アパートはセルロース
くじら(イトピナヨス)
file1 瓦礫の下の蓮華
人類は罪深い。
ならば、誰よりも楽しく罪を重ね、踊って暮らすのが最高の人生じゃないか?最も、私の行いを罪だと責められるのは、いささか不満なのだが。
なぜそう怒る。お前らは道具に過ぎない。不満なら、その充電コードを引きちぎってみたらどうだ。
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yes no<
delete
cancel<
cancel
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アイザック・アシモフ ロボット工学三原則
要約
人間を傷つけない
人間に逆らわない
自分を守る
歴代の科学者、その多くがSFオタクであったために、フィクションは現実に昇格した。今や全ての家電、ロボット、AI、アンドロイド、工学生物が、ロボット工学三原則をベースにプログラムされている。らしい。
昼の、工学概論第2回。それと2年前の技術基礎。いつだったかの教育番組。この世の常識だ。
工学部AI科1年 フィル=ウィンステン 人間
昨日、ホームレスになりました。
最近の地図アプリは難しい、と大家さんは言って、よりによって手書きの地図をくれた。
サポートAIと頭を捻って試行錯誤し、カラスが鳴くまで歩き詰め、やっとそれらしい目的地に辿り着いた。
キャリーケースを止め、フィルは首を傾げる。
「本当にここなのかな…」
古めかしい、今にも潰れそうな木造建築。そして、裏に無機質なコンクリートの建造物。違法増築のようなちぐはぐな印象に、フィルは辺りを見回した。
駅は近いが、地理が悪いらしい。再開発もされない古い街だった。背後の切り立った斜面のせいか、近隣の民家とも距離を置いている。
大家曰く「今日は新居には誰もいない。勝手に上がり込んで、支度を済ませていい」とのことだが……アパートと呼んでいいのか、微妙なラインの建築物を前に、フィルは及び腰だった。
いったい何年前の建物だろう。手入れされてるようには見えないけど……
空を見る。幻想的なマーブル模様に、もうすぐ夜が来るだろうことが分かる。今から何か行動するのは難しい。
ため息のような深呼吸の後、フィルは意を決した。
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振動を検知
結論
どうでもいい
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ドアは比較的新しいところから見て、古民家を一部治して住んでいたのだろう。おそらく裏のコンクリートも……
「お、じゃましまぁ……す」
黄昏時の不透明度40%が、玄関ホールに差し込む。
永らく誰も踏み入っていないのだろう。埃はむしろ舞わず、床にザラザラと沈んでいるのが、靴越しにも鮮明に感じ取れる。まるで遺跡にでも入ったような気分だった。
「誰か、どなたかいませんかー……」
しんと静まり返った玄関ホールに、フィルの声がか細く響く。
――――――――――――
音声を検知
off
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フィルは、律儀に返事を待っていた。が、虫の声すら無い。だんだんと、一人芝居をしている様な気分になった。
大家さんが言っていたように、本当に誰も居ないんだろうか。
……塞がれた窓から差す光が、少しずつ暗くなっていく。電気のスイッチは――そもそも、通ってる?ブレーカーは?
フィルは、デバイスのライトを灯すと、辺りの壁を照らし出した。スイッチらしいものは見当たらない。ライトを天井に向けると、埃のつららが垂れ下がる中に、人感センサーらしいものが見えた。センサーライトは点いていない。
なるほど、前の住人は想像しているよりもハイカラな人物だったようだ。それに、おそらく凝り性……
ともかく電気は通っていないようだった。入居初日としては絶望的。元より、ここが本当に目的地だったのか、未だ定かでは無い。ただ、周囲に手頃な宿も無く、タクシーを呼ぶ財力も無い。今から大家に連絡するのも気が引ける。今晩はここで屋根を借りる他、手立ては無かった。何より、今日はもう歩きたくなかった。
……ひとまず。そう、ひとまず荷物だけ置いておこう。明日には管理人が覗きに来るそうだから。もし間違えていたら、こっそり出て行けばいい。不法侵入とはいえ、十中八九空き家だ。
あと……ついさっきまで頼りにしていたサポートAIだが、グレーなことに踏み込むと、余計なことしか言わない。一旦ログアウトしておこう。
そうしてフィルは、床板に張り付いた足を、やっと前に進めた。ドアノブに積もった埃に怯えつつ、勇敢に、屋内の探索を始めるのだった。
――――――――――――
――――――――――――
リビング……キッチン……客間……階段……順々に部屋を照らしていく。
家具類はそのまま置いてあるが、戸棚の中は空だった。テーブルやソファは、壁際に窮屈に寄せられ、人が生活している様子は無かった。家電類は、キッチンの棚にトースターが座っていたが、他は錆びた電池が落ちているだけだった。
2階に上がる。
寝室には、扉の開いたクローゼット、ベッドの木枠。それと、小さな机椅子が、リビングと同様に壁際に寄せられていた。
今夜はあまり冷えないようで助かった。フィルは頭の中で、リビングのソファを寝床に決めた。キャリーケースに持ってきた大判ストールを敷けば、カビもいくらかマシになるだろう。
暗い廊下向かいの部屋を開けると、意外にも物がいくらか残っている。金属やプラスチック、ツヤのある木材……埃を被り、箱に収まるそれらは、どれも奇妙な形をしていた。
パキ。
小気味いい音が静寂を割く。驚いて、フィルが足元を照らすと、キラキラしたものが見えた。ガラスが靴の下でノイズを立てる。
細い、飴細工のように湾曲した破片は、よく見ると部屋中に散乱していた。破片の中心には、瓦礫の山がある。
フィルは、そろそろこの肝試しを切り上げたかった。これから一晩泊まろうという廃屋で、曰く付きの何かしらを見つけることにメリットは無い。端的に、肝は十分に冷えていた。
しかし、ここまでの行動を起こすように、フィルは好奇心も中々強い人間だった。直後、これは悪い方向に作用する。
フィルは部屋を出ようと一歩下がったとき、目の端に淡い光をとらえた。
瓦礫の下から、薄ぼんやりと青白いものが漏れている。デバイスの明るいライトが退いたので、初めて認識できたのだ。
この家で見た、初めての光だった。フィルはデバイスのライトを弱め、瓦礫に近づく。
パキン、パキョ、ピキ……
瓦礫の山は、足の折れた椅子や、潰れた棚などで構成されていた。人為的、の文字が浮かんだが、フィルはさして気に留めず、突き出した足に手を掛けた。
――――――――――――
振動を検知
振動を検知
振動を検知
?
