夢渡りの風船屋

藍銅 紅(らんどう こう)

夢渡りの風船屋


ピンポンパンポンピンポーン。

玄関のチャイムの音に違和感を覚えてむくっと起きた。


「……なんでピンポンパンポン? オレの家のはキンコンカンコンなのに」


寝ぼけた視界でぼんやりと部屋の中を見回す。


こたつの上にはビールの空き缶が散乱していて。

食べ終わった後の宅配ビザの箱がそのままになっていて。

コンビニのケーキが入っていたプラスチックの容器もあった。


こたつに足を突っ込んでいるのはオレともう一人。


大学で同じサークルに所属している柏木という男。

ああ……、そういえば、ここは柏木の部屋だった。


大親友というわけじゃない。単に顔見知り。知り合い。その程度。


ただ、クリスマスなんて日に、カノジョなしがオレと柏木だけだったということで。

恋人持ちの男はいいよなとか、ぶつくさ言ってるくらいなら、男二人で騒ごうぜーとか言って、そのままカラオケに行こうとしたけど、どこも満室。

イルミネーションを見に行っても、右も左もイチャイチャカップルだらけ。


仕方がなしに、コンビニでケーキとビールを買って。

ひとり暮らしをしている柏木の古いアパートに転がり込んで。

宅配ピザを注文して。

ゲームして。


気がついたら寝落ちしていた。


こたつに足を突っ込んだままだったから、脱水症状とか大丈夫かな……と思ったけど、こたつの電源は、タイマーでオフになっていた。セーフ。


ピンポンパンポンピンポーン。

また玄関チャイムの音がした。


「おーい、柏木。誰か来たみたいだぞ」


こたつの中で足を蹴っ飛ばしてやった。

だけど、柏木は「うあ……?」と言っただけで、またいびきをかきだした。


仕方がない。

宅配便程度なら受け取っておいてやろう。


オレはこたつから出て、玄関を開けた。


「はーい」


ドアを開けたらそこにいたのは、宅配業者の人ではなく。小学生くらいの男の子。

誰だ? 

柏木の弟とか?


男の子はオレの顔を見てびっくりしている。


「あ、あの……、魔法使いのお兄さん、いませんか……」

「へ?」


魔法使い? 

柏木のことか?

なんだろうこの男の子。ゲームのやりすぎとかアニメの見過ぎか?


「魔法使いかどうかは知らんが、この部屋の持ち主は、こたつでいびきをかいて寝てる」

「え……」


ぐおー、ぐがーと大音量のいびきがした。


「しばらく起きないと思うぞ?」


オレの言葉に男の子は泣きそうな顔になった。


うーん……。


「……急ぎの用事? アイツが起きたら伝えようか?」

「それじゃ間に合わない……」


男の子は言って、いきなり泣いた。


いびきと泣き声の二重奏。


うーん、どうしよう。放置して帰っていいもんかな……?


悩んでいたら、更にスマホの着信音が。


うわあ、三重奏。


男の子が泣きながら、上着のポケットからスマホを取り出した。

途端に聞こえた怒鳴り声。


「カズシっ! アンタ、どこにいるのっ! 病院行くわよっ!」


母親かな?

病院?

この男の子が病気とか怪我とか?


そうは見えないけど……。


「危篤だって言っているでしょうっ! 急いでいるのっ! もうタクシー来たわよっ!」


……危篤。相手が誰だかわからないけど。そりゃあ焦って急ぐよね。


男の子はますます泣いた。


えーと。

オレは頭をガリガリ掻いて。男の子からスマホを取った。


「すみません、えーとオレ、たまたまカズシ君の傍にいる者ですけど。今、彼がいるのはマジマ駅の南口から歩いて十五分くらいのところにある古いアパートです」

「はあ? なんでうちの子がそんなところにいるのっ!」

「いや、オレもわかんないです。玄関ピンポンされたから、ドアを開けたら、この子が居たんですけど」


母親はなんかぎゃあぎゃあ言っている。


要約すると、誰かが危篤で、病院に行かなくちゃいけないのに息子が見つからなくて、とりあえずスマホを鳴らしてみたら、肝心の息子は泣いているし、知らない男がスマホに出た。


