第6話

 ――約一時間前、ひかりが連れ去られた直後。

「離……して、下さい!!」

 閉まりゆくシャッターの内側にいたはずの光が次に状況を理解したその時には、もうすでに工場外の森の中を風のように移動していた。もちろんそれは光自身の脚でではなく、何者かによって抱えられた状態での話だ。

 どうにかこの腕を振り払って工場へ戻りルナへと血を届けたい。だが非力な光にはどうすることも出来ず、ただ腕の中で暴れることしかできなかった。

「暴れないでくださいよ、危ないっす!!」

 深く帽子をかぶった二十歳ほどの青年は、暴れる光を落ち着かせようと一度足を止める。

「待ってください、別に俺たち何もしないっすから。ただあんたを連れて来いって指示なんすよ。大人しくしててくれれば怪我させないっすから!」

「そんなこと知らないです、とにかく離してください!!」

 なおも暴れ続ける光に、どうしたものかと対応に困った青年はいっその事気絶でもさせてやろうかと考え始めていた。


 だがその考えは実行する間もなく少女を手放すこととなる。

いてっ!!」

 青年の腕になにかが当たり思わず抱き抱えていた光が自由になる。青年から距離をとった光自身も何が起きたのかは分からなかったためその場からは動けずにいた。しかし、の答えは自ら羽を羽ばたかせ飛んできた。

「光お姉ちゃん!!」

小鳥ことりちゃん!?」

 工場内で最後に見た時にはまだ回復したて、とてもじゃないがあのスピードに追いつき飛んでくるとは――そもそもその腕の羽で空を飛べるのだとは思わなかった。

 それと同時に、「どうしてここにいるの!?」自分には戦う力など、ましてや幼い子を守りながらなど到底無理な話だ。それならあの工場の中で麗子れいこたちといた方が何倍もマシだ。

「小鳥、お姉ちゃんに助けてもらったから今度は小鳥がお姉ちゃんを助けるの!!」

 光としてはすぐにでも小鳥を連れ目の前の敵から逃げたかった。しかしこの青年をどうにかしなければ結局はまた同じ事の繰り返しになるのは目に見えていた。

「ここで……戦うしか……」

 戦うとして小鳥はどうするべきなのか。戦わせてはいけないのだろうが状況が状況だ。だがやはり危険に晒したくはない、だが自分より上手く戦えそうなことは感じ取れる。頭の中でグルグルと葛藤していると、

「大丈夫だよ、小鳥が怪我してもお姉ちゃんが治してくれればあの帽子のお兄ちゃんをやっつけられるよ!!」

「――ッ、そんなの……!!」

 小鳥の純粋な笑顔を見て光は気付かされた。

「……そんなのダメですよ、治せるからって何度も傷を負うなんて。そんな危険な戦い方はさせられません」

 光は武器になりそうなものはないか辺りを見渡すがここは森の中、木の棒ぐらいしか使えそうなものは無く、無いよりはマシと足元の手頃な棒を拾い上げる。

「でも、小鳥も一緒に戦えるよ、お姉ちゃんひとりじゃ危ないよ!」

 小鳥の言っていることももっともで、光ひとりではまったくといっていいほど相手にはならないだろう。危ない目には合わせたくない、ならば自分の援護は出来ないだろうか。

「小鳥ちゃん、さっき私を助けてくれた時あの人にいったい何をしたのですか?」

「空気をね、びゅんって飛ばしたんだよ。当たると痛いんだよ!」

「それなら、その空気を飛ばして私を援護――守ってもらえますか?」

「うん!」と頷いた小鳥は光の後ろへと下がる。

 

