第18話 猫ではない

「落ち着いたか?」

「だいぶね」


 正華の言葉も声もいつも通りに戻った中、繋いだ手はそのまま。


 そんな中、俺達はいつの間にか姿を消していた主人公たちを探しに屋上へと来ていた。


 2人がいない今、エレベーターも好き勝手に使えて屋上までの道のりが楽でよかったのだが、2人の姿はどこにもいない。


「どこ行ったと思う?」

「わかんない」

「だよな」


 もちろんあいつらの真似をする気はある。

 あるんだが、それ以上に2人きりになりたいという願望が勝っている。


 いっそのこと、もうこのままちゃんとしたデートをしてやろうか、と。


 というか正華はもうすでにその気でいる。

 一応辺りを見渡して探している風を装っているが、これは紛うことなき、次はどこで遊ぶかを探しているだけ。


「バッティングでもしに行くか?」

「え、行く。野球してみたかったんだよね」

「できんのか?」

「私のことなんだと思ってるの?」

「したくもない宝の持ち腐れをしたやつ」

「本当になんだと思ってるの」


 言葉こそ目を細めているが、この表情にその姿はない。


『真似』すらも、正華の中では『演技』と捉えるようになったのだろう。

 俺からしてもありがたいし、こっちの方が正華らしくて良い。


「その顔、本当に素の私が良いみたいだね」

「ん?顔に出てたか?」

「ちょっとだけ。多分私だから分かった」

「よく見てんな」

「そりゃね。将来的には好きになる人なんだし」

「それもそっか」


 将来の好きな人をこんな風に決めて良いものなのだろうか。


 今までの経験でこんな話は聞いたこともないし、創造の宝庫であるライトノベルでも見たことがない。


 そもそも、俺達みたいなキャラを書きやすいと思う作家はいるのだろうか。


 少しの階段を登り、打ち放題の看板の前までやってきた俺は、扉の上に書かれた白い数字たちを指差す。


「何キロが良い?80キロがオススメだけど」

「その2倍の160キロはないの?」

「運動もしていない一般人がどうやってどこの翔平の球を打つんだよ。そもそもないし」

「真っすぐの球だけなら打てそうじゃない?」

「毎回そこに投げる機械ならな?けど人は同じ場所に投げねーよ」

「つまりは打つのが難しいってこと?」

「そういうこと」


 チャレンジ精神は褒めるに値する。

 だが、無謀な挑戦というものもこの世には存在する。


 その経験がなにかに役立つとかなら良いと思うぞ?

