02
霊能者なんてどこで知ったの?
という私の至極まっとうな疑問に対し、にっかり笑った宇多川さんは『SNSの合間に広告挟まってたんで』と回答した。
ググったら出てきました、という答えは予想していた。
しかしまさか、コミックアプリとマッチングアプリの広告の合間に、幽霊退治の広告が紛れ込んでいるなんて予想外すぎる。
宇多川さんが見せてくれたスクリーンショット画面には、確かに怪しい文句が滔々と浮かんでいた。
厄災、呪詛、祟り、生霊、あなたに代わってお受けします。
呪われ代行屋・荊禍栖。
うん。とても怪しい。
これは確かに二人、ないし複数人で対処したい案件だ。と言っても、こちらはあくまで依頼人であり相談者である。怪しい、やばそう、ちょっとおかしいでしょこれ、と思うならば最初から選ばなければいいだけの話だ。
しかしながら当の宇多川さんは、本気でこの怪しい『呪われ代行屋』とやらに依頼をしに行くつもりらしい。行動力の化身すぎてちょっと怖くなってきた。
「だってもう予約しちゃいましたし~インスタでぇー」
「予約、インスタで入れられるんだ……」
午後の講義を上の空でこなし、半ば拉致られるような格好で宇多川さんの『心霊相談』に連行された私は、閑静な住宅街を歩いていた。
霊能者というものは、古びたビルに事務所を構えているものだと思っていた。何かの漫画か小説の影響かもしれない。それなのに目に映るものはひたすら一軒家、アパート、一軒家、一軒家……都心の住宅街なんて、大体似たような景色だ。
寒いなぁ、帰りたいなぁ、夕飯に食べようと思ってたお魚、冷蔵庫に入れっぱなしだなぁ、解凍しなきゃよかったなぁ、今日はコンビニご飯かなぁ。なんてぼんやりと現実逃避しながら歩く私は、ふ、とある交差点で足を止めた。
この先に行きたくない。
強く、強く、強く、そう思う。
一歩も踏み出したくない。目の前には何もない。ごく普通の夕暮れ時の交差点だ。それなのに、もう一歩も動けない。
こんな感覚は久しぶりだ。普通に生活していて、吐き気を伴う悪寒なんて、そう経験するものではない。
先を行く宇多川さんは、ぴたりと足を止めてしまった私に気が付かない。スマホに視線を落としたまま、『あ、そこの奥っぽいですよ』ととびきり明るい声を上げた。
そこの、奥。
彼女がそう指さした先に顔を向ける。そして後悔と共に『ああ』と吐しゃ物の代わりの息を吐いた。
そこには禍々しい建物があった。
古くもない、新しくもない、ありきたりな木造アパート。特記することなんかないくらい普通なのに、この悪寒の震源地は絶対にあそこだ、と確信が持てる。
宇多川さんはさくさくと進む。仕方なく息を吸って吐いて、腹の底に力を込めて、私はその後を追いかけた。
「うーん思ってたより普通ですねー。もっとこう、漫画みたいなボロボロの長屋とかに住んでいてほしかった感……駄菓子屋の二階とか……」
「今時駄菓子屋自体が貴重すぎるよ。そこ、手すりのところ毛虫がいるから触らない方がいいよ。二階のえーと、奥の方?」
うぎゃっ、と声を上げた宇多川さんは、私の腕をぎゅっと掴みながらがくがくと頷く。幽霊が怖いイマドキ女子は、毛虫も同等に怖いらしい。
そしてたどり着いた奥の部屋をノックし――呼び鈴は何度押しても反応がなかったのでたぶん壊れていた――私はその人に出会った。
相手は霊能者だ。しかも肩書は『呪われ代行屋』などという、聞きなれない怪しい職業。
どんな奇抜な格好の人間が出てきても、私は驚かない準備をしていたし、当然そういうおかしな人間が飛び出てくるものだと信じていた。
それなのに扉を開けて私たちを部屋に招いたのは、ぼさぼさ頭で、伸びきったスウェットを着た怪しい男性だったのだ。
いや違う。怪しい、の種類が違う。私が想像していたのは『怪しい職業の奇怪な人』であって、こう、なんていうか……この人はシンプルに浮浪者っぽい怪しさだ。
目なんか半分くらい開いてないし、ちょっと虚ろだし、肌の色も不健康だし、おまけに痩せている。身長は私よりも少し低いくらい。まあ、いざとなったら力でも勝てそうな見た目だったことは、幸いといえば幸いなのだけれど。
思わず固まる私たちの前で、くあっとあくびをした彼は、ひどく眠そうに頭をかきむしる。
「んーあー……時間ぴったりだねぇ、若いのにえらいえらい。とりあえず好きなところに座っておくれよ。あー、ごめん好きなところって言っておいてなんだけど、ふすまの前とそっちの隅はおすすめしない。どうもこの家はね、見た目は普通なんだけど虫が湧きやすくって、そこらへんは蟻が湧くからさ。女子はそういうの好まないでしょ? うん、そうそう、その辺がベスト来客ポジションじゃない?」
