【FILE003】カタギリさんがきた!
〜〜〜
皆さん、こんにちは。
土野子夏っていいます。改めましてよろしくお願いします。
私は遊府桜町の私立忌野高校に通う女子高生で、オカルト研究部に所属しています。
トラブルメーカーの部長と、切込隊長の祢津さん。そして副部長の私……。
冗談みたいな超常現象や噂の真相を突き止めるべく奔走し、三人揃ってヘトヘトになることもありますが、今のところは元気でやってます。
例えば、空飛ぶ猫の目撃情報だとか、宇宙人と交信できる電話番号だとか──。
そのほとんどがハズレなんですが……ごくたまにアタリがあるんです。
今回はその「アタリ」の話をしようと思います……。
皆さんはスポーツ……特に球技はお好きですか?
野球、サッカー、テニス、バレー、バスケなどなど……色々ありますけど、私は球技が全般的にあまり得意じゃないんです。
体力測定のボール投げとか、それ本当にやる必要ある? とか思っちゃったり……こんなこと言ったら祢津さんに怒られちゃうかな……。
なんというか、ボールに対する恐怖心と、心霊的なものに抱く恐怖って似てると思いません? こっちに向かってくると思わず目を閉じてしまうところとか……。
そうだ、球技といえば……今回の話が決まったので、本題に入りますね。
〜〜〜
放課後。埃っぽいいつもの演劇部室で、私と部長が二人きり。
汚れたカーテンと、積み上げられた机の僅かな隙間から差し込む夕焼けの光が、机に突っ伏す部長の後頭部を照らしていた。
「部長、今日は調査行かないんですか?」
私がそう言うと、部長は机から顔も上げずに答えた。
「体育で20mシャトルランをさせられて疲労困憊なので、今日の調査は休みだ。シャトルランは現代の拷問だ。アレを考案した奴は、チュパカブラに全身の血を吸われて干からびればよい」
「なるほど、それは大変でしたね……ちなみに記録は?」
「四回だが」
「体力がなさすぎる……一回もテンポアップしないうちに脱落してるじゃないですか」
「うるさい。我輩はオカルトが絡まんと力が出んのだ」
「その特異体質自体がオカルトですよ……」
シャトルランに「百回目を走り終わったとき怪奇現象が起きる」というような噂のひとつでもあれば、この人は余裕でクリアするんだろうな、などと考えつつ、私は部長が元気になりそうな話題を提供することにした。
「調査が休みなら、暇つぶしにオカルト関連用語でしりとりでもしませんか?」
「やるっ! 受けて立つぞ土野くん! 君の実力を見せてみろ!」
飛び上がるように机から顔を上げ、はしゃぎだす。
まったく、こんなにわかりやすい人もいないな……。
「じゃあ私から……臨時放送」
「おおっ! 明日の犠牲者は以上です、のやつだな! では我輩は……牛の首!」
「あまりの怖さに聴いた者は死ぬと言われてる怪談話ですね……び、ビッグフット」
「と……東京地下秘密路線説!」
「つ、つ、剣山の大蛇」
「じゃ……ジャッカロープ!」
「フラットウッズ・モンスター」
「ほう、三メートルの宇宙人とはなかなかやるな……三メートルといえば、今日は祢津くんが遅いな」
「どこで思い出してるんですか、いくら祢津さんがデカいからって失礼ですよ……なんか中学からの友人と体を動かしに行くので遅れると言ってました」
「なるほど、つまり我輩が調査に出ていたら、土野くんが部室で独りになっていたというわけか。ならばやはり、今日は休んで正解だったな」
そんなやりとりをしていると、部室の扉が静かに開いた。
「祢津さん、お疲れ様──」
扉の方へ視線をやった私は、そこに広がる光景に、我が目を疑った。
ジャージ姿の祢津さんは、血まみれだった。
「祢津くん! その血は一体どうしたんだ!?」
「だっ、大丈夫ですか!?」
慌てて祢津さんに駆け寄った私は、彼女の顔を見て息を呑んだ。ここ最近は毎日のように部活で顔を合わせていたため、常にポーカーフェイス気味な彼女の感情も、多少は読み取れるようになってきていた。
だからこそわかる。今、彼女の瞳に浮かんでいるのは、明確な怒りの色だった。
ぞっとするほど冷淡な声で、祢津さんは言った。
