Side:瀧野愛菜 喪失からの再起
Side:瀧野愛菜
病室の白い天井を見つめながら、瀧野愛菜は乾いた唇を噛みしめた。
窓から差し込む午後の陽光が、無機質な空間に僅かな温かさを与えているが、彼女の心は氷のように冷え切っている。
所沢ダンジョン。魔人ヴィネ。そして、幼馴染の神々戎斗。
忌まわしい記憶が走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
愛菜は剣の極意スキルによって剣聖とまで呼ばれるようになった当代屈指の探索者だった。
その太刀筋は神速と称され、数多の強力な魔物を斬り伏せてきている実力者。
しかし、ダンジョン深層で遭遇したダンジョン主の魔人ヴィネは、彼女の想像を遥かに超える存在だった。
圧倒的な体力、変幻自在の攻撃、そして何よりも、底知れぬ威圧感。
魔人ヴィネの力の前に、愛菜は生まれて初めて死を覚悟した。
愛菜は身動きが取れず、助けを求めて、必死に手を差し伸べていた大切な幼馴染の戒斗を助けられず、自らに迫った死の恐怖から最後の最後で見捨てるという苦渋の選択を下し逃げ出したことが許せずにいる。
そんな状況で地上に戻り、病室で治療を受けていた愛菜を待っていたのは、所沢ダンジョンの閉鎖という知らせだった。
閉鎖の理由はダンジョン主である魔人ヴィネの活動活性化が原因らしいと聞き、愛菜はダンジョンが閉鎖された今、置き去りにした戎斗は……と想像するだけで、胸が締め付けられる日々を送っている。
助けを求め手を差し伸べていた戎斗を見捨てて、自分が生き残るため見殺しにしてしまった。
その事実は、彼女の心を深く蝕み、眠れない日々が続いた。
食事も喉を通らず、日に日に痩せていった。
かつて彼女の瞳に宿っていた鋭い光は消え失せ、代わりに深い悲しみと絶望が宿っていた。
そんな状態の愛菜の病室のドアがノックされる。見舞いに来たは、仲間の魔法使い、清水だった。
「瀧野、体調はどうだ?」
清水はそう言うと、静かに愛菜の隣の椅子に腰掛けた。
「あんまり……です」
清水は愛菜の憔悴しきった姿を見て、眉をひそめた。
「寝れてなさそうだな。眠ると彼の顔が浮かぶか?」
「もう…ダメ。私は……助けを求めていた戎斗を見捨ててしまった。当代最強の剣聖なんて評判は、あの魔人ヴィネの前ではただの虚名で、大事な人すら守れない役立たずです……。もう、放っておいてください……」
愛菜は俯いたまま、掠れた声でそう言った。
「戎斗君の件は本当にすまなかった……。でも、瀧野が自分を責めるのは違う。あの状況で、君が他に選べる選択肢はなかったんだ。もちろん、私たちにもなかった……」
「違う……私がもっと強ければ……私が彼を守れていれば……」
愛菜は涙声で反論した。
清水は優しく首を横に振った。
「瀧野、聞いてくれ。君は確かに強い。でも、相手が悪すぎた。魔人ヴィネは、並大抵の探索者が敵う相手じゃない。それに……戎斗君だって、君が生き残ることを望んでいたはずだ」
愛菜は顔を上げ、潤んだ瞳で清水を見つめた。
「戎斗は……助けてくれって言ってたんだよ……助けてくれって! それを私は――」
沈黙が病室を包む。愛菜は目を閉じ、戎斗との日々を思い出していた。
幼い頃、孤児院でいじめられて泣きじゃくる自分を、同じようにいじめられていた彼はいつも励ましてくれた。
『諦めるな、愛菜。俺とお前なら、きっとこの地獄を生き延びて、将来は立派な大人になれるはずさ』と。
戎斗のくれたその言葉のおかげで、孤児院に残った私は探索者として強くなれたのに……。
もう、その言葉を私にくれた戎斗が生きてはいないだろうと思うと、剣を握る勇気も湧いてこない。
「清水さん、やっぱり私はもう探索者を引退――」
目を閉じて、そう愛菜が告げた時、清水は彼女の両手を強く握る。
「瀧野! 君が生きて探索者をしている限り、彼の想いも生きてた証も残り続けるはずだ。それすらも君は捨て去るつもりなのか?」
清水のまっすぐな言葉は、弱気になっていた愛菜の胸に深く突き刺さった。
長い、長い沈黙のあと、再び目を開けた愛菜の瞳には、微かな光が戻っていた。
「清水さん……私は……どうすればいい?」
清水は握っていた愛菜の手をさらに強く握る。
「立ち上がって、再び剣を取るんだ。戎斗君の仇を討つために。自分の力をさらに高め、魔人ヴィネを倒す。そうすれば、彼もきっと……」
愛菜はしばらく考え込んだ後、ゆっくりと口を開いた。
「でも……所沢ダンジョンは閉鎖された。もう……あそこへは行けないはず……」
「閉鎖されてても、入る方法はあるさ」
「あるの?」
清水は意味深な笑みを浮かべた。
「ああ、ダンジョンを管理している探索者ギルドに掛け合ってみる。君ほどの探索者なら、特例で再挑戦が認められるかもしれない。それに……私も協力する。君の力になる。私としても戎斗君のことは後味の悪い結末だったからね」
愛菜は清水の顔をじっと見つめた。
彼の瞳には、強い決意と優しさが宿っていた。
愛菜は今まで、一人で抱え込んでいた重荷が、少し軽くなった気がした。
「……ありがとう、清水さん」
愛菜はかすかに微笑んだ。
「もう一度……剣を取ってみる。魔人ヴィネを倒すために」
その言葉を聞いた清水は、安堵の表情を浮かべた。
「ああ、瀧野。それでこそ、私の知っている剣聖の君だ」
愛菜はベッドからゆっくりと起き上がった。
長い間寝ていたせいで、体が少しふらついたが、しっかりと足を踏みしめた。
窓から差し込む夕焼けが、彼女の横顔を照らしている。
その瞳には、かつての鋭い光が戻り始めていた。
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