第9話 魔法生物
焚火の温かさが消えたところで意識が浮上する。
眠りから覚めた身体は、幾分か眠気が消え、軽さを取り戻していた。
傍らに置いていた、昨日仕留めたジャイアントラットを焼いた肉を手に取る。
焦げ付いた匂いが鼻腔をくすぐるが、今は贅沢を言っている場合ではない。
腹を満たし、焼いた残りを剥いだ毛皮に包むと、再び洞窟内の探索を開始する。
洞窟内は複雑に入り組んでおり、まるで巨大な蟻の巣のようだった。
時折、天井から水滴が落ちてきて、冷たい雫が首筋を伝う。
幸いなことに、俺には危険察知のスキルがある。
おかげで、落とし穴のような単純な罠から、魔法的なトラップまで、様々な危険を事前に察知してくれ表示してくれるため、無事に回避することができていた。
注意深く周囲を警戒しながら、洞窟の奥へと進んでいく。
この先に危険察知のスキルが、黄色い警告表を出しているのが見える。
動いていないので、おそらく、この先に何らかのトラップがしかけられているのだろう。
緊張が高まるのを感じながらも、足を進める速度を緩めないでいた。
さらに進むと、開けた空間に出た。
石造りの壁に囲まれた、まるで人工的に作られたかのような部屋が見える。
ん? 部屋の中央に人の影が――。
目を凝らすと、部屋の中央にある台座にもたれかかるようにボロボロの状態になった遺体があった。
危険察知のスキルが反応してるのは、あの遺体っぽいが――。
スケルトンかゾンビってことか?
錆びた剣を身構えながら、ゆっくりと部屋の中央にある遺体に近づいていく。
遺体の傍らには、古びた本が落ちていた。革の表紙は擦り切れ、所々剥がれ落ちている。その時だった。
「……助けてくれ……」
低い、嗄れた声が聞こえた。反射的に周囲を見回す。
しかし、自分以外、他に人影はない。声は、半ば白骨化した遺体から発せられている。
まさか、この遺体が喋ってるのか? どう見ても死んでるんだが……。
「……私を……この本から解放してくれ……」
再び、声が聞こえる。
間違いなく、遺体からだ。
信じられない光景だが、現実として目の前で起きている。
警戒しながら、遺体にさらに近づく。
「私は……グリモア……に操られ――」
遺体は言葉を続けた。
グリモア? どこかで聞いたことがあるような名前だ……。どこだっけな……。
記憶をたどると浮かんでくるものがあった。
パーティーで唯一魔法が使えた酒田が、そんな名前の魔法生物がダンジョンにいるとか言ってたはずだ!
確か、
魔法使いたちが魔法を発現できるのは、そういった魔法生物である
「ガガガガッ。ガアアァ! これでやっと――」
ボロボロだった遺体が、灰になって崩れ落ちると、傍らにあった光を帯びた魔術書が浮かび上がった。
「新たな宿主にするのには、いささか心もとないガキだが、ここから出るためには妥協も必要。おい、ガキ。お前の持つ微々たる魔力を提供すれば、我が強大な魔法の力を授けてやる。それにお前もここから出たいだろう? 協力して出口を探そうではないか」
グリモアと思われる魔術書は、俺に対し交渉を持ちかけてきた。
俺の持つ魔力を提供すれば、強大な魔法の力を与え出口を探す手伝いもするという。
胡散臭い。あまりにも都合が良すぎる。
底辺の仕事をしてた時には何度も騙されてきた。だから、もう何も信じない。
美味い話なんてものは、このクソッタレな世界に存在しないからな。
どうせ、さっきの灰になった遺体のように、いいように俺の身体を利用したいだけなんだろうさ。
「断る」
俺ははっきりと拒絶の意思を伝えた。
「拒むのか…? 愚かな、ガキだ。では、しょうがない、殺さない程度に痛めつけさせてもらい、その身体を利用させてもらうぞ!」
