第2話 はるか昔の「帰れるやろか?」物語(前編)
びーる男爺さんの大昔、東森シゲルくんがまだまだ坊ちゃんしていた頃のお話です。ハッキリと何歳と言うところまでは記憶してませんが、たぶん小学校の高学年だと思うので昭和40年代初めだと思うとります。
とにかく遊ぶ場所は学校か裏山か、若しくは目の前の川しかなかったころです。白黒テレビが普及しだしてたけど民放が一局と某国営放送しかなく、昼間は殆んどがテストパターン画像で動く映像は流れてなかったと記憶しています。
そんな時代の夏休みも後半のお盆過ぎ、何とはなしに集まった12軒ほどあった集落の子供たち、男ばっかりで上が高校生くらいで下がシゲルくんたちの小学生で6~7人だったと思うのです。お盆までは普通に川で泳ぐのが一番でしたが、盆過ぎると田んぼに農薬が撒かれだすので健康的に悪く、遊び場が限られていました。🏊♂️
何をするか決まっておらずにだべっていたところ誰かの提案で「多良岳に歩いて登ろうか?」みたいな話となり、やる事が無かったせいか何故かみんな「行ってみようか!」「うん、おもしろかばい!」となり、午前10時ころに連れだって出発したのであります。多良岳は佐賀との県境に位置する標高約1000m位の、地域では一番のお山で初日の出とかを見るために、普通は車で乗せて行ってもらう場所でした。
あとで考えれば無謀だとすぐ気づくのですが、その時はみんな探検気分でワクワクしながら出発したのを覚えています。昼前だといううのに弁当も水筒も持たずにです。その頃は道さえ間違えなければ、山の幸と川の水で何とかなるやろうの時代だったのであります。途中までは
そして、2時間細経過して途中の小さな川を渡るあたりで上級生たちが、時間を考えたのか川沿いにそって山を目指すこととなり、一同従ったのであります。その後に、なんということでしょう~「たぶん近道になるけん、この崖を登っていくばい」とまた上級生の恐ろし気な指示があり、シゲルくん足がちと震えましたが、何とか少し緩やかになっているところを優しい上級生に支えてもらいながら、大丈夫だったのです。
日の傾き具合から先輩たちが判断したのか、結果的に目指してた”多良岳”のてっぺんはあきらめて、その途中にある尾根のクマザサが茂ってる場所でみんなで遊んだのであります。少し下った急斜面の所にはターザンがぶら下がったような図太いツタがあって、まさに「あ~あ~~~」などと気持ちよく振り子のようにできたのであります。😄😀
”帰る”とは好きやけど~もうちっと・・🙄 妖怪老人びーる男 @post363k
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