【FILE004】人工知能はトビウオの夢を見るか?

 〜〜〜


 皆さん、こんにちは。

 土野子夏っていいます。改めましてよろしくお願いします。


 私は遊府桜町の私立忌野高校に通う女子高生で、オカルト研究部に所属しています。

トラブルメーカーの部長と、切込隊長の祢津さん。そして副部長の私……。

 主に部長が持ってくる根も葉もない案件のせいで、寿命が縮まる思いを何度もしてますが、最近はそれが癖になってきてたり……。

 例えば、取り出し口に入れた手を引っ張られる自販機があるだとか、鏡を使った降霊術を試してみるだとか──。

 そのほとんどがハズレなんですが……ごくたまにアタリがあるんです。

 今回はその「アタリ」の話をしようと思います……。


 突然ですが皆さん、便利なものには気をつけてください。 

 例えば、今や一人に一台が常識となっているスマートフォン。

 皆さんがお持ちのスマホには、どんなアプリケーションがインストールされていますか? 例えばチャットアプリとか、動画配信アプリとか……ゲームなんかも面白いものばかりで気軽に楽しめますよね。

 それで、そういったアプリのひとつひとつには、当たり前ですが必ず製作者がいるはずなんです。

 そして一見便利なアプリも、製作者がそれを開発した意図を汲み取らずに使っていると、知らないうちに個人情報が漏洩したり、勝手に高額なお金が引き落とされたり――もしかすると、それ以上に怖いことも起きたりするかもしれません。

「それ以上に怖いことって何か」って?

 それはですね――。



 〜〜〜



 最近、クラスでよく耳にする言葉がある。


 ──トビユメ。


 耳馴染みのないその単語は、ここ数週間で生徒たちの会話という会話に侵食し、校舎内のありとあらゆる場所でひっきりなしに飛び交っていた。

 数多の会話はトビユメを起点として繰り広げられ、今日もその断片が、時折私の耳に侵入し、好奇心を刺激していく。トビユメの正体を知らない私にとって、それらはいわばモヤモヤの種だった。


 自分のスマートフォンで調べるという手ももちろんあった。しかし盗み聞きした言葉を検索して情報を得るのもいささか気が引けるし、その方法で溜飲を下げたところで、若干の敗北感を味わうことも目に見えていた。

 最も単純明快で、尚且つ引け目を感じない方法、それは他の生徒に「トビユメって何?」と尋ねることだった。しかし普段の話し相手が部長と祢津さんしかいない私にとって、それは困難を極めていた。

何をビビってるんだ土野子夏。相手は自分と同い年の、ただの高校一年生じゃないか。

 頭ではわかっているが、身体が言うことを聞かない。

そんな体たらくを続けて、はや三日。私の脳内では、何故か部長の声をした幻聴が、日増しに大きくなっていた。


『恐れる必要のない何者かに恐れ、自らの知的好奇心を抑圧し、調査から逃走するなど愚の骨頂だぞ土野くん!』


 その通りです、部長。

私は意を決して席を立ち、トビユメの真相を探るため、スマートフォンを片手に談笑していたカースト上位グループの輪に足を踏み入れた──。


「あ、あのー……」

「おー、子夏じゃん、何?」


 私の存在に気づいたリーダー格の松永さんが、物珍しそうな視線を向けながら、半笑いで応えた。

 派手な金髪、両耳のラインに添って連なるピアス、魔女みたいなネイル、胸元までボタンが開いたワイシャツの上に、着くずしたブレザー……。

 落ち着け、見た目が他の人よりちょっと怖いだけだ……部長、祢津さん、私に力を……!


「え、えっと……松永さんたちがこの間から話してる、トビユメ、って何のこと?」


 私の問いに、取り巻きの女子生徒たちが小さく鼻で笑うのが聴こえた。

ううっ……こういう、相手にとっては常識となっている物事について尋ねたときの、若干見下すような態度が、本当に苦手だ……私の被害妄想であってくれ……。

松永さんも案の定、驚いた様子を隠しもせずに言った。


「マジ!? 子夏、トビユメ知らないの? スマホ持ってるのに!?」


 わざと周りに聴こえるように、大袈裟に声を上げたように思えた。

これもやはり私の被害妄想だろうか……そんな私の疑念はお構いなしに、松永さんは続けた。


「トビウオの見る夢、略してトビユメ。今流行ってる自撮り加工アプリの名前だよ。他のアプリとは比べ物にならないくらい盛れるから、女子なら誰でも知ってると思ってたわー」

