【FILE009】夢で逢えたら

  〜〜〜


 どもども、こんにちは。

 土野子夏っていいます。改めましてよろしくお願いします。


 私は遊府桜町の私立忌野高校に通う女子高生で、オカルト研究部に所属しています。

 トラブルメーカーの部長と、切込隊長の祢津さん。そして副部長の私……。

 部活動を行う度に悲鳴、悲鳴の連続で喉が枯れることもしばしばですが、最近はちょっと慣れてきたかも……。

 例えば、二百物語をやって百物語よりヤバい心霊現象を起こすだとか、見たら呪われると言われる画像を集めてフラッシュ暗算のように高速でスライドショーするだとか──。

 そのほとんどがハズレなんですが……ごくたまにアタリがあるんです。

 今回はその「アタリ」の話をしようと思います……。


 皆さんにとって「吉夢」と「悪夢」の定義って何ですか?

 例えば「宝くじの一等が当たる夢」と「車に撥ねられて大怪我を負う夢」の二つを見たとして、普通に考えれば当然、前者が吉夢で後者が悪夢だと思うんです。

 でも、目を覚まして現実に戻った際の落胆や安堵のことまで踏まえて考えると、その認識は逆転するかもしれませんよね。

 もうひとつ、オカ研らしい例を挙げると、見知らぬ少女が出てくる夢は……あなたにとって「吉夢」ですか? それとも「悪夢」ですか?

