8.ノマス領からの使者
温室での朝食から数日。ステファンとは順調に交流を重ねていた。
新型の温室の件は、すぐにステファンが概要をまとめてくれたため、宰相とも話し合った。新型温室の運用がうまくいけば、王宮だけではなく民にも技術を還元できる。そういった意見も含めて話し合った結果、予算を割き、オルテンシア国から技師を呼ぶことになった。
ステファンに口添えをお願いし、親書を準備しているところだ。
打診はステファンがオルテンシア国の王太子殿下と魔術でやり取りできるというので、任せることになる。手紙を送る魔術はお互いに面識が必要で、その際に相手と魔術的な認証をしておく必要がある。人は送れないが、条件さえ満たしていれば便利な魔術だ。
私は執務室の窓の外に目を向けた。
空は青く晴れ渡り、差し込む日差しも暖かい。
ステファンが来てから、なんだか毎日が充実している。それまでの決まりきった手順で進められる毎日が、刺激的に変わった。このような日々はきっと今だけだと思うが、それも悪くないと思う自分がいる。机の上の小箱を手に取り、小鳥がさえずる様子を眺める。
「陛下、こちらのご確認を」
ボードリエ侯爵の声がかかり視線を戻すと、侯爵が書類を差し出していた。それは、王室へ献上される今年の林檎酒の受け入れ申請だった。
「もうそんな時期。今年最初の到着は、ノマス領なのね」
林檎酒はこの国の各地で作られ、秋に収穫した林檎を冬の間に仕込んだものが春先に出来上がる。毎年春になると王家主催で出来を競う品評会を開いている。最優秀賞を取ると普段は王室に献上を許されていない領のものであっても、その一年は王宮でその領地の林檎酒を扱うことから、非常に名誉なこととされ、国中がこの品評会に注目している。
「今年の出来はどうなのでしょう」
「話を聞く限り、どの領も良いものが仕上がっているようですね」
「楽しみです」
私は微笑むと、再び執務に集中した。品評会は来月の開催となる。今年の分の林檎酒が届くならば、念のために受け入れ態勢の確認もしておきたい。王宮側の受け入れの手配は終わっているが、手違いがあってはいけない。林檎酒の品評会関連の書類を数枚仕上げ、次のものに手を付けた時だった。
控えめなノックの音が響き、取次の侍従が出ていく。
「陛下。ノマス領の代官より、急使が来ております」
緊急事態だろう。使者に会うため謁見室に通すよう指示すると、ボードリエ侯爵が立ち上がる。
「陛下、私も参ります」
「わかりました」
侯爵と共に謁見室へと向かった。
今回用意させた謁見室は、先日ステファン王子を迎えた部屋とは違う部屋である。
あの部屋は一番格式が高く、他国の王族などを迎えるのに使う。
使者を迎えるのは、国内の貴族と会うのに使う部屋だった。
部屋を飾る装飾は、この国の森を象徴しており、柱や壁には樹木を模した装飾が黄金や銀を使いながら刻まれている。
私たちが入室すると、既に急使はその場で騎士の礼を取った。
「顔を上げよ」
私が頷くと、ボードリエ侯爵が騎士に指示をする。
服は着替えさせてあるようだが、使者の顔色は悪く、今にも倒れそうだ。
「ノマスより参ったと聞きました。直答を許す。まずは名を聞きましょう」
「我が国の至宝、シルヴィア陛下及び宰相閣下に拝謁できますこと、恐悦至極でございます。ノマス領の代官の使者として参りました、オーブリー・マルロと申します。騎士爵を頂いております」
「では、マルロ騎士、何が起きているのか説明しなさい」
「はっ」
マルロは短く返事をすると、話し出した。
「私はアンテンス川にかかるカメル橋の関所に勤めています。三日前のことです。アンテンス川上流にて雪崩が起き、その雪が川に流れ込んだことによる突然の増水でカメル橋が流されました」
「雪崩による増水とはどういうことだ?」
ボードリエ侯爵が問う。
「突然、上流から大量の雪と氷と共に水が流れてきたのです。地元の住民によると、上流で雪崩が起き、それが川に流れ込んだのだろうとのことでした。無事な者に確認にいかせましたが、馬で片道半日ほど行った場所に雪崩が起きた形跡が見つかっています」
