03
「ごはんがつくれるひと、尊敬する」
荊禍さんのだらりとした言葉は、私が先ほど適当に仕上げたチャーハンの上にぼとりと落ちる。
バイト代は出すから仕事を手伝ってほしい――そう言った呪われ代行屋が私に指示した『手伝い』とは、まず、夕食を作ることだった。
「いやぁ、自炊の能力がね、皆無でさ。基本的に宅配のお弁当? 給食みたいなやつあるでしょ? ああいうので生きてるんだけど、大体の人はぼくの住処を嫌がってね、いろんな理由つけて配達してくれなくなっちゃうの。ほら、このアパート、やたらと幽霊が居るでしょ?」
「はぁ。まあ、確かに、ものすごく嫌な感じがしましたし、どこ見ても視界に何かしら入ってきますけど……配達の方はみんな霊感持ちだった、ってことですか?」
「うーん。どうかね。そういうわけでもないんじゃないの? むしろ幽霊とか見えないんじゃないかなぁと思うよ。見えていれば避ければいい話だからね、こまどちゃんみたいに」
こまどちゃん、というのは今さっき荊禍さんが勝手に決めてしまった私の呼び名だ。
なぜかフルネームを聞きたがらない彼は、私の自己紹介を制して『苗字の最初の文字と名前の最初の文字だけ教えて』と言った。
古嵜円凪。これが私の名前だ。よって彼の質問に対する答えは『古』と『円』になる。
占いでも始まるのか……と身構えたものの、じゃあこまどちゃんでいいや、と言われた私はそれが単純に、あだ名を決めるための質問だったことを知った。
先ほどから、身構えては肩透かしを食らうことばかりを繰り返している。
荊禍さんは呪われ代行屋――いわゆる霊能力者だ。それなのにその口からだらだらと零れるのは、ご飯の話や大学の話、このあたりの地理の話や最近見た動画の話など、およそ幽霊退治には関係ないような話題ばかりである。
本当に信頼できる人なのだろうか。
一人残る決意をしたものの、私はまだ、荊禍さんを信用してはいない。
「霊感がないのに、近寄りたくない、って思うことなんてあるんですか?」
ほかに食べるものもないので、仕方なく自分で作ったチャーハンを咀嚼しながら問いかける。
タマゴしか入っていないけれど、味はまあ普通だ。本当は冷蔵庫の中にネギがあるらしいのだが、開けた瞬間目が溶けた男が這い出てきそうになったので慌てて閉めて、ネギもろとも見なかったことにした。
「あるでしょうよ。人間誰しも第六感を持っている――とは言わないけどね、確実にそこに何かが『居る』のなら、何かしらの変化を体が感じちゃうってのは、あるんじゃないの? とぼくは思うよ。例えば湿度とか、温度とか。そういうものの微妙な変化を、『悪寒』だとか『嫌な気配』だとか呼んでいるんじゃないかなぁ」
「はぁ。……確かに、変なものが出るところは少し、寒い気がします」
「じっとりとしてる、さむい、くさい、ってのが怪談の定番だよねぇ。霊感なんかちょっとした身体能力の一種だと思うんだよ。目がいいとか、耳がいいとか。そういうやつの亜種。……ところでこまどちゃん、もっとこう、だらっとしててもいいよ? 深夜二時までまだ時間あるしさ」
そんなぴしっとしてたら疲れちゃうよ、とあくびを零す荊禍さんは、結局今もよれよれのスウェットのままだ。
寝起きとか関係なく、この人は毎日この服で過ごしているのかもしれない。
荊禍さんの除霊は、深夜の二時に行われるらしい。
必要なものは、代行する『依頼人』が身に着けている私物とフルネームを書いた紙。この二つのみだという。