 ちなみに私は──。


 〜〜〜




 窓際まで追いやられ、山のように積み上げられた机や椅子が差し込む陽光を遮断している。おかげで晴天にも関わらず薄暗い、早朝六時のオカルト研究部室。

 ほんの一時間前まで自分の部屋で眠っていた私は、部長からの電話に叩き起こされ、ここにいた。


「本日、オカルト研究部は朝練を実施する! 六時には部室に居るように! 以上!」


 あまりにも一方的な通話が切れたあと、私はまだ休息を欲している身体を無理やりベッドから起こし、三十分かけて登校の支度を済ませ、三十分で学校へ到着したのだった。

 未だ眠気の残る目を擦りながら、私は向かいで授業の予習をしている祢津さんに話しかけた。


「祢津さん、朝強いんですね……」

「まあね、バスケ部のときは毎日朝練してたし……後ろんとこ、寝癖ついてるよ」


 私は後頭部を手で撫でつけながら欠伸をし、机に突っ伏した。


「尊敬します……まさかオカ研にも朝練という概念があるとは……油断してました……」

「言い出しっぺがまだ来てないのは若干腹立つけどね」

「あの見た目からして、部長が一番朝に弱そうですし……」

「遥人はオカルトが絡めば二十四時間完徹した直後にトライアスロンもやりそうだし、そろそろ来るんじゃない?」


 祢津さんがそう言い終わるのを見計らったかのように扉が開き、部長が姿を現した。

髪の至るところで寝癖が跳ねまわり、いつもより三割増しのもさもさ加減だった。


「すまん、ちょっと長めの夢を見ていて遅れた」

「寝坊を詩的な言い回しで誤魔化さないでくださいよ部長。急に朝練って、どういう風の吹き回しですか」

「開口一番に我輩を咎めるのは早計というものだぞ土野くん。今回はその夢について尋ねるために君たちを呼んだのだからな」


 そう言った部長は私たちの顔を順番に見て、尋ねた。


「二人とも、最近妙な夢を見ていないか?」

「夢ですか……私、夢って目が覚めた途端に忘れちゃうことが多いんですよね……」

「あたしと遥人の身長が入れ替わる夢なら最近見たけど、最悪だった」

「部長と呼びたまえ祢津くん、そして人の身長を悪夢扱いするな! 我輩は低身長のメリットと高身長のデメリットを百個ずつ挙げられるぞ!」


 祢津さんに飛びかかろうとして軽くあしらわれて……それを数回繰り返した部長は、肩で息をしながら言った。


「し、質問の仕方を変えよう。我輩には最近、定期的に見る妙な夢がある。今朝もその夢を見たのだが……君たちにはそういった『定期的に見る夢』はないか?」

「うーん……ちなみに部長の見るその夢って、どんな内容なんですか?」

「君たち二人と学校へ登校する夢だが」

「へえ、なんか部長の夢の中に登場するの、嬉しいような怖いような……」

「夢に見るくらい遥人はあたしたちのこと好きってことね、可愛いとこあるじゃん」


 祢津さんの言葉に部長は少し顔を赤くして「そんなおちゃらけた話をしているのではない!」とまくし立ててから、続けた。


「その夢の妙なのはここからなんだが……途中でまったく知らない少女が一人、毎回我々の輪の中に入ってくるのだ」

「ほーら怖くなってきた……」


 身震いする私の横で、祢津さんが部長に尋ねた。


「少女って、どれくらいの女の子なの?」

「ランドセルを背負った、十歳前後の小学生だ。先ほども言った通り、我輩は彼女に見覚えがなくてな。君たちの知り合いに同じくらいの子はいないか?」

「いやあ、心当たりないですね……」

「あたしも、親戚に同じくらいの子はいるけど、男の子だし……」


 私たちの答えを聞くと、部長は顎に手を当てて、埃の舞う宙を仰いだ。


「うーむ困った。我輩にはあの少女が、何かを伝えようとしているのではないかと思えてならんのだ……仕方ない、夢日記をより詳細に書くしかないようだな」

「夢日記……明晰夢ですか?」

「その通りだ土野くん。夢を見ているという自覚のある夢……同じ夢であっても明晰夢として見ることができれば、我輩が少女とコンタクトを取る自由も効くというわけだ」

「なるほどね……また何かわかったら教えてよ、あたしは教室行くから……」


 何かを察して足早に部室を出て行こうとした祢津さんを呼び止めて、部長はきょとんとした表情を浮かべながら、さも当然というように続けた。


「何を言っている、祢津くんと土野くんも今夜から明晰夢を見るのだ。少女に関する手がかりとなる夢を君たちも見るかもしれんからな。今のうちから明晰夢の見方について各自調査しておくように」

「はぁー、そんなことだろうと思った……」

「そのための朝練ですか……本当に明晰夢なんて見られるんですかね……」

「夢がないな土野くん、そんなことを考えていたら見られるものも見られんぞ。もっと夢を見たまえ」

「ややこしいこと言わないでくださいよ……」


 私たちは各々の端末で明晰夢の見かたを調べ始める。今夜と言わず、今すぐにでも夢の世界へ旅立ちたい気分だった。

その後の授業で盛大に居眠りをかまし、赤っ恥をかいたのは言うまでもない。




 明晰夢の調査を始めて一週間後の放課後、私は血相を変えて、部室への道のりを急いでいた。

 途中の廊下で、同じように慌てた様子の祢津さんと出くわし、声をかけた。


「ね、祢津さん! もしかして祢津さんも見たんですか……?」

「そう、今日で三日目……子夏、あんた目の下にクマできてる」


 二人同時に、転がり込むように部室へ入る。


「ぶ、部長! 私たち、三日連続で変な夢見ました!」

「おかげで寝覚め最悪なんだけど、早いとこ解明してよ!」


 既に部室内の椅子に鎮座していた部長は、私たちを待ち構えていたかのような怪しい笑みを浮かべていた。背中には相変わらず、ボロボロのマントが揺れていた。


「我輩の予想通り、パズルのピースがハマり始めたな……二人とも、そこに座りたまえ!」


【FILE009 夢で逢えたら】




「さて、土野くん、祢津くん。君たち二人が見た夢の内容を聞かせてもらおうか」


 机を挟んで、正面に座った部長が促す。

 隣に座る祢津さんをちらりと一瞥すると、彼女は手のひらをこちらに向け「お先にどうぞ」というポーズを作った。

 私は少しでも細部まで伝えられるように記憶をたぐり寄せながら、ゆっくりと話した。


「えっと……山を登っている夢でした……私が一番後ろで、真ん中が祢津さん、先頭が部長でした。細くて、横一列に二人並べないくらいの山道を、三人で黙って登る夢でした。しばらく登っていたら斜面が緩やかになって、開けた場所の真ん中に生えてる……大きな木が見えてきたところで目が覚める、っていう夢でした」