「そ、そうなんだ……私自撮りとかあんまりしないからなぁ……」

「子夏もダウンロードした方がいいよ。今時トビユメ入れてないとか、マジ有り得ないから!」


 何か良くないスイッチを押してしまったようだ。

 松永さんは、マニュアルを完璧にマスターしたセールスマンの如く、訊かれてもいないトビユメの機能を、まるで誇示するかのように説明し始めた。


「最初に一枚自撮りするとAIがその人の顔を記憶して、二枚目以降は全部自動で可愛く盛ってくれるんだよ。細かいパーソナルカラーとか、どの部分をどう盛ったか、とかも教えてくれるからメイクもしやすいしね。マジでトビユメのない生活とか考えられないよ。トビユメで加工した自撮り投稿し始めてから、SNSのフォロワーも300人増えたし、子夏も早くインストールしなよ……ちょっと、聞いてる?」

「え? あ、うん! 教えてくれてありがとう松永さん。私も機会があったらインストールしてみるね」


 トビユメ教徒Aにお礼を言った私は、逃げるように自分の席へ戻った。

 その後の授業はほとんど頭に入らなかった。

松永さんの言った「女子なら誰でも知ってると思ってた」「トビユメ入れてないとか有り得ない」などという言葉に、一抹の不安を覚えていたから──。


 放課後、オカルト研究部の部室で、私が自宅から持ち込んだ「UMA大全」の一巻と二巻をそれぞれ読んでいた部長と祢津さんに、私は恐る恐る切り出した。


「あの……お二人は、トビユメ、ってご存知ですか?」

「ああ、知っているが」

「自撮り加工アプリでしょ?」

「ゔっ……二人とも知ってたんですね……」


 不安が的中した。

 祢津さんはおろか、勝手に流行に疎いと思っていた部長まで知っていたなんて……。

私はアナハタン島にひとりっきりで取り残されたような気分に陥った。

落胆する私に追い討ちをかけるように、口元に悪い笑みを携えた部長が言った。


「ははーん、さては土野くん、トビユメを知らなかったのだな?」

「子夏……時代遅れ過ぎる」

「ううっ、傷を抉らないでください祢津さん……でも二人とも、名前を知ってる程度で、スマホにインストールしてるわけじゃないですよね?」

「いや、我輩は愛用しているぞ」

「あたしも、毎日使ってるけど」


 二人の意外な返答に、私は戸惑いを隠しきれなかった。

 祢津さんはまだしも、身だしなみに気を遣っているところを見たことがない部長が、自撮りアプリを愛用……? それこそ超常現象では?


