第2話

「妻は絶対に渡しません」

 麦川むぎかわ優斗ゆうとは、玄関に立ちはだかって言った。

「困りますねぇ、公平な社会へ向かうことを邪魔されては」

 公平署員はそう言って、優斗を押しのけようとした。しかし、優斗は粘る。

 署員は言った。

「麦川真衣まいさんは昨日、40歳の誕生日を迎えたにも関わらず、公平署へ死を迎えに来なかった。だから、こちらから死を届けに来たのです。早く引き渡してください」

「渡しません」男性は言った。「おかしいですよ、寿命公平法って。長生きする人がいなくなったって、若くして亡くなる人になんのメリットもないでしょう。人の幸せを奪うだけの法律じゃないですか」

「配偶者の方と別れたくないだけの、わがままにしか聞こえませんね。公平こそ正義。あなたに、それを阻害する権利はありません。道をあけてください」

 署員はそう言って、再び優斗を押しのけようとした。

「やめてください!お願いします!見逃してください!」

 優斗は必死に抵抗した。

「これ以上邪魔をするようなら、寿命公平法にのっとってあなたを撃ちますよ」

 署員が言った。右手は、腰の拳銃に触れていた。

 優斗は一瞬、力を緩めた。その隙に、署員は優斗を押しのけて、家の中に上がり込んだ。

「危ない!逃げろ!」

 優斗は、妻の真衣に叫ぶ。

 しかし署員は、部屋の隅で震えている彼女を見つけてしまった。

「きゃーっ!!」

 署員の姿を認めた真衣は、大きな悲鳴をあげた。部屋にある物を、手当たり次第に投げつける。

 署員はそれに動じることなく、拳銃に手をかけた。銃口を真衣の方に向ける。

「やめろ!」

 優斗はそう言って、署員に飛びかかった。2人で床に倒れ込む。

「真衣は殺させない」

 優斗は、署員を押さえ込んで言った。

 しかし、もう遅かった。署員はすでに、引き金を引いていたのだから。

 優斗が真衣の方を見た時、彼女は血を流して倒れていた。

「真衣!」

 優斗は叫ぶ。署員を押さえ込んでいる手を離すと、妻の元へ駆け寄った。

「大丈夫か?!しっかりしろ!」

 話しかけるが、彼女はピクリとも動かない。

「救急車だ。救急車を呼ばねば」

 優斗が言うと、後ろで署員の声がした。

「無駄ですよ。おそらく先程の一撃で絶命しましたし、生きているようなら私がとどめを刺します。それに、救急車を呼んでも、40歳以上の者は受け入れられません」

「くそっ、貴様!」優斗は怒鳴る。「こんなことをしていて、罪悪感を感じないのか!罪のない人々の命を奪って!」

「公平な社会を守る仕事に、罪悪感は感じませんね」

 署員はそう言うと、優斗を押しのけ遺体の横にしゃがみ込んだ。そして、優斗に拳銃を向けながら、遺体を何やら調べた。

 しばらくして、署員は言った。

「麦川真衣さんの死亡を確認しました」

 そして、立ち上がった。

「あなたは、40歳になったらちゃんと死にに来てくださいよ」

 そう言って、署員は玄関から出ていった。

「ぐわぁーっ!!」

 優斗は叫びながら壁を殴った。

 そして、亡くなった真衣の傍らに膝をついた。彼女との思い出が、走馬灯のようによみがえる。

 初めて出会った日のこと。夜の闇の中で、愛の告白をした時のこと。プロポーズをしようと思っていたら、先にプロポーズされたこと。収入が安定してきたら子供をもうけよう、と2人で話し合ったこと。「もうすぐ40歳になるけど、私、死にたくないよ……」と言いながら真衣が流した涙……。

「うわぁぁぁぁ!!」

 優斗はむせび泣いた。辺り一帯に、大きな泣き声がこだました。


 麦川優斗の家を出た公平署員は、スマートフォンを取り出した。

「次は……町崎まちざきまなぶ、1900年1月8日生まれ、研究医か」

 画面を見て、署員はつぶやいた。

「それにしても、さっきの男うるせえなぁ。公平に訪れる死に、大泣きしやがって。ガキか」

 ぶつぶつと悪態をつく。

 とめていた車に乗り込むと、カーナビを起動した。行き先は、とある大学。防犯カメラの映像から、ターゲットはそこにいると考えられる。

 大きく息を吐くと、署員はアクセルを踏んだ。


「町崎先生、例の研究はどうですか」

 助手が尋ねた。町崎学は書類から顔を上げると、言った。

「ああ、もう一押しってところだ。かなり進んだが、最後に難しい課題があるのでね」

「町崎先生は医学研究の第一人者ですから、きっと成功されることと思います」と助手。

「そうできるように頑張るよ。これが実用化に至れば、若くして亡くなる人々をたくさん救えるからな」

 町崎はそう言って、再び書類に目を落とした。

 しばらくして、研究室の扉をたたく音がした。町崎は顔を上げる。外側から扉が開けられた。そして、背の高いの男が入ってきた。

 その男の姿を見て、町崎は息をのんだ。彼が着ていた服、それは公平署の制服だったのだ。

 男は言った。

「公平署の者です。町崎学さん、あなたは昨日、40歳になったにも関わらず、公平署へ死にに来なかった。だから、こちらから殺しに来ました」

 町崎の心臓は跳ね上がった。

 公平署員は、腰の拳銃に手を伸ばした。震え上がる町崎。

 その時、助手が言った。

「やめてください。町崎先生は医学研究の天才なんです。この方が生き延びれば、若くして亡くなるはずだった多くの人の命を救えます。寿命公平法は、若くして亡くなる人と長生きする人の寿命の差を小さくするためにあるのでしょう。町崎先生を殺してしまっては、本末転倒ですよ」

「人の命の重さは皆同じ。町崎さんだけを特別扱いするわけにはいきません」

 そう言って、署員は拳銃を構えた。

「見逃してくれ!頼む!病気の人たちを救いたいんだ!」と町崎。

 署員は表情を変えない。そのまま、町崎に照準を合わせて引き金を引いた。銃撃音が鳴る。

「町崎先生!!」

 叫ぶ助手。

 町崎の服から、血が滴り落ちる。

「うっ……」

 そう言ったかと思うと、町崎は膝から崩れ落ちた。そのまま床に倒れ込む。

 署員は、今度は助手に銃口を向けた。

「待ってください!私はまだ40歳になっていません」

 助手は慌てて言った。

「町崎さんの死によってあなたがパニックになることを危惧して、銃を向けているのです。襲われそうになったら、すぐに撃てるように」

 署員はそう言うと、倒れたまま動かない町崎の方に歩み寄った。そして、町崎の死亡を確認すると、研究室から出た。

「あなたは実質、若い命を奪ったんですよ。町崎先生が死んだ今、医学の進歩は大幅に遅れるでしょう」

 町崎の助手はそう言ったが、署員はそれを無視して去っていった。助手はその背中をにらみつけながら、拳を握りしめていた。


 駐車場に着くと、署員は車に乗り込んだ。

「これからも、公平な社会のために尽くしていこう。1週間後に40歳の誕生日を迎えるまで。最期の瞬間まで、公平な社会に貢献できるんだ。幸せだなぁ」

 署員はそうつぶやくと、アクセルを踏んだ。頭の中には、なぜか幼い一人息子の顔が思い浮かんでいた。

 公平署に向かって車を走らせる。窓の向こうには、雪がちらついていた。寒さのためか、ハンドルを握る手が震えていた。

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寿命公平法 川砂 光一 @y8frnau4

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