【FILE005】憑きまとい

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 皆さん、こんにちは。

 土野子夏っていいます。改めましてよろしくお願いします。


 私は遊府桜町の私立忌野高校に通う女子高生で、オカルト研究部に所属しています。

 トラブルメーカーの部長と、切込隊長の祢津さん。そして副部長の私……。

 毎回と言っていいほど遠征になる部活動のせいで、うんざりすることもしばしばですが、三人で一緒に何かをするのはなんだかんだ楽しく、退屈しない日々を過ごしています。

 例えば、下水道に棲む巨大ワニの調査だとか、人体自然発火現象の実験だとか──。

 そのほとんどがハズレなんですが……ごくたまにアタリがあるんです。

 今回はその「アタリ」の話をしようと思います……


 皆さん、意中の人には尽くすタイプですか?

 いえ、もう少し踏み込んで、こうお尋ねしましょう。

 皆さんは、愛する人のためならどんなことでもできますか?

 恋愛ドラマか何かで耳にする「君のためなら死んでも構わない」とか「世界中の全てを敵に回しても君を愛してる」とか、そういった歯の浮くような言葉を実行できますか?

 私には到底無理なんですが……一度は言われてみたいなー、なんて、ちょっとした憧れみたいなものもあったり……。

 ただ、それはあくまで両想いの関係があって初めて成立するわけで……自分が好意を示していない相手からの、一方的な重すぎる愛は、途端に嫌悪や恐怖、ときには「憎悪」に変わってしまうんですよね……。

