第2話


 私立・望月学園もちづきがくえん

 生徒自立を何よりも重んじるこの学園では、生徒会が絶大な力をもつ。

 特に頂点に君臨する生徒会長には学園の対外的評価さえ左右する権力が与えられる。

 もはやその役目は学園運営をする経営者に近い。

 そのため望月学園において生徒会長を経験した者は、恐ろしく〝数字〟にシビアな感性を任期中に育んだ。

 それこそが学園の狙いでもある。

 であるから、結果を残した生徒会長には将来への手厚い優遇があった。


 ■


 ハルの城である風紀委員兼クラブ活動監視委員室は、もとは社会科準備室で縦に長い。

 ウナギの寝床のような間取りの深くにデスクが据えられて、いつもそこにハルはいた。

 窓が背中に一つ。

 風が通らないから、秋口といえども暑い。


「またそんなモノ食べてるの?」


 ボクシング部と家庭科部のクレームを退けると、入れ替わりに女生徒が入ってくる。

 女生徒は長くウェーブのかかった髪をはらいのけると、回り込み、デスクの上、ハルの目の前に腰をおろし、脚を組んだ。

 それから、ハルの許可をとることなく扇風機を自分の方へ向けた。

 生徒会長、望月星来もちづきせいら

 この学園の女王。


「しかし貴方も好きよね。年がら年中にここに居て――穴熊じゃあるまいし、お昼ごはんぐらい教室で食べたら?」


 ミニスカートから覗く太ももは白く、また扇風機の風がはためかせるので、見えてはいけないものまで見えてしまいそうなほど露わ。

 校内だけでなく校外にさえファンクラブができる彼女のそんな姿だったから、普通の男子生徒だったら思いがけない眼福に心中よだれを垂らしていたところだろう。

 が、ハルは違う。彼女を見つめる時、脳裏に必ず雨の中の黒いドレスが蘇る。それがハルを堪らなく不快にさせた。


「何です」


「これ、目、通しといて」


 セイラがファイルを投げてくる。


「クラブ立ち上げ申請書? ――何です、これ」


「書いてあるから、読めばいいでしょ? 二度手間させないで」


「総合格闘クラブ」


 クラブ名の欄にはそう書いてある。

 曰く、空手、ボクシング、柔道、テコンドー、その他諸々の格闘技を総合的に習得し、実践的な訓練を積んでいく――要は全部のいいとこ取りをするクラブらしい。


「どう? 貴方が良いなら会長印、押すけど」


 ハルは書類から顔を上げ、セイラを厳しく見返した。


「なに? 貴方にそんなに見つめられちゃ照れてしまうじゃない」


「一体、どういう腹づもりなのか……と思いましてね」


「あら、どういう意味? 私はただ、貴方の意見を伺おうと思っただけよ」


(とぼけやがって)


 望月星来。

 その名前からわかるように、彼女はただ生徒会長をしているというわけではない。

 望月学園理事長・望月時待(もちづきときまち)の娘である。しかしそれ以上に彼女を言い表す一言がある。

〝超〟金持ちのお嬢さま。

 日本の一大企業――望月コンツェルン。

 セイラはその代表取締役会長・望月嵐(もちづきあらし)の孫娘であった。そんな彼女が生徒会長という役職についていると、いかにも胡散臭い。

 しかし、彼女には現在の地位をコネで掴んだとは思わせない実績がある。歴代をみてもズバ抜けた成果をセイラは生徒会長として上げていた。その数字を出すために、セイラは計算高くまた冷酷に権力を行使してきた。そんな彼女が寄こしてくる案件に、甘いものなどなかった。

 今回もそうである。


「私は悪くないと思うけどね。最近、格闘技は緩んでいて結果が出ていないじゃない? 今回の全総でなんか剣道部以外、何の成果もあげられなかった体たらく。彼らを引き締める刺激剤にもなると思うわ」


(よくもまぁいけしゃあしゃあと)


