第2話

※残酷な表現、暴力描写あります。ご注意を


 きっかり5時に、こざっぱりした格好で迎えにきてくれた彼は、ひとまず家の裏に回り、あんぐりと口を開けた。

「おわー、前に見た時よりさらに危険度アップしてんなぁ」

「うん。連絡いただかなかったら、多分、被害甚大だったと思う」

「台風後の消防団の見回りで見つかったんだけどさぁ。遥の連絡先知ってる奴が誰もいなかったから・・・よかったよ。あの木が家に突き刺さる前で」

「・・・ごめんなさい」

「あ、いや。・・・正直連絡ついても戻ってこないだろうと思ってたから・・・その、ここには嫌な記憶しかないだろ?」

「そんなこと・・・ないよ」

 いや、実際そんなことはあった。何もかもから逃げるように出ていった。けれど過ぎていく年月の中で、私自身も様々な経験を積み、故郷に近寄れなくなった原因が私にあるわけではないと今ではきちんと理解していた。だから帰ってこれたのだ。

「うん。そんなことない。楽しかった記憶もちゃんとあるし、今も塁くんと話ができてすごく嬉しい」

 彼の目を見ながらそう言った私を、塁くんはなんだか目を瞬かせて見つめ、そして笑った。

「俺も・・・遥とまたこうやって話ができて嬉しいよ」




 生まれて間もなく交通事故で父母を亡くした私は、母方の祖母に引き取られこの町にやってきた。当然父母の記憶もなく、物心ついた時には、既にこの町で暮らしていたが、祖母は孫の私から見ても少し常人離れした変わったところのある人で、そして老いてもとても姿勢の綺麗な所作の美しい人だった。本人から直接聞いたことはないが、祖母の家は、祖母の父の代まで山の神様の神職を務めた家だったそうで、毎年お正月と山神様の日には鯛を持っていっていた。

 そのせいか、地元の人たちからは、少し遠巻きにされており、その影響もあったのか、保育園の頃から私は周囲の子供たちと中々馴染めずにいた。

 田舎特有の人数の少なさは、時に陰湿ないじめを生む。私は保育園の頃から同じ組の女の子たちに意味もなく無視された。祖母に相談すると、「そんな輩と仲良くなる必要はない。どうせ人は一人で生まれ死ぬときも一人。一人に慣れなさい」と言われた。

 そう言われてしまえば、そんなもんかと思い、次第に私は一人に慣れ、暇さえあれば、ぼーっと一人で空想の世界に浸るようになった。

 だが、小学生になると、人数が増え、中学生になればさらに増える。私が全く気にしなくても、孤立している私を周囲が過度に心配するようになり、一部の先生に頼まれたのだろう責任感の強い女の子たちが、義務感むき出しに話しかけてくれるようになったが、その頃にはもうまともなコミュニケーションの取り方がわからない私が出来上がっていた。

 そんな時、面倒見よく声をかけてくれたのが、塁くんだ。小学生の私は、ほぼ彼から、社会とは全く人と付き合わないで生きていくには難しいものであると教えてもらったようなものだった。

 塁くんの家は代々大きな網元で、祖母とは遠い親戚にあたるらしく、祖母の仕事が遅くなる時は、塁くんちで一緒にご飯をいただいたりもしていた。


 高校に進学してからは、塁くんと学校が離れたけれど、私なりにそれなりの人付き合いはできるようになっていた。まぁまぁ平和に学生生活を過ごしていた高校3年の冬、祖母が急死した。その時点で18歳を迎え地元の市役所に就職が内定していた私は、そのまま祖母との思い出の家で暮らすことを決め、祖母の遺産で残りの学生生活をつつましく送っていた。

 何事もなければ、市役所に就職し、この町に住み続けていただろう。

 だが、事件は起きた。


 年も差し迫ったその夜、コミュニティセンターでは自治会の会議が開催されていた。学生でありながらも世帯主となっていた私は、会が終わり、ご近所のおじさんたちが飲み会に移行する前に帰路についた。

 この時、人気のない近道ではなく少し遠くても商店街を通っていたら、その後の人生は違っていただろう。だが、年末の夜の商店街は、酔っ払った大人たちが歩いていて絡まれるのが嫌だった。

