱の蓋を開けた。
途端に部室中に広がる、凄まじい悪臭──部室は一瞬で阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
「くっっっっさ!」
「ちょっと、ドア開けてドア!」
「ま、窓もお願いします!」
「何これ! 目にまで染みるんだけど!?」
赤黒く変色した布が巻かれ、所々から人毛のようなものが飛び出す人型の物体を取り出し、部長は大パニックの中、平然と言った。
「我輩がリゾートバイトの給料で海外の業者から購入した、ブードゥーの呪い人形だ。生贄として豚の生き血が染み込ませてある。部活対抗リレーのアンカー……つまり各部の部長たちの爪と髪も全員分採取して、人形に埋め込んである。これを上手く使えば、我々の不戦勝も見込めるというわけだ」
その言葉を聞いた松永さんが「岡田っちのこと舐めてたわ……」と呟いて部室の隅まで後ずさりし、都井さんに至っては祢津さんに身体を預けて失神した。
きっと部長は生き方を一歩間違えてたら、ストーカーとして名を馳せていたことだろう。今の生き方こそが正しいとも言い切れないが……。
早急にブードゥー人形をしまわせて、急ピッチで室内の換気を行う。都井さんの目が覚めるのを待ってから、ハンカチで口を押さえた祢津さんが、籠った声で言った。
「遥人、あんたがリレーに勝ちたいって想いはすごく伝わった。でもそれ使うのは禁止ね。正々堂々と真正面からぶつかって勝つ方がきっと嬉しいし、もしそれで負けても、あたしは本望だから」
流石祢津さん、スポーツマンシップに則った素晴らしい言葉だ。傍では未だ青い顔をした都井さんが、無言で頷いている。
部長は一度「しかし……」と呟いて不服そうな表情を見せたが、すぐにいつもの表情に戻った。
「わかった、この呪物は使用せず正攻法でいこう。我輩は他の部のマークすべき走者を調査してくる。祢津くんと都井くんが中心となって、リレーの練習を行っておいてくれ、以上!」
そう言って、部長は部室を出ていった。
「……岡田っちって、いつもあんな感じなん……?」
それと同時に呟いた松永さんに、私たちは黙って頷いた。
だがしかし、陰湿・無謀・横柄・自分勝手・怖いもの知らずの5ツールプレイヤーである部長が、今回ばかりはスポーツマンシップに屈し、奥の手を封印すると言っているのだ。真面目に、本気で勝つための練習をしなくてはならなかった。
「えっと……ちょっといい?」
口火を切ったのは祢津さんでも都井さんでもなく、なんと松永さんだった。
「ウチ、中学三年間陸上部だったんだけど……」
思わぬ伏兵が現れた。
衝撃の事実に愕然とする私に、祢津さんが感心したように言った。
「子夏、あんたスカウトのセンスあるよ」
「助っ人頼めるくらい仲良しな人が松永さんしかいなかったんですよ……でも松永さん、なんで黙ってたの?」
「いやー……今がこんなギャルメイクなのに元陸上部って知られるの、なんか高校デビューみたいでハズいじゃん? ほんとは内緒にしたまま、本番も抜いて走ろうと思ってたけど、気が変わったわー」
「なんにせよ、私たちより松永さんを中心に練習した方がいいっぽいね~」
都井さんの一言に松永さんは一瞬戸惑いの表情を見せたが、私たちの羨望の眼差しを受け、すぐに火がついたようだった。
「まず一番練習が必要なのは子夏と岡田っちじゃんね。つってもウチは基本的な姿勢とかしか教えられないから、五日で劇的に足を速くするのは無理。だからバトンパスをガチればいいと思う。バトンの受け渡しが上手いほど、スピードを落とさず最後まで走り続けられるからね」
「なるほど……難しそうだけど、私にできるかなあ……」
「バトンって渡すより受け取る方がムズいんだよね。走り始めるタイミングとか、渡す側の足に合わせないといけないし……でも子夏は第一走者だから、ウチにバトンを渡すだけでオッケー! 超簡単っしょ?」
「簡単って言われると逆にプレッシャーなんだけど……」
「まぁ、ウチが口で説明するより実践するのが一番だわ。子夏、一走りして岡田っち探してきてよ。これも体力作りの一環と思ってさ! ウチらはグラウンドで待ってっから!」