唐突に私物の提出を求められた宇多川さんは、ものすごく嫌そうにスマホを置いていった。電源を切っていいし、ロックもかけたままでいいから、という荊禍さんの言葉を聞いても、尚十五分は苦悶していたように思う。さらに私はちょっとお手伝いをするから残るよ、と告げた時の顔と言ったら――いや、思い出すとなんだか可哀そうになるからやめておこう。
とにかく泣き喚く勢いの宇多川さんを引きはがし、無理やりに帰らせ、この部屋に残っているものは穴の開いた名入りの紙と暗い画面のスマホだけだった。
荊禍さんはチャーハンをもくもくと平らげ、きちんと手を合わせてごちそうさまでした、と呟き、そのままごろりと横になる。
どうやらあとは、深夜の二時まで待つだけ、らしい。
「……あの……何か、準備をしたり、とかは……」
「え。しないしない。特にやることないもの」
「塩を盛ったり……酒を撒いたりとか……」
「あー。塩と酒は鉄板だけどねぇ。使わないとは言わないけど、ぼくはあんま縁がないかなぁ」
「……除霊って、部屋でごろごろするだけでもできるんですか」
「ぼくは特例。部屋でごろごろするのが仕事なんだよ。今は部屋でごろごろしてても情報なんか楽に手に入るからね――ほら、これじゃない?」
仰向けでタブレットを弄っていた荊禍さんが、おざなりに画面をこちらに向けてくる。
表示されているのは誰かのブログらしい。そこには『地元の最恐スポット「棒の家」に行ってみた』という太字が表示されていた。
「……ぼうのいえ……?」
「検索ワードは『幽霊 腕のない女 地名 廃墟』だよ。読んでみる?」
渡されたタブレットにざっと目を通す。
それはなんというか……とてもよくある肝試し談だった。しかも幽霊なんかは出てこない、分類するなら検証記事のようなものだ。
地元で有名な心霊スポットがある。そこはごく普通の家で、何故か鍵がかかっていない。外観が某ホラー映画で使われたことがあって、それから心霊スポットとして肝試しに訪れるものが後を絶たない。この家の二階には棒のような女の幽霊が徘徊していて、家の中の何かを持ち帰ると、女がついてくる、というものだ。
「……いや、完全にこれじゃないですか」
いくら何でもドンピシャすぎる。こんな、わかりやすい怪談が伝染することがあるのだろうか?
というか『家の中のものを持ち帰る』とはどういうことだろう。宇多川さんはそんなことは一言も言っていなかったし、彼女はそもそもホラースポットに興味があるわけでもない。口ぶりからしても『思い出の合宿』くらいの気持ちでついて回っていた様子だった。
そんな彼女が、果たして心霊スポットで窃盗のようなことをするだろうか?
思い出を残すなら、写真を撮ればいいだけだろう。彼女ならやりそうだ。いや、もしかしたら、写真を撮るという行為が『その場の景色を持ち帰った』という解釈になるのか――?
タブレットを返しながら、私はこの持論を荊禍さんに告げる。
笑いもせずに私の話を聞いた彼は、天井を見上げながらふーむと唸る。
「可能性なくはないねぇ。写真って、結構よくないからなぁ。鏡もそうだけど、像が映るものは基本心霊と直結してると思っていい。ま、さゆりんちゃんが実際に写真を撮ったのかどうか、今のぼくらには確認する手段はないけどね。彼女の携帯、今ここにあるし」
「……もっと、こう、しっかりヒアリングというか……彼女から話を聞くべきだったんじゃないですか?」
「でも、聞いたところでぼくの除霊の効果が強まったりはしないよ。だったら、依頼人から話を聞くなんて余計な労力、支払いたくはないなぁ。他人と会話するなんて面倒くさくてダメだよ」
面倒臭い、と言う割によくしゃべる人だけれど。