 話し終えた私は再び祢津さんに目配せする。それを受け取った彼女は、そのまま視線を上に向け、腕を組んで話し始めた。


「あたしが見たのは、見たことない家の扉を叩く夢。両隣にはやっぱり遥人と子夏がいて……あたしたちは黙って、その家の住人が出てくるのを待ってた。何度かのノックのあと、扉の向こうに人の影が見えて、玄関が開く。ドアの隙間から、まったく知らない六十代くらいの女の人の顔が見えたところで目が覚める……って夢だった」


 私たちの見た夢の内容をノートに記録していた部長は、しばしの沈黙を置いて、おもむろに顔を上げ、口を開いた。


「二人とも報告感謝する。早速だが、我々の夢の共通点を挙げてみようではないか。土野くん」

「えーと……私たち三人が揃ってること、ですよね」

「その通り、我々三人が一堂に会している夢を、各々がまったく別のシチュエーションで、しかも数日連続で見るのは間違いなく妙な力が働いているとしか思えん。それに──」


 部長は鉛筆を口に咥え、ノートを睨みながら言った。


「もうひとつ、奇妙な共通点があるのだが、二人ともわかるかね」


 その問いに、祢津さんが「あっ」と声を漏らした。


「あたしたちが見てる夢って、どれも現実で体験したことなくない?」

「……確かに! 私たち家の方向がバラバラだから、途中まで一緒に下校したことはあっても、一緒に登校したことはないですよね!」


 私たちの言葉に、部長は満足気に頷いた。


「その通り、これまで我々が一緒に登山をしたこともなければ、民家を訪ねたこともない。一度マンションのオーナーの家へ行ったことはあるが、あのときは土野くんが単独で突入したから、やはりこれも違うと言える」


 部長は鉛筆を指で弾き、器用に回しながら続けた。


「得てして夢というものは、自分が実際に体験した記憶の断片を組み合わせたものなのだ。なので『体験していない事象を夢に見る』ということは稀なのだ。例えばだが、土野くんが過去に家族と登山した記憶の断片があり、そこに我輩と祢津くんの存在が混入し組み合わさったということもあり得るが……先ほども言ったように、我々三人ともが揃って未体験の夢を見るのはやはり奇妙だ。君たちにも夢の操作を急いでもらいたい」

「君たちにも、って……まさか部長、明晰夢に成功したんですか?」


 私の問いに、部長はふんぞり返った。


「ふん、そのまさかだ。昨晩見た夢の中で我輩は、例の少女とコンタクトを取ることに成功した」

「マジ? その子、なんて言ってたの?」

「少女は一言、コノミと言った。おそらく彼女自身の名前と考えてよいだろう」


 部長は改めて私たちの目を見据えて言った。


「土野くん、祢津くん。我輩は君たちの夢にも少女に関するヒントが隠されていると踏んでいる。なんとか夢の中でアクションを起こしてくれたまえ。我輩も今ある情報でできる限り調査を行っておく。明晰夢を見るには睡眠環境を整え、脳をリラックスさせて就寝することが重要だ、頼んだぞ!」


 そう言って部長は席を立ち、あっという間に部室を飛び出していった。

残された私と祢津さんは顔を見合わせ、話し合った。


「脳をリラックスさせろって……明晰夢を見ることが課題化してたらリラックスなんてできないですよ……」

「色々検索して、他の方法も試してみようよ、遥人ができたんだから、あたしたちにもできるよ、多分」


 私たちは下校時間のチャイムが鳴るまで、スマートフォンを睨み続けた。



 頭上を覆う木々。枝や葉の間から差し込む木漏れ日が、辺りに細い光の柱を作り出している。前方に伸びる斜面を一歩、また一歩と踏み出すごとに、私は深い呼吸を繰り返す。数メートル先には、疲れを微塵も感じさせない祢津さんの背中。更にその向こうに、先頭を行く部長の、小さな後ろ姿が見える。リュックを背負い直して再び歩を進めようとしたとき、私は気づいた。