松永さんは祢津さんと都井さんの背中を押しながら、部室を出て行った。
扉が閉まった直後「松永さん、あんまり子夏に無理させないであげてね」という祢津さんの声が聴こえて、私は少し泣きそうになった。
「大丈夫だいじょーぶ! でも本番になってビリでウチにバトン渡してきたらブン殴るけどね〜!」
という松永さんの返答も聴こえてきて、私は少し泣いた。絶対聴こえるように言ってるだろ。
男子野球部室と校舎のわずかな隙間に挟まり、偵察という名の盗聴をしていたストーカー、もとい部長を引っ張り出し、私はグラウンドへ向かう。常識が通用しない部長に説教するのも、副部長の務めだ。
「その見た目であんなところに挟まってたら完全にホラーなんで、部長を知らない人が見たら卒倒しますよ」
「帰宅したあともカーテンとかクローゼットの隙間が気になりだしたりしてな!」
「何を嬉しそうに言ってるんですか……グラウンドで祢津さんたちが待ってるんで急ぎましょう──それで、何かわかったんですか?」
私の問いに、部長はいつもの不敵な笑みを浮かべて言った。
「もちろん、しかも朗報だ。男子野球部のキャプテンは藤浪輝明といって、かなり体格のいいスラッガー寄りの選手だ。おそらくリレーには不向きだろうな」
「それは助かりますね、もしかしたら勝てるかも……」
そう言いかけて、考える。
一縷の望みと共に、私の中に湧き上がってきたひとつの疑念──。
男子野球部の顧問は、部活対抗リレーの賞金事情を裏で主催している諸悪の根源、中西だ。そして顧問であるなら当然、主将のステータスも把握しているはずだが……何故それを知りながら『キャプテンまたは部長がアンカー』などという、野球部を不利にするようなルールを設けたのだろうか……。
グラウンドに到着すると、物凄い速さでトラックを駆け抜けた祢津さんが、ちょうど都井さんに素晴らしいバトンパスを行ったところだった。それを見ていた松永さんが、二人を鼓舞する。
「都井ちゃん、もっと速くスタートできるよ、祢津ちゃんを信じて!」
「……何故、松永くんが指導に回っているのだ……?」
松永さんの秘密を知らない部長だけが、その光景に目を丸くしていた。
運動部の連中からの好奇の視線に晒されながらも練習を続け、あっという間に五日が経ち、今際ノ祭の初日、体育祭が幕を開けた──。
騎馬戦、玉入れ、綱引き……ひとつ、またひとつと種目が終わるごとに、心臓の鼓動は大きく、早くなっていく。私の緊張を感じ取った祢津さんが、背中を撫でながら「大丈夫、走ってれば出番なんて一瞬だから」とか、そんな言葉をかけてくれたが、すぐに頭の中を通り抜けてしまった。
放送部の男子のハキハキとした実況が、スピーカーから響き渡った。
『さぁ次の種目は──お待たせしましたぁッ! 本日のメインイベント! 今年も各部活が一着のゴールテープ目がけて疾走します! 部活対抗リレーッ!』
始まってしまった……!
出来の悪いロボットのような足取りで、スタート地点に辿り着く。一列に並んだ他走者の顔ぶれは、当たり前だが私よりも足の速そうな男子生徒だけだった。
例えば野球部なら、バトンの代わりにバットを持って走ったりだとか、水泳部なら水着にゴーグルをつけて走ったりだとか、そういった部活ごとのお笑い要素は一切なく、むしろ私以外の全員が、限界まで軽量化されたランニングシューズを履いて参戦していた。
一切の馴れ合いや情けを排除した真剣勝負が始まろうとしていた。おそらく走者の彼らも、各部の顧問から、例の裏話を聞かされているのだろう。皆一様に無言で、前だけを見つめるその目からは、殺気すら感じた。
今にも破裂しそうな私の心臓に追い討ちをかけるかのように、放送席が出走する部活を順に紹介していく。
『出場する部活動をご紹介しますッ! 今日目指すのは甲子園ではなくゴールテープ! 男子野球部ッ!』
女子生徒からの黄色い声援。
『足元にボールがなければもっと速い! それを証明してみせろ! 男子サッカー部ッ!』