 愛憎が絡んだ話といえば――。


 ~~~


 下校時間。いつものように部活動を終えた私たちオカルト研究部は、校門前で各々の下校ルートへ別れようとしていた。


「土野くん! 次は負けないからな! この雪辱は必ず果たす!」


 悔しさを滲ませた部長がこちらを指さし、高らかに宣戦布告した。


「ふふん、いつでも挑戦お待ちしてますよ」


 そう言って私はめいっぱいのドヤ顔を作り、部長をからかった。

どうやら今日の部活動「古今東西オカルト関連単語」で、私に負かされたことを根に持っているようだ。

 三人の中でオカルトに一番疎い祢津さんが早々に脱落、一対一となったバトルは白熱し、およそ五十ラリーほど続いたところで部長が言葉に詰まり、晴れて私が初代チャンピオンに輝いたのだ。

 ……これって部活動か? まぁいいか、勝ったし。

未だ校門前で地団駄を踏み悔しがっている部長と、それを宥める祢津さんに別れを告げようとしたときだった。


「あの、君たちってここの生徒さん、だよね?」


 その声の主は、黒髪のハーフツインに涙袋が強調されたメイク、くすんだピンク色のブラウスに黒のワンピース、一歩踏み出した途端にコケそうなほど厚底のエナメルシューズといういで立ちの、女子が考えるこの世の「かわいい」を全て取り込んだかのような人だった。

年齢は私たちより少し上くらいだろうか、少なくとも高校生には見えなかった。


「そうですけど……職員さんに御用の方ですか?」


 祢津さんの質問に彼女は首を振った。一瞬覗いた左耳には幾つものピアスが光っており、見てるこっちの耳まで痛くなった。


「えっと、この高校にオカルト研究部があるって聞いて来たんだけど……その人たちを紹介してもらいたいなって……」

「忌野高校オカルト研究部とは我々のことだが、何用だ?」


 彼女が言い終わらぬうちに、部長が飛び出してきて答えた。

厚底靴のせいで身長差が三十センチはあろうかという二人が向かい合うと、彼女の表情は途端に明るくなった。


「良かった、探す手間が省けた! 実は君たちに相談、というか解決してほしい依頼があって来たんだけど……」

「土野くん! 祢津くん! 我がオカルト研究部初の依頼者だぞ! 彼女を手厚くもてなしたまえ!」


 再び食い気味に、部長が歓喜と期待の同居した声を上げた。祢津さんが溜め息をつき、私に目配せする。興奮を抑えきれない部長を困ったように見下ろしている彼女に、私は言った。


「すみません騒がしくて……まずはご依頼ありがとうございます。立ち話もなんですし、近くの喫茶店でお話させて頂ければと考えてるんですが……お時間大丈夫ですか?」

「そんな気使わなくていいよ。ここへ来る途中に公園あったから、そこで全然大丈夫!」


 そう言われるがまま彼女の後ろをしばらく歩くと、確かに小さな公園が見えてきた。まばらに設置されたブランコや鉄棒などの遊具が、夕陽に照らされてオレンジ色に染まっていた。

 小さなベンチに腰掛けた彼女は「それで、依頼のことなんだけど……」と呟いた。


「実はあたし、ちょっと前からストーカーに遭ってて、それを君たちオカ研に解決してもらいたいんだよね……」


 それを聞いた部長の表情がみるみるうちに「無」になり、呆れたように首を振ってから、彼女に背を向けた。


「君の名前は?」

「ええっと……ごめん、匿名希望で……」

「そうか、ならジェーンくんとでも呼ぼう。ジェーンくん、つかぬことを訊くが、君はどのようにして我々オカルト研究部の存在を知ったのだ?」

「えっと、妹が忌野高校に通ってて、君たちの同級生なんだよね……それで妹からオカ研の話を聞いて相談に来た、って感じ」

「なるほど、よいかジェーンくん。厳しいことを言うが、我々は警察でもなければ便利屋でもないのだ。はるばる我々の元へ足労してくれたのは喜ばしいが、そんなことは警察の仕事だ。今すぐその辺の交番にでも駆け込むべき案件だろう」


 同性のストーカー被害を「そんなこと」扱いできるのはこの人くらいだろうな、と思ったが、今回は部長の言うことももっともだとも思った。

何故彼女……ジェーンさんは警察ではなく、私たちのところへ来たのだろうか?

 そんなことを考えている間に、部長がどこかへ歩いていく。


「どこ行くんですか?」

「決まっているだろう! ブランコに揺られて、この落胆した気分を少しでも紛らわせるのだ!」

「遥人、私が押してあげよっか?」

「我輩を子供扱いするな! あと部長と呼びたまえ祢津くん!」


 祢津さんの言葉に肩を怒らせながらブランコへ向かっていく部長の背に向かって、ジェーンさんはおずおずと言った。


「そのストーカーが幽霊だから、君たちのとこに来たんだけど……」


 ブランコに腰を下ろしかけていた部長が、スカイフィッシュも真っ青のスピードでこちらへ戻って来て、叫んだ。


「それを早く言いたまえ!」


