第7話

 月明りがほのかに照らす工場内を二匹の怪物たちが舞う。己の肉体のみで縦横無尽に飛び回る狼と影を巧みに使い踊るように攻撃をかわす蝙蝠。

 その二匹の間にひとりの少女が割って入る。

ルナさん、正気に戻って下さい! その力は誰かを傷つけるためにあるのではなく、守るためにあるのではないですか!」

 しかし吸血鬼にひかりの言葉は届いておらず、その瞳は狼男をとらえたままだった。

 月から伸びた影が光の頭のすぐ横を突き進む。後ろでルーポが弾き飛ばされ壁に激しく当たる音がした。光の事は眼中に無く、強者である狼男のルーポのみを狙っているようだ。

 それならと何度無視されようが月の前に立ち、どうにか自分を見てもらおうとする。

「月さん!」

 数回体の横を影が通りすぎた後、ついに月の瞳は光へと向いた。

 だがその眼は月の意思ではなく吸血鬼としての眼であり、親友を見る目ではなく邪魔者を標的として見る目であった。

 今度こそ光へと向け影が伸びる。その影は心臓へと向かっていく。

 それでも光によけるつもりなどなかった。

 そして――


 影は光に当たる寸前、動きを止めた。

「光……?」

「月さん、私です、光です! わかりますか!?」

 長い明晰夢から覚めたかのように月の感覚は鈍っていた。しかしそんなことはお構いなしとルーポがふたりへと飛び掛かる。

「危ない!」

 月は光をかばってルーポから距離をとる。

「アタシ、正気に戻っても動けてる!?」

「これを、早くこれを飲んでください!」

 事前に採っておいた私の血です、と注射器を月へ渡す。

「やっぱ体が軽い。これなら戦える!」と中身を飲み干した月はやはり光の血は特別なのだと実感させられた。

「強力な麻酔を持ってきたわ、その獣を抑えていて、撃ち込むわ‼」

 タイミングよく戻ってきた麗子れいこ注射銃シリンジガンを構える。

 それに気づいたルーポは獣の本能で麗子を狙う。地面を強く蹴り麗子へと跳躍したルーポに、月はすぐに反応したがわずかに遅く影は虚しくも空を切る。

 しかし麗子はルーポの動きを読んでいるとでもいうかのような冷静さだった。

「お母さんは小鳥ことりが守るよ!」

 それは小鳥の存在があったからだった。強風が吹き荒れルーポは押し戻され地面へとたたきつけられる。そこを月は間髪入れず影で抑え込む。

 麗子がルーポに麻酔を打ち込むと、ルーポの姿はだんだん人間へと戻っていく。

「どうするの、コイツ」

「そうね、知ってることを話してもらいましょう」



 * * *



 ルーポは目を覚ますとロープで縛られていた。

「おじさん、こういう趣味はないんだけどなぁ」

 ――――あらま、これってあの状態で負けたってことだよねぇ?

「知っていることを話しなさい」

「……さぁ、なにも知らないよ」

「そう……ここにはいろんな薬品があるの。なにから試したい?」

「そうだなぁ、君みたいな女性を落とせる香水がほしいなぁ」

「香水はないけどあなたのその言葉が本気かどうかを知る薬ならあるわよ」

 ふたりの会話に「待って待って、確かに聞き出すとは言ったけど穏便にいけない?」月は焦って止めに入る。

「ははは、月ちゃん、冗談さ。ねぇ、白衣のお姉ちゃん」

「あら、私は冗談を言うのは苦手だけれど」

 月は苦笑いをしてルーポに問う。

「アンタに指示を出したのはだれ」

「それは言えないねぇ」

「何で光をここまでして追うの? 施設から逃げ出したから? それとも光だから?」

「彼女の、あの血のお嬢ちゃんのいた施設に手がかりがあるかもしれないよ」

 ルーポは続ける。

「まぁもうすでに情報も人材もすべて運び出した後かもしれないけどねぇ」

 月と麗子は目を合わせる。

「月ちゃんたちは施設に行ってきなさい」

「でもコイツは……」

「おじさんももう戦う気はないよ、それにお嬢ちゃんたちがいるってことは飯綱いずな君もやられちゃったんでしょ? それならなおさら戻るわけにはいかないしねぇ」

「もしふたりに何かしたら、マジただじゃすまないからね」

 月は一度光と施設へ戻ることにした。



 * * *

 


