乱れた四重奏(カクヨムコン10短編)

麻木香豆

帰る

 ベッドルーム。

「シバ……」

「湊音」

 ダブルベッドの上でシバと湊音の体が絡み合う。何度もキスをし、見つめ合い、シバが湊音の眼鏡を外してベッドの横のチェストに置いた。そしてさらに愛を確かめ合う。


 時折漏れる荒い吐息が空間を満たす。薄暗い部屋の中で、ふたりの動きが加速していく。冬だが二人の体の熱は高まっている。





 この部屋の近くの台所ではジュリがコーヒープレスを用意していた。


 鼻唄を歌いながらご機嫌をとり、セミロングの髪の毛をシュシュで結い、オーブンから出したばかりの焼きたてのパウンドケーキを切り分けた。

 自分と隣の寝室で愛を交わし合ってる二人のために。


 彼女は……シバのパートナーだ。性転換手術はしていない男性のためシバとはパートナーとして共に暮らしている。

 もちろん今シバと湊音の二人がセックスしている寝室はシバとジュリの寝室だ。もちろん二人で共に寝てセックスもしてる。


 ジュリは二人の関係を容認している。

 だが、さっきからの鼻唄は気を紛らわせるためのものだった。


 正直に言えば、こんな状況はジュリは嫌で仕方ない。

 シバと湊音が愛を交わし、ジュリがその横で食事を用意し、シーツを洗う。セックスという行為そのものがどうこうではない。自分の手の届かないところで、シバが湊音と共有する「何か」を見せつけられるのが辛いのだ。


 ジュリは自分に言い聞かせる。

「でも、これが私たちの形なのだ」


 ジュリもまた実家から勘当され、頼れる人などいなかった。シバもまた身寄りをなくした身だ。同じ「帰る場所」を失った者同士だからこそ、彼を見捨てることはできない。それに、シバがここにいる限り、ジュリも「帰る場所」を持てる気がしていた。


 焼き上がりとコーヒーの仕上がりはいつものパターンから大体時間はわかっている。

 用意できた頃には二人はシャワーを終えてジュリのいるリビングに来るのだ。


 彼らは何食わぬ顔でジュリが差し出したコーヒーに手を伸ばす。


「ジュリ、レーズン入ってるじゃん。おいしい」

「どういたしまして。コーヒーもそれに合わせて変えてみたの。口に含ませてから是非」


 湊音はジュリに言われた通りにやるがうまくできず口からボロボロとケーキを出し大慌てで取り繕う姿を横目に、ジュリは寝室からシーツを回収して洗濯機に運び押し込む。その間、会話は何気なく続く。ジュリもまた戻って日常の些細な話題が平然と飛び交う。




 シバがトイレに立つと、湊音はジュリに向き直る。

「ねえ、また今度マッサージしてくれる? 肩こりが最近ひどくて。」

「ええ。最近冷えも酷くなってるでしょ。ちゃんとストレッチしてる?」

「してるけど相変わらず体が硬くて」

 と言いながら湊音はジュリの脚に自分の脚を絡ませてジトッと見つめる。


 ジュリは軽く笑い、湊音も満足げに頷く。そのやり取りをシバは見ることはない。

 そのやりとりを見てわかるだろうがこれまた二人はそういう深い関係でもある。


 湊音の目がスマホ新着メッセージに移ると、彼は少し残ったコーヒーを飲み干して立ち上がった。と同時にシバもトイレから戻ってきた。


「じゃあ、そろそろ帰るよ」

「そんな時間か?」

 湊音は名残惜しそうな顔をしてシバを見る。あくまでも今日はシバとの時間を楽しむためだけなのだ。




 シバが玄関まで見送る。湊音の手を握る。

 湊音からキスをする。シバは受け入れるがすぐ体を引き離す。


「李仁が待ってるだろ」


 シバは湊音を抱きしめ、別れを惜しむようにその耳元で囁く。

「また、くるね」

「もちろん」



 ジュリはベランダにいた。部屋の中にいると二人の声が聞こえるからだ。


 湊音がマンションを車に乗り込む様子が見えると、ジュリは火のついたタバコを口元へと運んだ。


 煙がゆっくりと空に溶けていく。

 ジュリの視線の先、そこに乗っているのは湊音のパートナーである李仁。


 彼がハンドルを握り、湊音が隣に座る車が静かに動き出す。ふたりの後姿を見送るその目には、少しだけ懐かしさが混じる。ジュリは過去に李仁のことを片思いしていた。しかしそれを言えぬままだったがビジネスパートナーとして再開するとは思わなかったしまさか自分のパートナーの愛人が李仁のパートナーで……なんとも微妙な関係になってしまった。


 李仁も湊音がシバとの関係を容認している。彼がいうには湊音はシバとの関係も持つことで精神が安定するそうだ。

 別に彼らは仲が悪いわけではない。反対にむしろその方が仲が良く、湊音が他人と関係を持ち背徳感を抱いた状態になっているのをいたぶるのがさらに興奮するという変な性癖を李仁は持っているのだと告げられた。


 そしてそれをさらにジュリが湊音と関係を持つ。これはバレていない。その関係がバレた時にはどうなるのだろう、と笑いながらジュリは煙を吐き出した。


 もちろん自分が二人がセックスしてる横でその後の食事を用意し、シーツを洗うというのはものすごく嫌である。セックスという行為をしている以上に。

 でもシバは身寄りがなく、ジュリも実家から勘当され頼れるのは違い同志なのだ。


「ジュリ、寒いだろ、何してる?」

 シバが背後から彼女を抱きしめる。ジュリは笑みを浮かべ、まだ少し残るタバコの火を灰皿で消した。


「いや、なんでもない。ただ、湊音たちが帰っていくの見てた」

「ふーん」


 シバの腕が少しだけきつくなる。ジュリはわかってる。シバは湊音とは関係を持つが結局はジュリのことが好き、ジュリを離したら一人になる、だから結局シバはジュリの元に帰ってくることを。

 その温もりを背中に感じながら、ジュリはふっと目を閉じた。

 そして振り向きシバにキスをした。


 終

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乱れた四重奏(カクヨムコン10短編) 麻木香豆 @hacchi3dayo

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