 部長の表情からは既に落胆の色は消えており、らんらんと輝く目だけが長い前髪の隙間から覗いていた。それを見た祢津さんは、再び深い溜め息をついた。


【FILE005 憑きまとい】




 名無しのジェーンさんが話したところによると、彼女は数ヶ月前から幽霊のストーカーに付きまとわれているらしかった。

他人と一緒にいるときは気配だけで姿は見えないが、一人きりになるといつの間にか背後に立っていたり、部屋の窓から見える電柱の影などからこっちを見ているという。

彼女は目を伏せながら「今もアイツの気配を感じてる」と呟いた。僅かに震えている彼女を見ると、嘘をついているようには思えなかった。

話を聞き終えた部長が、彼女に問いかけた。


「それで、そのストーカーの霊を我々にどうしてほしいというわけだ?」


 その問いにジェーンさんは一拍の間を置いて、おずおずと本格的な依頼内容を話し出した。


「それは……もちろん、アイツを消してほしい。除霊、って言った方が正しいのかも……」

「除霊か、難しい依頼であることは間違いないな」

「無理を承知で言ってるのはわかってるけど、他に頼める人もいなくて……お願い!」


 そう言って頭を下げたジェーンさんを見て、部長はやれやれといった感じで答えた。


「ジェーン君が本当に困っていることは理解できた。何より君は初めての依頼者だ、最善を尽くそう。ただし三日間時間を頂く、色々と準備が必要なのでな」


 部長の言葉に、ジェーンさんは初めて顔を上げた。涙の溜まった瞳を部長へ向け、心底安堵した声で私たちにお礼を言った。


「じゃあ三日後、今日と同じ場所で!」


そう言って、こちらに手を振りながら去っていくジェーンさんを見送った。

彼女の姿が完全に見えなくなったのを見計らって、私と祢津さんは同時に口を開き、部長を問いただした。


「……簡単に除霊なんて引き受けて大丈夫なわけ?」

「そうですよ、大体部長、除霊なんてやったことあるんですか?」

「ない! しかし心配は無用だ。除霊のノウハウは大方把握しているし、我輩についていれば、君たち二人が霊に危害を加えられることも、多分ないだろう。ひとまずブランコで遊ぼうではないか!」

「そのノープランなのに自信満々なところ、ほんとに直したほうがいいと思う」


 数分後、祢津さんに力いっぱい背中を押された部長は、ブランコごと一回転し、公園じゅうに響き渡る絶叫を上げた。




 あっという間に三日が経ち、約束の日が来た。

 前と同じ下校時間、私が校門前で待っていると、相変わらず「かわいい」を詰め込んだ服装に身を包んだジェーンさんが現れた。


「あれ、今日は君だけ?」

「はい、部長と祢津さんは部室で除霊の準備をしてます。正面から入って職員の人たちにバレるとまずいので、遠回りして窓から部室に入りますが……大丈夫ですか?」

「除霊してもらえるなら、それくらい全然大丈夫、行こ」


 二人でこっそり校舎の北側に回り、オカルト研究部室の窓を開け放った。

滑りの悪くなったアルミサッシが軋みながらスライドし、嫌な音を立てる。普段は古い机や椅子が積み上げられて開かずの窓となっているが、この日のためにそれらを全て別の場所に寄せたのだ。

砂や埃にまみれた桟に躊躇いつつ手をかけ、両腕にめいっぱい力を込めて自分の身体を押し上げ、部室に降り立った。


見慣れたいつもの八畳一間――ではない。

そこは、床や壁、天井に至るまで隙間なく御札が貼られた異質な空間だった。

丸三日に及ぶ作業の末、ようやく出来上がった『対悪霊用絶対成仏南無阿弥陀部室』が、私の眼前に広がっていた。

初見でここが元演劇部の部室だとわかる人間は、もはや誰一人としていないだろう。


「わあ……すご……」


 振り返ると、いつの間にか窓を乗り越えたジェーンさんが、目を丸くしながら感嘆と怯えの混じった声を漏らした。部長がぱたぱたとこちらへ走り寄ってきて、私たちを出迎えた。


「除霊の除霊による除霊のための部室がようやく完成したぞ! ここならシェラデコブレの幽霊も成仏させることができると自負している!」


 続いて祢津さんもやって来て、部長の頭に腕を乗せて、親指を立てた。


「いつでも準備できてるんで、覚悟ができたら言ってください、ジェーンさん」

「三人とも、あたしのためにありがとう……」


 部長に促されたジェーンさんが部室の中央に座り込むと、床に敷き詰められた御札が、一瞬彼女を中心に、波紋のように揺れた。

 

「さて、除霊を始めよう……祢津くん!」


 部長の呼びかけに祢津さんは頷き、スカートのポケットから小瓶を取り出した。

そして、中に入っていた液体を自らの右手に振りかけた。足下の御札に液体が滴るぱたぱたという音が、静かな部室に響いた。

 祢津さんは、おもむろにジェーンさんの眼前に移動し──。


「除霊パーンチ!」


 そう叫ぶや否や、彼女の顔面に右ストレートを叩き込んだ。