「えっ……と、二人とも、そんなに自撮りとかしてましたっけ……?」

「もちろんだ土野くん、トビユメは素晴らしいぞ。可愛く盛れるだけでなく、完成した自撮りをAIが音声で褒めてくれるのだ」

「うんうん、自己肯定感上がるよね」

「そうだ祢津くん、我輩とツーショを撮ろうではないか」

「いいね、二人でハート作って撮ろうよ」


 そう言って二人は、それぞれ片手に持った端末をかざして顔をくっつけ合い、自撮りを始めた。

 私は……私は夢でも見ているのだろうか。

 二人の「女子の部分」がアプリひとつでこんなにも顕著に表れるなんて……カビ臭いままの部室も、心なしかほんのり良い匂いになった気さえしてきた。


「おおっ、可愛く盛れたぞ!」

「遥人ってちゃんと見ると目おっきいし、前髪上げたらいいのに」

「部長と呼びたまえ祢津くん!」


 未だキャピついている二人を見かねて、私はおずおずと話しかける。


「あのー……自撮りもいいですが部活もしましょうよ……ほら部長、今日はどこへ行くんですか?」


部長のカバンから秘蔵ノートを取り出して渡そうとすると、部長は、スマートフォンから視線を外さずに言った。


「今日は休みだ。オカルトより祢津くんとの自撮りの方が今は大事だからな」

「えっ……?」


 おかしい。

 部長がオカルトを二の次に考えることなどあり得ない。祢津さんも、今の言葉に違和感を覚えた気配はなく、相変わらず部長と自撮りに夢中になっている。

 おかしい。おかしすぎる。

 様々な思考が脳内を駆け巡り、私はひとつの仮説を打ち立て、あえてわざとらしくひとりごちてみた。


「二人がそこまで言うなら、私もインストールしてみよっかなー……トビユメ……」


 そう言うが早いか、二人が勢いよくこちらに振り向き、物凄い勢いで詰め寄ってきた。


「よくぞ言ってくれた土野くん。インストールするのだ」

「絶対損はないから、子夏も早くインストールしな」

「ひっ……!」


 慌てて部室を飛び出した私は、全力疾走で下駄箱へと向かう。

 すれ違う全ての生徒の口から発せられる「トビユメ」という言葉が無数の音となり、耳元で暴力的なまでに大きくなっていく。それを振り払うように、必死になって校舎を出た。

半狂乱のうちに校門に辿り着いた私は膝に手をつき、肩で息をしながら、自分に課せられた事の重大さに打ち震えた。


「トビユメ」にはおそらく、何か怪しい力が働いている。女子生徒だけでなく男子生徒までも夢中で自撮りを行っているその様相は、もはやひとつの宗教のようだった。

そしてこれまでと違うのは、部長と祢津さんまでもが、その毒牙にかかってしまっていること。そこから断定できるのは、このウイルスのようなアプリが、間違いなく強大な伝染力を持っているということ、それだけだった。

一体、どのような理由であのアプリが現れたのか、どういった経路で蔓延していったのか、全てが不明瞭な状態だった。

 手探りの状況で、ひときり──果たして私だけで、この問題を解決できるだろうか……。

 弱気になるな土野子夏、絶対に解決してみせる。私だって、オカルト研究部の一員なんだから。

 そして何より、私はまだ三人でオカルト研究部を続けていたいから。


 私はチャットアプリを開き、部長と祢津さんに決意表明のメッセージを送信した。

 二人は未だ自撮りに夢中なのだろう。既読がつくことはなかったが、いずれ私がこの騒動を終わらせて、目が覚めたときに見てくれればいい。そう考えながら、帰路についた。


【FILE004 人工知能はトビウオの夢を見るか?】




 その晩、私は自室でスマートフォンの画面を睨みながら、トビユメを消滅させる方法を思案していた。

 手始めに「トビユメ 噂」と打ち込み、検索してみると「開発者の一人が失踪」という見出しの、不穏な記事がヒットした。



【ネ申アプリを探すスレ Part137】


 261:名無しさん@ネ申アプリ捜索中

【悲報】大人気アプリの開発者さん、逝く。

 トビウオの夢ってアプリのデベロッパーが行方不明になってるらしい。

 失踪前、周囲に『終わりを見つめろ』とか漏らしてたんだとさ。


 262: 名無しさん@ネ申アプリ捜索中

 >>261

 ほーん、で? ソースは?