でもそういえば彼は会話をしている、というより勝手に喋っている、もしくは私の質問に都度答えを返しているだけのような気もする。それは確かに会話、と称するには少しだけつたないような気もした。
「今回ネットで調べたのは、シンプルに暇だったからだよ。こまどちゃんもなぜなに? って顔してたし。でもさ、知らない方がマシっていうか、知る方が怖いことも結構あるからねぇ」
知る方が怖いこと。
それはいったい、どういうことだろうか。
私がさらに質問を重ねようとしたとき――。
ぎいぃ。
――天井が、鳴った。
「…………え、いま、何か、」
家鳴り、という奴だろうか。私の実家は古い建物で、冬になると特に柱や天井がパキパキと音を立てた。けれど今の音は、私の知る家鳴りとは質感が違う。
風の音でもない。板がきしむその音は、確実に――誰かが、板の上を歩いた音だ。
体重が、ぐう、っとかかる。板が、ぎいぃぃ、っと鳴る。そんな音。
でも、このアパートは二階建てで、荊禍さんの部屋は二階だ。上に部屋なんてない。もしかして、屋根裏のスペースがあるのだろうか。それほど高い建物には、見えなかったが。
ぎいぃ、ぎぃぃぃ、と。
また、鳴る。一定の間隔で鳴る音は、何かがゆっくりと歩いている様を連想させた。
言葉もなく天井を見上げる私の斜め下から、だらり、とした声が零れる。
相変わらず寝転がっている荊禍さんは、天井ではなく私を見ている。
「始まったかなぁ。なんだろうね、なんで幽霊ってやつは、夜が好きなんだろうね? なにか、いわくでもあんのかね」
「ゆうれい。……え、これ、霊障、ですか?」
「だと思うよ。だってほら――」
そこに立ってるじゃない。
そう言った荊禍さんの指さす先は、ベランダだ。ごく普通の、扉サイズのガラス戸。薄いカーテンの向こうには、ぼんやりと白くて細長いものが立っていた。
べったりと、窓に顔をつけて。
「…………っ、ひ……!?」
「あれ、こまどちゃん、怖いのダメなの? そんなによく見えてるのに?」
「見える、だけと、実害があるのは、別じゃないですか……! そこにあるだけなら、そこまで気にしないです、でも、だって、アレ、完全にこっちをロックオンしてますよね!? なんか言ってるし……っ」
「うーん聞き取れないなぁ。日本語なのはわかるんだけど、なんでだろうね、すごく早口でちょっとうまく口が回ってない感じだ。うはは、きっも。近づく前にぼくに振ってよかったね、さゆりんちゃん。これは結構トラウマになる感じの奴だ」
荊禍さんがにやにや笑っている間にも、天井からはぎぃぃ、ぎぃい、と軋むような音がする。でも、なんだかおかしい。普通に歩いている音とは、何かが違う気がする。
耳を澄ませると、軋む音の合間に、何かを引きずるような音が紛れ込んでいた。
ぎぃぃい、どん、ずるっ……ぎぃぃい、どんっ、ずるっ……。
…………これ、膝と顔を使って、這ってるんじゃない?
そう思った瞬間、唐突に視界が真っ暗になった。
「っ、え、は!? な、……何、!?」
「あー……夜が好きなのもよくわかんないけど、あいつら本当に電気勝手に消すのも好きよなぁ。普通に寒いし暗いし迷惑すぎんだよなぁ……」
「い、いばらまさ、あの、これ、除霊、始まってるんですか……!?」
「え? まだだよ? だってまだ二時じゃないでしょ?」
「二時、二時になんないと、ダメなの!? 何で――ひっ!?」
暗闇の中で唐突に電子音が響く。机の上に置きっぱなしだった宇多川さんのスマホが、けたたましい音楽を鳴らして光っていた。
……いや、電源切ってたよね? 鳴るわけないよね?
