第2話 コールタール


夫とは大学二年生の時に知り合った。


それまで同じ大学の2つ上の先輩と付き合っていたのだけど、先輩の浮気が原因で別れた直後だった。


先輩は初めて付き合った男の人で、すこしだけ不良っぽい雰囲気に惹かれてしまったのだけれど・・・

付き合って半年くらいも経つと、私が惹かれた部分は全部私が勝手にイメージして作り上げてただけで・・・

現実は全然違うんだってコトに気が付いて急速に冷めていった。


私がどんどん先輩に対して、興味を失っていくのが分かったのだろう。

先輩は私の一つ下の後輩に手を出して、私はそれを別れるいい口実にした。


春人とは友人の紹介で知り合ったのだけれど、見た目の通りに優しくて、先輩とは全然違うタイプだった。

先輩みたいなタイプに嫌気が差していた私は、正反対みたいな春人に惹かれたのだろう。


仲良くなってくると、優しいだけじゃなくて心の芯みたいなモノがすごく強いコトが分かってきて、その頃には私は春人のことが大好きになっていた。

大学三年に上がった直後に、私から告白した。


春人は、はにかみながら


「俺で良かったら、よろしくね。」


そう言ってくれた。


私は嬉しくて、思わず春人を抱き締めてしまった。


それから大学時代を一緒に過ごして、


社会人になったのを機に同棲を始めた。


一緒にテーブルやベッドを選んで、


本当に幸せで楽しかった。


今でもテーブルとベッドは同じモノを使ってる。


家具を選んでいる時に、春人が


「結婚して子供が出来ても使えるモノを選ぼう」


そう言って、社会人一年生の私達にはかなり高かったのだけれど、


私はその言葉が嬉しくて、奮発して買ってしまったのだ。


大学を卒業して3年後、私達は結婚した。


社会人になってすぐに同棲を始めたから、生活が急に変わるような事は無かったけれど、すごく幸せだった。


そして今、私は最愛の夫とその人との愛しい子供と共に人生を過ごせている。


これ以上無いくらいに幸せだと思う。











本当に・・・


あの過ちさえ無かったから・・・


きっと私の人生はバラ色だった・・



私は・・・


どんなに楽しい事があっても、


どんなに幸せな時間を過ごしても、


どんなに最愛の2人の笑顔を見ても、


私の心が幸せ一色に染まる事は・・・


きっともう二度と無いと思う・・・


私の心には、

どんなに消したいと願っても、

二度と消える事は無い、

暗い、暗い、暗い、悍ましいほどに汚い

真っ黒な染みがある


ふとした時に、気が付くとその真っ黒な染みが広がって、心をドブ色に染め上げる。


もう私は一生、心の底から笑う事は出来ないかもしれない・・・


何故私はあの時、道を踏み誤ってしまったのだろうか。


私は他の誰でも無い自分の手で、

自らの人生を汚してしまった。


その汚れはまるでコールタールのようで・・・

手で拭ってもただその汚れを伸ばすだけ。


私はその過ちを一生誰にも言えず、自らに抱え込んで生きていかなくてはいけない。


私には夫に許しを乞う事はもう許されない。


一生誰にも言わずにこの罪を背負い続けていく事が、



私の罪に対する罰なのだと思う。





************




結婚して2年目、私は会社の上司と半年間不倫をしていた。

相手の男は部長だった。自分よりも二回りも年上の男…


私は自分で言うのもなんだが、仕事が出来た。


入社して3年目には会社の花形部署に異動した。仕事は忙しかった。

春人と時間が合わず、すれ違う事が多くなり心に言い知れぬ不安が広がっていった・・・


春人は忙しい私に出来る限り合わせようと努力してくれていたし、そんな春人を信頼していたけれど…それでも不安は消えなかった。


春人と結婚をしたのは、2人の関係に確固たる証が欲しかったから。

もちろん春人の事を愛していたから、それが欲しかったのだけれど。


無事に入籍し、結婚式を上げて私は最高に幸せだった。


家に帰れば、最愛の夫が居て愛を紡ぎ合う。

心に余裕が出来たからか、仕事もとても順調だった。


その時はまだ関係を持っていなかったが、当時私の不倫相手は次長だった。


会社の大きなプロジェクトに不倫相手と私が抜擢された。

半年間頑張った甲斐もあり、そのプロジェクトは大成功と言っていい程の結果を収めた。


私は有頂天になっていたのだと思う。

仕事では周りから賞賛を受け、家に帰れば最愛の夫が私を優先してくれて尽くしてくれる。


次長は部長に、私も年齢的には異例の係長に昇進する事が決まり、私達は2人きりでお祝いをした。


その時に初めて私達は関係を持った。


