04
翌日、元気に報酬の五千円を持ってきた宇多川さんが帰った後も、私はぼんやりと荊禍邸の窓を見上げていた。
先ほどから子供のようなものが、ひょこひょこと窓を覗く。普段ならば目をそらして見なかったことにするのだが、なんだかいろいろなことがありすぎて怖いという感覚が完全にバグっていた。
「……荊禍さん、あの、窓のやつって食べてもらえないんですか?」
ぼんやりと頬杖をつきながら問いかけると、私の作った天津飯をもぐもぐと口に運んでいた男は、思いのほか大きい口をへの字に曲げる。
「あー。あいつねぇ、こっちに入ってこないから駄目だわ。駄目。つかこれでも結構きれいになったほうなんだよ、この家。ぼくが来たときはそりゃもうひどい有様だったんだから、うはは」
「はぁ。事故物件か何かなんです?」
「何かも何も事故物件ですよ。首吊り三回、風呂場で自殺が二回だったかなぁ」
「うえ。よくそんなところに住めますね」
「いやぁ、そんなところに住むことも仕事なもんで」
「……ああ。そうか、場所に憑いている幽霊を、ほかの住人の代わりに請け負うことも、仕事なんですね」
「まあそういう感じ。だからぼくが住むのはいつも大体幽霊屋敷なわけよ。この甘酢うっまいね? よくあの死にそうな調味料でつくったね?」
「はぁ。まあ、卵とお米なんで昨日のチャーハンと栄養素一緒ですけどね……」
「こまどちゃん、なんだかぐったりしてるねぇ。今日珈琲しか飲んでないじゃん。半分食う?」
「いりません。コンビニ寄って帰ります。ていうかいろんなことがありすぎてまだ気持ちが消化できてなくて、ご飯どころじゃないんです……」
「そう? 昨日のやつはわりと地味な方だったけどなぁ」
普段、どんな依頼をこなしているのか。いや、やっぱり聞きたくないから、冷めた珈琲と一緒に些細な疑問は飲み込んだ。
呪われ代行屋、荊禍栖。
その実態は、自分に憑いたモノ――詳しくはわからないがおそらくは憑き物や悪霊のようなもの――に、幽霊や呪いを喰わせる、という何とも力業な除霊方法を用いる男だった。
漫画や小説ならきっと『悪霊使い』だとか『穢れ喰い』だとか……なんだか格好よさそうな名前で登場しそうなキャラだ。実際の除霊風景を見てしまうと、そんな華々しい二つ名はアレにはつけるべきではない、と思う。
格好いいものではない。きれいなものではない。
穢れを喰う、と彼が評したソレはそのものが穢れの塊のような禍々しいものだった。
「結局、あの……縛られてた人は、何だったんでしょうか」
荊禍さんは、宇多川さんに『棒の家』のことは伝えなかった。ただ『何か変なもの持ち帰らなかった?』とだけ訊き、それに対しての彼女の回答は『そういえば、合宿から帰ってきたときにカバンの中によくわかんない石が入ってたから庭に捨てた』というものだった。
自分で持って帰ってきたことを覚えていないのか。誰かが意図的に仕込んだのか。何かが、勝手に憑いてきたのか。結局私たちには何もわからない。
「あー、あの細長い奴か。棒の女だっけ? いやぁ、何だろうね、わっかんないよねぇ。あれ注連縄っぽかったけど、だから何って話だし。ぼくは幽霊が見えるだけで、生前の因縁とか感情とかそういうの、ぜんっぜんわっかんないからなぁ」
「はぁ、まあ……そうですね、そういえば私もそうです……」
「そんでも調べる指はありますからね。ちゃちゃっと検索したけど、棒の女に関する文献とかそれらしい逸話はなかったね。あるのは昨日見せた『行ってみました!』っつーブログ記事のみ」
「え。じゃあ、棒の女っていうのはそのブログの人の、創作?」
「いやーそれはどうかな。実際にさゆりんちゃんもこまどちゃんもぼくも、棒の女を見てるしな。怖い体験しました! って人がみんなネットに体験談残すわけじゃないだろうし……そんなことより『棒の家』で死んでる人間に、女は一人もいないんだよね」
「………………は?」
なにを、言いだすのだろう。
棒の家とは、棒の女が出る廃墟のことではないのか。