そりゃあ、パニックになるよねお母さん。


「あの、状況はよくわからないんですけど、急いでいるんですよね? よかったらオレがカズシ君を病院まで連れていきますよ」


だから、病院の名前と住所教えてください。





とりあえずなんとか病院の名前を聞き出して。お母さんには直接病院に行ってもらうことにした。


小児医療センター。つまりは特別なケアが必要だったり、高度な医療技術が必要とする小児専門病院。


そこで危篤というからには……。お先真っ暗な未来しか見えないねえ。


そんなときにこのカズシ君とやらがなんでわざわざ柏木のアパートなんかにやってきたのかよくわからんが。


まあ、とにかく。

袖振り合うも他生の縁とかいうし。

病院まで連れていくとオレから言ったことだし。


オレはカズシ君とやらの手を引いて、マジマ駅に向かった。

スマホで検索したら、小児医療センターまでの直通バスがマジマ駅から出ていたから。

ただ……本数が少ないんだよな。

カズシ君のお母さんが心配するといけないから、スマホを借りてラインを送る。

今、マジマ駅に着きました。

小児医療センター行きのバスはあと二十分で出発します。

センター前のバス停で降りました。

病院の受付に寄ります。

病室に着きました。

看護師さんに集中治療室と聞いたので、そちらにカズシ君を連れていきます。


既読にはなるけど、お母さんからの返事はない。

多分、返信するだけの余裕がない。

しかたがないか、集中治療室で危篤だもんな。


カズシ君はと言えば、マジマ駅に向かうときは泣いていたけど、バスに乗ったら泣き止んだというか、涙を止めたんだろう。

スマホを借りるときに、ぽつぽつと話す。

小児医療センターに入院しているのは、カズシ君の妹でまだ十歳。

入院して一年。ずっと家に帰ってこれないで、治療ばっかりしていた。

だけど、見舞いに行くたびに痩せていって、今は骨と皮だけみたいになったって。

で、だいぶ前だけど、その妹に何か欲しいものがあるかって聞いたら「お花」と小さく答えたんだって。

それで、公園とかにきれいに咲いている花がないかなって探していた時に、柏木を見た。


「何にもないところから花とかトランプとか、出してた」

「あー……」


オレと柏木は手品研究会という実に地味なサークル所属しているんだよね。

それ、たぶん、手品の練習……。


「びっくりした。魔法使いって実在しているんだって思って……。こっそり後をつけて、そしたら古いアパートの部屋に入っていって」

「あー……」


オレはカズシ君になんて言っていいのかわからなかった。

手品だよ。魔法使いじゃないよ。


妹が危篤なのに、柏木のところに来たのは……。きっと、魔法使いなら妹を助けられると思ったんだろうなあ。


違うよなんて言ったら……。

また大泣きするかな……。


「あのな、花とか出せる魔法使いだとしても、人間の寿命はどうにもできないだろ」

「どうしてですか? 魔法使いなら、命だって」

「あのな、人間の寿命を決めているのは神様。いくら魔法使いでも神様には対抗できねえの」

「そんな……」

「カズシ君にできることはただ一つ。もう間もなく死ぬ妹を一人にするな。そばにいてやれ」


残酷だろうとなんだろうと、カズシ君はもう間もなく妹の死というものに向き合わないといけなくなる。


無関係の柏木に、あとから文句を言われても困るしな。


カズシ君はもう何も言わないで、ただ俯いていた。





集中治療室の前……というか、そのもっと手前の待合室。

ドアの向こうは医療関係者以外立ち入り禁止になっていて、ご家族の皆様はこちらでお待ちください的な待合室。


そこに、たぶん三十代くらいの女性が、じっと身じろぎもしないで座っていた。


「お母さん……っ!」


カズシ君が呼んでも動かない。こちらを見もしない。ただ、医療関係者以外立ち入り禁止と書かれているドアを、睨み続けている。


