4.晩餐会

 執務室に戻ると、早速、侍従に運ばせたシンギングバードを執務机の上に飾った。私室に持って帰るか迷ったが、あの小鳥の美しいさえずりは、公務の途中で聞いても癒やされるだろうと思ったのだ。

 そうしていると宰相のボードリエ侯爵から面会の要請が入った。許可を出すと侯爵が入室する。執務室にある応接セットに案内し、侯爵にもそちらに座るよう促す。


「ステファン殿下とお会いになったと聞きました」

「耳が早いのね」

「陛下の第一印象をお伺いしておこうかと」

「まだごく一般的な初対面の挨拶しかしていないので、あくまで第一印象でしかありませんが」


 私は先ほどの会話を思い出しながら、当たり障りのない内容を伝える。


「父の葬儀に出られなかった謝罪を頂きましたし、ごく一般的な常識を備えられた方のようにお見受けしました」


 むしろ、非常識な対応をしたのは私の方だ。あまり歓迎していないという言動を取ったにもかかわらず、ステファンは怒ることもなく、ひたすら低姿勢を崩さなかった。ステファン側に、そうまでしてこの婚約を維持する意味があるとは思えないのだが。


「これは私の主観ですが、穏やかな、理性的な方、という印象を持ちました」

「そうですか」


 侯爵は、質問を変えた。


「王子殿下は、王領の一部を与えるに足る人物でしたか?」

「それは、まだわかりません」


 お父様が結んだ婚姻の条件に、王領から王子に対して領地を貸し与えるという条件も付加されている。その領地――ノマス領はお父様の時代に直系の後継ぎが亡くなり、傍系にも領地を維持するだけの魔力のある者がいないとして、王に返還された土地だ。取り立てて産業があるわけでもなく、特に重要な場所でもなかった。


(ボードリエ侯爵は何を気にしているのかしら)


 ステファンを気にする侯爵に、首を傾げる。


「そうでした。今日の晩餐には殿下も招待することになりました」

「でしたら、私も出席してもよろしいでしょうか」

「ボードリエ侯爵もですか?」

「どのような方か実際にお会いしてみる方が早いでしょう。それに宰相として、陛下の婚姻なさるお相手に顔を覚えて頂かねばなりませんからね」

「ステファン殿下に、確認をとっておきましょう」


 断る理由もなく、その後は今後の公務に関する話を少し進めた。



 夕刻。ボードリエ侯爵とは別れ、晩餐のためにドレスを替え晩餐に向かった。

 ドレスはミントグリーンのシフォンで胸元から腰回りに掛けて宝石が縫い付けてある。城の中は魔術で一定の温度に保たれているとはいえ、春先の夜は冷える。軽く滑らかな、暖かい毛織物のショールも羽織ることにした。

