第3話

 ユカリが恋する相手は、皆から〝化け物〟と呼ばれていた。

 同じ家庭科部の先輩、賀来隼人かくはやと

 目の覚めるような金髪がトレードマークで、背がひょろっと高い。いつも眠たそうな目をしていて、一見すると頼りない印象だ。

 けれど、賀来には恐ろしい殺人マシーンとしての噂がある。


 去年、当時一年生だった賀来は、ボクシング部の不良相手に喧嘩をしかけた。それは喧嘩と呼べるものではなく、一方的な暴力だったと事件を知る者は言う。

 一瞬にして十二人を血祭りにあげ、八人を病院送りにした。

 このレコードは公式なものではなく、単なる噂に過ぎない。

 賀来が喧嘩をしかけたのは校外のことで、問題にならなかったのだ。犯人と思われる賀来は当然名乗り出なかったし、被害者の不良達も賀来を名指ししなかった。

 たった一人に十人以上がやられたことを恥だと思ったのか、それとも密告した後の復讐を恐れたのか、それはわからない。

 ただ、その事件を切っ掛けに不良達が大人しくなり、校内の風紀がすこぶる良くなった。


 一説では、現風紀委員長の春乃風太が風紀委員時代に、自分の出世のため賀来を使い、学内を殺菌したという説もある。

 しかし、ユカリはそんな陰謀説を信じていなかったし、そもそも不良達との事件だって信じていない。普段の賀来は、女の子に混じってケーキを作り、彼女達の会話にニコニコと付き合うような優しい少年で、化け物なんていう呼び名からは程遠い。

 今日もまた、賀来はクッキーが焼き上がるのを、ユカリ達に混じって待っていた。冷やしておいたレモネードに氷をたっぷり入れて配ると、賀来はそれを一息で飲み干す。


 夏休みが終わったと言っても、まだ九月の頭。

 賀来はよほど暑いのか、氷をバリバリと齧りながら、冷えたコップを頬にあてている。


「先輩、先輩」


 ストローを咥えていたユカリの友達、アキナがニマニマとしながら声をかける。


「んー?」


 バリ、と氷を砕く大きな音を響かせて、賀来が顔をあげた。


「ユカリね、告白されたんだよ」


「おー、れありー?」


「アキナちゃん!」


 ユカリはアキナの口を塞ごうと手を伸ばしたが、テーブル越しに逃げられる。


「本日、昼食の後に呼び出されたのです。サッカー部の雄に」


 もう一人の友達、マホ子も参加する。


「マホちゃん! もう、二人とも言わないでって言ったのに! それに告白じゃないよ!」


 二人の言うとおり、今日の昼休みユカリはサッカー部の男子に呼び出された。そこで『レインを交換しよう』と告げられた。

 話したこともない相手だったから、気弱なユカリは嫌とも言えず、メッセージアプリのIDを交換した。けれど、ユカリは連絡をする気も、既に送られてきているメッセージのやり取りを続けるつもりもない。ただ失礼にあたらないだけの返事をして、可及的速やかに引きあげたいと考えている。


 サッカー部の相手が気に入らなかったわけではなく、ユカリは男子が苦手なのだ。

 高校入学にあわせて、ユカリはお下げだった髪をショートカットに、眼鏡をコンタクトに変えた。高校生になったのだから少しはオシャレをして、恋人だって作りたい――そんな思いがユカリにも最初はあった。その願いが届いたように、ユカリは男子の間で人気が出た。

