無色な世界に届けられた彩り

 この頃まで僕は、生きることに意味など感じていなかった。

 先の見えない道を、何も考えずに歩いていた。

 そんな僕に意味を与えてくれたのは、間違いなく彼女だった。

 

 ――――――――――――――――


 もうそろそろ7時か。

 昨日、彼女から電話が掛かってきた時間だ。

 掛かってこないとは思っているが、どこかで期待している僕も居る。

 何となく勉強も手につかない。


「掛かってくるわけないよな」


 自分に現実を認識させるために呟いてみた。

 呟いたからと言ってどうにかなるもんではないけども。

 さて、勉強するか。


「えっ?!」


 電話が鳴ってる。

 背面ディスプレイに浮かぶ【佐倉万里さくらまり】の文字に胸が高なる。


「も、もしも――」

「元気にしてたかなー!」

「ま、まぁ、それなりに」

「頼りない返事だなぁ」


 掛かってきた。

 嬉しさはあるが、緊張の方が強い。

 何を話せばいいのか解らない。

 昨日の方がまだ自然に話せたんじゃないか?

 何かを意識しちゃってるのか?


「ねえねえ」


 彼女から話題を振ってくれるとは有り難い。

 

「な、なんでしょう?」

「そう言えばさ、君の名前聞くの忘れちゃってた」

「僕の名前?」

「他に誰の名前聞くのよ」

「そうですよね」


 そうか、彼女の言った名前と同姓同名だと言ってなかった。


「え~っと、寺澤俊幸てらさわとしゆきです」

「ちょっと! それは昨日私から聞いた名前でしょ! 私が聞きたいのは君の名前だよ」

「いや、だから、寺澤俊幸てらさわとしゆきです……」

「えっ、冗談じゃなくて?」

「本当です」

「うそぉ~! 先生と同姓同名なんてびっくり!」

「驚きですよね」

「すごいねぇ~! 何かさぁ~えんってものを感じるよね」

「そ、そうですね」


 そう言えば、先生って何の先生なんだろう?

 28で学生ってことはないよな。


「さ、佐倉さくらさん」

「何だい? 少年」

「先生って何の先生ですか? 佐倉さくらさんは学生じゃないですよね?」

「28で学生って、どんだけ留年してんのよ。あっ、大学入り直すって人も居るよね」

佐倉さくらさんは違いますよね?」

「違うよ。お嫁さん修行してる♪」

「それは無職というやつでは……」

「そうとも言うね♪」


 明るい。

 そんなに明るく話す話題ではない気もするが。

 って、そんな話をしてるんじゃなかった。


「それはそうとして」

「そうとして?」

「何の先生かって話です」

「あぁ~それね。先生って言うのは、お医者さんだよ」

「医者ですか」

「そう。実は私、入院中なの」


 入院ってことは……病人?

 

「とても元気な病人さんですね」

「病人にさん付けって、トシ君は面白いね♪」

「トシ……君?」

俊幸としゆきでしょ? 年下だから俊幸としゆき君か~ら~の~トシ君だよ」


 確かにそうかも知れないが……照れる。


「トシ君はお気に召さない? 少年のほうがいいのかな?」

「いえ、トシ君で……いいです……」

「お気に召したようで感無量です♪」

「喜んでもらえて良かったです」

「で、私はどう呼ばれるのかな?」

「どう、とは?」

「ずっと他人行儀な佐倉さくらさん?」

佐倉さくらさんじゃ駄目ですか?」

「駄目なのだ。そこに壁を感じるのだよ」

「壁ですか」

「そう! こう言うのは早いうちに破っちゃおうよ」

「と言われましても、何と呼んでいいものやら」

「では、私が呼び方を決めてあげよう!」


 スピーカーから楽しそうな鼻歌が聞こえてくる。

 佐倉さくらさんでいいと思うのだけど、その思いは仕舞っておこう。


「よし!」

「決まりましたか?」

「うん! 私のことはマリねえと呼びたまえ」


 ストレートな名前呼びじゃなくて助かった。

 いや、これはこれでハードルが高い。

 僕にあねは居ない。

 と言うか一人っ子だ。

 年上の従姉妹も居ない。

 そんな呼び方は僕の人生に存在していないのだ。


「他の呼び方候補は?」

「ないよ♪」

「そうですか……」

「いいから呼んでごらん。ほれほれ」

「マ、マリ……ねえ……」


 か、顔が熱い!


「う~ん良き良き♪」

「嬉しそうですね」

「わかる~? 弟が出来たみたいで嬉しいんだぁ~」

「マ、マリねえも一人っ子なんですか?」

「そうだよ。一緒だね♪」

「そ、そうですね」


 同じ一人っ子と言うだけなんだけど、それを嬉しく感じてる。

 たったそれだけの事に親近感を覚える。

 緊張も少しほぐれてきたかな。


「それより、何の治療で入院してるんですか?」

「ん~ちょっと心臓さんが弱いのだよ」

「心臓が? 大丈夫なんですか?」

「大丈夫! とは言い難いかな」

「治る見込みはあるんですか?」

「質問攻めだね~」

「あっ、すいません……」

「いいよいいよ」


 そこまで踏み込んで聞くのは図々しかったかな。

 そこまで親しいわけでも無いのに、さすがに失礼だったか。


「昔からね、運動すると胸が苦しくなったりしてたんだ」

「運動で胸が苦しく……狭心症きょうしんしょう?」

「トシ君すごい! よく解ったね!」

「一応、医者を目指してる医大生なんで」

「医大生?! トシ君って勉強できる人なんだ~!」

「必死に足掻あがいて何とかってとこですよ。勉強ができる訳じゃないです」

「私じゃどんなに足掻いても無理だと思う。トシ君すごいよ!」


 誰にも褒められたことの無い僕の胸に、マリねえの言葉は深く染みた。

 

「ごめん! 看護師さん来ちゃった。また明日ね!」

「はい。また明日」


 今日の電話で、マリねえのことを少し知ることができた。

 もっとマリねえのことを知りたい。

 またマリねえと話したい。

 生まれて初めて、明日が待ち遠しいと思った。


 ――――――――――――――――


 この後もマリねえは毎日電話を掛けてきてくれた。

 僕から掛けようと思ったこともあるが、向こうの都合もあるだろうから控えていた。

 もっとマリねえの声を聞いていたかった。

 遠慮などせずに、僕からも電話すれば良かったのにな……。

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君を越えて かいんでる @kaindel

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