葬礼のカグラ 第二話
誰かの足音が聞こえてくる。ずっしりと重い足音が近づいてくる。力を失った全身を引きずりながら、かろうじて顔を上げると、白人の男二人がこちらを見つめていた。一人は小太りでその顔は醜悪だった。もう一人の男は痩せ細っていて表情がなかった。
「こいつ生きてやがる。何だ、賭けが外れちまったぜ。」
そう小太りの男が言った。それに答えたのか、痩せ細った男はギシギシと奇怪な笑い声をあげる。サキは地面に手をつき、立ちあがろうと全身を震わせた。しかし、体はとても重く、動くことはなかった。
無力感に襲われて、海鳥の鳴き声に誘われて、陽の光に目をやる。あけぼのの柔らかな赤が白い空に流れていく。早朝の港は静かだった。風は冷たく、息は霧のように白い。波が打ち寄せて、そして散って、音を残し、また体を打ちつける。海面は移り変わるごとに、陽の淡い光を乗せて、波間に無数のまたたきを宿らせる。その輝きを前に、サキは静かに目をつぶった。それは光が眩しかったからではない。初めて見た光が怖かったからだ。
「それで、こいつをどうするんだ? 狼頭」
サキは目を開いた。目の前には一人の男が立っていた。いや、一匹の獣と言うことも出来るだろう。彼はサキよりも、はるかに背が高く、身長は二メートル以上ある。男は人型だった。その頭は狼のもので、耳はウサギのように伸び、全身には羽毛が生えている。服装はボロボロのジーンズと汚れたスニーカーだけで、上半身には何も着ていなかった。ジーンズには紐が巻き付いていて、横笛のようなものがぶら下がっている。狼頭の男は、サキの顔を覗き込む。その時、虹色の光沢が入った灰色の瞳に、サキの姿が映った。彼女の髪は黒く、短く切り揃えられている。その顔は可愛らしく、同時にとても整っていて、印象に残るものだった。体つきを見るに歳は、十代の前半ぐらいだろう。彼女はパーカーを着ていて、下には短く切られた黒いスカートと大きめの運動靴を履いていた。
「こいつは、人じゃない。ただの人形だ。厳密に言えば、歌人形だな」
そう狼頭の男は言って、すぐにサキから目を逸らした。サキは、ただ、それを見つめていることしかできなかった。小太りの男が言った。
「よく、酒場に置いてあるやつだろ。じゃ、そもそも生きてねぇってことか」
「まぁ、そういうことだ。生き物はどうやら、全滅だな」
そう言って狼頭の男はコンテナを見つめる。その視線を追うと、その中には人間の死体が積みかさなっていた。死体の表情は一つひとつ苦悶にゆがみ、脱出しようと壁を叩いたのか、爪は割れていて、手は膨れ上がっている。サキはその奥に目をやった。一人の少女がクラシックギターを抱えながら、壁にもたれかかっている。だが、遠目からでもわかるように肌は青白く、息をしていない。そして、よく見ると、少女の服装はサキと全く同じだった。しかし、顔貌には大きな火傷の跡がついていた。焼けただれた肌は赤黒く、彼女の顔は醜く膨れ上がっていた。
「あれは……」
そうサキは思わず呟いてしまう。彼女は、哀れみを抱いてはいなかった。共感もしていなかった。サキはただ、骸を前に不安を抱き締めていた。狼頭の男は言った。
「あのギター、舞器か。あいつ、人形師だったんだな」
「人形師?」
サキの言葉に、狼頭の男はため息で答えた。彼はこちらに振り返ると言った。
「お前は作られたばかりなんだな。何も知らないってわけだ」
「分からないから、教えて欲しいだけだよ」
「人形師は物織りを行う人たちだ。要するに、言葉を物質にする技能を会得している奴らなんだ。お前は、そいつが作り出した人形ってわけだ」
「言葉が物質に……? そんなことができるの?」
「当たり前だろ。逆に聞くが言葉と物質に違いなんてあるのか?」
「あるよ。私は、言葉がなくても、こうして存在しているから」
その言葉を聞くと、狼頭の男はクスクスと音を立てて、微笑を浮かべた。
「何がおかしいの?」
サキがそう聞くと、彼はその獣の顔貌を近づけ、彼女の目を覗き込んだ。
「それも言葉だぜ。『あるよ、私は、言葉がなくても、こうして存在しているから』というな。自分の尻尾を食った蛇みたいなもので、言葉には始まりも終わりもないんだよ」
狼頭の男はサキを問いただすように見つめてくる。サキは思わず目を逸らした。彼女は何も言えなかった。何かを抱いているはずなのに、何もなかったかのように過ぎ去っていく。獣はサキから目を離して、コンテナに向かっていく。狼頭の男の眼差しが彼女から離れた時、サキは孤独を感じた。彼女は狼頭を追おうともせずに、ただ、遠ざかるその姿を見つめていた。
