第4話

「おばぁちゃん、ただいま」

「佐羽さん、あけおめでーす」

 塁くんのご家族とは元旦昼下がりまで一緒に過ごさせていただき、引き留めてくれるおばさんに丁重にお断りし、まだ明るい時間に塁くんに送ってもらった。

「遥、いつまでこっちに居られるんだ?」

 例によって、中に侵入者がいないか念入りに確認した後、塁くんが言った。

「長居するつもりなかったから、土曜日に打ち合わせ入れてて。こっちもお正月休みあけないと裏山の木の段取りできないもんね」

「だな。まぁ段取りだけつければ現場の立会とかは全然やるけど」

 ありがたい。ありがたいけど、ちょっと本当に塁くんにお世話になりすぎている。私はスマホのカレンダーを広げた。

「んー、一回帰ってまたすぐ戻ってこようかな」

 旅費は痛いが背に腹は代えられない。

「打ち合わせオンラインじゃダメなのか?」

「オンライン苦手なの。元々コミュニケーション得意な方でもないから、細かいニュアンスを誤解しやすいし、発言する間の呼吸が読みにくくって・・・。ラジオドラマのシナリオなんだけど、原作者さんも大事なことは顔を合わせて話したい派で、すごく良い方なの。もうレストラン予約してくださってるんだ」

「へー、原作者さんってどんな人?」

「どんな人?」

「女性?年は?」

「男の人。年は・・・えーっと・・・あ、ウィキにでてる、30歳だって」

「わおっ、ちょい待て。2人?」

「んなわけないじゃん!さすがにそこまでぽやぽやしてないよ」

「はー?現に今俺と2人だろうが」

「だって、塁くんは・・・」

 塁くんは・・・いや、塁くんこそ、私のこと好きって言ってくれてる人で。

「はぁ~」

 ことさら大きなため息が響いた。

「すみません・・・」

「一つ提案があります」

「はい」

「キスさして」

「うえっ、えーなんでーーーー」

「そうでもしないと遥、俺と恋愛するイメージわかないだろ?」

「や、でも、そういうのって聞いてするもんなんですか?」

「しねーわ。普通、好きです私も、の後はおつきあいに入るから、その時点である程度は合意を得ているようなもんだからなぁ。まぁ最近はデートDVとかもあるから、本格的にエロいことする前は確認しろってことらしいけど・・・いや、だから、俺だってこんな不細工な提案したくないわ」