「話は終わったっすかね。子供がひとり増えたところで俺のやることは変わんないんで、任務続行っす」

 帽子の男が戦闘態勢に入ろうとした時――

「空飛ぶ姿は鳥のよう、可愛さあふれるかんぺき超人鳥人、スモールバード春鳥はるとり小鳥!!」

「小鳥ちゃん!?」

「なんすか、急に!?」

「前にヒーローが悪い人と戦うテレビ観た時に、ヒーローが名前言ってから戦ってたの観たの!!」

「えと……」やはり屈託のない笑顔でそう話す小鳥を前に困惑する光だったが、

「あ、悪を滅する心の輝き!」「やるんすか!?」「癒す力は天使の瞬き、コードネーム“C-9シーナイン”光!!」

「マジすか……」

 目に少し涙を貯め顔を真っ赤にしながら軽くプルプルと震えている光をよそに、小鳥はまっすぐな目で帽子の男を見つめていた。

「いやいや、その……鎌風かまかぜ飯綱いずなっす……」

 かくして戦いの火蓋は切って落とされた。


 * * *


 空のオレンジが濃くなり始めた頃、状況は変わりだした。初めこそ光たちは数の有利で上手く立ち回り、効いているかは別として飯綱への攻撃を当てていた。

 それも時間が経つにつれ少しずつ経験の差から光たちは追い詰められ、とうとう防戦一方となっていた。

「いいかげん諦めてくださいっす。無駄なことはわかったでしょう」

「諦めるなんてできません、戻らなければいけないんです」

 から言われたことは“被検体を連れてこい”ただそれだけであり、多少任務に遅れが生じても問題はないとルーポは言っていた。だとしてもたかが少女ひとり連れ帰るのにここまで苦労させられると、ボロボロになっても立ち向かってくる少女を前に少しずつ苛立ちを覚え始める。

「何の問題も無く任務完了できそうだったんすけどね。それもこれもそこの鳥っ子が追いかけて来てからこんな面倒なことに……」

 飯綱は次第にその苛立ちを小鳥へと向け始めた。

「すいませんけど俺もそこまで優しくないんすよ、少しおとなしくしてもらうだけっすから」

 言い終えた飯綱の手元にはうっすらと空気が渦巻いているのが見える。回転を速めだんだんと薄くなっていったそれはまるで丸ノコの刃のようになっていき、小鳥の方へと目掛けて飛んでいく。

「危ないッ‼」

 飛び出した光は小鳥を抱くように庇ったが左の腕に風の刃が掠め鮮血が散った。

 当てる気が無かった飯綱は「うわ、当たった⁉ 木に当てようかと……」と驚く。

「お姉ちゃん、大丈夫⁉ むぅ、許さない!」

「待って小鳥ちゃん、私は大丈夫ですから。それよりこの状況どうにかしないと」

 いよいよ相手から放たれる命を落としかねない攻撃に焦りが募る。

「そうだ、月さんは私の血を飲んで強くなれるんです! 小鳥ちゃんも私の血を飲めば……」

 そう言いかけてこれは意味の無い行為だと気づいた。あくまでも『血を飲み強化する』のは吸血鬼としての力であり、自分の『癒す血』とは何も関係のないことなのだと。だが小鳥は目を輝かせて、「小鳥強くなれるの⁉」と嬉しそうにする。

「違うんです、よく考えたらあれは――」

 

 ペロッ。


 小鳥は何の疑問もなく、躊躇することなく、まさに子供の好奇心ともいえるような勢いで光の左腕に流れる血を舐めた。

「うえぇ、おいしくない……」

「あっ、ごめんなさい! でも血なんて大体おいしくないと……?」

 ペッペッと舐めた血の味を吐き出そうとしている小鳥に風が集まってきているような、そんな空気を光は感じた。

「小鳥ちゃん、なにか体に変な感じとかしないですか? 例えば……風を纏っているような」

「まとう? ん、なんか風が体にくっついてるみたい」

 自分の血には癒す力があると施設にいたときから知っていた。だが、もしもそれだけではなかったのならば。自分の血にそれ以上のがあるのならば。何人もの追跡者たちがたったひとりの逃亡者を追い回すのも納得できる。

「風が……なにをしたっすか。やっぱりその鳥っ子、ここで始末するしかないっすね」

 飯綱はまたも風の刃を小鳥へ向け飛ばすが相手はまだ幼い子、やはり少しの躊躇いが見える。

「小鳥ちゃん!」

「まかせて! えいやぁぁぁ‼」

 小鳥は得意の空気弾を飛ばすが、それはもう先ほどまでのものとは比べ物にならない威力だった。風の刃を容易くかき消し辺りの木々をなぎ倒す。

「ま、マジすか……」

 飯綱は小鳥と目が合うなり勝てないことを悟ったのか逃げ出そうとする。それを見た小鳥は「逃がさないぞー!」と腕に生えている羽で大きく風を吹かせる。その風はまるで凝縮した台風かのような勢いで小鳥の前方だけを、ごと部分的に吹き飛ばし、その姿はすぐに空の彼方へと消えていった。

「あ、飛んで行っちゃった」

 逃がさないと言いながら飯綱を吹き飛ばした小鳥は寂しいような残念なような顔をした。

「すごいですね、小鳥ちゃん! これで月さんたちのところに戻れますよ!」

「……! えへへ、小鳥今ならお姉ちゃん乗せてびゅーんってお家まで飛んでいけそう!」

 そう言う小鳥は実際に先ほどよりも早いスピードで辺りを飛んで見せる。これならすぐに月たちの援護に行ける。

 光は小鳥に掴まって工場まで連れてってもらことにした。

 