「さらーっと調べてみたわけよ。検索欄に住所とかぶっこんで。こまどちゃんがなぜなぜって言うし。そしたらねぇ、ふふ、確かにいわくはあるわけ。一家心中。心霊スポットらしい凄惨な事件だ。でも死んでるのは父親と息子二人、計三人全部男なんだよ。新聞記事までたどれたから、これはガチな事実ね?」
「じゃあ……あの女の人…………誰?」
「さあ、なんだろうねぇ?」
にたり、と笑うその顔がなんだか本当に楽しそうで、私は背筋にぞくりと走る悪寒に耐えるほか、何も言えずに言葉を飲んだ。
知らない方がマシなことがある。知る方が怖い。昨日、荊禍さんが言った言葉が、頭の中にぶりかえす。
……私はこんなところで、優雅に珈琲をすすっている場合ではないのではないか。今すぐ、一刻も早く、『後生だから昼飯作ってから帰ってくれ』と泣きついてきたうんと年上の男など放り出して、走ってこの部屋を出た方がいいんじゃないだろうか。
こんな人と、縁を繋ぐべきではないのではないか。
そう思って勢いで腰を浮かしかけた時、荊禍さんはまるでタイミングを計ったように手を合わせた。
「ごちそうさまでした。おいしかったです。……ところで帰っちゃう前にさっさと提案するんだけど、こまどちゃん、ぼくんとこでバイトしない?」
「しません」
「ふは。即答うける」
「……私が、荊禍さんのお仕事でお手伝いできることはありません。どう考えても無理です」
「いやー別に仕事の手伝いしろって言ってんじゃないのよ。それはぼくも無理だと思います。こまどちゃんにやってほしいのは家事全般っていうか主に食事の準備っていうか要するに家政婦――待って待って待ってほんと待って最後まで聞いてぇ」
「離してくださいセクハラです叫んで警察呼びますよ」
「ぼくよりでかいしたぶんぼくよりこまどちゃんの方が体力あるよぉ、うーんと年下の子相手に欲情なんかしないってば。バイト代は勿論ちゃんと出す。日給五千円。別に毎日じゃなくていい。こまどちゃんが暇だな~って時に顔出してもらえたらいい。来てもらってご飯作ってくれたらたとえ一時間でも三十分でも五千円ちゃんと払うよ」
「……好条件すぎてうさん臭いです。本当の理由は何ですか」
「うはは、ぼくの信頼ってたった一日で見事底辺なんだねぇ、気持ちはとってもわかるけど。じゃあ腹割って話そうか。だってキミ、怖い話が好きでしょう?」
――沈黙。
私は思わず、息を止める。そしてゆっくりと吐き出してから、震える声に言葉を乗せた。
「……なぜ、そう思うんですか。私は、昨日、とても怖かったんですけれど」
「うん。怖がっていた。演技じゃなく、本気で怖かったんだろうなと思うよ。でもね、こまどちゃん、『怖い』と『嫌い』はイコールじゃない。『怖い』は感情、『嫌い』は嗜好だ」
「怖い経験はしたくないです」
「でもキミはそれを求めている。オカルト研究会に怪談収集のために入会したなんて、それこそ怖い話が大好きな人間の行動じゃないか」
「待ってください、そんな話なんで知って――」
「今朝インスタでさゆりんちゃんに聞いた」
「ストーカーじゃないですか……」
「情報収集と言ってくれ。ま、キミが怪談を求める理由は正直ぼくにはわからない。怖いのが好きなだけなのか、怪談というコンテンツが好きなだけなのか、それともほかの理由があるのか……わかんないけど、ぼくにはキミのような『見えるけどあんまりビビらない家政婦』がどうしても、どうしても必要なんだ!」
「ビビってます。顔に感情が乗らないだけです」
「二時の食事見て失神しないんだから逸材だよ~」
なるほど、あそこで気を失っておけばこのひとのおめがねにかなうこともなかったのか……と思うものの、時すでに遅しである。
こうして懇願され、大げさではなく泣きつかれ、喚かれ、結局私は荊禍栖の家政婦としてバイト契約を結ぶことになってしまった。
この出会いが、後々私の家族にとんでもない厄災を招くことになるのだが、この時の私はそんな未来のことなど知る由もなく、とりあえず冷蔵庫の中に詰まっている男を早急にどうにかしてほしいな、などと早くも呪われ代行屋家政婦らしいことを考えていた。
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