 けれど、実際に男子から思いを告げられると、身が竦むほど怖かった。

 男子は声がでかいし、体も大きい。女子の中でも特別背の小さいユカリには、熊のように見えた。真面目な顔で「好きだ」と言われると、それだけで逃げ出したくなる。

 そんな思いをしてでも、未だにオシャレに気を配るのは、一重に賀来への思いだった。


「先輩って告白されたことありますかあ?」


 アキナが賀来に訊く。ユカリはドキリとした。


「ないよ。僕、モテないもん」


 賀来は言い淀むこともなく、さらりと答える。


「では、告白したことは?」


 今度はマホ子が訊く。

 ユカリの耳が、否応無しにそば立つ。


「ないよ。好きな子なんていないもん」


 今度も、賀来はあっさりと答えた。

 アキナとマホ子の顔が凍る。二人は目線だけを動かしてユカリを見た。ユカリは体の中身を吹き飛ばされたような思いがした。


「でもでも、可愛い彼女なら欲しいって思いますよね? 先輩でも」


 アキナが場を取り繕うように尋ねた。


「思うでしょ? 思いますよね?」


「えー、別に。僕、付き合ったことないから、そういうのわかんない」


「……お付き合いしたこと、ないんですか?」


 ユカリはしょぼくれていた頭を上げた。


「ないよ。僕、女の子とお喋りするのだって、ユカりん達が始めてだもん」

 ユカリは体に光が満ちていくのを感じた。アキナとマホ子がホッとした顔をする。


「ユカりんはあるの?」


「ないです!」


「そんなに張り切って言うことじゃないでしょ」


「でも、付き合いたい人はいるんだよね?」


 アキナが頼んでないパスを送ってくる。


「そうなの?」


「アキナちゃん!」


「ユカリさん、言っておしまいなさい」


 マホ子までけしかけてくる。ユカリは喉を絞められたように苦しくなった。賀来は答えを待って、見つめてきている。


「ほら、ユカリ!」


 アキナが背中を押してくる。

 無理だ。絶対に言えない。言えるはずがない。言ったら、死んでしまう。


(けど……)


 けど、もし好きだと言えたら、先輩と付き合えるかもしれない。

 考えた瞬間、心臓の音が響きだした。

 先輩の彼女になれるかもしれない。

 胸が一杯になり、口が震える。逃げ出したい。でも、言ってみたい。好きだって、言ってみたい。自分の気持ちを打ち明けたい。


「わ、私――」


 ユカリは自分が何をしようとしているのかもわからないまま、口を動かした。アキナとマホ子の瞳が、興奮と緊張で見開かれる。

 その時――


「ヘイ! 賀来」


 バシンと扉が弾け飛ぶように開き、声がかかった。ユカリは衝撃のあまり、心臓が潰れたかと思った。

 教室の入り口から、男子生徒がズケズケと近づいてくる。

 げっ、とアキナからカエルが踏みつぶされたような声が聞こえた。


「ハルくん」


 賀来が顔をあげる。

 乱入してきた生徒は眼鏡をかけ、眉間にしわ寄せてこちらを睨んでいる。鋭い鼻が冷酷な感じのする顔だった。風紀委員長兼クラブ活動監視委員長・春乃風太――ユカリは彼のことを、壇上の人として知っていた。


「どうしたの? 珍しいね、ここまで訪ねてくるなんて」


「人の行動を訝るまえに携帯の電源を入れろ」


「あら、ごめんごめん、切れてら」


 苛立たしげなハルに、賀来はいつも通り飄々とうけ答える。噂では聞いていた二人だが、こうして並んだ姿は初めて目にした。


「話がある。顔をかせ」


「なになに?」


 賀来の問いかけに、ハルがこちらを見る。それから首を振った。


「ここじゃ余計なのが居る。俺の部屋に行こう――」


(あ――)