 でも正華が経験したところでなんにも役に立たないし、才能が開花して打てたとしても、あの親は絶対になにもしない。


「とりあえずは80でいいか?」

「いいよ。160考えた後なら打てそうだから」

「そういうのをフラグっていうんだよ」

「大丈夫。へし折るから」

「そっすか。頑張ってください」


 温もりを帯びた手が離れ、扉を潜っていく。


 数日前までは名残惜しさの欠片もなかったはずなのに、今では心に穴が空いた感覚に襲われてしまう。


「……そっち戻っていい?」


 どうやらそう思ったのは俺だけじゃないらしい。


 バットに手を添えるや否や、ポツリと正華が紡ぐ。


「多分ここで戻ってきたら一生そのままになるぞ」

「それでも良いんじゃない?」

「アホか。いつかは離れる時があるんだから、その時の練習だ」

「夏階くんは繋ぎたくないの?」

「死ぬほど繋ぎたい」

「……それでもダメなの?」

「絶対にダメだ」


 正華にあるはずのタガが完全に緩んでいる。


 ならば俺がするのは、そんな正華を制御する役割。


 俺の親を見れば分かるが、両方とものタガが外れた時、快楽だけを求めて避妊具を外す。


 そうして俺が生まれ、地獄を見てきた。

 そんなやつらの二の舞いには絶対になりたくない。


 俺だけでも歯止めを聞かせて、どこかで一線を引いて、正華とともに過ごす。

 俺が俺のやり方でもあり、俺のあり方。


「……分かった。じゃあちゃんと見ててね」

「あいよ」


 少ない筋肉で一番軽いバットを手に取った正華は、マリンキャップを脱いで赤いヘルメットを被る。


 出っ張った胸が、どうしてもスポーツ少女との容姿を離れさせるのだが、その姿が似合っていないわけじゃない。


 なんならこの空間にいる誰よりも可愛いだろう。


「見惚れないでね?」

「安心しろ。まだ見惚れてなから」

「安心していいの?それ」

「『私に惚れないでね?』って言ってたからな」

「……前言撤回。私に惚れても良いんだよ?」

「安心しろ。ちゃんと惚れるから」

「それなら安心」


 損な言葉とともに、ポチッとボタンを押す。


 そうすれば、ピッチャーの下にあるランプが光り、数秒すればグローブを構えた。


 機械で投げるボールも一種類だと言うのに、人間様に心理戦を挑む滑稽な姿は、見る人ぞ見れば笑いものだろう。


 けれどそれは、知識がある人物だけが分かるものであり、何ひとつとして分からない正華は、マウンドに立って真剣に構えた。


 そうしてピッチャーの手元にある穴からボールが放たれた。


 野球選手から見ればゆっくりなのであろうその球速は、なんの障害物にも当たることなく、あっという間にゴムシートへとぶつかった。


「え?」


 正華の腑抜けた声がボールと一緒に地面に落ちる。


「次も来るから頑張れよー」

「え?」


 こちらを振り返ることもしない正華は、もう一度声を落としながらもバットを構える。


 構えると言っても、正華がするのは腰を低くするどころか、ただバットを持ち上げただけ。


 ――パシュン


 ゴムシートにボールがぶつかる。


 ――パシュン


 フルスイングしたバットにボールは当たらない。


 ――パシュン


 跳ね返らないボールは扉の前を転がる。


「……え?」


 正華の呆気ない言葉が再度地面に落ち、ランプから光が失われた。


「終わりだってよ」

「……待って?一球も打ててないんだけど?」

「下手だったからな」

「一応私の脳内はどこかの翔平だったんだけど?」

「考えるだけなら簡単だぞ」

「それはそうだけど……え?呆気ないんだけど?」

「野球はそんなもんだろ。とりあえず出てこい」


 牢獄のように針金の窓越しに手招きをしてやれば、小さく頷く正華は、それぞれの道具を返して扉を潜る。


 幸いにも待っている人はいないんだが、作戦会議をするには出てきてもらったほうが手早い。


 だから俺は特に周りを見ることもなく、帽子も被っていない正華を呼び出してしまった。


 ――カキーンッ!


