ふたりでも楽な人
まひな
第1話
冬の冷たい風が頬を刺す中、私は久しぶりに故郷の町を歩いていた。高校の時以来だ。
両親亡き後、私を育ててくれた祖母も亡くなり、東京で就職してからは、一切帰っていない。
この秋に市役所を通し、地元の方から裏山の木が家に倒れ掛かる恐れがあると連絡をもらい、帰省したのだった。
雨戸を締め切ったままの家は、経た歳月の分順当に傷んで見える。帰ってきたはいいが、果たしてどの程度の機能が正常に生きているのだろう。
年末に電気ガス水道は入れてもらうよう各社にお願いしてはいたが、水道の方は開栓すると同時に、漏水が発覚したそうで、元栓を締めてもらっている。当分は開けたり締めたりしながらやり過ごすしかない。
「懐かしいけど、やっぱり寒いなぁ…」
古びた木造の家に到着すると、手袋をはめたまま鍵を回す。長らく放置されていた家の中は埃っぽい。
「おばあちゃん、ただいま帰りました」
そうつぶやくと、なんとなく祖母が渋そうな顔をして迎えてくれている気がしておかしくなった。
それから、荷物をおろし家中の雨戸と窓を開いて風を入れると、舞い上がる埃にため息が出る。
まずは、しばらく生活する場所だけでも掃除しなければと、掃除道具をひっぱりだしながら身体を動かすことにした。
地震や台風で、瓦や壁に傷みは多々あるが、幸い、雨漏りがなかったため思ったほどは傷んでいない。お風呂だけは機械が壊れているようで水のままだったが、まぁ空けていた期間を思えば全然いい方だ。生前祖母が丁寧に暮らしていた様子が思い起こされ、懐かしさで胸がいっぱいになった。きちんと手を入れてくれていたおかげで、少なくともお風呂以外は数日暮らすのに不自由もなさそうで安心する。
だが、裏に回ってみてからギョッとなった。
「うわー。これは・・・まずいなぁ・・・」
裏山の急傾斜は崖崩れ防止の擁壁で覆われているが、その上の木が根崩れしかけている。おまけに茂りすぎて網にもたれかかっており、今にも屋根に突き刺さりそうな絶妙なバランスで踏みとどまっている。なるほど、これは通報をもらわなかったら、いずれ落下して屋根に大穴が開いたことだろう。
とはいえ、自分でなんとかできるものではない。年明けに業者さんにお願いするしかなさそうだ。
子どもの頃の思い出が詰まった家だが、このままでは朽ちていくだけだ。今後どうするべきか悩ましく、それもあわせて市役所に相談してみよう。
私は、現場の様子を写真におさめ、ひとまず買い物に出かけることにした。
近くの商店街は、軒並み閉まっている。ただ年末休みで閉まっているのか閉業しているのかもよくわからず、なんともいえないサビれた風情が漂っていた。
ほとんどそこしか開いてなかったコンビニで当面の食材を買い込み、帰りは少し遠回りして昔よく遊んだ漁港の方へ足を向けた。強い風で波の立つ海面には、寒いだろうに海鳥がプカプカしている。その懐かしいのどかな光景に、つい足を止めて笑ってしまった。
「…遥?だよな?」
低く落ち着いた声に振り向くと、そこに立っていたのは幼馴染の真田 塁だった。
「塁くん…久しぶり!」
小学校中学校は一緒だったが、それ以来あまり顔をあわすこともなかったため、面立ちがすっかり変わっている。日焼けした肌や体つきも大きく逞しくなっており、ぐっと精悍さが増し大人の男性になっていた。ただ一つ、その瞳だけは少年時代と変わらない優しさを宿し、大きく見開かれたまま私を見つめていた。
「その恰好・・・もしかして後継いだの?」
「ああ、2年前に代替わりして今俺社長」
「そうなんだ。頑張ったんだね」
思わず笑みがこぼれる。
中学の時にはもう将来地元で漁業を継ぐと決めていた彼は、当時から面倒見がよく人気者だった。家庭が複雑で浮いていた私のことも、よく気にかけてくれていて、遠い親戚ということもあり、町を出るまではつかず離れず家族ぐるみのつきあいだった。
「えーっと、遥、正月の魚とか?時間あるんだろ?ちょっと待ってて」
そう言うと、彼はひょいと桟橋に乗り、筏へ向かった。
「いいよ、そんな」
慌てて呼び止める。田舎ならではのこういう気づかいはうれしいが、返せるものもない。
「遠慮すんな。どうせ出荷できない家用のだから、俺んち今年は藍しか帰ってこないからどうせ余らすし」
「私だって、一人だもん。魚のさばき方ももう忘れちゃったし」
「そっか・・・じゃあ、食べに来いよ」
「えー!?」
「一人で飯食ってもつまんねーだろ。それに、あ、家のことも困ってんじゃねーの?」
「うっ・・・確かに」
図星をつかれて思わず目を見張ってしまった私に、彼は笑いながら戻ってくると手を指し出した。
「俺もお前の話聞きたいし、親父やお袋も喜ぶ。ほら良かったら、俺んちの魚も見てやって」
ぬー、確かにものすごくお世話になったのに、ぶっちしたままだ。おじさんおばさんには素直に会ってお礼を言いたい。
「ありがとう。じゃあ、甘えるね。でも大丈夫だよ。子どもじゃあるまいし」
と、言ったそばから筏に乗った途端バランスを崩す私。
彼は大きな笑い声をあげて、私の手をとった。
「ほら見たことか。子どもじゃなくなったから危ないんだよ」
「面目ない・・・」
しおらしく観念した私を、彼は慎重に案内してくれた。
生け簀の中でキラキラと光る魚を見せてもらい、塁くんが魔法みたいに捕まえる様子を見ていると、自然とテンションがあがってくる。これはネタになりそう。小学生の頃は日常に溢れていた景色だったのに今は新鮮だ。
「動画とっても大丈夫?」
「どうぞ」
お言葉に甘えてスマホのカメラを起動する。
塁くんは手慣れた様子でいくつかの魚を選り分け、氷と水でしめた後、ざっくりとその場でさばいた。その手つきは無駄がなく美しい。見惚れている間に作業はサクサク進み、綺麗に卸された魚は小分けにされ袋に入り私の手に渡った。
「それは持って帰って!明日の朝にでも食べな。5時くらいに迎えに行くから、待っててな」
「いいよ!そこまで遠くないし道もそんなに変わってないでしょ?」
「ダメだ!」
急に強い口調で言われ、思わず目を見開いた。
「いや、そん時、裏山も見せてもらうし。ほかにも家の中のことで困ったことあるだろうから」
「そ、だね。じゃあ甘えるね!ありがとう。すごく助かる。あ、あとちゃんと買うから鯛もいただけないかな?」
「鯛って・・・ああ、山の神様用?」
「う・・うん」
「わかった。新鮮な方がいいだろ?明日ヒレ立てて持っていってやるよ」
何か聞かれるかと思ったけれど、さすが察しがいい。その察しの良さや先ほどの過剰な気遣い、少なくともあの「事件」の記憶が、彼から消えていないことを物語ってもいた。
いただいてばかりでは申し訳ないので、それから私は、再びコンビニに戻り、ちょっと高い正月用のお酒とビールを買って持っていくことにした。こんなにたくさん物を買うこと自体そんなにないことで、自然と頬も緩む。
一人静かに年末年始を過ごす予定だったのに、思わぬ展開にはなったが、塁くんが変わらず接してくれたおかげで、不思議と自然体でいられる。心の中で彼に感謝しながら私は家へと急いだ。
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