「不快だよ、お前の眼差し。人の心を揺るがすぐらい、生ぬるい感触だ」
狼頭の男は振り返ることなく、そう言った。しかし、その声は何かを恐れているかのように震えている。
その時だった。生温かい風が奥から吹き抜けてくる。そして、何処からともなく、うなり声が聞こえてきた。コンテナの中に積み重なった死体の肌をよく見ると、植物が生え出てくるかのように、獣の頭や爪、羽毛が湧き出してくる。無数に生え出る獣の部位は、一瞬にして、分化と消滅を繰り返し、やがて、この世界には存在しない種のものに変わっていった。あたり一面は汚臭に飲まれ、吐き気が胃の底から湧き起こる。醜悪な肉塊は、全身に張り付いた眼をまばたかせた。
「おいおい‼︎ 早くしろよ。お前は葬儀屋だろ」
小太りの男の声が聞こえてくる。振り返ると、もうすでにあの二人は背中を見せて、醜悪な獣から逃げている途中だった。その姿を眺めていると、何かが音を立てて真横に落ちた。それはあの少女が持っていたクラシックギターだった。
狼頭の男は横笛を紐から外すと、息を大きく吸った。その瞬間、あたりは静まり返る。海鳥の声も、波の音も聞こえなくなってしまった。狼頭の男は笛をくわえ、静かに息を吐いた。その旋律が流れでる。発せられた音はさざ波のように連なって、優雅に舞って、葉のように落ちていく。音の輪郭は鮮明だったが、音調は静けさを帯びていた。
しかし、醜悪な肉塊は細かく痙攣するだけで増殖は止まらず、コンテナを突き破って溢れ出した。狼頭の男は身を引く。醜悪な肉塊の全身から生え出た動物たちが咆哮を上げた。彼は笛を口から離す。そしてジーンズに結ばれた紐に、笛の先端についた金具を引っ掛けた。男の羽毛が立ち上がり、その下に隠されていた装備が見えた。プラスチックのような素材で出来た黒いベストを男は着ていた。防弾チョッキのようにも見えるが、流線的な窪みが至る所に刻まれていて、それが風を誘う先には小さな穴が空いていた。
醜悪な肉塊は今や、一匹の怪物と化した。形のない肉の塊から足が生えて狼の胴体に変わり、その首部からは人間の上半身のようなものが形成されていく。人の体には頭はなく、代わりにそこから無数の顔貌が作られて、吐き出されていた。
狼頭の男は静かに息を吸って、笛を刀のように持ち、怪物を睨みつけた。怪物は男に飛びかかる。彼は死を目前に、まるで舞を踊っているかのように、体を一回転させた。狼頭の男の動きに合わせて、笛のような音が響き渡る。あのベストに刻まれた窪みが穴に空気を送り込み、笛のようになって音を鳴らしているのだ。強く音が高まった時、怪物の動きが止まった。男は強く体を飛び上がらせ、音調を高めていく。その激しい動きに応じて、音は乱れ重なり合い、荒々しい音楽を奏でた。怪物の全身から鮮血が迸り、地面に転げ落ちる。彼は笛をまるで刀を抜刀するように振った。笛の上部がそのまま外れて、引き抜かれた直剣が銀色の輝きを放つ。剣身には無数の穴が空いていて、刃が風を切ると、かん高く音が駆け抜けていった。両断されて、骸は地面を転がり、全身を潰しながら、あたりに散らばった。
男は刃を引きずりながら、残骸に向かっていく。狼頭の男が笛を口に咥え、哀れみの表情を浮かべながら、息を吹き込んだその時、雷のような旋律が響き渡った。エレキギターがかき鳴らされる。それに気がついたときには、すでに手遅れだった。残骸は霧散し、紫色の光が煙のように漂い出てくる。狼頭の男は身を引こうとしたが、全身が重く、もう動かすことが出来なくなっていた。
「重力‼︎ まさか」
彼は大岩のような重さでのしかかる頭をなんとか持ち上げ、天を仰いだ。彼女の表情が目に入ったとき、思わず笛を落としてしまう。一人の女が彼を眼差していた。その美しい顔貌は口元の歪みと取り違えられるような微笑を浮かべていた。
「アイリーン……」
彼がそう言った時、彼女の笑みは崩れ、表情は消える。エレキギターの激しい旋律が風を切り裂いた。女はギターの胴体を彼に振り下ろす。同時に、爆発音が響き渡り、その衝撃に押し出されて、中から炎と共に斧が飛び出した。熱せられて赤くなった刃が男の狼頭を切り落とす。ポンと頭がバウンドして、サキの足に当たった。
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