 隣のホームからは気持ちの良いほどの金属音が鳴り響いた。


 なんとなしにそちらに目をやった俺は、思わず息を詰まらせてしまう。


「――あれ打てるの!?すっご!」


 あいつらは多分忍者かなにかの類なのだろう。


 今の今まで気付かなかった自分を責めるよりも、物音1つなくして入ったこいつらに文句を言いたい。


「どうしたの?夏階く――」

「ん?夏階くん?」


 途端に正華の口を塞いだ俺だが、バッティングに集中していないヒロインは聞こえたようで、キョロキョロと辺りを見渡していた。


 慌てて帽子を被らせるが、正華の背丈を小さい頃から見ているあのヒロインはすぐに気づいてしまうだろう。


 だから俺は、抱きつきながら体全体で正華を隠し、ドアノブを引っ張って一緒にホームへと入った。


「(な、なに……?)」


 分かっていない身ながらも、大変なことがあったことは察したらしい。


 胸の中で小声で言ってくる正華に、顔を下ろした俺も小声で紡ぐ。


「(隣に水城達がいる)」

「(……なんで?)」

「(知らねーよ俺が聞きたい)」

「(……というかなんで夏階くんは気付かれなかったの)」

「(それも知らん)」


 俺も正華と同じように帽子を被ってはいるものの、ちゃんと見れば気づくはずだ。

 それこそ親友をしている水城なら尚更。


 でもなぜか、1つも気づく様子もなく、ボールを打っている。


「(まぁでも、気付かれてないだけ万々歳だ。このまま息潜めるぞ)」


 先ほど正華が名前を読んだときはヒヤッとしたものの、水城が特大ホームランを打ったことによって、五月女さんの視線は奪われた。


 中学校時代は野球をしていたというのもあって、さすがは水城だ。

 話によればあまりの上手さに、色んな高校から引く手数多だったらしいんだが、結局はスポーツの強くない高校に来て、野球はきっぱりやめてしまった。


 中学の時になにがあったのかは知らんが、その設定すらも主人公らしい――


「スー……ハー……」


 途端に聞こえてくるのは、俺の背中に手を回した正華の呼吸。


 服に染み付いた匂いを全て肺に溜め込むような勢いで吸い、元からあった匂いのついていない空気を、これ見よがしに吐き出す。


「……なにしてんだ?」

「夏階くん吸い」

「だから俺は猫じゃないって」


 いつぞやに聞いた言葉を、籠もった声で吐き出す正華。


 そんな正華の頭を撫でながらツッコミを返してやれば、またもや息を吸い始める。


「そんなに良いもんか?」

「そんなに良いもん。前も言ったと思うけど、夏階くんの匂い落ち着くから」

「なぜに」

「知らない。けど落ち着く」

「……猫吸いみたいなもんか?」

「だと思うから夏階くん吸いって表現してる」

「なるほど……」


 なに意味の分からんことを小声で話しているんだと言いたくなるような状況なのだが、正華にやめる気はないようで、未だに息を吸い続ける。


「そんなに良いものなのか?」

「うん」


 小さく頷く正華は、ゆっくりと息を吐き出す。


 そんなタイミングで、俺も正華の肩に顔を埋めた。


「スー……」


 実際に猫を吸ったことはないが、勢いよく吸うのがコツなのだろう。


 鼻と口の両方から息を吸い、肺いっぱいに正華の匂いを溜め込んだ。


「良いでしょ」

「……うん」


 なぜだろう。

 こうして抱きつくだけでも埋まっていた心の傷が、更に埋め尽くされるような感覚に陥ってしまう。


 つまりは良いことなのだが、良すぎて逆に怖い。

 この匂いに、更に依存してしまうのではないかと。なにかの薬と同じ作用を起こすのではないのだろうかと。


 それほどまでに、心地が良い。

 正華の全身が柔らかく、匂いまでもが柔らかい。


 そんな幸せを目の当たりにした俺は……いや、俺達は、言葉を交わすこともなく体中にある呼吸を循環させた。


「全球ホームラン!?すっご!」

「だろ〜。中学の頃野球やっててさ」

「それでもすごいよ!やっぱり勉強以外ならなんでもできるんだね〜」

「……耳が痛い……」

「今度のテストはちゃんと赤点回避しようね?」

「……はい」


 隣からは扉の閉まる音が聞こえる。


「ほーら、手繋いであげるから元気だしな?」

「……俺の元気なくしたの結衣なんだけどな?」

「知らな〜い」

「まぁいいんだけどさ……」


 そして、水城の分かりやすく元気のなくなった声が離れていく。


 あの感じから察するに、あいつらは手を繋いだのだろう。


 ならば、真似をするということで結託した俺達も、手を繋がなければならない。


「正華」

「ん?」

「手、繋ぐか?」

「ん」


 まるで流れ作業のように、俺達の体を巻いていた手を離し、そしてどちらからともなく指を絡ませた。


 本音を言えば、今すぐにでもこの続きをしたい。

 無意識か意図的にか、正華の腰も股関節に擦り付けている。


 今、数日前まではなかったはずのよくが、まるで爆発してきたように俺の全身を襲っているのだ。


 流石に状況も状況とだけはあって、ズボンが盛り上がることはない。

 場所をわきまえているだけ褒めたい俺の下半身なのだが、正華の腰を受け入れてしまっている自分の脳みそをぶん殴りたい。


 けれど、それはギューッと離さないと言わんばかりに繋がれる正華の手によって阻止される。


 心底思うけど、こいつは相当な欲求不満なんだろう。


 こんな場所でも腰を振り、こんな場所でも思うがままに好きな行動をする。


 まるで理性を失った動物みたいなものなんだが、これまでの我慢が発散されているのだろう。


 親に対して言えなかった言葉。

 誰にもできなかった甘え。

 言う事の出来なかった本音。


 その色々が爆発した結果、こうして俺に縋っているというわけ。


 別にこれが迷惑だとは思わないし、苦にもならない。

 ただ、家まで我慢してほしいものだ。


「正華?そろそろ行くぞ?」

「まだこのままが良い」

「誰か別の人が来た時にバレるぞ?」

「バレても良い。なんなら青姦をしても――」

「アホ。さっさと行くぞ」

「…………はい」


 手を繋いだ手とは逆の手で正華の頬を潰しながら言ってやれば、細めた瞳が返ってくる。


「というかどこでそんなの覚えてきたんだよ」


 正華から体を離しながら聞けば、不服そうに唇を尖らせた正華は、ポケットを指差しながら紡ぐ。


「エッチな動画」

「……なんで見てんだよ」

「実際にやったら気持ちいのかなって勉強してた」

「アホみたいな勉強するならテスト勉しろよ」

「アホみたいなじゃないし。ちゃんと気持ちよかったから勉強した甲斐あったし」

「……そっすか。そりゃよかったっすね……」


 この言葉からでも色んな想像ができるんだが、今はそんなものをしている暇じゃない。


 スタッフさんがいないことを確認した俺は、扉を引いてそそくさと正華とともに外に出る。


 そうして周りを見てみれば、サッカーコートでボールを蹴り合う主人公とヒロインが視界に入った。


 先ほどの俺達のように、シュートを決め合うこともなければシュートフォームを見直す姿もない。

 本当にただ、パスをするだけなのに、なんともまぁ楽しそうな顔だ。


「パス回しってあんなに楽しいの?」

「いや?そんなことないはずだけど……好きな人とするのが格別なんじゃね?」

「じゃあ私達はまだだね」

「だな。好きになった時にまたしてみるか」

「賛成」


 傍から見れば、手を繋ぐ俺達の関係はカップルそのもの。


 けれど、この世にはパパ活があるように、その2人が付き合っていない可能性だってある。


 それが俺達なのだが、俺達の関係は一体何なのだろうか。


 ふと気になったのだが、クイクイっと手を引っ張られたことによって思考をシャットダウンした。


「バスケしない?」

「いいけど、ゴールにボール届くのか?」

「バカにしてる?私のこと誰だと思ってるの」

「したくもない宝の持ち腐れをしたやつ」

「……だからそれなに」


 そんな正華の言葉を耳に入れながら、あの2人の真似をするわけでもなく、俺達は好きなようにシュートを打った。

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