「これ、あたしの血じゃない。友達がやられて、保健室まで付き添ったときに付いた血だから」
「やられたって……どこで、誰にやられたんですか?」
「場所は体育館。誰がやったかは、わからない……気づいたら詠子が倒れてて、肩口が刃物で切られたみたいに、裂けてた……」
誰がやったかわからない。
その答えに困惑し、顔を見合わせた私たちに、祢津さんは突然頭を下げた。
「親友が目の前でやられたのに、黙って見過ごすことだけはしたくない……あたしは絶対に犯人を突き止めたい。二人とも協力して!」
その言葉を聴き終えた部長は、鼻を鳴らして笑った。
「随分と他人行儀だな祢津くん! 我々は苦楽を共にするオカルト研究部だろう!」
「そうですよ、頭なんか下げなくても、私たちは祢津さんに協力します!」
「……ありがとう、遥人、子夏」
「部長と呼びたまえ祢津くん!」
翌日、三限目の授業が終わり、教室へ戻る途中だった私は、保健室の前に人だかりができていることに気づいた。
その中の一人に「何かあったんですか?」と尋ね、返ってきた言葉に愕然とした。
「体育の授業中にケガしちゃった子がいてさ、肩がスッパリ切れちゃったらしいよ……」
「えっ! あっ、あの、その人の名前とかって知ってますか?」
放課後、部長と私は部室に篭り、持ち寄った情報を出し合った。
途中から祢津さんも合流したが、彼女の顔には明らかな疲弊の色が見えていた。恐らく教師や生徒から、何度も友人の怪我のことを尋ねられているのだろう。もしかすると、祢津さんが犯人などと陰口を叩く人もいたのかもしれない。
そんなこと、私たちが許さない。彼女の潔白を証明するためにも、一刻も早くこの事件を解決しなくてはならなかった。
手に入れた情報をノートに書き留めながら、部長が話し始めた。
「一人目の被害者は都井詠子。祢津くんの友人だな。そして二人目が今日の体育の授業中にやられた菊池彩香か……二人の共通点などあれば分かりやすいんだが」
「現場はどちらも体育館で、肩口を切られているということ。あとは、二人とも私たちと同じ一年生の女子……ってことくらいしか思い当たらないですね」
「ふむ……祢津くん、他の者から何度も尋ねられて辟易しているかもしれんが、君と都井くんとの関係を教えてくれないか」
部長の問いに、祢津さんがゆっくりと口を開いた。
「……あたしと詠子は中学からの付き合いで、三年間バスケ部のチームメイトだった。自慢じゃないけど、あたしたちは二大エースって呼ばれてた。あたしがバスケ部への入部を蹴ってオカ研に入るって伝えたときも、他のみんなが反対する中、詠子だけは応援してくれた。それでもどこかで、詠子と一緒にバスケを続けられない罪悪感みたいなものがあったのかもしれない……だからここに入部してからも、週に何回かは詠子の自主練に付き合ってた。それで昨日、あの事件が起こった」
祢津さんが話し終わるのを待ってから、部長は言った。
「感謝する。都井くんが我々オカルト研究部に理解を示しているなら話は早い。祢津くん、療養中の彼女には大変手数だが、事件が起きたとき何か変わったことがなかったかを、チャットアプリか何かで尋ねておいてほしい」
「わかった。すぐには返って来ないと思うけど、返事が来たらまた報告する」
「ああ、よろしく頼む」
さて、と部長は一息ついてノートを閉じ、いつになく神妙な面持ちで語り出した。
「我輩の調査結果だが……四年前にも似たようなことがこの忌野高校で起きている。一年生の女子一名と他一名が、肩に裂傷を負ったという事件が確認できた。なので四年周期でこの騒動が起きていると仮定しよう。前回はその二人の負傷で事態は収束し『偶然重なった事故』として片付けられたが、もしも今回これ以上の被害者が出たとしたら、それは必然となる。人間が『偶然』で片付けられる数は大概、二件までだ。三件以上立て続けに発生した事象は、それを目撃した人間によって名前や姿形が与えられ、命が吹き込まれる。多くの人間が存在し、尚且つ閉鎖的なコミュニティなら、そのスピードは常軌を逸するだろう。そして学校という場所はその条件とぴったり合致している。我々の敵は、手強くなるだろうな」
