第10話

 リシェルは俺の腕の中で静かな寝息を立てている。疲れ果てた体を、少しずつ回復させているのだろう。


「本当に、この先どうしたものか……」


 呟きながら、俺は自分の左手をじっと見つめた。


 青白い肌は薄いグレーに変わり、ただれていた傷跡も大部分が塞がっている。でも、完全な人間の手ではない。


「血の渇望」という衝動も、今も確かに体の中に潜んでいた。リシェルの封印の力で抑えられているとはいえ、消えたわけではない。


「シュウ……さん」


 眠りながら、リシェルが俺の名を呼ぶ。その寝顔は穏やかで、どこか儚げだった。


「あなたのような方と出会えて、本当に……よかった」


 彼女は夢うつつの中で、そんなことを呟いた。


 胸が締め付けられる。こんな化け物の自分に、そんな言葉をかけてくれる。


 洞窟での労働を強いられていた日々。スケルトン兵長のパワハラ。そして前世での過労死。


 全ては辛い記憶のはずなのに、今はどこか遠い昔のことのように感じられる。


「ゾンビのまま朽ち果てるはずだった俺が、まさか誰かを守ることになるなんて」


 空を見上げると、夕暮れの茜色が広がっていた。


 遠くに見える村の方角に、かすかに煙が立ち上る。人々の生活を感じさせる光景だ。


「あの村なら、もしかしたら──」


 一縷の望みが湧いてくる。たとえアンデッドでも、たとえ追放された身でも、新しい場所で──。


 ふと、リシェルが身じろぎした。


「う、うん……ごめんなさい、寝てしまって」


「いえ、ゆっくり休めましたか?」


「はい。シュウさんのおかげで」


 彼女が柔らかな笑顔を見せる。その表情に、俺の決意は固まった。


「リシェルさん」


「はい?」


「一緒に、あの村まで行ってみませんか?」


 リシェルは少し驚いたような表情を見せた後、静かに頷いた。


「はい。がんばりますね」


 彼女の言葉に、思わず苦笑する。なんだか、すごくリシェルらしい返事だった。


「無理はしないように」


「シュウさんこそ、ですよ」


 お互いを気遣う言葉を交わしながら、俺たちはゆっくりと立ち上がった。


 西日は山の端に沈もうとしている。でも、これは終わりじゃない。


 むしろ、新しい何かの始まりなのかもしれない。


「行きましょうか」


 リシェルが差し出した手を、俺は迷わず取った。


「ええ、行きましょう」


 二人は夕暮れの中、人里へと歩み出した。


 これは、俺たちの「第二の人生」の始まり。


 そう確信めいたものが、胸の中に灯っていた。




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