 ハルは手元の書類を見たときから〝くさい〟と感じていた。

 まず、これをセイラが持っていたことからおかしい。

 部活立ち上げに限らず、全てのクラブ活動における申請書は、ハルを通すことになっている。ハルが内容を吟味し、セイラに上げる。最終的に、セイラが会長印を押して、GOサインとなるのだ。しかし、ハルはこの申請書を見た覚えがない。つまり、これは正規の手順を無視して、直接セイラに渡されている。

 何故そんなことが起こったのか? ハルはその答えを見つけていた。


 責任者――一年A組・望月正之もちづきまさゆき


 今年入学してきた、セイラの従弟だ。


(ふざけたことをしやがって、あのガキ)


 ハルは自分のポジションが無視されたことに激しい怒りを感じた。けれど、ハルが気にしているのは正之の横行ではない。

 この非合法のルートで渡された申請書を、セイラは正規のルートへ戻した。正規の手順を踏ませようとしている。一見すれば、ハルの立場を尊重しているようにも思える。

 しかし、セイラはそんな女ではない。

 ルールなんていちいち気にしないし、現にいくつもの書類がハルの頭の上を飛んで、セイラに届き、セイラもそれにGOサインを出している――都合のいい限りで。そんなセイラが、今回に限り正規の手順を踏もうとしている。

 セイラにとって、この申請書は都合が悪いのだ。だから、正規の手順を踏んで、決断の責任をハルに擦りつけようとしている。


「それでどうかしら? 悪くないでしょ?」


(そうはいくかよ)


 この案は確かに悪くない――悪いどころじゃない。最悪なのだ。

 新しいクラブを立ち上げるとなると、とにかく金がかかる。一から備品を揃えなければならないし、部費も組まなければならない。その費用は、他の部活に負担してもらうことになる。ついさっき、全校集会で発表したばかりの予算。ボクシング部の原田だけではなく、他の部だって大満足というわけではない。

 そんな現状から、さらに予算を引くと発表すれば、誰だって面白いとは思わない。

 練習場の問題もある。これが、今回に限り大問題だった。

 練習場として指定されている第二体育館は、柔道部、空手部、剣道部が道場として使っている人気のスポット。今でもどの部活がいつ使うかを巡って、月に一度はクレームが上がってくる。そんな場所に、一年生のボンボンが引き連れた集団が参入すれば、問題が激化するのは火を見るより明らかだ。各方面からの不満が沸騰した泡のように噴出する。その不満はこの案を通した者に向けられる。


(こんな案と心中してたまるか)


 十二月には、来年度の生徒会を決める選挙がある。ハルはそれに向けてさんざん根回しをしてきた。クラブ活動監視委員長というポジションを使い、有力な部活にはしっかり甘い汁を吸わせてやった。組織票をガッポリさらうためだ。

 ここでこんな案件を通せば、その努力が無駄になる。


「うーん、そうですね」


 ハルはわざとらしく唸った。


「時期も中途半端ですから、来年度からということで良いんじゃないですかね?」


 来年になれば、ハルは生徒会長になる――と思っている。そうなれば、もうハルには関係ない。セイラが今やっている通り、下の者に押し付ければいいだけだ。


「ふーん、そう。ま、もう少し考えてみてよ。一応、私の可愛い従弟からのお願いなんだし。無下に断ると、ノブヨ叔母様が悲しむわ」


 ノブヨ叔母様と言うのは、セイラの叔母、正之のお母様だ。


「だからって、無理なものは無理です」


「まぁまぁ。突っ返すのと日にちを置くのとじゃ、相手の心証も違うものよ? 最終的な判断は貴方に任すから、もう少し預かっておいて。貴方なら上手くやれるわ。いつだってそうだったでしょ? 私、貴方にはとても期待しているの」


 セイラが学園のアイドルの微笑みを残し、去っていく。


(女狐め。俺が尻尾を振るとでも思っているのかよ)


 セイラがあの日のことを覚えているかは定かではないが、ハルは忘れたことがない。

 ハルはセイラの背中を睨みながら、今後、この件を巡って一波乱ありそうだと予感した。


(これは賀来かくに話しておく必要がある)


 ハルは自分の懐刀――通称『家庭科室の包丁』、賀来隼人かくはやとのことを思った。

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