 ~~~


 二日前。つまりジェーンさんからの依頼を引き受けた翌日の放課後。部室に飛び込んできた部長は、開口一番に言った。


「土野くん、祢津くん。昨日の依頼の件だが、どうやら我々はいささか面倒なことに巻き込まれたらしい」

「そんなこと言われなくても、現在進行形で身に染みてる。遥人もこっち来て手伝ってよ」

「部室を御札まみれにする作業を私たち二人に任せといて、今更何言ってんですか……」


 わかりきっていることを堂々とのたまい始めたアホに視線を向けることなく作業を続けていると、そのアホはとんでもないことを口にした。


「作業のことを言っているのではない。我々が除霊する相手は、一体だけではないかもしれないのだ」


 思わず作業する手を止め、顔を上げた私たちを一瞥し、部長は愛用のノートを片手に語り出した。


「まず我輩はジェーンくんの正体を洗うべく、彼女の妹、つまり我々の存在を彼女に教えた張本人を探した。しかし悲しいかな、我々の同級生の中に、オカルト研究部の話を姉妹にしたという生徒はゼロだった。つまり彼女は嘘をついている、ということになる」

「でも、どうしてそんな嘘を……?」


 私が投げかけた疑問を制し、部長は続けた。


「まあ焦るな土野くん。次に我輩は本日の授業全てを放棄し、近所の大学へ向かった。ジェーンくんの特徴を挙げるとすぐに身元が判明した。彼女は学生の間ではちょっとした有名人らしかった」


 部長は「悪い意味でな」と付け加え、ノートに目を落とした。

そして険しい表情をしながら、その足で稼いできた情報を読み上げ始めた。


「彼女はとんでもない悪女だと、複数の学生からの証言を得た。十人に尋ねれば十人が関わりたくないと答えるほどの、同性から最も嫌われる脅威の存在だ。人の恋人を隙あらば横取りし、奪った男性たちを財布がわりにする。恋愛に耐性のない人間も同様に誘惑し、容赦なく金ヅルにしていたらしい」


 私たちは絶句するしかなかった。それが事実なら、前日のジェーンさんの人当たりの良さは、全て演技だったということになる。これまでも、あんなふうに多くの異性を取り込んできたのだろうか。そう思うとぞっとした。

すると部長は「しかし」と言って、続けた。


「一週間ほど前から彼女は大学に来ていないらしい。キャンパス内の女性たちは口々に『いなくなって清々した』と言っていた。オカルトを信仰する者の一人としてこの言葉はあまり使いたくないが、真に恐ろしいのは人間とはよく言ったものだな」


 その言葉を反復するように、祢津さんが問う。


「行方不明か……じゃあ昨日、私たちの前に現れたジェーンさんは何者? ってことになるけど、もしかして除霊が必要なもう一体って……」


 部長はゆっくりと頷いた。それに呼応するかのように、首元から下がっているネクタイが揺れた。


「ここからは我輩の憶測だが、彼女は財布がわりに使っていた男に無理心中され、死してなお付きまとわれているのではないかと踏んでいる。彼女が喫茶店を拒み、我々以外の人目につかない公園を相談の場として選んだのも、自らが『我々だけにしか見えない霊』だと感付かれないようにするためだろう。ホールスタッフが水の入ったコップを三人分しか持ってこない、なんてこともあり得るだろうしな」


 頭が混乱してきて、私は思わず声を上げた。


「ちょ、ちょっと整理しましょう! つまりジェーンさんは既に死んでて、彼女の幽霊が別の幽霊に付きまとわれてるってことで合ってますか? しかもストーカーされてる原因は完全に身から出た錆、ってことですよね……?」


 私の問いに今度は首を捻ってから、部長は答えた。


「先ほども言ったが『ジェーンくん幽霊説』は未だ我輩の憶測の域を出ていないのだ。この世に対する未練が強いほど幽霊の実体は色濃くなるのだが、あそこまで明確だと人間との見分けがつかん。なので彼女と再会する二日後にそれをはっきりさせるため、ひとつ秘策を練ってきたのだ」

「秘策……ってなんですか?」

「現在君たちに作業してもらっていることからも分かる通り、除霊はこの部室で行う。当日、土野くんは校門前で待機し、ジェーンくんを迎えるのだ。そして何か適当な理由をつけて校舎の北側に回り、正面入口ではなく部室の窓から入ってきたまえ」