その言葉には不思議な説得力があり、私は何も言うことができなかった。
翌日、登校した私の目に飛び込んできたのは──恐らく朝練に出ていた生徒だろう──顧問の教師に付き添われ、血の滲んだ右肩を押さえて体育館から出てくる女子の姿だった。
昼休み頃になると、今回の一連の騒動は、誰が名付けたか「カタギリさん」という怪談となり、強力なエネルギーを持った生命体として、既に学校じゅうに蔓延しつつあった。
「体育館の中央で『カタギリさん出ておいで』と唱えると肩を切られる」
「ハサミを持っていると殺される」
そんな根も葉もない噂が、尾ひれだけで校舎の至る所を泳ぎ回っていた。
教室にいても廊下に出てもカタギリさん、カタギリさん……黒板や掲示板のそこかしこには、鋭利な刃物を持った髪の長い女のラクガキが描かれていた。
部長の予想はまんまと的中したのだった。
【FILE003 カタギリさんがきた!】
放課後、部室の扉を開けると、既に部長がパイプ椅子にふんぞり返り、不適な笑みを携えて私を見ていた。相変わらず、背中にはボロボロのマントが揺れていた。
「我輩の言った通りになったな!」
「ドヤってる場合じゃないですよ! これ以上犠牲者が出る前に早く解決しないと!」
「甘いな土野くん、この岡田遥人がたったそれだけでドヤ顔を決めていると思うか?」
「えっ! じゃあ何かわかったんですか?」
「無論だ、第一被害者の都井詠子はバスケ部、次の被害者の菊池彩香はバレー部。そして今日、朝練中に襲われた成瀬可奈子は卓球部だ。土野くん、三人の共通点は何だ」
「全員女子で、運動部……それも球技に所属してますね」
「その通り。それに加えて三人とも、一年生ながら次期エースの座を期待されていた有望な実力者だ。カタギリさんとやらが無差別に襲っているとは考えにくい。恐らく、スポーツ万能な女子生徒に強い恨みがある霊と見て間違いないだろうな。それにしても卓球部まで手にかけるとは見境がないな」
「こっちも収獲あったよ」
背後から声がして振り返ると、いつの間にかスマホを手にした祢津さんが立っていた。
「都井くんから返信があったのか?」
「うん、学校にはまだ来れないけど、傷の方はもう大丈夫みたい……」
「そうか、それは何よりだ!」
「良かったですね、祢津さん!」
私たちが声をかけると、祢津さんは心底安堵したように、一瞬微笑んだ。
しかしすぐにいつもの鋭い表情に戻り、話し始めた。
「それで本題だけど、詠子は私と練習してるとき、耳の横を何か白い物が凄い速さで通り抜けたのが見えたって言ってた。何かまではわからないけど、それが通り抜けたあと、気づいたら肩が切れてたって――」
「かまいたちの類か」「かまいたちみたいですね」
それを聞いた部長と私の声が重なるった。
「ふむ、土野くん。祢津くんにかまいたちの説明をしてやりたまえ」
「ええとですね、透と真理がスキー旅行に──」
「こんなところでボケなくてもよい!」
「すみません……よかれと思って……」
「ちなみに祢津くんはかまいたちを知っているか?」
「濱家と山内──」
「もういい! 我輩が説明する! かまいたちというのは三人一組の妖怪だ。奴らは風のような速さで走り、先頭の一匹が人間を転倒させ、二匹目が身体のどこかを鎌で切り裂き、三匹目が薬を塗って、去っていく。なので傷口は流血もせず、スッパリと裂けたような傷になる。もっとも今回の場合、被害者は全員出血しているし転倒もしていないので、質の低い模倣犯という形になるがな」
そう言って部長は立ち上がり、部室の扉を開けた。
「部長、どこ行くんですか?」
「職員室だ。君たちもついてくるがよい」
「職員室……? 何しに行くの?」
訝し気な表情を浮かべた私たちに、部長はきっぱりと言い放った。
「なに、リベンジマッチをしに行くのだ」
部長の片手には、いつの間にか部活動の設立申請書が握られていた。
私たちは部室を出て、依然言葉を交わし合いながら職員室へ向かった。
「祢津くんは知らないと思うが、我々は授業開始初日にオカルト研究部を正式に立ち上げるため、一度申請書を学年主任の中西という教師に渡していたのだ」