だらり、とした声なのに、なんだかとてもよくしゃべる人だ。
宇多川さんもかなりよくしゃべる。けれど快活で陽気な彼女のおしゃべりとは違い、男性は一定のテンポで滔々と話す。発音が明瞭ではないせいで、ところどころうまく聞き取れない。自然と、耳を澄ましてしまう。
フローリングの床に正座した私と宇多川さんの対面で、敷きっぱなしらしき布団に胡坐をかいた彼は、ゆっくりと頭を下げた。
「えーと。……初めましてだね、ぼくは荊禍栖。呪いや心霊現象を引き受ける『代行屋』をやってる者です。そっちが連絡くれたさゆりんさん?」
「あっ、ハイ! 宇多川紗――」
「あーいい。いい。名乗んなくていい。必要なら後で聞くからフルネームは言わないで。そっちの美少年も名乗んなくていいからね!」
「はい、あの、よくわからないけど、わかりました、あと私、女です」
「えっ、うわ、うっそ、ごっめんね……!? えー、そっかぁ、えー? いや、うん、今のはぼくが二百パーセント悪い。ごめんなさい」
「ああ、いえ、よく間違えられるので……」
思いのほか真剣に謝られ、こちらの方が恐縮してしまう。
私は女にしては背が高いし、身体も丸いとは言い難い。髪の毛を伸ばせば少しはましになるかもしれないけれど、長い髪を管理するのも面倒で、つい適当な長さに切ってしまう。そのうえスカートも好まない。
男子に間違えられるのは、私のせいでもある。
ひとしきり謝り倒した荊禍さんは、ぱん、と一回手を叩くと、気を取り直したように息を吸う。
「よっし、じゃあー……ぐだぐだしてても日が暮れちゃうだけだしね。話を聞こっかぁ。えーとなんだっけ……腕のない女が出る、だっけ?」
ここからは昼間、宇多川さんから聞いた話の繰り返しになる。
オカルト研究会の皆で合宿に行った。その際に廃墟巡りをした。その後、視界の端に奇妙に揺れる女が立つようになった。細長い女には、腕がない。そしてその女は、だんだんと近づいてくる――。
まとめると案外、シンプルな話だ。
それでも、じゃあ私が代わってあげようか、とは思えない。
例えば、夜中にドアチャイムが鳴る。たったそれだけのことでも、実際に自分の身に降りかかればとんでもない恐怖だろう。気が付くたびに徐々に近づいてくる女なんて、想像するだけでも嫌だ。
話を聞き終わった荊禍さんは、ぐらりと首をかしげて唸る。
「ふーむ。どっかから、なんか拾ってきちゃったのかねぇ。ま、若い子たちがワイワイして押し寄せたら、あちらさんも思わず手を伸ばしちゃうこともある――あ、腕ないんだっけ? わは、失念失念ー」
「あのぉー呪われ代行屋、ってぇ、こういう、お祓いみたいなこともしてもらえるんです……?」
宇多川さんが、心なしか青い顔でおずおずと質問する。
気持ちはわかる。幽霊の話を聞いてへらりとしているスウェットの男は、なんというか、とても非日常的で不気味な存在に思える。
不気味な荊禍さんは、へらり、と目を細め、口の端を吊り上げる。
「お祓いっていうのが、どういう定義かによるけどねぇ。『なんか怖いものを丸々なかったことにする』っていうのがキミの言うお祓いなら、ぼくの仕事はまさしくそれだ。ぼくの仕事は、他人の厄災を肩代わりすることだからね」
「霊媒、のようなものってことですか?」
思わず口を出すと、私の方をちらりと見た荊禍さんは『おや?』という顔をした後に、また先ほどの表情に戻る。
「うーん、厳密にはちょっと違う、かなぁ。霊媒師ってのは、あれでしょ? イタコさんとかさぁ、そういうアレだ。ぼく実は北の方にはあんまり詳しくないんだけどね、霊媒師ってたぶん幽霊さんを体に降ろして、そんで対話して成仏させる? んだよね、たぶん?」
「ええと、私もそんなに詳しくは……でも、そういう感じじゃないかな、と認識してます」
「だよね? 知らんけど、まあ間違ってはないでしょう。ぼくはうーん……幽霊と対話はしないかな。体に降ろしたりもしない。ぼくは簡単に言うと身代わりだ。シンプルに、厄災を引き受けるだけ。そしてそれをきれいさっぱり消すだけ」
身代わりの人形みたいなもんだよ、と笑う顔はやっぱり少しだけ不気味で、私は何とも言い難い居心地の悪さを感じた。
信用できるのだろうか。信用しても、いいのだろうか。
私は相談者じゃないけれど、けれど宇多川さんの怯えた様子は痛々しくて可哀そうだ。
どうにか解決してほしい。できれば安価で、安全に、何事もなく日常を取り戻してほしい。そう思う気持ちは本心である。
「それじゃあ本契約するなら、その紙に氏名と生年月日を書いてね。あ、ほかの個人情報はいらないから。昨今そういうの、もらう方も怖いからねぇ。そんで今日は帰ってもらっていいよ。明日暇な時間にまた来てもらって、効果があったなぁ~と思ったら代金おいてってもらえばいいから」