「……ってことは、この山積みの机とか椅子を片付けて、掃除しなきゃいけないってこと?」


 ウンザリした声を出した祢津さんを、部長が制した。


「半分正解で、半分間違っている。掃除はしてはならない、もしも彼女が生きた人間であるならば、窓枠を乗り越えたとき、服に汚れが付着するはずだ。もしそうならなかった場合……我輩の憶測は的中していたということが証明されるわけだ」



~~~



「除霊パーンチ!」

「ギャアッ!」


祢津さんの放った右ストレートをモロに喰らったジェーンさんが、短い悲鳴を上げて吹っ飛んだ。汚れひとつ付いていないワンピースの裾を揺らしながら、もんどりうって倒れた彼女に、部長がまくし立てた。


「ジェーンくん、いや、篠永瑠香と呼ぼうか。残念ながら、先に除霊されるのは貴様の方だ。 貴様の十九年の人生は犯罪行為こそなくとも、人々の不幸や争いを助長する負の温床であり、貴様の死は完全な自業自得だ! あまつさえ自分と心中した相手を逆恨みし、我々に除霊させようとするなど言語道断だ。貴様の下衆な生き様を知ればお釈迦様も蜘蛛の糸はおろか、ゴキブリの触覚一本も差し出さず、そっぽを向いて帰っていくだろう! 地獄で悔い改めるのだ!」


 篠永瑠香の整った顔面が醜く歪み、まるで紙の中央につけられた炎が燃え広がっていくように、黒く縁取られた無数の穴を作っていく。

すると、部長が先ほどよりもトーンを落とした声色で「しかし」と続けた。


「我々には貴様と違い慈悲がある。貴様の遺体はどこにある? 場所を言えばしかるべき機関に通報し、親族と最後の面会をさせてやらんでもない。そうなれば貴様の葬儀もしめやかに執り行われるだろう、さてどうする?」

「……宇志光峠の、崖下……」


 既に顔の上半分が消え去った篠永は、残った口を動かして微かに呟き、やがて完全に消滅した。彼女が座っていた場所にはタールを思わせる粘ついた物質が残り、周辺の御札は真っ黒に焼けていた。

 私が安堵の息を漏らしたときだった。


「二体目だ、来るぞ!」


部長が叫んだ瞬間、青白い顔をした細身の男がその姿を現した。それは篠永瑠香と心中し、死後も彼女に付きまとっていた男の霊で間違いなかった。

部長が男と対峙し、一切怯むことなく語りかける。


「貴様のことも知っているぞ、足立孝一。篠永瑠香を失った未練によってようやく我々にも視えるようになったか。貴様には同情するが……おとなしく成仏してもらおう」


 しかし、男の口から出た言葉は意外なものだった。


「余計なことしやがって……俺は瑠香を本気で愛していたのに……」


 地の底から聴こえてくるような低い声が響き、足立の表情がみるみるうちに憎悪に満ちていくのがわかった。

部長は嘆息し、足立を見据えた。


「哀れだな。篠永瑠香は貴様の好意を弄び、金ヅルにし、複数の男と交わり、貴様に自死を選択させた張本人なのだぞ。貴様もそのことを知っていたはずだが、まだそんなたわけた言葉を吐けるとはな」

「知っていたとも……それでも瑠香を愛していた……俺たちは死んでも一緒になる運命だったのに……お前らがそれを壊したんだ……!」


 足立の言葉に、部長は呆れて物も言えないといった風に吐き捨てた。


「実にマヌケだ。恋は盲目とはよく言ったものだな。祢津くん、このクソバカを暴力でわからせてやってくれたまえ」


 既に拳を濡らした祢津さんが、足立の前に踊り出て構えた。


「聴けば聴くほどイライラするノロケをどうも」


そう言って、篠永のときと同様、顔面に鉄拳を叩き込んだ――。


 数拍の間を置いて、祢津さんが「なんで……」と呟いて息を呑み、後ずさった。

足立の霊体には傷ひとつ付くことなく、殴られる前とまったく同じ形をしたまま、そこにあった。


「な……なんで? 手応えはあったのに!」


 動揺を隠しきれず、祢津さんは壊れたおもちゃのように「なんで」と繰り返した。

何かに気づいた部長が「しまった」と声を上げた。


「一体目の除霊で御札が減ったせいで除霊の効力が弱まっていたのか! 総員退避だ!」