「一蹴されましたけどね……」
「ああ、中西か……あいつ、自分が運動部の顧問だからって、文化部の申請にめっちゃ厳しいんだよね」
「だが今回はイエスと言わせるさ。今現在、巷を賑わせているカタギリさん騒動を解決する代わりに、我がオカルト研究部を公式のものにするよう、交渉するのだ」
職員室の扉を勢い良く開けた部長は、自分のデスクでコーヒーを飲んでいた中西に向かって一直線に歩を進め、申請書を叩きつけた。
突然のことに驚いた中西は、吹き出しかけたコーヒーをしかめ面で嚥下し、私たちを睨んだ。それに臆することなく、部長は職員室じゅうに響く声で宣戦布告した。
「我々はオカルト研究部だ。部活動の設立申請を再び行うために参上した。現在起きているカタギリさん騒動は、既に貴様の耳にも入っているはずだろう! その騒動を我々オカルト研究部が解決することを、ここに宣言する! そして事態が収束した暁には、この申請を通してもらうぞ!」
「なんだ、またお前らか……オカルトだか何だか知らんが、そんなくだらない部活を公式として認めるわけにはいかないんだよ──」
そう言ったところで、中西の視線が祢津さんに移った。彼は半ば呆れたように、そして半ば諭すように、祢津さんに語りかけた。
「祢津、お前ここに居たのか。どうも女バスで姿が見当たらないと思ったら、こんな奴らとつるんでたんだな……悪いことは言わないから女バスに戻れ。お前と都井がいれば、全国大会も夢じゃないんだからな」
部長と私に対する嘲笑を含んだその言葉に、祢津さんは表情ひとつ崩さずに反論した。
「いえ、中西先生、あたしはもうオカルト研究部の一員です。しかし、元チームメイトで友人の詠子がカタギリさんの被害を受けたことには憤りを感じています。必ず解決しますので、その際はよろしくお願いします」
中西は私たちの顔を一瞥したあと、ため息をついて申請書をファイルに入れ、鼻で笑いながら言った。
「……わかった、祢津に免じて今回は受け取ってやる。だがもしお前らがこの騒動を解決できなかった場合、俺の権限で祢津を女バスに戻す。部活動の設立には最低三人の部員が必要だから、残されたお前らはせいぜい別の居場所を探すこったな」
その言葉を聴くや否や部長は踵を返し、職員室の出入口へ向かった。
「言質は取った! 土野くん、祢津くん、体育館へ向かうぞ!」
「待て、体育館は今立ち入り禁止だぞ!」
背後から聴こえた中西の言葉を無視し、私たちは職員室をあとにした。そしてその足で、今度は体育館へ向かう。口元に微笑を携えた部長が、祢津さんに言った。
「礼を言うぞ祢津くん、君の意志はしっかりと我輩の心に響いた。我輩は君を手放したくない。都井くんのためにも、そして我々オカルト研究部の設立のためにも、必ずこの騒動を解決しようではないか!」
「もちろん、あたしも遥人と子夏を頼りにしてるよ」
「まずはカタギリさんと対峙することですよね? そのためには姿を可視化させないといけないと思うんですが……」
私の呈した疑問に部長は、逆に質問を投げかけてきた。
「そのことだが、時に土野くん、トイレの花子さんを呼び出すときの条件は知っているか?」
「え? えーと、確か……入り口から数えて三番目の個室を三回ノックして、花子さん遊びましょ、と唱える……ですよね? ディティールは色々ありますが……」
「そうだ。そういった合図や条件、または弱点などは全て我々人間が創り出したものだ。口裂け女がポマードを苦手なのもそう、ひきこさんがいじめられっ子を襲わないのもそう。彼女たちのような怪異や都市伝説の類は、全て人から人への言い伝えで出来上がっていくものだ。そして、我々が今から対峙しようとしているカタギリさんも例外ではない。彼女たちは皆、自らを創造した人間が言い伝えによって設けた『ルール』に従わなければならないのだよ」
体育館の重い扉を開け放った部長は、真っ直ぐ中央へ歩いていき、こう叫んだ。
「カタギリさん、出ておいで!」
部長が唱えたのは、この学校の生徒たちが創り出した、カタギリさんを呼び出すための、ちゃちな降霊の言葉だった。