 ──これは夢だ。


 そう考えた刹那、宙吊りのまま浮かんでいた自意識が夢の中の自身に吸い込まれるような感覚に陥り、私の身体は思い通りに動くようになっていた。

明晰夢に成功したことを理解するのと同時に、私は後ろを振り返った。

 この夢を見る度に、ずっと気になっていたこと──それは、最後尾であるはずの私の後ろから、もうひとつ小さな足音が聴こえていたことだった。

 私の背後に立っていた、三つ編みの伏目がちな少女。山中には到底不釣り合いな赤いランドセルが肩越しに見える。そのベルトに両手をかけ、上目遣いにこちらを見ていた。

 部長の言葉が正しいなら、彼女が私たち三人の夢を繋いでいる「コノミ」という名の女の子で間違いないはずだ。視線を落とし、自分のつま先を見つめ始めた少女に数歩近づき、しゃがむ。再びこちらに顔を向けた彼女と目線を合わせ、問いかけた。


「……コノミちゃん、だよね?」


 しかし私の予想に反して、少女はその小さな頭を左右に振った。

 部長の夢に出てきた子とは、別人……?

 単純な答え合わせだと高を括って投げかけた質問が自分に跳ね返ってきて、脳内で複雑な問題に変わり、新たな疑問を幾つも生み出していく。混濁した思考は既に「絶句」という選択肢に猛進し、私の口をつぐませた。


「え……っと、その……」


 何も言えずにいる私を見かねたのか、少女が小さな口を開いた。


「わたし、ユラ。コノミはわたしのおねえちゃん。ここは、こくりやま」




 はっと目を覚ました瞬間、枕元に置いたスマホの着信音が鳴り、私はオカルト研究部のグループ通話に参加する。今日の発信源は部長ではなく、祢津さんだった。スマホ画面上部には「5:02」と表示されており、部長の声は寝起きでふにゃついていた。

 前回と真逆の立場だ。おそらく祢津さんも、夢の中で夢と気づくことに成功したのだろう。


「遥人、朝練しよう。子夏も来れるよね?」

「もちろんです。一時間後に部室集合でお願いします」


私たちは顕然とした口調で部長に告げた。夢の究明に進展があったことを私たちの様子から悟った部長は、瞬時にいつもの調子に戻り「相わかった!」とだけ言って通話を切った。

 そして一時間後、五割増しでボサボサの頭をした部長の対面に座り、結果の報告を行った。

 山に登っていたのは私たちの他に、もう一人見知らぬ少女がいたこと。その少女はコノミではなくユラと名乗ったこと。山の名前は遊府桜町の外れにそびえる刻莉山だということ──。

 私が話し終えると、続けて祢津さんが矢継ぎ早に話し始めた。


「あたしは玄関を何度か叩いたところで夢だって気づいて、女の人が扉を開けたタイミングで無理やり家の中に入った。多分その人だけの一人暮らしで、やっぱり面識はなかったけど、居間にあった仏壇に小さい女の子の遺影が二つあった。その子たちが当時使ってたノートとかも供えてあって、そこに書かれてた名前が……キシダコノミと、キシダユラ……」


 心なしか、祢津さんの声は少し震えていた。

 重い沈黙が流れる部室内に、部長がノートパソコンのキーボードを叩き、マウスをクリックする音だけが響いた。

 ややあって、部長は机上のパソコンををぐるりと回転させ、画面をこちらに向けた。


「これを見たまえ。今から三十三年前、遊府桜町で二人の女子小学生が失踪したという記録がある。当時十歳だった岸田好美と、九歳だった岸田由良の姉妹だ。我々の夢に現れた少女たちとみて間違いないだろう」


画面に映された記事を読み、言葉を失った私たちの心情を察してか、部長は「二人ともよくやってくれた」と、珍しく労いの言葉をかけた。


「二人とももう……亡くなってるってことだよね……?」


 やっとの思いで呟いた祢津さんの問いに、部長は「おそらく」と答えて、続けた。


「しかしこの失踪事件はまだ解明されてない、いわゆる未解決事件に指定されているのだ。二人の捜索は早々に打ち切られて、今に至るまで見つかっていない。祢津くんの話を聞いて確信したのだが、我々の見てきた夢の『場所』も、例の少女たちに関連性があると見て間違いないだろう。そして、これは推測だが……我々の夢は、一種の予知夢でもあるのかもしれない」