 晩餐の部屋に向かうと、既にボードリエ侯爵は待っており、その後、すぐにステファンもやってきた。

 ステファンも晩餐のため着替えている。深い青のジャケットは袖口に金糸で刺繍が施され、レースで飾られたシャツはとても洗練されていた。

 彼の身分を知らない人が見ても、どこかの国の王子といった感想を抱くだろう。


「お招き、感謝致します。麗しき陛下と晩餐をご一緒でき光栄です」


 ステファンは私の手を取り挨拶を交わした後、隣に立つボードリエ侯爵に目を向けた。


「殿下にご紹介いたします。この国の宰相のオレール・ボードリエ侯爵です」

「ステファン殿下、お初にお目にかかります。本日は同席を許可くださり、感謝いたします」

「名高き宰相閣下にお会いでき光栄です」

「私のことをご存じでしたか」

「はい。グレイシス国の冴えたる頭脳としてご高名はかねがね伺っています」

「恐縮でございます」


 挨拶が終わると、グレイシス国特産である最上級の氷蜜林檎で出来た炭酸酒が配られる。


「それでは、ステファン殿下とオルテンシア国のますますの繁栄を願って」


 私がグラスを掲げると、ステファンとボードリエ侯爵もそれにならう。


「陛下の益々のご活躍とグレイシス国の繁栄に」

「お二方のご婚約をお祝いして」


 冷えたグラスに口をつけると、透き通るような林檎の甘さが口の中に広がる。


「これは――」


 一口飲んだステファンがその味に驚いている。

 氷蜜林檎は雪に強いこの地方独自の林檎の種類だ。


「気にいって頂けました?」

「はい。とても。正直、こんなに美味しい林檎酒シードルは、今まで飲んだことがありません」

「どうぞたくさん召し上がってください。もちろん、他のお酒も取り揃えておりますから、お好きなものがあればおっしゃってください」

「折角ですので今日はこちらを頂きます」


 ステファンがグラスを空けると、次のグラスが運ばれてきた。

 そうしている間に、目の前に前菜が置かれる。


「ステファン殿下は、道中、ご不便はありませんでしたか」


 ボードリエ侯爵が尋ねる。


「何もかもがもの珍しく、楽しんで参りました」

「それは何より」


 ボードリエ侯爵が頷くと、私も尋ねる。


「何が一番印象に残ったのか、お伺いしたいわ」


 ステファンはほほ笑むと続ける。


「そうですね。こちらに来る前に、ウーリア湖も見て来たのですが、陸にある海とはいい得て妙ですね。自然の神秘を感じました」

「まぁ、ウーリア湖に参られたのですか」

「折角の機会でしたからね。あちらの薔薇塩をいくつかわけて頂きましたので、陛下に献上致します」

「嬉しいわ」


 ウーリア湖は、山を挟んで接する隣国のバーベルム公国の所領だ。

 公国の国土は痩せているが、ウーリア湖からは岩塩が取れ、その色合いから薔薇塩として流通している。

 バーベルム公国が今の国王となり、周辺国との関係は安定している。

 ただ、国王が代替わりするまでは痩せた土地柄から周辺国との戦争が絶えなかった。

 グレイシス国もかつては戦争を仕掛けられたこともあるが、そのすべてを国境で防いできた。


「後はやはり、グレイシス国の国境のフィルト渓谷ですね。遥か昔、セメトリー戦争の最終局面があった場所に立っていると思うと心躍りました」


 セメトリー戦役はグレイシス国が独立直後に起こった戦争だ。国境のフィルト渓谷で食い止め、この国は独立を守った。


「殿下は、歴史に造詣が深いようですな」

「深いというほどではありません。色々なことに広く興味があるだけです」


 ステファンが答えると、ボードリエ侯爵が微笑みながらもさらに踏み込んだことを言う。


「ご謙遜を。ステファン殿下の兄君でもあらせらる、カルロス殿下の施策は、まだ王位に就かれていないというのにこの国にまで轟いております。また、妹君も魔導の道で既に大成なされているとか。ステファン殿下もさぞ秀でていらっしゃるのでしょう」

「私に期待して頂いているのですね。光栄なことです。兄と妹のことは、私も誇りに思っています」


 ボードリエ侯爵の意地悪な言葉を受け流し、ステファンは表情を変えることもない。


「仲がよろしいのですね」

「ええ。とても。それに、秀でた兄と妹のおかげで、私はシルヴィア陛下のお側に参れましたから、本当に感謝しています」


 そうして、柔らかい瞳でステファンは私を見つめる。目があったが、微笑むに留めた。


「ほほう」


 ボードリエ侯爵は友好的な態度を装っているが、よく見ると侯爵の瞳は笑っていない。


「ステファン殿下は、陛下のことをどこでお知りに?」


 私も興味がある話題だった。ステファンがどういった経緯で私と婚約を結ぼうと思ったのか、肝心な部分を知らなかった。


「幼い頃には既にお名前を存じておりましたよ。陛下の魔術の腕前は、国交のほぼなかったオルテンシアにも聞こえていましたから」


 ステファンは、私達の思惑を察しているだろうに、答えは至極普通の内容だった。


「どういった話でしょう」


 私は尋ねた。


「なんでも魔術に目覚められてすぐに、大滝を凍り付かせたとか」

「その話でしたか」


 ボードリエ侯爵は納得したように頷く。


「あの話はオルテンシア国まで伝わっていたのですね」


 ステファンが頷く。


「おいくつだったのですか?」

「五歳の頃です」

「それは、すごい」


 驚くステファンに、ボードリエ侯爵が満足げに頷いた。

 私としてはこの話は終わらせたかったが、ステファンがさらに尋ねる。


「どういった経緯で、そのようなことになったのですか?」

「母にもらった帽子が風で飛ばされたのです。それが、滝の方に飛んでいてしまって。水に入るのは危ないと注意されていたから、どうしても取り戻したいと願って、気がついたら滝が凍っていました」


 母が亡くなった次の年の出来事だった。

 その帽子は、私によく似合うと母が褒めてくれたものだから、どうしても失くしたくなかったのだ。

 そしてその話を父が広めた。

 グレイシス国は二代目の王が女王だったこともあり、女性が王位を継ぐのは問題ない国柄だ。

 その頃から、私が抜きんでた魔術の素養をもっていることを広め、私が王位に就く布石を打っていた。


「帽子は戻ってきたのですか?」

「ええ。もちろん」

「それはよかったです」


 その後も当たり障りのない会話を交わし、晩餐は無事に終わった。

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