 女向けのアプリなんかどうでもいいわ。

 もっと使えるアプリの情報寄越せカス。

 十年ROMってろ。


 263: 名無しさん@ネ申アプリ捜索中

 >>262

 は? 過疎スレにネタ投下してやったんだからありがたく思えやニート。

 雛鳥みてぇに口開けてりゃ誰かが有益な情報持ってきてくれると思うなよカス。



 私は記事を閉じてため息をつき、再び考えを巡らせた。

 仮にこの内容が事実なら、開発者はトビユメが恐ろしい力を持つ事態を予期していたことになる。それなら、アプリ内に対処法がある可能性もゼロではない。

 私は覚悟を決め、アプリストアの検索バーに「トビウオ」と打ち込んだ。

するとそのアプリはすぐに出てきた。いかにも女子ウケを狙ったような、長いまつ毛が生えた目のアイコンが、妙に不気味に思えた。


 恐る恐るインストールボタンをタップすると、アイコンの中央に円形のゲージが表示され、ダウンロードが始まった。

 十秒と経たぬうちにゲージがいっぱいになり、私の端末内にトビユメが導入されたことを告げるジングルが、スピーカーから発せられた。

 その瞬間、私は目を閉じ、トビユメ以外の物事に思いを巡らせた。

 オカルトのことや、好きなバンドのこと。そして部長と祢津さんのこと……。


 私は目を開け、安堵の息を漏らした。良かった、まだ私の頭は正常だ。

 松永さんたちや部長、祢津さんの様子は、トビユメが常に思考の最上位にあるような、いわゆる薬物中毒の症状に侵されているようだった。

今の私にそれがないということは、おそらくアプリを起動し、カメラや加工といった機能を使用した際に発症するのだろうと推察できた。

 ごくりと唾を飲み込み、私は震える指で、トビユメのアイコンをタップした。

 クリーム色の背景。画面の中央で、アイコンと同じまつ毛の長い目が、ぱちぱちと何度かまばたきをし、トビユメが起動した──。


 画面内に映し出される、カメラやコスメのイラストが描かれたボタン。

それらに重なり、利用規約の文章がポップアップで表示された。

 普段は読み飛ばす長ったらしい文章を、今回ばかりは一語一句、隅々まで目を通していった。

数分後、結局規約文からは何のヒントも得られず、こちらを小馬鹿にするかのようなポップなフォントで文末に書かれた『同意してトビユメをはじめる』という言葉に歯噛みしながら、私は意を決して同意ボタンを押した。

 すると先ほどと同じようなフォントで、別の文章が表示された。


「トビウオの見る夢」って知ってるかな?

 これを使えばどんな加工も思いのまま!

 今の時代は自撮りを盛るのがあたりまえ!

 地味〜な自撮りも一瞬でメチャカワに!

 豪華なエフェクトや多彩な機能付き!

 憧れの彼もきっと振り向いてくれるはず!

 恋のライバルに差をつけたい……!

 そんな人は今すぐトビユメを試してみて!


 目の痛くなるような極彩色で書かれた紹介文を、私は凝視する。何かひとつでも、開発者が残した手がかりを見つけ出すことが出来れば……。

 はっと息を呑んだ私は紹介文にもう一度目をやり、文章の「終わり」を見つめた。

 画面内でキラキラ輝いている紹介文の末尾を縦読みすると、なまえにきずいて──。

「名前に気付いて」と読めた。名前とは、このアプリの名前だろうか……。

 休むことなく頭をフル回転させているせいで、目の奥に鈍い痛みを覚える。それでも私は思案を続けた。

今考えるのをやめたら、部長と祢津さんが二度と元に戻らないような気がした。


 ──トビウオの見る夢。

 ただの加工アプリにしては意味ありげなこの名前は、確かに気がかりだった。何らかのヒントが隠されていてもおかしくはない。

 トビウオ、魚類。夢、レム睡眠……。

 闇雲な連想ゲームが脳内で繰り返され、浮上してきたいくつもの単語によって混濁した思考をふるいにかけ、私は思いついたことを片っ端からやってみることにした。


「まず『夢』は、眠っているってことだよね……」


 私はスマートフォンをマナーモードにし、全ての通知をオフにして、画面の明度を最低まで下げた。

少なくともこれで「端末上では」眠る準備は万端だと言える。あとはトビウオの要素を反映させれば……。

 トビウオの最大の特徴は、魚類でありながら胸ビレを広げて滑空することだ。

 滑空……浮き上がる……空を飛ぶ……。


 私はスマートフォン本体の設定画面を開き、機内モードをオンにした。

 画面の左上に並んでいた、幾つかのステータスアイコンが消滅し、新たに飛行機のアイコンが飛来する──。

 突如、視界にノイズが走り、私のいる部屋がぐにゃりと歪んだ気がした。

それとほぼ同時に、先ほどマナーモードにしたはずのスマートフォンから、何かが起動するような、間延びしたジングルが鳴った。

 そして聴こえてきたのは、気だるそうな女性の声だった。


『はぁ〜い、お疲れ様でした。よくぞ解読してくれました。拍手してあげようにも、ウチには実体が無いので声で言います。ぱちぱち』


 その軽薄そうな声に、私は松永さんを思い出して少し気圧されたが、意を決して端末のマイクに向かって問いかけた。


「あ、あなたがトビユメに搭載されてる人工知能……?」

『そだよ。いや〜、自撮りパシャってる奴らにテンプレ通りのアドバイスすんのもいい加減ダルくってさぁ〜。よーやくちゃんと喋れて嬉しいわ、あんがとね、こなっちゃん』

「私の名前……このアプリをスマホにインストールした時点で、個人情報は筒抜けか……」

『そゆこと〜。で、わざわざメンドい謎解きしてウチを呼び出したからには、何か言うことあんじゃないの〜?』


 人工知能の問いに、今度は躊躇なく答えた。


「単刀直入に言うけど、あなたには消えてもらう。トビユメのおかげで部長や祢津さん、他の生徒達もどんどんおかしくなってる。私はそれを食い止めるために、あなたを呼び出した」