女子生徒からの黄色い声援。
『水でも陸でもどんとこい! 俺たちに戦いのフィールドは関係ない! 男子水泳部ッ!』
女子生徒からの黄色い声援。
『今日に限ってはトラベリングもダブルドリブルも無し! 決めろ奇跡のブザービート! 男子バスケ部ッ!』
女子生徒からの黄色い声援。
『そしてなんと! 前・代・未・聞ッ! 今年の部活対抗リレーは何かが違う! 唯一文化部からの参戦ッ! しかも一年生の女子生徒のみで編成された! オカルト研究部だァーッ! 自慢の……えー……黒魔術を見せてくれ。以上ッ!』
黄色い声援が一転、どよめきに変わった。
「おいおい嘘だろ……」
「何あいつら、目立ちたがりすぎでしょ」
「そもそもうちの高校にオカルト研究部なんてあったか?」
そんな声がそこかしこから上がった。
恥ずかしい、今すぐ消えてしまいたい。右手に持ったバトンが汗で滑り、胃まで痛くなってきた。
私はなんでここに立っているんだろう……今日こそは穏やかな一日を過ごせると思ってたのに──。
「子夏! ちょっと! 聴こえてる!?」
「土野くん! こっちを見るのだ!」
はっと我に返って声のする方を見ると、トラックの内側で待機している部長たちが私に向かって叫んでいた。
私の視線に気づくと、何故か大きく手を振りだした部長が、無駄によく通る声で叫んだ。
「土野くん! 見せてやれ! 100メートル走9秒の実力をな!」
横並びの第一走者たちがぎょっとした表情を浮かべ、一斉に私の方を見た。
それと同時にスターターピストルの乾いた音が鳴り響き、部活対抗リレーの火蓋が切られた。
ハッタリに驚いたせいかスタートの遅れた数人が、慌てて私を追走する。
部長が放ったこけおどしは、私の緊張を嘘のように解いてくれた。今ごろ祢津さんに怒られてるだろうな──。
先ほどよりも濃くなった他走者の殺気を背中にひしひしと感じながらも、私は精一杯走り続ける。心臓と胃に続き、今度は肺が破れそうだ。
辛い、でも走らなきゃ。ビリでバトンを渡したら、松永さんにブン殴られる──!
一人に抜かされ、二人に抜かされ……なんとか五組中四位で松永さんにバトンを渡した。
息も絶え絶えになりながらトラックの外へ出た私の耳に、実況の声が飛び込んできた。
『今年のダークホースオカ研! 第一走者は四位でバトンを渡し……ああーッ! オカ研上がってきて三位! なんだこれは! 何が起こっている! オカ研が脅威の追い上げ! 現在二位のサッカー部の背中も見えてきたぞ! ギャルが強い! オカ研のギャルがとてつもない勢いで突っ込んでくる! 磨き上げたネイルの差でオカ研がわずかに先! 二位でバトンタッチ!』
「松永さんすごっ!」
思わずそう叫んで顔を上げると、二位でバトンを受け取った祢津さんが猛烈な勢いでトップを走る坊主頭を追っていくところだった。
一仕事終えた松永さんが私に向かって「うぇーい」と言いながらピースサインを作った。どうやらブン殴られずに済みそうだ。
大波乱の展開に大興奮の放送席が、口角泡を飛ばしながらまくし立てる。
『オカ研速いッ! 一体どんな魔術を使ったんだオカ研ッ! バスケ部からオカ研へ電撃移籍を果たした第三走者祢津椎奈、惚れ惚れするような疾走ッ! 強い強い! サッカー部バスケ部水泳部を差し置いて現在トップの野球部とオカ研がバチバチのデッドヒートォーッ! 行け! 忌野高校オカルト研究部ーッ!』
目の前で巻き起こる波乱の展開に、静まり返っていたギャラリーも少しずつ実況に触発され、オカルト研究部に声援を送り始めた。あっという間に祢津さんが近づいてきて、私の眼前で、今までで最高のバトンパスを行なった。
バトンを受け取った都井さんが矢のような勢いでカッ飛び、コーナーでついに野球部を追い抜いた瞬間、グラウンドのボルテージは最高潮に達した。
『オカ研一位! オカ研一位! オカ研がトップに立った! 第四走者の都井詠子が一閃! 野球部との差が徐々に離れていく! これ以上の怪奇現象はないオカルト研究部!』
ここで差をつければ、部長にバトンが回っても勝てる──!