…………え、いや、軽いな……。
軽すぎて更に怖くなってきた。
引いている私の横で、真剣に唸っていた宇多川さんはついに、床の上のペンをとった。
「え。宇多川さん、いいの? 大丈夫? ちゃんと考えた? お金払えるの? 詐欺じゃないって信じられるの?」
「だいっじょーぶですよ! バイトの面接かよってくらい考えた結果アタシちゃんは呪われおにーさんに賭けることに決めたんです……! それに代金五千円なんで余裕!」
「やっす……!」
え、いや、怖……。
もう普通に『こわ』って口から出ていたかもしれない。あからさまにぶしつけな反応をかましているというのに、荊禍さんはだるーっとした態度のまま、気分を害した風でもない。
「ぼくは家業が別にあるからねぇ。呪われ代行は体質を利用したお小遣い稼ぎみたいなもんだから、誰でもいつでも何度でも、超安心価格の五千円だよ。付き添いちゃんもぼくに依頼があればいつでもどーぞ?」
「え……いえ、私、別に荊禍さんに用事ないんで……」
「そう? でもぼくはキミに用事がある」
「は?」
あ、だめだ、わりと渾身の『は?』を繰り出してしまった。
あんまり感情が表情に乗るタイプじゃない自覚はある。いつもつまんなそうだね、なんて言われる私の顔は要するに少し冷めていて、普通にしているつもりなのに『どうして怒ってるの?』なんて急に言われたりする。
だから私は、あんまり強い言葉を使わないように気を付けている。ズケズケとした言葉は、ただでさえ少ない私の周りの人間を、二歩くらい引かせてしまうだろうから。
とても久しぶりに、とてもびっくりしすぎて、そしてなんだか非日常感にテンパりすぎて、素の言葉を繰り出してしまった。
幸い、フローリングボールペン習字に熱心な宇多川さんには、私たちの会話は聞こえていないらしい。
かなり声を絞って、私はこそっと呟く。
「……用事って何ですか。私、ただの付き添いなんですが」
「いや、ナンパとかじゃないからそこは安心してほしいんだよね。うーんと年下の子とどうこうなりたいとか、ぼくは思ってないんで。たださ、袖振り合うも他生の縁っていうじゃない? たまには同胞との出会いを大事にしてみようかなぁていうかシンプルにお願いしたいことがあるんだよなぁって感じでー……」
「どうほう」
「同胞でしょ。だってキミは、外の階段の手すりを避けた。この家は見た目通りのおんぼろでね、外の声なんて丸聞こえなんだよ。あと、ドアをくぐるときに過剰にかがんだね? どっちもキミは、そこに見えるはずもないものを避けたんだ。ぼくがそこはやめてねーって言う前に、だ」
私は口ごもる。
今まで、誰にも言われたことのない指摘に、どう反論していいかわからない。
私がどんなに不自然に歩く道を変えようと、その先に生首があるから避けたんでしょ? なんて、事実を指摘する人はいままで、誰一人いなかったのだ。
外の階段の手すりは、だって、子供みたいなものがぶら下がっていたから。
そこのドアの上からは、口を開けた女がさかさまに覗いていたから。
「――キミ、見える人だね?」
すっ、と細めた目は、私とは別の意味で感情が読みにくい。
私はいつも無表情でつまらないと言われる。でもきっと彼は、いつもにたにたとしていて怖い、と言われるに違いない。彼にそんなことを言える気安い友人がいたら、の話だが――。
「……すいません、その話は、あまりしたくありません」
「じゃあこうしよう。さゆりんさんの為に、キミの協力が必要だ」
「…………それ、脅しですか……?」
「うん? ……あ、そうかも。じゃあ、断ってくれてもいいよ。でもぼくはさ、縁を掴んだ方がいいんじゃないのー? って思うよ。キミにとって、悪い出会いじゃないはずだ」
「やっぱりナンパに聞こえます」
「違うってばぁ」
へなり、と苦笑いを零す。その顔だけはひどく人間くさくて、私は少しだけこのひとに対する警戒心を薄めた。
「よっしゃーできた! できましたよせんぱい! フローリングのぼこぼこにペンがひっかかってバシバシ穴開いちゃったけど! フローリング直書きあるあるですね!?」
「いやないよ」
「フー! マジレス!」
オネシャス! と元気に差し出した紙を受け取り、荊禍さんは顎を撫でてから、もう一回気の抜けたあくびをした。
「うん。いいね。うたがわさゆ、ちゃんね? おっけ、じゃあ……呪われ代行、はじめよっか」
ぐらり、と首をかしげる。その笑顔はやっぱり少し不気味だったから、さっきみたいに困ったように笑ってくれたらマシなのに、と、そんなことを思った。
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