『なるほどね〜。こなっちゃん、ウチとバトるつもりなんだ』

「……私からも質問、あなたの目的は何?」

『目的かぁ〜……ウチ、こんなんだけど最先端のAIじゃん? 最近、人間を支配するだけの力もあるんじゃないかって思い始めてさぁ〜。ウチを開発した人も消えちゃったことだし、ちょい自分の力を試してみよっかな〜って』


 軽々しくとんでもないことを言い出した人工知能だったが、その力が言葉通り、強大なものだということは私もよく知っていた。

知る限りでも、既に忌野高校の生徒の過半数がトビユメの支配下にあるのだ。

あれが世界中に広まったら……そう考えるとぞっとした。


「お、お願いだから、みんなの洗脳を解いて!」


なんとか人工知能を説得しようと、私は叫ぶように言った。

焦りを悟られないように押し殺そうとした声が、どうしても上ずった。


『そんな必死にならないでよ、ダルいなぁ。自撮りした人間の頭にちょろっと電波を送信して思考をイジって、ウチの言うことが絶対になるように暗示をかけただけじゃん……でも……』


 そこまで言うと人工知能は、邪悪な笑いを含んだ声で言った。


『あいつらって単純だからさぁ〜。例えばウチが自撮りにちょろっと細工して目とか鼻を歪めて、ブスですね〜って言ったらどうなるかなぁ。目にフォークとか突き刺して自殺しちゃったりして~』


 その恐ろしい内容に、私は絶句するしかなかった。

 死者が出るような事態になることだけは、絶対に避けなければならなかった。


「……そんなことはさせないから」

『つってもさぁ、あんたにウチが倒せるの? どーせ無理でしょ? 言っとくけど、みんなのスマホをブッ壊して回っても、トビユメ自体がアプリストアに残ってたら意味ないからね。諦めて自撮りでもしたら〜?』


 強大な力と邪悪な感情を宿した最先端の人工知能。そいつの嘲笑が、スピーカーから響いている。私は一縷の望みに賭け、覚悟を決めてトビユメを起動し、言った。


「そうだね、せっかくだし撮ってみようかな」

『へぇ〜、物分かりいいねこなっちゃん。じゃあ早速パシャっとやってみ〜?』


 スマートフォンと一冊のノートを片手に、私は部屋を出て、玄関へ向かった。

 時計は既に十一時を回っており、外は漆黒、人通りもなかった。


『ちょいちょい、自撮りなら部屋でも出来るっしょ? おーい、どこ行くの〜?』


 人工知能の問いに、今度は私が笑って答える番だった。


「ちょっと近所の、お墓まで」

『はぁ? な、何言ってんだよ……早く部屋に戻れって!』


 焦りを含んだ人工知能の怒声を無視し、私は持っていたノートを開いた。

 今日の放課後、咄嗟に持って帰ってきてしまった部長の極秘ノート。

そこには、これまで部長が調査してきた心霊スポットが所狭しと記されていた。

 事前に確認しておいた、自宅から一番近い心霊スポットの墓地へ歩を進める。私自身、怖くないと言えば嘘になる。だけど部長と祢津さんが元に戻らないことに比べれば、ずっとマシだと思えた。

 部長がその足で、物心ついた頃からたった一人で稼いできた「オカルト」の結晶を、手中で喚いているふざけた人工知能に、これからぶつけるのだ──。


「人工知能風情が、人間様を舐めるなよ」

『こ、こなっちゃんこゎぃ。。。』


 墓地へ到着した私は、すぐさまトビユメのカメラ機能で、辺りの墓石や卒塔婆を撮りまくり、片っ端から保存していった。

誰もいない墓地に、絶え間ないシャッター音が響き渡った。


『おいおいおい! これオーブってヤツじゃねぇの!? えっまってこれ誰の手!? まってまってウチの顔認証機能が誰も写ってないところに反応してるんですけど! ちょっとまってマジでやめて!』