 そして自宅手前100メートルほどの神社前で突然口を押さえられた。

 そのまま羽交い絞めにされ、悲鳴をあげる間も無く境内に引きずりこまれて引き倒される。

 何が起きたかわからず、恐怖で硬直する私に、男たちは目隠しをし猿轡を噛ませ、耳元でこう言った。

「大人しくしておけば、生きて返してやる」

 なんだこれは、何が起きている?自分の身に起きていることが俄かには信じられなかった。だが、手足を羽交い絞めにされたまま服が引きちぎられる音を聞き、身体をはい回る手の気持ち悪さに、この先に起こることが想像できた。絶望感と恐怖に打ちひしがれ何とか逃れようと足掻いたが、顔を何発も打たれ、髪を引っ張られて恫喝された。

「それ以上暴れたら殺すぞ」

 感じたことのない痛みと脅迫に心が折れた。抵抗するだけ無駄だと思い知った。

「おい、ちゃんと撮っとけよ。こいつが泣きわめきながらハメ撮りされてるとこ、しっかり撮って脅せば、貯めこんでる金たっぷりっ、なんだあれ!」

 その時、大きな音とともに、男たちの悲鳴が上がり、身体から重さが消えた。と同時に何かに胸の下あたりを抉られ、引きずられていく。身体中に激痛が走った。

やっと止まったと思えば、今度は骨の折れるような嫌な音が響き渡り、恐ろしい悲鳴が聞こえ、血の匂いが漂ってきた。

 私は、何が起きているのか全くわからないまま痛みと恐怖で気を失った。



「あらあらあら、まぁー誰かと思ったわ。遥ちゃん??ますます別嬪さんになって。なんか色白な美人さんが買い物にいきよったって商店街の人たちが騒ぎよったの遥ちゃんやったん」

 何年かぶりに会うおばさんは、少し白髪が増えたくらいで、ほとんど変わっていない。

 不義理に消えて音信不通になった私に、全く以前と変わらない笑顔で話しかけてくれた。それだけで肩の力が抜けて、懐かしい空気に気持ちがほどけていく。

「それ絶対私じゃないですよ。えっとおばさん年末のお忙しい中、突然お邪魔してしまいまして。あと、あんなにお世話になったのに何も連絡しないでごめんなさい」

「母さん、これ、遥からもらった」

「まぁまぁまぁ、そんな気遣わなくていいのよ。元気な姿を見せてくれたのが一番嬉しい!どうぞ、上がってちょうだい」

「お邪魔します」

 累くんの家は、昔ながらの母屋と離れがあり、敷地も広い。網元の家らしく和室の襖を外せば広間になり、床の間には船の模型も飾られている。あれも写真に撮りたい。後でお願いしてみよう。

「遥ちゃん、よう帰ってきたなぁ。佐羽さんによう似て別嬪さんになって」

「ありがとうございます。そんなこと言ってくれるのおじさんとおばさんだけです」

「ありゃ、累も言わんかい!お前しゃべくりの癖して肝心なことよう言わんけんのー」

「やかましいなぁ」

 こんなに賑やかな食事は久しぶりだった。おばさん手作りの新鮮な魚と野菜を使った食事はどれも美味しく、自分でも驚くほど箸が進んだ。

 話題も多岐にわたり、その場の柔らかな雰囲気のおかげで私も気負うことなく近況を話すことができた。


「へー、じゃあ、もう会社は辞めてライター一本で生活できてるのねー、おばちゃんにはわからない世界だわぁ」

「胸を張って生活できるというほどではないんですが、一人が食べていく分は何とか」

「ってことは、今結婚の予定もないのよね?いい人も?いない?それなら、都会で一人は心細いでしょ。戻ってこない?塁も喜ぶし」

「母さん!!そういうのハラスメントだよ。」

「あんたの代わりに聞いてあげてんでしょ!?」

「なんだよそれ!!」

「あー、兄さんやかましい。母さんも浮かれすぎ。遥ちゃん昔からなんでも一人で大丈夫な人じゃん。ねー」

 塁くんの弟の藍くんが、冷静にたしなめている。これも懐かしい光景だった。

黙り込んだ2人を見て苦笑しながらおじさんが言った。

「まぁ、そうだなぁ。佐羽さんが一人身であーいう人だったからなぁ。だが、都会で暮らす一人は本当に一人だろう?家のこと荷物に思えるかもしれんけど、戻れる場所は置いといた方がいいかもしれんね」