アンテンス川はノマス領とボルトラス領との領地の境だった。ノマス領から王都に向かうにはボルトラス領を通過する必要がある。カメル橋はその領と領をつなぐ木造の橋だが、その端が水に流されたとは。
「被害の程度はどうなっているのでしょう。橋が落ちたのです。民に被害は出ていないのですか?」
私が尋ねると、マルロは歯切れよく答える。
「軽症の者はおりますが、死亡したものはおりません。水が来る前に、轟音が聞こえてきたのです。それで急遽、関所の責任者が橋の通行を止め、橋を渡っている者を避難させました。軽傷者は避難の際に怪我をした者のみです」
「民に重大な被害がないのは、不幸中の幸いでした」
私がいうと、ボードリエ侯爵も頷く。
「しかし橋が落ちたのなら、マルロ騎士はどうやってこちらへ?」
「私は避難の際にボルトラス領側に逃れたのです。そのため、こうして使者としての役をたまわりました。川の対岸とは、魔術で声の大きさを補助することでなんとかやり取りができるのです」
「なるほど。それで、橋の修復はできそうですか」
私が問うと、マルロはうなだれた。
「カメル橋は橋の土台が根元から流されており、修復にはかなりの時間がかかるかと思われます」
マルロは一度目を伏せて、意を決したように言う。
「恐れながら申し上げます。今回の橋の崩落で、ノマス領の林檎酒を王都へ運ぶことができなくなりました。カメル橋がなければ、ノマス領から王都に出るには山を越える細い道しかありません。その道を進むにしても今からでは今年の品評会に間に合いません。どうか、陛下のご威光をお借りできないでしょうか」
私はしばし考えた後、発言する。
「マルロ騎士、その願いはノマス領の総意と思ってよいですね?」
「はい。今年のノマスの林檎酒は、例年になく良い出来なのです。きっと品評会でも優勝できるはずだと。ですが、このままでは品評会に出すこともできません。陛下、どうか我らをお助けください」
マルロはひれ伏さんばかりに懇願した。ノマス領の林檎酒は総じて質が高い。それが例年になく良い出来というならば、事故で出品すら出来ないなど、ノマス領の落胆は大きいだろう。私を頼ってきてくれているのだ。出来るなら手を貸したい。
「わかりました。私にできる限りを取り計らいましょう」
「ありがとうございます」
顔を上げたマルロに、私は今後の手配を考えながら指示を出す。
「橋についてはこちらで対策を考えます。マルロ騎士にはまた話を聞くかもしれませんので、王宮で待機を命じます」
控えていた侍従に目をやり、案内を任せる。
「詳しくはその者に案内させるのでついて行くように。呼ぶまで休んでおきなさい」
マルロが退室した後、ボードリエ侯爵言う。
「陛下がどのように対処なさるおつもりか、伺ってもよろしいでしょうか」
「まずはボルトラス伯爵に急使を送り、王都側に避難した人間への支援を行うよう指示します」
ボードリエ侯爵は、私に合格を与えるように頷く。だが続く言葉に、顔色を変えた。
「こちらで出来ることが済み次第、私もアンテンス川に向かいます」
「陛下」
ボードリエ侯爵の咎めるような声音に、私は首を横に振る。
「この国で私より魔術を使える者はいないのです。ならば、私が彼らを助けず、誰が助けることができるというのですか」
「品評会など、来年もあります」
「民が私を信じて助けを求めているのです。その信頼に応えてこその、王位です」
「それは、ノマス領が王領であるからですか」
「いいえ。どの領地でも、私の対応は変わらないでしょう」
ボードリエ侯爵は長い沈黙の後、折れてくれたようだ。
「……わかりました。では、護衛と支度を進めさせましょう」
不服そうではあるものの、口にしたのは私が望む答えだった。
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