すると突然、背後で轟音が響いた。
驚いて振り返ると、今しがた開けた扉が閉まっていた。慌ててドアノブを捻ったが、向こう側から何かに押さえつけられたかのように、びくともしなかった。
すると体育館の蛍光灯が激しく点滅を始め、数秒後、全ての光が消えた。
急な明暗の差で真っ黒に塗りつぶされた視界の中で、隣に居る祢津さんの輪郭だけが僅かに視認できた。しかし体育館内の中央まで進んでいた部長の姿は、完全に闇に呑まれてしまっていた。
「ひいっ!? ね、祢津さん、そこにいますよね!?」
「大丈夫、ここにいるから」
すぐ横から祢津さんの声が聴こえてきて、ひとまず安心する。部長の声がないことが気がかりだったが、私はその場から動けず、ただ館内の明かりが灯るのを待つことしか出来なかった。
永遠とも思える暗闇と静寂が続いたあと、突如バツンと音がし、館内に再び光が戻った。
明順応によりぼやける私の目は、体育館の中央で部長と対峙する、四人目の人影を確かに捉えた。
私が着ているものと同じ、小綺麗なブレザーの制服。輪郭や、憂いを帯びた表情までくっきりと見える。何より、今まで見てきた霊と比べて決定的に違うのは、私自身が恐怖を感じていないということだった。その姿はまるで、私たちと同じ人間──。
人々の身勝手な言い伝えによって創り出され、命を授けられた哀れな怪異の姿が、そこにあった。
「あれが、カタギリさん……」
そう呟いて二、三歩中央へ歩み出した祢津さんを、部長が制した。
「祢津くんはそこにいたまえ! こいつ、何か隠しているぞ!」
言われてみれば、カタギリさんの両手に刃物のような物は見当たらない。本体がまとっている雰囲気も相まって、これまでの被害者三人は、本当にこのカタギリさんにやられたのかと、そんな疑問を抱いてしまうほどだった。
しかし部長は、彼女こそが騒動の犯人だと目星をつけているらしく、腹の中を探るように語りかけた。
「貴様には心底同情する。誰が名付けたか知らんが、肩を切るからカタギリさんなどと安直なネーミングで呼称されていることもそうだが……未練を残したままこの学校にすがりついているその姿も、実に哀れだ。貴様の正体は何者だ、答えないと──」
「待って!」
今度は祢津さんが部長の言葉を遮る番だった。驚く私を尻目に、彼女は大声で捲し立てた。
「何の目的があってあなたが詠子たちを傷つけたかは知らないけど、これだけは言える。死者のあなたが、今を必死に生きてる生者たちの夢を潰す道理はない……あたしが受けて立つ!」
祢津さんの切れ長の目が一層鋭利なものとなり、カタギリさんを見据えた。
ふと、カタギリさんの右手に、いつの間にか何かが握られているのに気づいた。
あれは、ボール。体力測定で見覚えがあるあの大きさは、ソフトボールだ──。
私がそれに気づいた刹那、彼女の右手がピクリと動き、身体よりもやや後ろに腕がしなった。
「部長ッ! 避けて!」
私が叫び、それを聴いた部長がその場にしゃがみ込む。そしてカタギリさんの右腕が残像を焼き付けて一回転し、祢津さんに向けて白球を投擲したのは、ほぼ同時だった。
ウィンドミル投法特有の浮き上がるボールは、部長の髪をすれすれでかすり、まるで弓から放たれた矢のようなスピードで木製の床を切り裂きながら、祢津さんに迫った。都井さんたちの肩に怪我を負わせたのは、間違いなくカタギリさんであり、あのボールだったのだ。
キレのいい変化球が、敬意や驚嘆を込めて『カミソリ』と呼ばれることは、野球に疎い私でも知っていた。縦に上がる投球は、その球威こそがまさしく『カミソリ』となって、女子生徒たちを襲っていたのだ。
祢津さんはその場から一歩も動かず右手を胸の中央にかざした、私が叫ぶ間もなく、祢津さんとボールが衝突する──。
体育館内に、バチィンという鈍い音が響いた。
恐ろしいほどの球威によって砕け散り、舞い上げられた木片や砂埃がもうもうと立ち込め、祢津さんの安否はすぐに確認できなかった。しかし、先の三人の肩口を切り裂いたボールを、あろうことか彼女は正面から受け止めたのだ。最悪の事態も想定しなければならなかった。