 施設へ着くなり光は違和感を感じた。

「なにか変です」

「やっぱりアイツが言ってた通りもう誰もいないのかな」

「……それだけじゃなさそうです」

 施設の隠し扉を開けた先には、兵士のような見た目をした死体が複数横たわっていた。

「うわっ、し、死体!? これ本物だよね」

 すると光はハッとして奥へと駆け出す。

「ちょっと、光!?」

 月は光を追いかけるがいくら走っても目に映るのは鉄の壁と死体だけだった。

 しばらく走ったところで光は走るのをやめた。

「ねえ、急にどうしたの」

「子供がいません。死体すらありませんでした」

 ふたりが走ってきたこの通路には銃を持った警備の死体しかなかった。

「……そもそもさぁ、これどういう状況なの? この人たちは施設にとって味方? それとも……」

「私には、わかりません」


 その時、通路の奥から足音が聞こえた。

「おいおい、誰かと思えば月ちゃんじゃねぇか」

 現れたのはキョンだった。

「なっ、キョン!? アンタなんでここに、ていうかこれ全部アンタたちがやったの!?」

「先に銃向けてきやがったのはコイツらだぜ。んなことよりあの時のケリつけようぜ」

「ッ……! やっぱりまだ光を追って――」

「その件からはもう降りた」

 キョンの後ろからゆっくりといずみが歩いてくる。

「もう首を突っ込むなと言ったはずだ、吸血鬼の少女。この惨状を見ろ、お前たちが踏み入れていい世界ではない」

「そんなこと言われたって、アンタらみたいに光を追ってくるやつらがしつこいの! 指示を出してるやつをどうにかしないと……」

「そうか、それならしばらくどこかに隠れていろ。俺たちはこれからその元凶を討ちに行く」

「なんで……いや、理由なんてなんでもいい。それならアタシたちも協力する! 人数は多い方がいいでしょ?」

 泉はあきれたように返す。

「まだわからないのか。死ぬことになるぞ」

「それでも――」

 月が答えようとすると光が一歩、前に出た。

「私は他の子たちを助けたいんです。私はもう……月さんに助けて貰いました。だから次は私が誰かを助ける番なんです」

 真剣な瞳で話す光に月も言葉を重ねる。

「アタシも、光たちに酷いことをするようなやつが許せないの。だからこんなこと止めてやる」

 泉は黙りこくり、ただただ月の目を見つめるばかりだったが、

「……泉サン、私はこいつらと協力するのは賛成だぜ」

 意外にもキョンが月たちに賛成の意を示す。

「考えてもみろよ、あいつらは雑魚含めりゃ相当数いるんだぜ。ふたりじゃいくらなんでも厳しいって」

 キョンは月を見て続ける。

「それにコイツ、私の次くらいに強いしな」

「……最後の方アタシにやられてなかったっけ」

「私の本気はあんなもんじゃねーんだよ!」

 ギャーギャーと言い合うふたりを無視し泉は光に問う。

「覚悟はできているんだな?」

「はい、もちろんです。……ただ、私はみんなみたいに強くないから……悔しい」

「……お前にはお前のできることがある。誰もが同じ強さを持つ必要はない」

「ふふっ、ありがとうございます。……やさしいんですね」

 泉はそっぽを向いた。一瞬、少しだが横顔からは笑みが覗けた気がした。


「それで、どうするんだ」

 騒ぐふたりを止め話し合う。

「一回麗子さんのとこに戻らない?アタシたち戦ってばっかだったから一休みほしいっていうか……」

「へっ、情けねぇな」

 キッ、とキョンをにらみつけた月の視線の先に動く影が見えた。

「誰っ⁉」

 逃げようとするその一瞬、すでに泉は腰に据えた刀を抜き、影の主へとその切っ先を向けていた、が……。

「……子供?」

「おい、ガキじゃねぇか。逃げ遅れか?」

 泉は刀をしまい腰を下ろす。

「大丈夫か、怪我はしていないな?」

 小鳥と同じくらいの年であろう少年は光が着ていたものと同じ病衣を着ていた。光はその少年にゆっくり近づき、優しく声をかける。

「あなたここの子ですよね? 名前――自分の番号は言えますか?」

「……“FRエフアール-18エイティーン”……」

 そう名乗った彼の手にはバッグの持ち手が握られていた。

「これはあなたのカバンですか?」

 少年は首を横に振りながら「拾った」一言だけ答える。

「見せてもらっても、いいですか?」

 口をつぐんだままカバンを引きずるようにして光に渡す。

 中を見るとそこにはいくつかの紙束が入っていた。急いでいたのであろう、それらは無理に押し込まれたのか乱暴に入れられていた。

「ねぇ、この子も一緒に連れて行こう。このままにはしておけないでしょ」

「……急いで例の白衣の女の場所に向かう。その鞄の中身も気になる」

 全員の意見が一致し、一同は急ぎ麗子の元へと戻ることにした。




 * * *




「あの子は?」

「今はぐっすり寝てるわ、一応そばに小鳥も……。大変だったのね、疲れと……精神的なものね」