 しかし部長の言葉もよりも先に、足立がゲタゲタと恐ろしい笑い声を上げ、立ちすくんだままの祢津さんに突っ込んでいく。まるで足跡を思わせるように、真っ黒になった御札が、何枚も巻き上がった。

私は慌てて祢津さんに駆け寄り、彼女をなんとか庇おうとしたが、足立の方が僅かに速い――間に合わない!


「祢津さんッ!」


 私は叫び、思わず目を閉じた。


 ――祢津さんの悲鳴も、足立の笑い声も、部長の叫びも、何も聴こえなかった。

 痛いほどの沈黙の中、恐る恐る目を開けた私が見たものは、祢津さんに向かって片膝をつき、彼女を見上げる足立の姿だった。


「恥ずかしながら、今のパンチを喰らってあなたに惚れました。あの、俺と付き合ってくれませんか?」


 静まり返った部室内に、部長の「マヌケだ、実にマヌケだ」という呟きがこだました。

 祢津さんが冷めきった表情で投げて寄越した小瓶の中身を、私は両手足に振りかけた。部長も同様、自前の小瓶を取り出し、中身の全てを使い切り、言った。


「さて、土野くん、祢津くん。総力戦の時間だ」

「はい、やっちまいましょう」

「殺す」


 その後、私たちからの超暴力(Ultra-violence)を受け続けた足立の霊は、十数分後にようやく消滅した。

肩で息をしながら「良かったのか? 祢津くん」と言ってニヤニヤする部長を小突き、祢津さんはナイフの刃のように冷たい声で一言「当然」と答えた。




 翌日、私は登校前に観ていたテレビで、大学生の男女二人が乗った軽自動車が宇志光峠の崖下から発見されたというニュースを知った。その報道は、部長が篠永との約束を果たしたことを意味していた。

 放課後、部室の扉をブチ破らんばかりの勢いで入ってきた部長は嬉々として言った。


「曲がりなりにも依頼は解決した! 本日の活動は切り上げて、祝杯を上げようではないか。我輩の奢りだ!」


 そうして訪れた近所のファミレスで、テーブル席に案内された私たちは、部長に感謝を述べた。


「まさか部長に何かを奢ってもらう日が来るなんて、ちょっと見直しました」

「ほんと、明日は空からカエルでも降ってくるんじゃない?」

「失礼な! 君たち部員の働きを労うのが部長である我輩の役目だ!」


 そんな談笑をしているうちに、会話は自然と今回の依頼の話に移り変わっていった。

すると祢津さんが腕組みをして「うーん」と首を捻り始めた。


「どうしたんですか?」

「いや、今回の件でひとつだけ釈然としないことがあってさ……篠永が私たちのことを知った本当の原因が、結局わからずじまいだったなあと思って」

「確かに……妹に教えてもらった、ってのは篠永さんがでっち上げた嘘でしたもんね……」

「私たちの中に幽霊がいて、親近感を覚えたから、とかだったりして」

「……ちょっと祢津さん、怖いこと言わないでくださいよ……」


 ホールスタッフの女性が私たちのテーブルへ来て、私と祢津さんの前に水の入ったコップを置いた。


「えっ……」


 私たちはギョッとして、テーブルに置かれた二つのコップを見、部長の方を凝視した。


『ホールスタッフが水の入ったコップを三人分しか持ってこないなんてこともあり得るだろうしな』


篠永が喫茶店を拒んだ理由を説明したときの部長の言葉が、脳内で繰り返される。

そんな、まさか。部長が幽霊だったなんて……。


「す、すみません! 今すぐお持ちします!」


 私たちの視線に気づいた女性が頭を下げ、小走りでキッチンの方へ戻っていった。

どうやら祢津さんに隠れて、奥に座っていた部長が見えていなかっただけのようだ。


「ま、紛らわしい身長しないでくださいよ部長!」

「めちゃくちゃビビった……いい加減にしてよ遥人」

「……何だかよくわからんが、バカにされていることだけはわかった」


 ほっと胸を撫でおろした私たちを尻目に、部長は頬を膨らませながら、無事に届けられた三人分の水を一気に飲み干した。



FILE005 憑きまとい おわり

FILE006へつづく

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