勝利を確信したカタギリさんの微笑が、一瞬の間を置いて、愕然とした表情に変わった。
砂埃の晴れた向こう。仁王立ちの祢津さんの、ズタズタになった右手の中に、血で染まった白球がしっかりと捕らえられていた。
「あたしの勝ちね、カタギリさん」
祢津さんの呟きと共に、カタギリさんは消滅し、さきほどまでびくともしなかった体育館の扉が、ひとりでに開いた。
「ね、祢津さん! 大丈夫ですか!?」
「大丈夫なわけないでしょ……骨折してるかもしれないから、保健室連れてってよ……ところで遥人は?」
確かに、いつもなら「よくやったぞ祢津くん!」などと叫びながら駆け寄ってくるはずの部長は、未だに館内の中央で頭を伏せてうずくまったままだった。私は部長の元へ駆け寄り、声をかける。
「部長、終わりましたよ……」
部長がぷるぷると震えながら、顔を上げた。
「ぶっ!」
涙目になっている部長の前髪は、先ほどカタギリさんが放ったライズボールにより一直線に切り裂かれ、見事な眉上ぱっつんが出来上がっていた。
必死で頬の内側を噛む私の表情を見た部長の顔が真っ赤になり、今度は怒りによって震えだした。
「……うな……」
「ぶ、部長……に、似合ってますよ……うくく」
「笑うなああああッ!」
「遥人、髪が伸びる日本人形みたい……」
「祢津くん! 君という奴は! 言っていいことと悪いことの区別もつかないのか!」
「ふーん、あんたもあたしのこと三メートルの宇宙人とか言ってたよね」
「なにっ! 土野くん、さては密告しただろう!」
「すみません、つい……」
祢津さんの追い討ちにより、部長が烈火の如く怒り始めた。
ふと、先ほどまでカタギリさんがいた場所を見ると、ペンダントのような物が落ちていた。
「これは、なんでしょうか……」
「我輩が預かっておく、恐らくこのあと必要になるからな……まったく、怪異からの攻撃を喰らってしまうとは、この岡田遥人、一生の不覚だ……」
おでこを両手で覆い隠しながらブツブツ文句を言っている部長と共に、祢津さんを保健室に連れて行き、私たちは再び職員室に足を踏み入れた。
既に大多数の教員が帰宅し、残っていたのは中西のみだった。私たちの姿を見て、彼は静かに問いかけてきた。
「……終わったのか」
「ああ、我輩の前髪と祢津くんの右手が犠牲になったが、これでカタギリさんはもう出ないだろう。証拠の戦利品だ、受け取っておけ」
部長が先ほど拾ったペンダントを渡すと中西は息を呑み、目を見開いてそれを凝視した。突然言葉を失った中西を不思議に思ったが、私は部長に促され、職員室を後にした。
三日後、祢津さんは学校へ復帰した。
手のひらを何針か縫ったが骨に異常はなかったようで、私はほっと胸を撫で下ろした。
「詠子にノートを取ってもらうし、お昼も食べさせてもらうから」
と、どこか嬉しそうに話していたのが印象的だった。
その日の昼休み、校内放送が入った。
『一年の岡田遥人、土野子夏、祢津椎奈。至急生徒指導室に来るように』
まるで祢津さんの復学を見計らったかのようなそれは、間違いなく中西の声だった。
生徒指導室の前に私たち三人が揃うと、部長が扉をノックした。
「入れ」という声が中から聴こえ扉を開けると、八畳ほどの一室の中央で、パイプ椅子に腰を掛けた中西の姿があった。
「さて……どこまで知ってる?」
「我輩の推測が正しければ、恐らく全てだ」
開口一番そう問いかけてきた中西に、部長が答えた。彼は窓辺に向かい、タバコに火をつけてから言った。
「説明してもらおうか」
「よいだろう。まず我輩は、カタギリさんと名付けられた霊の正体を調べた。彼女は四年前にこの忌野高校に入学した女子生徒だった。ソフトボール部に所属し、エースとして活躍していた彼女だったが、三年最後の大会を前に急性肺炎を患い無念の欠場……そしてそのまま亡くなった。彼女の本名は中西典子──貴様の娘だな」
愕然とする私たちとは裏腹に、中西は表情ひとつ変えず「続けろ」と促した。