「あたしが夢で見た家は、二人が住んでた場所……で間違いないよね……?」

「我輩が見た夢の場所は、多分彼女らの通学路だ。我輩はあれから幾度かの明晰夢を経て、その道がある場所は把握している。つまりそこを辿れば、現実でも岸田家を特定できるだろう」


 そう言うと部長は、私の方を見た。

同じようにこちらに視線を向けた祢津さんの表情は、どこか悲しそうに見えた。


「そして土野くんの夢の場所……刻莉山だが、まず間違いなく──」

「二人が眠っている場所……ですか」


 私の問いに部長は無言で頷き、私たちの目を見据えて言い放った。


「彼女らが三十年越しに我々に発したメッセージを黙って見過ごすわけにはいかない。我々は未解決となっている岸田姉妹の失踪事件を解明するのだ。夢を現実のものにせねばならんのだ。土野くん、祢津くん、協力してくれるか?」

「もちろんです、二人のためにも尽力します」

「当然。今はもう、あたしたちだけがあの子たちの頼りなんだしね」




 私たち以外には登山者のいない山道を登っていく。当然だが夢とは違い、斜面へ一歩踏み出すごとに、下半身へと疲労が蓄積されていく。背中のリュックに入った荷物の重さや、木々の間をかいくぐって照りつける日差しが、少しずつ、しかし確実に私の体力を奪っていくのがわかった。

 そして、やはり夢とは違い、私の後ろには誰もいない。

 未解決事件の究明を糧にした部長と、スポーツ万能な祢津さんに置いていかれないように、息も絶え絶えになりながら一歩、また一歩と、重くなった足を前に出す。

 やがて斜面が緩やかになり、夢の続きが私の眼前に広がった。

 今まで周囲に立ち並んでいた高木が嘘のように消え、円形に開けた場所。その中央に、辺り一帯の養分を全て吸い尽くしたかのような、一際巨大な木がそびえていた。


「ここで間違いないか、土野くん」


 こちらを振り返った部長に、私は頷いた。


「はい、おそらくこの木の下のどこかに……二人は眠っているはずです」

 

「十時半か……動けて七時間くらいかな、日が沈む前に下山しないと、あたしたちが遭難したら元も子もないし……十分休憩したらすぐ取り掛かろう」


 腕時計を見た祢津さんは、背負っていたリュックを下ろし、伸縮型のスコップを取り出して柄を伸ばした。彼女の体力に驚くと同時に、私も自らに喝を入れ、額の汗をタオルで拭った。

 各自一本ずつスコップを手にし、巨木と対峙する。水筒の中身を一口飲んだ部長が、自らを鼓舞するように言った。


「我々の手で見つけ出してやろうではないか、哀れな姉妹を」


 よく晴れた土曜の朝、絶好のお出かけ日和のこの日、私たちは、三十三年前に消息を絶った岸田姉妹の捜索を開始した。




 巨木の真下から掘り返し始めて、数時間が経った。

木陰になっている部分は既に穴だらけになっていたが、私たちは炎天下の中、黙々と手を動かし、新たな穴を作っていった。

 初夏の山。いつもより近い距離から照りつける太陽は、着実に私の気力を蝕んでいく。水分を補給をした分だけ、同じ量の汗がとめどなく流れ出る。髪が首や頬に張り付いてうっとうしい。流石の部長も髪を後ろで括ったようで、頭にかぶったバケットハットからは、インクにどっぷり浸した羽箒のようなポニーテールが飛び出していた。

 何かに夢中になることを「取り憑かれたように」と表現することがあるが、このときの私たちには、まさしく岸田姉妹の霊が取り憑いていたのかもしれない。


 一時間ごとのタイマーを設定したスマートフォンから、四度目のアラームが鳴り響いた。

時計は既に十四時を指していた。


「よし、十分休憩ね。二人とも、まだいけるよね」


 息をついた祢津さんが声をかけてくるが、私はその場にへたり込み、黙って首を横に振ることしかできない。いくらオカルトが絡んでいるといえど、部長のパワーも限界が近いようで、息も絶え絶えといった状態で、口を開いた。