しかし、トラック内で都井さんを待つ部長の表情がにわかに曇った。
「やはり一筋縄ではいかないか……貴様、藤浪ではないな!」
部長の横に立ち、素知らぬ顔でバトンを待っていたアンカーは、野球部キャプテンの藤浪輝明ではなく、まったくの別人だった。
「ちょっとコネを使わせてもらったんだ」
いつの間にか近づいてきた中西が、私たちを見下ろしていた。
「藤浪は足を痛めて欠場だ。代わりに男子陸上部のキャプテンに来てもらった……悪いが一位の座は野球部が頂く。そして、多額の部費もな」
下卑た笑みを浮かべる中西を、私は黙って睨みつけることしかできなかった。
そうしている間に、都井さんがテイクオーバーゾーンに突入し、部長が走り出す――。
その瞬間、部長はジャージのポケットに手を突っ込み、私に何かを投げて寄越した。
都井さんのバトンを左手で受け取った部長が走り出す。ややあって野球部のバトンもアンカーへ渡り、陸上部のキャプテンが砂煙を上げ、一瞬で視界から消えた。
「祢津さん! これ! 部長からです!」
慌てて祢津さんの元へ駆け寄り、右手に握った木箱を見せた。途端に祢津さんは眉をひそめて押し黙った。今この場で彼女を説得するのは、副部長である私の役目だ。必死の思いで、祢津さんに向けて叫んだ。
「野球部はアンカーを陸上部のキャプテンにすり替えました! 部長はそれを読んで、今日もこれを持ってきたんです! 私たちも多少のズルは許されるはずですよ! 祢津さん! 許可をください!」
私がそう叫ぶのと同時に、放送席からの実況が無情に響き渡る。
『オカ研失速! 苦しくなってきたぞオカ研! 野球部との差がどんどんなくなっていく! このまま逃げ切れるかオカ研! 逆転サヨナラか野球部! 三着以降のサッカー部、水泳部、バスケ部も追い上げてくるッ! オカ研以外のアンカーが怒涛の追い上げぇッ!』
「祢津さんっ! 許可を! お願いしますっ!」
苦虫を嚙み潰したような表情の祢津さんが、ゆっくり口を開き、叫んだ──。
「…………許可しますッ!」
それを聴いた私は、部長から渡されたもうひとつのバトンを開け放った。
グロテスクな見た目のブードゥー人形と一緒に収められていた無数の針を取り出し、その全てを、人形の胸辺りにおもいきり突き立てる──。
その刹那、ギャラリーから上がった耳をつんざくような悲鳴。
続けざまに放送席から、ハウリング混じりの絶叫がグラウンド中に響いた。
『ああーッ! 現在三着のサッカー部が二着の野球部と交錯うううッ! なんということだ! バトンが弾け飛ぶ! 続く水泳部とバスケ部もたまらずつんのめった! バスケ部アンカー水泳部を巻き込んで転倒おぉッ! 水泳部アンカー吹っ飛んだ! そしてオカ研依然トップ! アンカー岡田遥人、懸命に走るが体力の限界が近い! 真っ先に立ち上がった野球部アンカー鬼の形相で再び猛追! ゴールテープはすぐそこだ! オカ研か! 野球部か! オカ研か! 野球部かッ! どっちだァーッ!?』
そのとき吹いた一陣の追い風は、トラックを疾走する五人の走者のうち、岡田遥人たった一人にだけ味方した。
全校生徒が見守る中、オカルト研究部部長、岡田遥人はもつれる足をばたつかせながら、確かに空を飛んだ。彼女の背中を引っ張り上げる二人の少女の姿を、部員である私と祢津さんだけが視認していた。
一ヶ月前、夢の中で出会った姉妹の姿を、私たち三人だけが知っていた。
耳が痛くなるような、一瞬とも、永遠とも思える静寂──。
野球部よりも僅かに早くゴールテープを切り、そのままべちゃっとうつ伏せに倒れ込んだ部長は、鼻血を出しながら顔を上げた。そして、唖然としている中西を見据えて言った。
「ちょっとコネを使わせてもらったんだ」
次の瞬間、地鳴らしのような歓声が上がり、実況が吠える。
『う…………浮いたあああァーッ! 部活対抗リレーはオカルト研究部が一位! なんというジャイアントキリング! なんという大番狂せ! とんでもないどんでん返しが待ち受けていた!』
大歓声を背に受けながら、私たちは部長に駆け寄る。
「死ぬ気で走ってたら本当に天国に連れて行かれるところだった……岸田姉妹には感謝せねばな……それに土野くんと祢津くん、もちろん都井くんと松永くんにも改めて礼を言う……ありがとう!」
「部長……! 最高の走りでした!」
「……勝てて良かった……好美と由良ともまた会えて良かった……」
「わあ、椎奈が泣いてるとこ初めて見たかも~……」
「岡田っちが空飛んだとこ、SNSにアップしてもいい? 絶対バズると思う」
「それはやめてくれたまえ!」
鳴り止まぬ拍手とオカ研コールの中、私は明日の文化祭も大盛況になればいいなと考えていた。
FILE0011 行け! 忌野高校オカルト研究部! おわり
エピローグへつづく
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