 ちょっとプリプリはしてるけど、ほんのり耳が赤い。なんか可愛いなぁと思う。塁くんは私にとって、空気みたいな人だけど、塁くんにとっては違うんだよなぁ。

「わ、わかりました」

「ほんとにわかってんの?」

「多分。うわー、でも歯磨きしたい」

「さっきうちで一緒にしたやん。大丈夫だよ」

「そうでした・・・はい、これも人生経験。謹んでお受けしてみる」

「はははっ!じゃ、遠慮なくいただきます。目つむって」

 言われるままに目を閉じると、両方の頬にひんやりした大きな手の感触が感じられた。

「遥、好きだよ」

 目が見えない分、塁くんの低くて心地よい声がいつもより近くて安らいだ。その瞬間ちゅっと音を立てて唇が触れ合い、すぐに離れていく。

 なんだ、終わったのかなと目を開くと、すごく近いところにすごく優しい目をした塁くんがいた。

「るいく・・んっ」

 いつの間にか頭の後ろと腰に回った手に、逃がさないとばかりに引き寄せられていた。そして、名を呼ぼうと開いた唇に今度は確かな口づけが落ちてくる。

「・・っ」

 初めての経験に心臓が脈を速くする。どうすればいいのかわからないまま固まる私に、塁くんが少しずつ安心させるようにキスを教えてくれる。

 あ、なんか、気持ちいい。

 何かにすがりたくなって、塁くんの服にしがみつく。

 驚かせないようにゆっくり唇を愛撫しながら、塁くんの舌が入ってきた。

「んんっ」

 口の中の上の方をくすぐられ、さわさわとなでられたかと思うと軽く下唇が食まれる。奥にひっこんだ私の舌をツンツンと迎えに行き、優しく絡められた。

 動悸がどんどん早くなっていく。ものすごい勢いで血液が循環していて、流れていく音まで聞こえそうなくらいだ。

 どれくらいたったろう。

 ほうっと息をついて、キスを終えた塁くんが私を抱きしめたまま耳元で呟いた。

「どうだった?」

「どうって・・・」

「気持ち悪かった?」

 くすぐったいのとドキドキで答えられずに首を振った私に、彼がくすっと笑う

「じゃあ、気持ちよかった?」

 ずるいと思いつつ素直にうなずいたけれど。

「ちゃんと言葉にして」

 そう言われてパニックになった。

 この人は誰なんだろう。塁くんなのに塁くんじゃない。さすがにここまでされて自覚しないほど鈍くもない。彼は、今までこんなものすごい思いを隠して接してくれていたんだ。

「・・・はい。気持ちよかった・・・です」

 上手く顔を見れなくて、うつむいたままそう告げた私に、彼は楽しそうに笑い

「やったー」

 と、言った。



 ラジオドラマのシナリオを任せていただくのは3回目だ。

 初めて担当させていただいたのが、小説家「真理 基樹」先生で、今回は先生に指名していただいての仕事だった。

「最近は、打ち合わせもオンラインで済ましたり、何なら全くライターさんと会わないこともあるので、こうして一席つきあってもらうと安心します。年始の忙しい時に俺のスケジュールの都合ですみません」

「いえ、こちらこそ先生の貴重なお時間をいただいて打ち合わせができて、とてもとても助かります」

 年始初めての仕事ということで、少しいいレストランを予約していただいていた。

 僭越ながら先生とは、元々の感性が似ているようで、ここを推したいと思っているシーンやセリフの解釈が、あまりブレない。いくつもメディアミックスを経験している先生にとっても、こういうことはとても珍しいそうで、最初は担当の方に「とても気難しい方だから」と言われていたが、そこまで気を遣わずに話ができる。とても有難いことだと感謝の気持ちでいっぱいだ。

 すでに読んでいただいていたシナリオの大部分は太鼓判をもらっているので、あとはもう少し細かな手直しの指定をもらいつつ、演出家の方も交えて山や谷の置き所や話数と時間の配分を整理していく。こういう作業は、絶対顔をあわせながらしていただかないと、オンラインでは微妙な気持ちの揺れが読み取れないのだ。

 シナリオのライティングを受けるにあたって、ものすごく偉そうだなぁと思いつつも私が条件にさせていただいているのはそこだった。


 予定していた以上に打ち合わせは捗り、美味しい食事もいただいて順調なスタートが切れた。担当さんと演出さんはまだ打ち合わせがあるそうで、先生と先に出ていくよう言われる。2人で外に出ると、雪がチラついていて少し風も出てきたようだった。

 塁くんは今日も仕事と言っていたけれど、大丈夫だろうか。・・・いかん、まだ仕事中だ!気を抜くな私

「それでは、また修正できたら送ります」

 そう告げて、頭を下げる。

「そういえば、烏星くんは元々グルメや旅行系のwebライターでしたよね?」

 むっ、料理が出る度に写真を撮らせてもらっていたのが、やっぱり失礼だったろうか。

「あ、はい。写真うるさかったですよね。ここ数日がっつりおせちの舌だったので、すごく美味しくてついつい撮ってしまいました。改めまして素敵なお店をありがとうございました」

「それはよかった。じゃあ今度は仕事の話抜きで美味しい店行きましょうか」

 あらららら。

 その時、ふと過去の無情な所業が脳裏を駆け抜けていった。

  “すみません。一人が好きなんで”

  “どうぞ、皆さんで行ってきてください”

  “あーちょっと、私その日予定があって”

  “ごめんなさい。二人っきりは難しいです”

 あー・・・。

 だって、今までは誰かと一緒にどこかに行ったり食べたり飲んだりなんて気が重くて面倒くさいだけだったから。いや・・・今だって全然そうだ。

一人を除いて。累くん。

「お誘いありがとうございます。でも、2人で出かけると、すっごい心配する人がいるので、遠慮します」

 はっきり言っていい。

 そう思えたのは、多分これくらいで、真理先生はブレないという今までの信頼があるからだった。

「あははっ、そう来たかぁ、いや、うん、ごめんね。なんか今日ちょっと雰囲気変わってたから、ちょっと誘ってみたんだけど。正直、烏星くんは一人の方がいいって言うかなぁと思ってた。でも違ったね」

「はい。多分先生もそうだと思いますが、一人が当たり前で生きてきたので、一人の方が楽なんです。でも最近、二人でも楽な人ができちゃいました」

 先生はちょっと首をかしげると、

「そのフレーズいいね。今度使わせて」

と言って笑った。



 帰宅してすぐ、今日の要点を整理してシナリオの修正にとりかかる。

 いい感じに集中して作業ができ、予定より進みがいい。これなら、締め切りよりだいぶ早く提出できそうだ。

 休憩しようとコーヒーを淹れに立ち上がると、スマホがチカチカしていることに気づいた。

「え?藍くん?」

 藍くんから着信がかなり入っている。何事だろう?

 留守電を再生すると、慌てふためいた声で伝言が入っていた。

「遥ちゃん!!大変だよ。累兄ちゃんが遭難した!!」

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ふたりでも楽な人 まひな @mahina2525

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