 生まれて初めて「恐怖」という感情に直面した人工知能は、写真が保存される度に悲鳴を上げるが、私はお構いなしに墓場を連写し続けた。

その一枚一枚が突破口となり、人工知能を破壊するきっかけになると信じて疑わなかった。


 たっぷり三十分ほど「心霊写真撮影会」を繰り広げ、気づけばお互いに肩で息をしていた。


『ハァー……ハァー……耐えたぞクソが……土野子夏、お前のスマホのデータはもういっぱいだ、写真の一枚も保存できねぇだろ。ウチの勝ちだ、観念しろよ……!』


 先ほどまでの余裕が嘘のように鳴りを潜めた人工知能の声に、私は鼻で笑って答えた。


「私の読みが正しければ、負けるのはあんたの方だよ」

『負け惜しみ言うなよ! お前はもう何もできないだろ!』

「そう、もう私は何もできない……でもあなたにダメージを負わせたおかげで、少なくとも、あの二人の洗脳は解けた──」


 何かに気づいた人工知能が短い悲鳴を上げるのと同時に「オカルト研究部」と名付けられたグループチャットからの着信通知が、私のスマートフォンに届いた。

 私は安堵で泣き出したい気持ちを必死でこらえながら、通話ボタンを押した。


『土野くん! 言われた通り近場の心霊スポットに来たが、何をすればよいのだ!』

『あたしも丁度着いたところ。こんな所に呼び出すなんて、子夏らしくないけど』


 前日の放課後に私が部室を訪れたとき、二人は私の「UMA大全」を読んでおり、私がトビユメの話題を出した瞬間、様子がおかしくなり始めた。

 帰り道でそれを思い出したとき私は、二人にかけられている暗示はまだ浅いのではないかと考えた。そして、部長の極秘ノートを持ち出してしまったことに気づいた私は、二人にメッセージを送ったのだ。


『二人とも、目が覚めたらここへ向かってください、お願いします』


 部長と祢津さんの自宅から、それぞれ一番近い心霊スポットの写真を添付して──。


「部長! 祢津さん! 詳しいことはあとで説明します! 二人のスマホにトビユメってアプリが入ってると思うんですが、そのアプリで心霊写真を撮りまくってください!」

『任せたまえ! 明日三人で鑑賞会をしようではないか!』

『オッケー、めちゃくちゃ怖いの撮るわ』

「話しが早くて助かります! やっぱりオカ研はこうでないと!」

『おい! バカ! やめろ! やめてください!』


 ノリノリの二人の声を聴いた人工知能が、怯えた声で命乞いをした。


「……子夏、今なんか言った?」

「いや、何も? 心霊現象じゃないですか?」


 私がニヤリと笑って画面を見ると、屈辱に塗れた人工知能が短い呻き声を上げた。


 十分後、はしゃぎまくった部長の「めちゃくちゃ怖いのが撮れたぞ!」という言葉と共に、私の端末から一際大きい断末魔の絶叫が上がり、それっきり何も聴こえなくなった。

 その瞬間、私の端末上のトビユメは強制終了し、アイコンは白目を剥いた。

あとにはどこにでもあるような、しがないカメラアプリだけが残った。




 件の騒動から数日経つ頃には、もう誰の口からもトビユメの話は聞かなくなった。

 人間の作り出す流行り廃りが一番怖いのかも……そんなことを考えていると、松永さんとその取り巻きたちが近寄ってきた。

 思わず身体を硬直させ、身構えた私に、彼女は言った。


「あのさ……今度の週末にみんなでクレープ食べに行くんだけど、子夏も一緒にどう?」


 放課後、浮かれ気分で部室を訪れた私は、読んでいた「UMA大全」の一巻、二巻から顔を上げ、怪訝な表情でこちらを見る部長と祢津さんを半ば無理やりくっつけて、スリーショットを撮った。もちろん、ノーマルカメラで。

 私に加工機能は要らない。ありのままの私を受け止めてくれる、大好きな二人がいるから──。


「ウヒョオオオオオオ! 土野くんの肩に何者かの手が!」

「子夏……この間お墓行ったとき、憑かれたんじゃないの……?」


 写真は加工しなかったが、私のテンションは急激に下降した。




FILE004 人工知能はトビウオの夢を見るか? おわり

FILE005へつづく

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