5.お茶会

 翌日。

 午前中の執務を進めていると、ステファンから午後のお茶を共にしたいとのお誘いが届いた。

 どうするか考えたものの、結局は控えている侍従に指示を出し、手紙を持ってきたステファン付きの侍従にも指示を出す。


「青鹿の間の準備を。ステファン殿下へは、お誘いの時間にご案内差し上げて」


 指示を出し終わり、侍従が部屋を出ると、同席していたボードリエ侯爵が言う。


「あの王子をお気に召しましたか」

「婚約者ですもの。お茶に誘われたら会うのではなくて?」

「まだ、調査は終わっておりませんが」

「直接相手のことを知るのもよいことでしょう」


 最初は勝手に婚約を結んだお父様の意図を図りかねたものの、実際に会って話してみると、ステファンは悪い人間ではなさそうだった。むしろボードリエ侯爵の息がかかった者を紹介されるよりも良いのではないかと思い始めている。


「ボードリエ侯爵は、昨日の晩餐で、ステファン殿下のことをどう思ったの?」

「……少なくとも無能ではない。それだけです」


(つまりは、文句をつける所はなかったということかしら)


 私は思わず微笑み、そして不機嫌な気配を増したボードリエ侯爵を横目に書類を手に取った。


 約束の時間が近くなり、執務室を出ようと考えていたときだった。


「陛下、ステファン殿下がいらしております」


 取り次ぎを受けた侍従の言葉に首をかしげる。


「わかりました。では、区切りもいいですし私も出ましょうか」


 控え室に向かうと、聞いていたとおりステファンが待っていた。

 私が姿を見せると嬉しそうに微笑む。


「本日も麗しい陛下に拝謁でき、光栄です」

「ステファン殿下もご機嫌麗しく」


 流れるように手を取られ挨拶を受けるものの、気になったことを尋ねた。


「青鹿の間にご案内差し上げたつもりだったのですが」

「お許しください。少しでも早く陛下にお会いしたかったのです」


 私の手を離し、ステファンは申し訳なさそうな表情を作っている。


「お気持ちは嬉しいですが、執務室の中にはお招きできませんよ」


 執務室には他国の王族に見せられない書類もある。

 婚約を解消する可能性はまだ残っているため、中には入れられない。


「ええ。それは承知の上です。陛下が出ていらっしゃるまで、こちらでお待ちするつもりでした」


 明るく言い切られ、困惑する。

 そこまでの熱意を向けられるような仲ではないはずだ。


「ここでお待ち頂いても何もおもてなしができませんわ。今日は、折角ですので城内を案内しながら向かいましょうか」


 いくつかの主要な部屋を案内した後、青鹿の間に向かった。


 青鹿の間は、庭がよく見えるよう大きなガラス窓が使われている。

 南に面した大きな窓は春の日差しをよく取り入れ、暖かく、そして明るい。

 窓の向こうには、よく晴れた青空と、植木で大きな長方形四つに区切られた庭園が見える。

 庭園は植物を使って異なる幾何学模様を描くよう作られており、遠目にも美しく見えるよう計算されていた。

 席は、その庭がよく見えるように窓際に作られていた。

 二人ともが席に着いた後、ステファンが言う。


「美しい庭ですね」

「散策はご自由になさってください。警備のものに伝えておきましょう」

「今回のように、シルヴィアが案内をしてくれないのですか?」


 ステファンは、楽しげに微笑んでいる。

 一瞬断ろうかと思ったが、ステファンの笑顔に婚約者として交流を深めた方が良い気がして思い直す。


「では、近いうちに調整しましょう」

「嬉しいです」


 ステファンは続ける。


「ところで、シルヴィは甘い物はお好きですか?」

「人並みには好きだと思います」

「よかった。実は、このお茶会で、私が持ってきたお菓子を出して貰うようお願いしたのです」

「お菓子ですか」

「はい。今回は日持ちするものしかお持ちできませんでしたが、甘い物がお好きでしたら、きっとお気に召すかと」


 侍女が淹れ立てのお茶とティスタンドをセッティングしていくのを見ながらステファンが言った。

 中央に置かれたティスタンドは見慣れたお菓子が並んでいる。

 それとは別に、小皿に親指の先位の大きさの焦げ茶色の粒が盛られた皿も運ばれてきた。

 上にナッツが乗ったものと、果物の砂糖付けが飾られたもの、何も乗っていないものの三粒乗っている。


「こちらは?」

「まずは、私を信じて一つ召し上がってみてもらえませんか」


 私は何も乗っていない粒を口に運ぶ。


「…………!」


 口に広がるのは濃厚な甘さ。

 体温で溶けていく甘さを追っているうちに、気がつくと消えてしまっていた。


「……おいしい」

「お口にあって嬉しいです」

「これは?」