「中西典子が亡くなって少し経った頃、二番手投手だった女子生徒が放課後の練習中、肩に謎の裂傷を負った。その翌日、貴様もやはり原因不明の傷を肩に受けた……四年前の記事には『女子生徒一名と他一名が負傷』と書かれていたが、その『他一名』が、他ならぬ貴様のことなのだろう。その時点で貴様は気づいていたはずだ、自分の娘の仕業だということを。偶然の事故として処理されたからといって、有耶無耶にしていい話ではあるまい。おかげで中西典子はスポーツ選手の要である肩だけを狙う怪異として具現化し、四年越しに三人の被害者を出した……合っているか?」
部長の推理を聴き終わると、中西は深いため息をつき、窓の外を見上げた。
「……先日お前が渡してきたペンダントは間違いなく、俺が典子に贈った物だ。身体があまり強くなかったあいつに、無理やりスポーツをやらせたのが間違いだった。あいつが死んでから妻とも別れ、俺の人生は悪くなる一方だ。典子は死に際に言っていた。こんなことになるなら文化部に入れば良かったってな……」
「それで文化部を逆恨みして、申請を通さなかったんですか……」
自嘲気味に笑い「そうかもな」と呟き、中西はこちらを振り返った。
「岡田、お前の推理は正しい。騒動を解決してくれたことには礼を言っておこう」
「なら、約束は守ってもらいますよ。あたしは女バスに戻らないし、オカルト研究部は公式の部活になる。そうですよね?」
しかし祢津さんの言葉を聴いた中西は、さきほどまでとは違う、低い声で笑い始めた。
「そうはいかないな。やはりオカルト研究部なんてものは我が校に存在してはならない。立ち入り禁止の体育館に無断で入るような不躾な奴らに、部活を設立する資格はない」
「貴様……それでも男か!」
「なんとでも言え。お前らの言葉など──」
「私からもお願いします」
中西の言葉を遮り現れたのは、都井詠子さんだった。
「都井か……お前には関係のない話だ、出てってくれ」
「いえ、大いに関係あります。オカ研の三名は、私たち運動部に及んでいた被害を最少限に食い止めてくれました。もし中西先生がオカ研の設立を認めないなら、私もバスケ部を退部します」
戸惑う祢津さんが「詠子……」と呟く。
それに都井さんが「大丈夫だから」と耳打ちするのが聴こえた。
「私が退部するいきさつは、女バスの顧問である相田先生に詳しく説明しますが、いかがですか? 中西先生」
「オカルト研究部の設立を認めよう」
手のひら返し早っ!
「オカルト研究部の顧問は相田先生に掛け持ちしてくれるよう私が進言しておきました。また部室は、既に廃部となっている演劇部の部室を代用する形で問題ないですか?」
「認めよう。それと祢津、手の治療費は俺が責任を持って出そう」
突然人が変わったかのように聞き分けの良くなった中西に困惑しながらも、私たちは生徒指導室を後にした。
廊下に出てすぐ、祢津さんが都井さんに頭を下げた。
「ありがとう詠子、おかげで助かった」
「中西の奴、奥さんと別れてからウチの顧問の相田先生にホレてんの。それがあいつの最大の弱み。これで借りは返したからね~」
「我輩からも礼を言わせてくれ。感謝するぞ、都井くん」
「都井さんのおかげでようやく正式な部としてやっていけます。ありがとうございました!」
遅れて頭を下げた部長と私の顔を交互に見やって、都井さんは言った。
「君たちがオカ研の岡田さんと土野さんか~。話は聞いてるよ、椎名のことよろしくね。部長さん、眉上パッツン似合ってんね~」
「ぐっ……そこは触れないで頂きたい!」
こうして、オカルト研究部は晴れて忌野高校の公式部活動になった。
これでやっと、自宅の物置きに山と積まれたオカルト本の数々を部室に置ける。
一度捨てた趣味でもう一度ワクワクするなんてムシがいいかもしれないけど、私の心は最高に晴れやかだった。。
ちなみに、部長の前髪は一週間ほどで完全に元に戻った。
それを目の当たりにした私と祢津さんは、栄養が全部髪にもっていかれてるだとか、やっぱり呪いの日本人形みたいだとか、そんなことを言い合って笑った。
FILE003 カタギリさんがきた! 終わり
FILE004へ続く
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