多分、カズシ君のお母さんは待っている。

カズシ君を、ではなく、ドアから医師がやってきて「もう大丈夫ですよ」と言ってくれるのを。

じっと、祈りながら。


「お母さん……」


カズシ君の足が止まった。


オレはもう帰りたかった。

お母さんのところにカズシ君は送り届けたし。

さっき電話とラインをした者ですなんて言って、立ち去るつもりった。


だけど、カズシ君はお母さんに駆け寄ることもできずに、ポツンと、ただ、うつむいている。


「あー、カズシ君。とりあえずお母さんの隣にでも座るかい?」


カズシ君はオレをじっと見て。それから、お母さんの横ではなく、後ろに座った。


オレは帰るけど、あとは大丈夫だよね。


そんなこと、言えない雰囲気で。


しかたなしに、カズシ君の横にオレも座って。

カズシ君はオレを見て、ほっとしたのかどうなのか。そろそろとオレに手を伸ばして……そして、右腕にしがみついた。しがみついて、静かに声を殺して、泣いた。





どのくらい泣いていたのか。どのくらい時間が経過したのか。

分からないけど、オレもそのままでいて。

湿った右腕が重いな……とか思ったら、しがみついたまま、カズシ君は眠ってしまっていた。


泣き疲れたのかな。


オレも、目を瞑った。




「さて……と」




目を開ける。

そこは、病院の待合室ではなく、見渡す限りの広い草原。

空は晴れて雲一つない。

寒くもなく熱くもない気温。

風が気持ちいい。


「おーい、カズシ君。姿を現してくれるかなー?」


待合室で、オレの腕にしがみついていたんだから、呼び出せる、はず。


「カーズーシー」


何度か呼んでみた後。オレの右腕に、ずしっという重みが加わって、カズシ君が現れた。


「え……⁉」


きょろきょろとカズシ君があたりを見回して、それから、オレを見上げた。


「あ、あの、お兄さん。ここ、どこですか……?」

「ん? 夢の中」

「夢……?」

「そう。現実のカズシ君は、病院の待合室で、オレの右腕にしがみついて、泣き疲れて寝ている」


そう、オレの特技のひとつ。

近くにいる人間を、夢の中に連れてくることができる。

あんまり遠くだと、無理。


「魔法とは違うけどさ。オレにはちょっとこういう不思議な特技があるって思ってよ」

「は、はあ……」

「でさ、カズシ君」

「は、はい」

「君の妹の名前って何?」





「サクラちゃんね。よし、サークーラー」


妹ちゃんの名前を呼ぶ。

すると、カズシ君によく似ている小さな女の子が現れた。

集中治療室まであまり遠くなかったらしい。よかった。声が届いた。


「あ、おにーちゃん」

「サクラっ!」


パジャマ姿で、頭に医療用のキャップをかぶったサクラちゃん。

草原を走って、カズシ君に飛びついた。


「サクラ、大丈夫なのか?」

「うんっ!」


ここは夢。現実のサクラちゃんは……お医者さんが今がんばって延命をしているところだろう。

オレはじっとサクラちゃんを見る。

明日の朝日を見ることなく、きっと……。


「サクラちゃん、はじめまして」


オレはしゃがんで、サクラちゃんと目を合わせて言う。


「ここはね、夢の世界で。そこにサクラちゃんを呼び出したんだ」

「お兄さん、だれ?」

「オレは風船屋だよ」

「ふーせんやさん?」

「そう。大学生でもあるけどね」


まあ、一応大学にも通っている。ふらふらと、テキトウにサークルに入って、テキトウに勉強して。


でも、風船屋でもあるんだよな。報酬はないからボランティアになっちまうけど。


「サクラちゃんに風船をあげようと思っているんだけど。まだちょっと時間があるから。なにかしたいことある? ずっと病院のベッドの上で頑張っていたんだろう? ここでは好きなこと、できるよ」