 私の問いに、ステファンは笑みを深くした。


「それは、チョコレートを固めたものです」

「チョコレートですか」


 グレイシス国ではチョコレートといえば、飲み物だった。

 健康に良いとされているが、たくさんのスパイスを溶かした、苦く刺激的な味わいは私はあまり好きではなかった。

 だが、先程口にした物からは苦さやスパイスの風味などまるで感じない。

 確かに共通する部分はあると思うが、全くの別物のように感じる。


「どうやって、このような……?」

「最近開発された技術を使って材料に加工をしています。それで、このように甘くできるようになりました」

「なるほど。オルテンシア国の技術で、ですか」


 ならば、グレイシス国では再現は難しいだろうか。

 考えを察したのだろう。ステファンがいう。


「製菓用の固形のチョコレートを販売していますのでそちらを輸入して頂ければ、グレイシス国でも同じように調理できますよ」


 私はステファンの言葉に衝撃を受けた。


「このチョコレートを、ここでも作れるというのですか?」


 驚きのあまり繰り返す私に、ステファンは頷く。


「もちろんです。それに、これ以外にも、アレンジはたくさんできます」


 このチョコレートならば、排他的なグレイシス国でさえ流行るだろうと容易に想像がつく。

 何より、私がこの菓子を気に入った。少々高くなろうと、宰相に調整し、輸入したいと思うくらいには。


「今回お持ちしたこのチョコレートの他に、あまり日持ちをしないお菓子のレシピも持ってきています。それらと製菓用のチョコレートをお渡ししますので、どうぞご検討ください」

「門外不出のものではないのですか?」


 それほどまでにこの固形のチョコレートは衝撃的だ。


「このレシピがあれば、製菓用のチョコレートを購入して頂けるよう、動きやすいと思いまして。私もグレイシス国とオルテンシアの交流が広がるのは嬉しく思っていますので協力致します」

「よろしいのですか?」


 驚く私に、ステファンは曇りのない笑顔で微笑んだ。


「ええ。陛下のためでしたら、お安いご用です」

「感謝します。料理長には、私からも伝えておきます」

「シルヴィア、よかったら、次のも食べてみてください」

「え、ええ」


 何も気がついていない様子のステファンに、私は今度は果物か何かの砂糖漬けが飾られているチョコレートを食べてみることにする。


「これは、何の果物かしら?」

「オレンジの皮を甘く煮つめ乾燥させたものになります。召し上がったことは?」

「いいえ。オレンジ自体、これが初めてよ。美味しいのね」


 オレンジは温暖な気候が必要だと聞く。輸入品も滅多に入ってこないため、私はこれまで食べたことがなかった。


「生のオレンジはもっとみずみずしいんですよ」

「そうなの?」


 思わず言葉が崩れたが気にすることなくステファンは頷き、微笑む。


「私の好物なのです。シルヴィアにも一度味わって頂きたいですね」


 オレンジを好物といったステファンには申し訳ないが、それは難しいだろう。そのことを伝えると、ステファンは疑問を浮かべる。


「どうしてですか?」

「オレンジを扱う国とは取引がないし、オレンジの木はこの国では気候が合わないから、育たないと思うの」

「温室を建てるのはどう思われますか?」

「温室なら、庭の東にあるわ。でも、何代か前の王妃がそこで南の果実を育てようとしたことがあったけれど、うまくいかなかったと聞いたわ」

「そうでしたか」


 ステファンはしばらくの沈黙の後に言う。


「一度その温室を見に行ってもよろしいですか?」

「ええ。ご自由にどうぞ。でも、期待はなさらないでくださいね」


 ステファンは頷くが、何か考えがあるようだった。

 思考に沈んだステファンを見ながら、私はふと不安が過った。


 長く国境を閉ざしていたグレイシス国にとって、ステファンを迎え入れる影響はきっとこのチョコレートだけに留まらないだろう。その全てを予測することはできない。彼を王配に迎えるということは、今後、その影響の手綱を私が取っていくことになるに等しい。時に難しい選択を迫られるだろう。


(彼との婚姻で、お父様はこの国に変化をもたらすおつもりだったのかしら――)


 一瞬深く沈んだ思考は、幸い表情には出ていないようだ。

 私は紅茶を口にすると、気持ちを切り替え、ステファンに話しかける。今は影響について考えるよりも、ステファンとの交流を優先するべきだ。


「最後のこのチョコレートは、何かしら?」

「そちらは――」


 説明を始めたステファンの話は、とても面白い。

 お茶会の時間はあっという間に過ぎていった。

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