グリモアの声色が変わり、低く唸るような声になった。その瞬間、周囲の空気が重くなったように感じた。微かな魔力の波紋が広がる。やはり、危険な存在だった。
危険察知の警告表示が、黄色から赤に変化した。
「後悔するぞ……」
グリモアはそう言い残し、沈黙した。直後、グリモアから強烈な風が放たれた。
身構える間もなく、俺は吹き飛ばされた。壁に叩きつけられ、全身に痛みが走る。
「いてて……。魔法かよっ!」
立ち上がる間もなくグリモアが放った火球が、こちらに向かって飛んできた。
地面を転がって必死に避ける。
火球から発生した爆炎が、俺の背中の皮膚を焼いた。
「ぐぅ! くそ、隙が――」
魔術書であるグリモアが、帯電しているように輝いて発光しているのが目に入る。
直後、視界が真っ白に染まると全身に痺れが走った。
「ぐあああああああああああっ!」
肉の焦げた匂いと、全身に針を刺されたような痛みが走る。
グリモアがゆっくりと浮遊しながら、こちらへ近づいてきた。
「手間取らせよって。大人しく騙されて、我の操り人形になっておれば、こんなに痛い目に遭わずにすんだものを」
「俺はもう誰かのために何かをする気は、1ミリだってもねえよ。ゲホッ、ゲホッ」
「まだ、元気が余ってるらしいな」
再び、グリモアが帯電し、発光したかと思うとさっきと同じ痺れが走る。
激痛が身体を走り抜け、意識が飛びそうになる。
「がぁあああああ!」
「我に屈服しろ!」
「嫌なこったぁああああ!」
痛みが全身を駆けまわっているものの、自己再生スキルの力が働き、痛みはすぐに引いていく。
グリモアが俺のことを殺さずに屈服させようと、威力を弱めていることもあるんだろう。
痛みで動けないフリをしておいて、相手が油断してくれてるうちに――。
「どうだ? 我に屈服するか?」
「ぐ、ぐぐぅ!」
俺は痛みで動けないフリをしながら、周囲を見まわす。
さきほど壁に打ち付けられた時に落として、近くに転がっていた松明があった。
まだ燃えている。本なら、火に弱いはずだろっ! クソ魔術書を燃やしてやる!
迷わず、油断していたグリモアに松明の火を近づける。
「ギャッ! ヒィ! 火がっ! 我の身体に!」
グリモアは悲鳴を上げた。炎が表紙を舐め、瞬く間に燃え広がっていく。
紙の本が本体であるため、炎にはかなり弱いらしい。
「消せ! 消してくれ! 火は我の身体を焼き尽くすのだ! 助けろ! 早く!」
黒い煙が立ち上り、焦げ臭い匂いが部屋に立ち込める。
松明を手にした俺は、ゆっくりと立ち上がり、身体が燃え上がって慌てふためくグリモアを見下ろす。
「嫌なこった。俺がお前を助ける義理はない」
「我は、魔法を使うだけでなく、この世界のあらゆる知識を納めた『鑑定』を持つ貴重な存在なのだぞ! ああ、身体が燃える!」
「へぇ、それはいいことを聞いたな。だったら、とっとと倒させてもらう」
俺は浮いていることができず地面に落ちたグリモアに松明の火をさらに押し付けた。
「やめろ! やめろ! 我は貴重な魔法生物なのだ。我を従えればお前は強くなる」
「俺にはお前など必要ない。お前から奪えばいいんだからな! お前の力は俺がちゃんと使ってやるさ!」
「やべろぉおおおおお! 身体が灰にぃいいいいいっ!」
勢いを増した火は、魔術書を包み込み、グリモアだったものは灰になって燃え尽きた。
グリモアだった灰から、浮かび上がった光の球は4つだ。全てが俺の身体に取り込まれる。
同時に、頭の中に様々な情報が流れ込んできた。
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