記憶が帰るまで

ソコニ

第1話 記憶が帰るまで



「メモリー・ダイブを開始します。ターゲット:2187年8月15日」


白衣の研究者たちに囲まれて、私は目を閉じた。脳にケーブルを接続する感覚は、もう慣れていた。これが174回目の記憶潜行だ。


「山田さん、準備はよろしいですか?」

「はい」


私の声が震えているのが分かった。今回の潜行が、最後のチャンスになるかもしれない。人類の記憶がデジタル化され、クラウドに保存されるようになって50年。しかし、2187年のある日を境に、世界中の記憶データが断片的に欠落し始めた。


そして私たちは、その原因を探るため、記憶の海を潜り続けていた。


「ダイブ開始まで、10、9、8...」


カウントダウンの声が遠ざかっていく。意識が徐々に暗闇に沈んでいく感覚。そして...。



「おはよう、由美」


母の声だった。目を開けると、2187年の夏の朝。実家のリビングに立っていた。記憶再生は完璧だ。触覚、嗅覚、すべての感覚が鮮明に蘇っている。


「今日も研究所?」

「うん、大きな実験があるの」


当時の私は、記憶工学研究所の主任研究員だった。その日は、人類史上初めての「集合意識接続実験」が予定されていた。100人の被験者の記憶を同時に接続し、共有空間を作り出す試み。


...そう、その実験が全ての始まりだった。


研究所に到着。実験準備は予定通り進んでいた。100台の記憶共有ポッドが、まるで蕾のように並んでいる。


「山田主任、最終チェックをお願いします」


助手の声に頷きながら、私はデータを確認していく。すべての数値は正常。しかし、どこかおかしい。何かが、記憶の中で歪んでいる。


そう、これは「記憶」なのだ。


私は必死で思い出そうとする。この後、何が起きたのか。なぜ記憶が失われ始めたのか。


実験開始のカウントダウンが始まる。

「接続開始まで、10、9、8...」


その時、気づいた。モニターに映る波形が、まるで生命を持っているかのように蠢いている。これは予定された波形ではない。


「実験中止!」


私の叫び声が響く。しかし、遅すぎた。


100個の意識が一斉に繋がった瞬間、見たことのない光が研究所を包み込む。そして私は理解した。


私たちは「何か」を目覚めさせてしまったのだ。


意識の海の底で眠っていた、人類の集合的無意識そのものを。


それは記憶を餌として成長し始めた。過去から現在まで、人類の記憶を少しずつ、つまみ食いするように...。



「山田さん!山田さん!」


意識が現実に戻る。研究者たちが心配そうに私を見つめていた。


「分かりました」

私は震える手でケーブルを外す。

「記憶の消失は、私たちが作り出してしまった新しい意識体による...」


その時、警報が鳴り響いた。

モニターには赤い警告が点滅している。


「記憶データ、消失率95%到達」

「残り記憶容量、危険域」

「システム崩壊まで、10、9、8...」


私は目を閉じた。

皮肉なことに、私たちは記憶を永遠に残そうとして、それを失う運命を作ってしまった。


暗闇の中で、どこかで光が瞬く。

まるで、意識の海の底で何かが微笑んでいるように。

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