愛情というよりは友情に近かったのかも知れない。

共に戦った戦友、仕事上での共感は不倫相手以上に持てる相手は居なかったから・・・


それにお互いに家庭があり、それを優先するのは暗黙のルールだった。

割り切った大人の関係、そう思っていた。


身体を重ねるのは月に二回程度だった。

だからこそ、その時間は濃厚だった・・・


私は自分の人生の絶頂に居た・・・






そしてその崩壊は半年程ですぐに訪れた。




生理が来なくなった・・・


春人と身体を重ねる時には、必ずゴムを着けていた。春人は私が仕事を頑張っているのを知っていたから、不用意な妊娠をしないように安全日だろうと自分からゴムを付けてくれていたのだ。


部長は時々ゴムを付けずにしていた。

私も熱に浮かされ、許してしまっていた。


もしかしたら妊娠しているかも知れない…

もし妊娠していたら・・・


急いで妊娠検査薬を買いに行き、確認した。




ーーーあっ・・・・





結果は陽性だった・・・


その時、私は初めて最愛の人を失うかも知れない恐怖を覚えた・・・

軽くパニック状態だった。


私はいてもたっても居られず、会社を無断欠勤して産婦人科を訪れた。





「おめでとうございます。無事妊娠していますよ。今7週目ですね。」



診察をしてくれた人の良さそうな女医さんが、私に笑顔で死刑宣告を告げた・・・


そのあとは何を言われたのか、まったく覚えていない・・・



どうしたらいい?どうしたら?誰か教えて?


こんな事を春人に相談出来る訳ない・・・


不倫した上、不倫相手の子を身籠るなんて・・




私は色々迷った挙句、部長に電話をかけた。


プルルルル・・・、プルルルル・・・


「もしもし、涼香君か。今日はいったいどうしたんだ?無断欠勤なんて、君らしくない。」


「すみません、部長…あの・・・、私…妊娠してしまいました・・・」


身体を許した男に、妊娠した事実をさも悪い出来事の様に告げる・・・

本来なら祝福されるべき出来事なのに・・・

とても惨めな気持ちになる・・・


「・・・電話は切らなくていいから、ちょっと待て。場所を変える。」




「もしもし…場所を変えたから、もう大丈夫だ。涼香君、そのお腹の子は旦那さんとの子供なんだろう?私はちゃんと別れてあげるから。」


「…部長、お腹の赤ちゃんは多分・・・、部長の子です・・・。夫とする時は…、夫は必ず避妊してくれていました。私が避妊せずに、受け入れてしまった男性は部長だけです・・」


説明をしながら、自分のクズさを再認識する…




「いやいや、万が一という事もあるだろう?

きっと旦那さんとの子供だよ!

涼香君は、あんなに旦那さんを愛しているんだ。きっと奇跡が起きたんだよ!」


コイツは何を言っているんだろう。お前も私も人生の伴侶を裏切ったというのに・・・

愛だの、奇跡だの・・・



「もし違った場合はどうするんですか?部長が責任を取って下さるんですか?」


「いや、そんな・・・それにどっちの子供だなんて分からないだろう?それに最愛の妻の子供なのは間違いないんだ。君の旦那さんなら愛せるさ!」


私の初めての相手はろくでもなかった。

だけどコイツはそれ以上のクズだ・・・

そして私はそんなクズの子供を身籠った最低の女だ・・・



「DNA鑑定をします。もし夫の子供でなかった場合は・・・」


「分かった!!涼香君、子供は堕ろそう。費用はもちろん私が全部もつ。だからな、早まってはいけないっ!」



結局それしか無いのだろう・・・

分かってはいた。けど・・・

私はその決断の責任を自分1人で背負いたくなかっただけだ・・・



「分かりました・・・部長の言う通りにします。部長は付き添って頂けるのですか?」


1人で行くのは正直怖かった・・・


こんなクズでも・・・


罪を分けて罪悪感を少しでも軽くしたかった・・・


「あぁ、一緒に行ってあげたいが・・・

もし、万が一にでも誰かに見られてしまったら2人共お終いだ。悪いが1人で行ってきて欲しい。」


あまりにも予想通りの答えが返ってきてしまい、なんかもう笑えてきてしまう・・・



「分かりました。明日もう一度産婦人科に相談しに行って来ます。会社は2週間休みます。

仕事の方はよろしくお願いします・・・」


仕事にはもう全く関心が持てなかった・・・


私は今、最も大切なモノを失おうとしている…


そして私は、これから人として最低な行為をしようとしているのだ・・・


私が時間をかけて築いてきたモノは


たった1日でぐちゃぐちゃになってしまった…

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