 工場に着いた月たちを見るなりすぐに状況を理解し動き出した麗子はまさに完璧で冷静そのものだった。

「ありがとう、麗子さん」

「いいのよ。それで、何があったの?それともあなたたちの事を聞く方が先かしら?」

「……俺たちは――」

「あらら、騒がしいと思ったらなんか人ふえてるじゃない。――ん? その顔、確か傭兵部隊の……」

「おい、なんでコイツがここにいんだ!コイツあいつらの仲間だぞ‼」

「それは君たちもでしょう」

 工場内で自由を謳歌するルーポの指摘にまるで狼のようにグルルと威嚇するキョンの首根っこをつかみ「俺たちはアイツを討ちに行く」と泉が答える。

「そうかい、まぁ俺にはもう関係ないんでね」と答え、「面白そうだからおじさんも混ぜてよ」月は面倒なことしなければとそれを承諾する。

 やり取りを見ていた麗子はあきれた顔をして、

「だいたいわかったわ。とにかく、誰も変なことはしないで。守れない人は眠ってもらうことになるわよ」注射銃シリンジガンを胸ポケットからちらつかせる。

 全員が麗子から目を逸らしたところで施設でのことを月から聞いた。


「……そう。それでその鞄がこれね」

 麗子は施設から持ち帰られた鞄を開ける。中身は月たちが一度見ていた通り、いくつかの紙束のみだった。それらには文字がびっしりと並んでおり、学生である月には頭の痛くなる代物だった。麗子はそれらに軽く目を通していく。三つ目の紙束を手に取った時、麗子の手が止まった。

人工生命体ホムンクルス量産計画……?」

「ホムンクルス? なにそれ」

 月は周りを見るがなにやらみんなの顔色が悪い。

「人工生命体、人の手によって非人道的な方法で作り出された生命体よ。どうやらその施設ではすでに計画は実行されて何人も作られ……生まれているみたいね」

 麗子は途中言葉を止め言い直すが終始目を伏せていた。泉は相変わらず黙りこくり、ルーポやキョンでさえ言葉を飲んでいた。

 しかし、ただひとり俯くことなく月を見つめる少女がいた。

「光……」

「……私は、私です。どんな過去だったとしても、もう私は『光』なんです。あの施設には他にもたくさんの子供たちがいたはずです、私はみんなを助けてあげたい。だから私は落ち込んでる場合じゃないんです」

 そういって困ったように笑う光を、月は優しく抱きしめた。

「……アタシもいるからね。半分くらいはアタシにも持たせてよ。つらいこととか……楽しいこととかさ」

「……はい」

 耳元で小さくつぶやいた。


 しばらくの沈黙のあと、キョンが静けさに耐え兼ね麗子に質問をした。

「あのガキもホムンクルス、なんだろ? その紙になんか書いてないのか?」

「そうねぇ」紙束をめくりながら「あったわ、“FR-18”雪女をベースに生産……他にも別の種族の遺伝子を混ぜているようね」

「なら光のことは? 治癒能力以外にも詳しいこと書いてあるんじゃない?」

「そうね……小鳥の件もあるし調べた方がいいわね」

 月と泉もともに資料をパラパラとめくっていく。

「“C-8”、C個体は“C-8”までだ。九番目は書いていないだけか、そもそものか」

 泉が該当の箇所を見つけ出したが、そこに答えは存在しなかった。

 血の力についてまた解明から一歩離れた現状に誰もが内心もどかしい気持ちでいた。だが月は、光がどこかほっとしたような表情をしていたことを見逃さなかった。


「まぁ書いてねえもんはしょうがないだろ。それより私たちはこれから元雇い主様に会いに行くわけだが……」月の方を見て、「月ちゃんはそいつが誰だか知らねぇんだろ?」

 ニヤニヤしながら言うキョンに「もったいぶってないで教えて」と少しムッとしながら月が聞く。なおもにやけるキョンに小さくため息をついた泉は――


来栖くるす京也きょうや、来栖亜人共生の社長だ」


「来栖……そうよ、私が施設で聞いた声、なんどもニュースとかで聞いていた声だわ!」

「じゃあそいつがマジの本当に……」

「月さん、来栖京也を止めに、子供たちを助けに、行きましょう」

 泉たちへ目を向ける。

「幾度も聞いた、が。覚悟はできているんだな」

「足引っ張んなよ?」

「泉さん、キョン……」

「おじさんは行かないからね?……でも麗子ちゃんが俺を匿ってくれるっていうからさ、その恩は返させてもらうよ」

「月ちゃん、ここの事は気にしないで。この男との利害は一致しているわ。それにもし裏切ろうものなら、次は二度と目が覚めないようにしてやるわ」

「……ありがとう、麗子さん」

 月は決意を、確かめるように口にする。

「泉さん、キョン、光、私たちで来栖京也をぶっ飛ばしに行こう!そして子供たちを助けよう!」

 この件の元凶、来栖京也の悪事を止めるべく四人は来栖亜人共生に向かう。

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