「……流石に、堪えるな……三人がかりで数時間地面をひっくり返して……まだ見つからんとは……」

「遥人と子夏にはいい運動不足解消になってるでしょ」

「祢津くん……君という奴は、遺体を探しているというのに……不謹慎だぞ……それと部長と呼べ……」


 部長はふらふらと巨木の根元へ移動し、その幹に寄りかかって、そのままずるずるぺたんと尻餅をつく。雲ひとつない真っ青な空を恨めしそうに仰ぎ、彼女は「実に不愉快だ」と呟いた。

ふと、巨木を挟んだ向こう側から、祢津さんが誰に向けてでもなく問いかけた。


「それにしても大きい木だよねこれ……なんて木だろう」

「おそらくクスノキだろう……成長が早く寿命も長い……こいつもまだ、成長途中だろうな」

「……見てると気が滅入ってきますよね……木だけに……」

「土野くん、君……頭がもう……」

「すみません部長、私は限界です……」


 そんなやりとりをかき消すかのように、突然祢津さんが「見つけた」と呟いた。

その驚愕と哀れみが同居したかのような声は、私と部長を立ち上がらせ、祢津さんの元へ駆け寄らせる充分な力があった。


「み、見つけたって祢津さん、まさか……」

「ようやく掘り当てたのだな!」


 私たちの目に飛び込んできたのは、眼前の大木を仰ぎ見る祢津さんの姿だった。

彼女は視線を宙に浮かせたまま、静かに呟いた。


「地面の下じゃない、逆だよ」


 巨木の太い幹から四方八方に伸びる、無数の逞しい枝。緑の葉で覆われた僅かな隙間、Y字に分かれている枝の根元に、二つの小さな頭蓋骨が寄り添うように並んでいた。


「成長したクスノキが、彼女たちの遺体を持ち上げたのか……」

「掘っても出てこないはずですね……」

「遥人、あたしが肩車するから、撮影お願い」

「よし、任せろ」


 祢津さんは部長を肩に乗せ、いとも簡単に立ち上がる。いくら身軽な部長が相手とはいえ、数時間ぶっ続けで地面を掘り起こした直後に、人一人を肩に乗せて動ける祢津さんを、私は畏敬の念を込めて見つめた。

そして、既にあちこち痛み始めている自分の身と岸田姉妹を案じ「見つかってよかった」と心から思った。



 無事に刻莉山を下山した私たちは数十分ほど電車に揺られ、部長を先頭に寂れた駅で下車した。沈み始めた橙色の太陽が、まるで道案内でもするかのように、改札を出た先に続いているひび割れたアスファルトを照らしていた。

 ノートに描かれた手製の地図を睨みながらどんどん進んでいく部長の背中を追い、しばらく歩いていると、十字路に行き当たった。部長はそれを左に曲がり、ようやく足を止めた。

そこには三百メートルほどの一本道が続いており、その両脇にはまばらに建つ家々が見えた。


「我輩の夢に出てきたのはこの道で間違いない。ここの家々を洗っていけば、岸田家が見つかるだろう。二人とも表札の確認を怠らないように」


 その言葉に従い、私たちは一軒、また一軒と、立ち並ぶ家屋を確認していった。

百メートルほどそれを繰り返しただろうか。遠目に次の曲がり角が見えてきたとき、少し前を行く祢津さんが声を上げた。


「遥人、子夏、こっち!」


 道路を横断し、私たちは祢津さんの方へ駆け寄った。

彼女が指さした先には『岸田』と書かれた表札があった。

 祢津さんを中央に玄関の前に並んで立つと、彼女は自身が見た夢の通り、インターフォンのついていない引き戸を、静かに叩いた。


 祢津さんが手を下ろしてから数拍の間を置いて、玄関の向こうで動く人影が見えた。

戸が開き、初老の女性が顔を出す、おそらく彼女が、岸田姉妹の母親だろう。

 私たちを見て、あからさまに不審そうな表情を浮かべた女性に、祢津さんは言った。


「すみません、岸田さんのお宅でしょうか」

「はい、そうですが……どちら様ですか?」

「あたしたち、忌野高校という学校の生徒なんですが……その……」


 祢津さんが言葉を選び兼ねているのが、痛いほど伝わってきた。

彼女は優しい人だから、いくら数十年前とはいえ、娘二人を失った母親の辛さを、今更蒸し返すような真似はしたくないのだろう。すると横から部長が飛び出してきて、声を上げた。