 

 * * *




「麗子さん、無事ですか⁉」

 突然の暴風で壊れたシャッターから現れた光は麗子の無事を確認しひとまず安心した。

「お母さん‼」

「小鳥、心配したのよ‼」

 元気になった娘とようやく顔を合わせられた麗子の目からはナミダがこぼれる。

「麗子さん、月さんはどこですか」

「月ちゃんは……」

 言い淀む麗子の視線の先には赤黒い何かと暗闇の中を素早く動く何かの姿があった。

「いったい……いったい何があったのですか⁉」

 焦る光に麗子はこれまでのことを話した。


「そんな、あれが暴走……?」

「あなた何度か血を飲ませてるのよね? その時は何もなかったのよね?」

「はい、二度あの赤い影を出しています。でも意識はしっかりあって話すこともできていました」

 麗子は少し考えこみ、やがて口を開く。

「想像はしていたけど、やっぱり光ちゃん、あなたの血に秘密があるわね」

 光は飯綱と小鳥の戦闘を思い出す。あの時の小鳥の突然の能力向上は自分の血を口に入れた後に起きた。つまり確実に光の血が関係している。

「さっき私を連れ去った人と戦っているときに、私の血を飲んだ小鳥ちゃんが急に強くなったんです。あのシャッターも小鳥ちゃんが起こした風で壊しました」

「たたかっ……そ、そう。小鳥の風じゃ本来ならあのシャッターは壊せないはず。能力向上、治癒能力……薄れる意識をつなぎとめている……?」

 考えだした麗子はハッとして、「今考えることではなかったわね」と月の方へと目を向ける。

「月ちゃんは言ってたわ、昔にも暴走したことがあるって。その時はすぐに気を失って倒れてしまったらしいの」

「その時の記憶があるのですか?」

「えぇ、暴走中は文字通り自分の意思で体を動かすことはできないけど記憶だけは残っていたと」

「それなら力を使い果たす前に月さんを呼び戻すことができれば、もしかしたら……」

「光ちゃんの血を飲ませて覚醒状態――意識のある状態で力を使ってもらうのね。そのあとはみんなで連携してあの狼男を捕まえるわよ。問題はどうやって月ちゃんを正気に戻すか、ね」

「私が……私が月さんに呼びかけてみます。きっと私の呼びかけに応じてくれるはずです」

「危険よ」麗子は確かめるように光の目を見た。

「それは月さんも同じです」

 光の覚悟を感じた麗子は「決して無理はしないで」と念を押し、空の注射器を取り出す。

「この注射器であなたの血を採るから、これを正気になった月ちゃんに飲ませなさい」

 激しい戦闘の中なら体から直接吸い出すより事前に用意してあった方が早いでしょう、と光の血を採る。

「私と小鳥はあの狼男を捕まえる準備をしておくわ」

 気を付けて、そう言い残しふたりはひらけたシャッターから遠回りに実験室へと向かった。

「私は……月さんを取り戻す」

 光は決意を胸に、闇の中で戦い続ける二体の異形へと足を進める。



 

 * * *



 

 部屋に一歩足を踏み入れるとそこには倒れた金属製の本棚に取り外された机の引き出し、壊されたパソコン、そして床に散らばる白紙の紙。

 彼女たちがここへ来る前に誰かが急ぎ全てを持ち去ろうとしたのだろう。この荒れた無残な部屋からはとなるものすべてが失われていた。

「ちッ、この部屋もか……ほんとにここに情報があるんだろうな」

 少女が部屋を探索していると、どこからか銃声が響き渡る。一度相方に合流しようとお札の髪飾りを揺らしながら音の鳴る方へと向かう。どこもかしこも冷たく無機質な廊下にはところどころ赤く彩られており、鉄臭さが鼻を刺激する。

いずみサン、まだ生きてるやついたのか?」

「もういない」

「ふーん、あっち探したけどあったのは灰色か白色かだけ。文章どころか情報ひとつないんだけど、ほんとに被検体はここにいたのか?」

「それは間違いない。この施設は子供たちを集めて実験をしていた。どこかにリストか移送先の情報があるはずだ」

 次の部屋だ、と歩き出す泉のあとを追いかけながらキョンは問いかける。

「なぁ泉サン、あんた何のために傭兵やってんだ?」

「そういうお前こそなぜ続ける」

「それはあんたが私を助けたから……! それに、好きでやってるからいんだよ」

「そうか……」

 つぶやいた泉はしばらくして、ゆっくりと口を開いた。

「俺は、探し物だ」

 この鉄で覆われた世界にはふたりの足音だけが響いていた。

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