 賀来が「ごめんね」と言うように肩をすくめ、立ちあがった。

 喉元までせり上がってきて、まだ吐き出せていない思いが残っている。それが苦しくて、ユカリは助けを求めるようにアキナを見た。

 アキナは目が合うと、一瞬、凍りついた笑みを浮かべる。その笑みが意味するところをユカリが理解する前に、アキナは立ちあがっていた。


「ちょ、ちょっと待って!」


「あん?」


 ハルが振り返る。

 ユカリにはかなり不機嫌そうに見えた。


「ノックもせず入ってきたと思ったら、余計なのだなんて――し、失礼じゃないですか」


「用があるのはこの男だけだ。気にせず続けろ」


「そ、それが問題なんです!」


 ハルが眉間に皺をよせる。

 その顔のまま、賀来に尋ねた。


「あいつは何を喚いている」


「僕が連行されるのが嫌なんじゃない? 僕って意外と人気ものだから」


「……お前、ここでなにをやってるんだ?」


「クッキー焼いたり、ケーキ作ったり、たまには煮物も作ったり、そんな感じのこと」


「何で」


「そりゃ、家庭科部だからだよ。何でそんなに驚くかな。ハルくんだぜ? 僕に家庭科部に入れって言ったの」


「俺が言ったのは形だけの話だ。潰すと予算枠に問題があるから、部員確保のために――とにかく、女に混じって菓子を作れとまで言ってないぜ」


「意外と楽しいんだよ、これが」


 ハルは呆れた顔をしていた。


「先輩も今は家庭科部の部活中なんです。勝手に連れ出さないでもらえますか?」


 アキナの言葉にハルが向きなおる。


「大路アキナ」


 見下すような抑揚をつけて、アキナを呼んだ。


「今日はよく会うな。また俺に反省文をねだるつもりか?」


「校則第十七条」


「ん?」


「クラブ活動の規律方針には、部外者による活動妨害を禁止するって項目があるんですよ。知ってました?」


 おお、と驚嘆の声がマホ子から上がる。ユカリも驚く。アキナにそんな知識があったとは知らなかった。


「ほう……あれから生徒手帳を読み直したか。殊勝なことだ」


「感心したのなら、そのまま出て行ってもらえますか? それとも、反省文がお好みですか」


 アキナの追撃に、ハルがニヤリと笑う。


「追っ払われたことに腐ることなく改善を志したことは褒めてやる。しかし付け焼き刃で俺に敵うと思うのは甘すぎるぞ、大路アキナ」


「御託はいいから早く――」


「いい匂いだな。クッキーを焼いているのか?」


 ハルが鼻を鳴らしながら聞いてくる。

 目があったのでユカリが「はい」と答えると、ハルの目が細められた。


「クッキーを焼いてるそうだぞ、大路アキナ」


「だから何です」


「オーブンを使っている。そうだろ?」


「だから何なんですか」


「おいおい、勉強したのじゃなかったのか? せっかく褒めてやったのに、これじゃ及第点もやれんな」


「何を言って――」


「校則第十七条、九項、クラブ活動における危険物使用の際の留意事項。ガス、刃物、火気、硫酸などの薬物、以上の物を使用する際は必ず顧問の監視下で活動しなければならない――不思議なことに、俺には顧問の姿が見えないぜ?」


「そ、そんなの、誰もかまってやいません! 先生だって、私達にまかせてくれてます! オーブンを使うぐらい――」


「ノン!」


 ハルが大声を出してアキナを遮る。


「二〇〇二年、二月三日。オーブンを使おうとした女子生徒が顔面を火傷している。原因はオーブン内にたまったガスに気づかず、マッチを入れたため――この一件だけ見ても、正しい指導がいかに大切かわかるというもの」


「私達はそんなことしません! ずっと大丈夫でした」


「誰だって大丈夫じゃなくなるまでは大丈夫なんだよ」


「……私達は大丈夫です」


「かもしれないし、そうじゃないかもしれない――しかし、ルールはルールだ」


 ハルが、冷たい目でユカリ達を見た。


「オーブンの火を落とせ」


「そんな……! まだ焼きあがってな――」


「ルールだ!」


「…………」


「とっとと火を落とすか、さもなければ活動停止処分だ。もう一つ忘れているようだから思いださせてやろう。俺はクラブ活動監視委員長で、どの部活にだって監査権を持っている。俺は邪魔しに来たのじゃない。お前達を取り締まりにきたんだ」


「そんな……」


「まぁまぁ、ハルくん。そんな苛めてあげないで。僕の可愛い後輩なんだから」


 賀来が二人の間に入る。


「なんか用があるんでしょ? 行きましょう、行きましょう」


 賀来がハルの背中を押していく。賀来はハルに見えないように、ウインクをした。


「大路アキナ、今度は吠えつく相手を考える分別を学ぶんだな! さもないと――」


 ハルは賀来に押し出されながらも、しつこく喚いていた。


(なんて嫌な人だ……)


 ユカリはあまりのことに、彼らが去った後もしばらく動けなかった。

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