「はい。よく考えてみます。ありがとうございます」

 それからおじさんと塁くん。藍くんで、うちの家の相談に乗ってくれた。

 普通の業者よりは安いだろうと年が明けたら森林組合に見積書を出してもらうことになり、漏水も知り合いの水道事業者の人に話をつけてくれた。

 小さな補修は、塁くんが見てくれることになり、手に余るようなら大工さんに口を効いてくれるという。至れり尽くせりで申し訳ないが、ごく自然に力を貸してくれたことが嬉しかった。


 いい時間になり、お暇しようと挨拶して腰をあげると塁くんも立ち上がった。

「じゃあ俺送ってくよ」

「ありがとう」

 ずっとお酒を飲んでなかったのが気にかかっていたが、送らなくていいと言っても聞いてくれないだろうと何も言わなかった。人に心配してもらうようなこともあまりなかったから、ちょっとくすぐったい。

「遥ちゃん。今日はありがとね。もし良かったら明日も明後日も夜はうちに来てくれたらおばちゃん嬉しいわ。女の子がいると癒されるし」

「それがいいな。そうしよう」

「なんで塁くんが返事するのーあはは。でもいいんですか?私結構食べますよ?」

「胃袋ブラックホールのうちの息子たちに比べたら全然よ。作り足りないくらいだから大丈夫」

「じゃあ、甘えます」

「あー嬉しい!!明日も美味しいものたくさん用意しておくわね。それから、塁は言えないだろうから一応伝えとくね」

「?」

「あの二人組、どっちももうこの世にいないから。当たり前だけど、あれからすぐあそこの一族もみんな出て行ってね。今は静かなもんよ。だから安心して久しぶりにおばあちゃんの家でゆっくり休みなさいね」

 あの二人組とは、言わずもがなだ。本人たちの最後は弁護士から聞いてはいたが、一族もいなくなっていると聞き、心のどこかで安堵している自分がいた。おばさんの気遣いがありがたい。

「ありがとうございます」


 塁くんの家からうちまでは夜歩いて帰るには微妙な距離で、外も雪こそ降っていないが、かなり気温が下がっている。車の中はすでにあたたかく、あらかじめエンジンをかけてくれていたのだろう。細やかな塁くんの気遣いがありがたかった。

 たわいもない話をしていれば到着するのはすぐで、家の前まで着くと、エンジンをつけたまま塁くんも降りてきた。

 目をパチパチさせる私に、留守の間に誰かが侵入してないか一応心配だから、と譲る気はなさそうだ。

「おばぁちゃん、ただいまー」

 カギを開けて明かりを灯すと、風のせいか家がわずかに鳴ったが、人の気配はない。

「キィキィ言ってる。やっぱり古いねー」

「無駄に広いしなぁ。一人で怖くないか?」

「んー、それはないんだよね。おばあちゃんが居てくれてる気がして安心する」

「そっか」

「じゃ気をつけて帰ってね。今日はありがとね」

「あ、えーっと遥」

 玄関先に佇んだまま、塁くんはなんとも言い難い不思議な表情をしている。

「なーに?」

「俺、あの後何回か見舞いに行こうと思ってたんだけど、お前男だから近寄んなってお袋に言われててさ・・・そしたら遥居なくなってそれっきりだったろう?」

「そうだったんだ。ごめん」

「うん。で、今日話してて、遥全然俺のこと意識してないってわかったから、今ちゃんと言うことにした」

「へっ?」

「俺お前が好き。今日久しぶりに会ったけど、やっぱ好き。昔からの気持ちひきずってんのかもしんないけど、昔より今の遥をもっと好きになる予感がする。だから、そういう意味で俺を好きになってもらうように頑張らして」

「はへっ!?」

「はは。変な顔。じゃ、そういうことで。明日は鯛持ってくるからな!おやすみ」

そして塁くんは手袋につつまれた私の右手をとり、手袋の上からキスをした。

自慢ではないが、生まれてこの方そういう気配になったことがない私は、塁くんが見えなくなってからもしばらくその場で固まっていた。

「おばあちゃん、これ、もしかして告白って奴ですかね?」

「あらまぁ、あたしゃ孫をとんだアホに育てちゃったみたいだねー」

そんなため息交じりのボヤキが聞こえた気がした。

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