「この家に住んでいた姉妹が、三十三年前に消息を絶ったままだそうだな!」


 祢津さんがギョッとして部長を見下ろした。間違いなく私も、彼女と同じ表情を浮かべていただろう。デリカシーのデの字もない、最悪の代弁。決して空気を読まないこの傍若無人さが、部長を部長たらしめているのだ。

 案の定、女性の表情はみるみるうちに曇っていく。それを察してあたふたしている祢津さんと私を尻目に、部長は更にまくし立てた。


「結論から言おう。我々は岸田好美と岸田由良の二人を発見した。刻莉山でな」


 そして、土で汚れたジャージのポケットから取り出したスマートフォンを、愕然としている女性に突きつけた。その画面に娘たちの変わり果てた姿が表示されていると思うと、母親が気の毒に思えて仕方なかった。

そんなことはお構いなしとばかりに、部長は続けた。


「これが証拠の写真だ。三十年で成長した木が、彼女らの白骨化した身体を持ち上げていたのだ。協議の結果、我々はこの写真を警察に提出しないことに決めた。場所は刻莉山の中腹辺り、平坦に開けた場所に立つ、クスノキの上だ。貴様が自分の目で確かめて、貴様の手で通報するのだ。それが姉妹のためでもあるのだ!」


 スマホの画面を凝視していた女性は、しばらく絶句したあと、絞り出すような声で言った。


「わかりました……好美と由良を見つけてくださってありがとうございます……」


 その言葉を聞いた部長は「失礼した」と言い、踵を返した。




 駅への道を戻っている途中で、祢津さんがぽつりと呟いた。


「今回はこれで解決だね、よかった」


 ――祢津さんは、やっぱり優しい人だ。私もそれに倣って、明るい声を出した。


「そうですね、しかも三十年越しの解決ですよ! 私たち表彰されちゃうかも──」

「君たち、何を言っている?」


 部長が私たちのやりとりを制した。

 ああ──。

 部長はやっぱり、厳しい人だ。

 これが岡田遥人の強みであり、恐ろしいところなのだ。

 私たちの苦し紛れな嘘は、見抜かれている──。


 思わず口をつぐんだ私たちに向かって、部長はいつもと変わらない淡々とした口調で、語り出した。


「君たちにも見えていただろう。我々の少し後ろで、母親のことをずっと指さしていた岸田姉妹の姿が。我輩の口から刻莉山の名前が出たとき、あの母親の顔に一瞬焦りの色が見えたのもわかっただろう。よいか、姉妹はあの山で行方不明になったわけではないのだ。そんな情報は事件当時の記録にも記されていなかった」


 私は耳を塞ぎたくなった。

しかし部長の言葉は、容赦なく現実を語り続けた。


「二人はどこか別の場所で殺され、刻莉山に遺棄されたと考えるのが妥当だ。そうでなければ祢津くんの見ていた予知夢が無意味になる。岸田姉妹の願いは、自分達の亡骸の発見と警察への通報ではない。彼女らの望みは事件の真相を暴くこと、つまり自分たちを殺した犯人を我々に知って欲しいと願っていたのだ。そうでなければ岸田姉妹が我々に見せていた夢の辻褄が合わなくなる。遺体が山中で発見されたと聞けば、普通なら疑問に思うはずだ、一体どうしてそんなところに、と。しかしあの母親は真っ先に焦りの表情を浮かべた。十中八九あの母親が岸田好美と岸田由良を──祢津くん、何故泣いている?」


「だって……そんなの……酷すぎる……」

「祢津さん……」


 あまりにも残酷な真実と向き合わざるを得なくなった祢津さんが涙を流す。部長がそれを諭すように続けた。


「岸田姉妹の望みは叶えた。今回我々があの母親の前に現れたことで、彼女が罪の意識に苛まれることを願おう。そうなれば、いずれ自首する可能性もある。もうひとつ我々にできることを挙げるとすれば、岸田姉妹のことを忘れずにいてやることだけだ。そうだろう祢津くん」


 目を赤くしながら頷く祢津さんの背中をさすりながら、暗くなっていく帰り道を歩いた。



FILE009 夢で逢えたら おわり

FILE0010へつづく

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