私がどんなに理性的に否定してみても、現実は容赦してくれない。電話は鳴っている。鳴り続けている。そして表示されている文字は、『公衆電話』だ。
……公衆電話って、あの公衆電話だろうか? たまに公園とかで薄暗く光っている、人ひとり入れるくらいの透明なボックス。私は使ったことがないけれど、古いドラマや映画ではよく出てくるから、勿論あれが電話だということくらいは知っている。
ついでに見えた時刻表示は、一時五十分。
こんな夜中に、誰が、なぜ、なんて考えることはもうしない。そもそも電源の入っていないスマホが鳴っている時点でおかしいのだから。
暗闇の中で、鳴り続ける携帯と、窓の外だけが明るい。ほかは真っ暗で、荊禍さんの顔も、自分の手足すらもおぼつかないほどの闇の中で、なぜだか窓の向こうの細長い女だけは見える。
小刻みに痙攣しながら、何かをまくしたてている。聞き取れない声が、部屋の中に響く。
もぞり、と何かが動いた気配がした。
思わず腰を浮かしかけた私だったが、動いたものが荊禍さんだったことに気が付くと、どきどきとうるさい心臓を抑えながらへたり込む。
そんな私を気遣うそぶりすら見せず、ふうん? と興味もなさそうに唸った彼はこともあろうに電話を取ってしまった。
もうだめだ。突っ込む理性も気力もない。どうしてとなんでが一気に押し寄せすぎて、心霊現象パニックにも、荊禍さんの言動にも、私如きでは太刀打ちできない。
「……うん。うん? うーん。……ああ、電話通すと割と聞き取れるねぇ。なるほど、うん。――いいよ」
いいよ。
彼がそう言った瞬間、上から何かが落ちてきた。
見ない方がいい。絶対に。見るべきじゃない。耳を塞いで目を閉じて身体を丸めてすべてが終わるまで何も感知すべきじゃない。
そう思うのは少しだけ残っている冷静な部分で、本能は何も考えずに視線を落としてしまう。
びくんびくんと痙攣する――そこに居たのは、両手をぴっちりと『気を付け』の姿勢で固定し、縄で体をぐるぐる巻きにされた女だった。
渾身の力でへたり込んだまま壁まで後ずさる。
「い、ばらまさ、いま、……いいよ、って、何を、」
「あー。入っていいですかぁ? って言われたの。だから、いいよーってお答えしたの。ただそれだけ。いや窓から来いよって話だよ、上からは予想外だわ、わはは」
「招き入れて、大丈夫なんですか!?」
「だって招き入れないと、食ってもらえないからね」
何を、言っているのだろう。
誰が、何を、食べるのだろう。
この時やっと私は気が付いた。時刻は、深夜の二時を過ぎていた。
うすら寒かった空気が、ぐんっと一気に寒くなる。がちがちと歯が鳴るほどに寒い。寒い。寒い。それにとても臭い。なんだか闇全体がぬるり、とした質感を持っているような居心地の悪い気配がする。
「さて、ご飯の恩だ。面倒だから普段はしないけど、こまどちゃんには説明してあげよう。チャーハンおいしかったしね」
卵だけでチャーハンを作れる技量があってよかった、本当に。そうじゃなければ、きっと私はわけがわからないままトラウマだけ植え付けられていたに違いない。
「ぼくは呪われ代行屋を名乗っているけれど、厳密には霊能者じゃない。ま、見えるっちゃ見えるし、多少の知識はあるけどね。でも、破ーッ! って除霊できたりはしないし、幽霊さんを浄化させたり霊視したりもしない。ただ、ぼくは昔から■■を飼ってるんだ。飼ってる……うーん、一般的には取り憑かれてるって状態かもしんないけどなぁ。どっちでもいいけどね、結果は一緒だし」
……何と言ったんだろう。固有名詞が聞き取れない。ただ口ぶりからして、たぶん、とてもよくないモノのように思える。
「つきもの、すじ、みたいな……?」
「お。よく知ってるねぇ、でもうーんどうかなぁちょっと違うかもしれないなぁ。まあとにかく、このぼくに憑いてるモノがとんでもなく強力で大食いなわけよ。こいつは穢れを好んで喰う。呪い、不浄、祟り、おおよそ人間が嫌うものすべて、とんでもないご馳走だ」
ぬるり、とした闇が動く。びくんびくんと痙攣しながら、顔と膝をつかってずるり、ずるり、と荊禍さんの方へ向かっている女のようなものが、唐突に頭をぐわんぐわんと振り乱し始めた。女の足を、黒い手のようなものが掴む。
もう、怖いがカンストしていてよくわからない。私は呆然と見つめることしかできない。
それは一瞬だった。
無数の黒い手が這い上がるように、女の身体を包み込む。耳障りな悲鳴が途切れた瞬間、女は黒い手に飲み込まれていた。
「午前二時は食事の時間だ。……だからぼくの除霊は簡単だ。午前二時に、さあ餌だよって差し出すだけでいいんだよ」
そう言った荊禍さんは、どんな顔をしていただろう。
消えていた電気はいつの間にかついていたし、私はへたり込んだままで彼は立ったままだったけど、その顔を見上げる勇気が、私にはなかった。
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