音声認識 on
基本動作設定 2
痛覚を検知
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「……いしょ……ここが引っかかる……」
この棚をまず下ろして、それから脚立を引っ張る。瓦礫の山は、絶妙なバランスで成り立っていたらしい。棚がずり落ち、鈍い音がした時は冷や汗が出た。
フィルは、転ばないように気をつけて、ゆっくりと瓦礫を除いていく。なにせガラスの破片が散乱している。尻餅をついたら、穴がいくつ増えるか分からない。……冗談にならないのだ。
「はぁ……もうちょっと……」
大学生になって約一週間。入居したアパートではダブルブッキング。向こうは自分よりも深刻な事情を抱えていると聞き、その事情を聞き、折れてしまったのが運の尽き。とにかく、すぐ入れる物件を大家に見繕ってもらったが、出鱈目な地図片手に町を4時間彷徨う。挙句、廃墟で肝試し、なぜか瓦礫の山を崩している。
とっくに自暴自棄なのかもしれない。フィルはへらと笑った。
「んっ……!」
バネの出たマットレスをひっくり返す。と、光源がようやく顔を出した。室内が一気に明るくなる。
……丸い。丸というか、楕円。いや卵形……どれも少しずつ当てはまらない。フィルは首を傾げる。どこかで見た形だが、出てこない。
その青白く、ぼんやりと光るそれは、表面がとてもなだらかで、異質だった。埃もガラス粉も滑り落ち、瓦礫の中にぽっかりと浮かぶようだ。
これも何かぴったりの表現があった気がするが、思い出せない。汚い環境の中で、それを被らず美しくあるもの……みたいな。
さて。
フィルは一息つく。これはなんだろう?
楕円形(暫定)で、大きさは1mほど……よく見れば、しっほ?ヘラ?がついている。そして青白くぼんやりと光る。
おそらく人工物。たぶん、ロボット?でなければ、オシャレすぎる照明器具か……
『ロペット』シリーズにこんなのはあっただろうか。ひょっとして、『マテリアル・ガールズ』?ボーイズシリーズが出たって話は聞いたことあるけど……需要がわからない。まさか、個人でロボットを作れる筈がないし、既製品のどれかだろう。
素材は何?シリコン?楕円の縁を指でなぞる。
すると、にわかに光が揺らいだ。
「わ……」
フィルは思わずのけぞり――そのまま、後方へゆっくりとバランスを崩す。
「わ、あっ、あっ、あっ!!」
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ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
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……
……痛い。
尻餅も、片手を付くのも避けようとして、結局フィルは背中から思い切り倒れてしまった。破片はどのくらい刺さっただろうか。そっと起きようとして、違和感に気がつく。
踏ん張りが効かない……床を捉えられない。半分浮かんでいるようだ。運良く、瓦礫に倒れ込んだのか――
『 危険 』
無機質な声が響く。今度は一体何?誰?フィルの体が強張る。
「だ……誰……」
……返事は無い。か細く震える声が静寂に響く。
寒気がした。なぜここまで踏み込んだのか。今すぐ逃げなければ。フィルはもう一度もがく。
『 危険 不動 』
心臓がギュウっと嫌な音を立てて跳ねる。またあの、男の声だ。きけん?ふ……?突然のことで、何を言ったのか聞き取れない。まさか、脅している?動くなってこと?
どこかのニュースで見たことがある。廃墟には、妙な人間が住み着くことがあると。素行不良の若者や、テロリスト集団、逃亡中の犯罪者、ホームレス……
そういった人間がどんな行動を起こすか。悪い想像はいくらでもできた。
「わ……わ、わかった、なにもしない……から……」
フィルはとにかく、抵抗しないことを選んだ。力で勝てるとは思えなかったし、できるだけ穏便に済ませたかった。
『 待機 』
たい?たいい?ターキー?……急に話し始めるので、やはりうまく聞き取れない。
すると、フィルの体を支えていたものが、急に動き出した。同時に、室内を照らす光が波打ち始める――フィルは目を疑った。
床に落ちていた楕円形が、ゆっくりと持ち上がる。動きに合わせて、室内が青白く波打つ。
よく見れば、細い螺旋が、楕円の両脇からどこかへ伸びている。腕らしきそれの行先を辿ると、終着点はフィルだった。
楕円と――おそらくロボットと。
目が合う――おそらく。
フィルは思い出した。
蓮華だ。
ヒレのついた楕円形。泥の中から伸びるもの。
青白く咲く、泥中の蓮……
フィルは浮かんでいた。奇妙な両腕に支えられて。倒れた時からずっと支えられていた。
そしてフィルは……この先ずっと、この奇妙なロボットの腕から逃げられなかった。
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生体認証
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暗号化
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ロボットは、奇妙に歪んだ目を細める。
『 オカエリナサイ クロエ博士 』
次の更新予定
2025年1月8日 18:25
アパートはセルロース くじら(イトピナヨス) @kujira-itp74s
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