「サクラ、病気だから、大人しくしていないとダメなんだよ」

「うん、いい子でえらいね。でも、ここは夢だから。夢の世界だからさ。なんでも叶うんだ。例えばドレスを着て、王子様とダンスだってできる」


オレはぱちんと指を鳴らした。

サクラちゃんが着ているのはパジャマじゃなくてドレスに変わった。

カズシ君が王子様チックな白いスーツを着ている。

風景も草原から王城の大広間になった。


「わあ……」

「さあ、お姫様、願いをどうぞ」


サクラちゃんは考えた後。小さい声で言った。


「あのね……。お母さんとおにーちゃんと一緒に手をつないで、海が見たい」

「いいよ。じゃあ、サクラちゃんとカズシ君、お母さんを大きな声で呼んで」


ふたり、顔を見合わせて、せーので「おかーさーん」と大声を出した。


すると、この夢の中に、カズシ君とサクラちゃんのお母さんも現れた。


「サクラ……っ!」

「おかーさんっ!」


サクラちゃんがお母さんに駆け寄った。お母さんはあわててサクラちゃんを抱きしめる。


「走っちゃだめよ……って、え、え、え、サクラ、走れるの……? それになに、そのドレス……」

「ここは夢の中だからっ!」


サクラちゃんの笑顔に、お母さんは目を見開く。


「おにーちゃーん、手、つないでぇ」

「サクラ」


三人で、手をつないで。

波打ち際まで走っていく。


「海だあ……っ! サクラ、ずっと、海が見たかったのっ!」


波打ち際ではしゃいで、転んで。カズシ君に起こしてもらって。

濡れて重たくなったドレスを脱いで。白い下着一枚の姿になって、サクラちゃんは大声で笑う。


ああ、楽しそうだね。

だけど、時間だね。


オレは、サクラちゃんに向かって大声出す。


「なあ、楽しいかー」

「うんっ!」

「そりゃよかった。じゃあ、ピンクとオレンジ、どっちかの風船をあげよう」


オレは右手にピンクの、左手にオレンジの風船を持つ。


「サクラ、ピンクがいい」

「じゃあ、どうぞ」


ピンクの風船を手にしたサクラちゃん。その体がふわっと宙に浮いた。


「わあ……」

「サクラちゃん。もう痛くもないし、つらくもないところにその風船が連れて行ってくれるからね」


ふわふわと、空に向かって、ゆっくりと上昇していく。


「おにーちゃんとお母さんは?」

「もうちょっと後かな。サクラちゃん、先に行って、ふたりを待てる?」

「うん」

「えらいね。その風船、離さないでね。そうしたら、空の上にいるきれいで優しいお姉さんに会えるから、あとはそのお姉さんに聞いてね」

「わかった」


飛んでいくサクラちゃんをカズシ君とお母さんが見上げて。


「サクラっ!」

「サクラっ! 待って、行かないでっ!」


叫び声は、届かない。

サクラちゃんはぐんぐん高く飛んで行って……そうして見えなくなった。


「さ、夢は終わり。現実に帰ろう」




オレはパンって手を叩いた。


目を開けたら、そこはさっきの病院の待合室で。

カズシ君とお母さんはぼんやりとしていた。


ふたりがぼんやりしているうちに、オレは、そっと待合室から出て、廊下を戻り、病院を出た。


これ以上、オレができることはないからね。


そう、オレは単なる風船屋。

死ぬ運命を変えることはできないし、魔法も使えない。


できるのは、夢を渡り、風船を使って魂を天に届けるだけ。


別に風船を使わなくたって、人は死ねば、自動的に天に行く。

受け入れてくれる神様はランダムだから、どこに行けるかは運だけど。


オレの風船は、その受け入れ先の神様を選べるだけ。


ピンクの風船を選んだから、サクラちゃんは優しくて穏やかなお姉さんみたいな神様のところでのんびりと過ごせるだろう。花もたくさん咲いてるしね。おすすめのいいところ。


オレンジだったら、楽しくて気楽な感じのお兄さんみたいな神様のところに行ったんだが。


……嫌な奴には真っ黒い風船をわたして、死にそうな目に合わせることもできるけど。なーんてね。



バスに乗って、マジマ駅まで戻って。

駅前でスポーツドリンクを買って、柏木のアパートに戻る。


玄関扉を開けたら、ぐがー、ぐごーといびきが聞こえてきて。


とりあえず、買ったドリンクをこたつの上に置く。


それから柏木の鞄から勝手にノートを出して、そこにメモ書きする。



もしもいつか、小学生の男の子がお前を訪ねてきたら。

魔法使いじゃなくて、手品だよと伝えてくれ。

風船屋に会いたいと言ったら、運命が許せばいつか会えるよと。



そんなメモを、書いている途中で、ふわあああああ……と、あくびが出た。



さ、キンコンカンコンと玄関のチャイムが鳴る、オレの部屋に帰って寝るか。








終わり



















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