君を越えて

かいんでる

不意に届いた温もり

 医者である父に言われるがまま医大へ入学。

 特に成績優秀でもない僕は、すべての娯楽を遠ざけて勉学に励んだ。

 当然、彼女など居るはずもない。

 楽しいという感情は、とっくに消失していた。

 何の目標もなく、流されるままに生きていた。

 そんな僕を、一本の電話が変えてくれた。

 それが届いたのは、2004年の夏だった。

 

 ――――――――――――――――


「電話?」


 自慢じゃないが、僕には友達が居ない。

 携帯を持ってはいるが、呼出音が鳴るのは珍しいことだった。

 背面ディスプレイの表示は両親ではない。

 電話帳に登録されているのは両親だけ。

 両親でないなら迷惑電話か間違い電話。

 無視して勉強を続けようと思ったが、いつまで経っても鳴り止む気配がない。

 僕は仕方なく携帯を開いた。


「もしも――」

「あっ! やっと出てくれた!」


 聞こえてきたのは女性の声。

 僕に女性から電話が掛かってくる訳がない。

 しかも、夜の7時という時間。

 やはり間違い電話に違いない。


「申し訳ありませんが、間違い電話ではないでしょうか。僕に女性の知り合いは居ませんので」

「あ、あれ~? 寺澤てらさわ先生の電話……ですよね?」

 

 同姓への間違い電話なんて、こんな偶然もあるんだな。

 

「え~っと、僕は先生ではありません。やはり間違い電話かと」

「えっ?! 番号は○○○△△△△✕✕✕✕ですよね?!」


 僕の電話番号に間違いない。

 どう言うことだ?


「確かにその番号ですが、先生ではありません」

「ん~? おっかしいなぁ~。寺澤俊幸てらさわとしゆき先生じゃないんですか?」


 同姓どころか同姓同名?!

 これはきっと新手あらての詐欺だ。

 どこかで手に入れた名簿を使っているに違いない。


「ど、どこで電話番号を調べたんですか? 詐欺なら警察に通報しますよ」

「どこでって……先生が教えてくれたんじゃないですか……詐欺だなんて、ひどすぎます……」


 さっきまで元気だった声が、涙声に変わってる。

 しかし、電話番号を誰かに教えたなんて記憶はない。

 訳が分からない。

 とりあえず謝って電話を切ろう。

 これ以上関わっていては勉強する時間がなくなる。


「あの、詐欺なんて言って申し訳ありませんでした」

「本当に先生じゃないの?」

「はい。僕は先生と呼ばれる立場ではありません。では失礼し――」

「切らないで!」

「えっ?」

そですり合うも他生たしょうえんって言うでしょ。せっかくだし、私の話し相手になってくれない?」

「はい?」

「いいよね?」

「それはどういう――」

「いいよね?」

「は、はい」


 有無を言わさぬ声に、思わず返事してしまった。

 まあいいか。僕は話し相手として何の面白みもない。

 すぐに飽きるだろう。


「やったー! 私は佐倉万里さくらまり。よろしくね!」

「よ、よろしくです」

「声が若いんだけど、おいくつ?」

「18です」

「えっ?! 想像以上に若いっ!」

「佐倉さんはおいくつなんですか?」

「こらぁ~女性に年を聞くなんて失礼だぞぉ~」

「あっ、すいません……」

「ふふっ。可愛い反応だね。さすが10も年下だけあって初々しいね」


 10も年下?

 って事は……。


「28ですか。ずいぶんお姉さんですね」

「な、何で解ったの?! エスパー?!」

「18の僕が10年下なら、佐倉さんは28になりますよね」

「あっ……」

「佐倉さんって面白いですね」

「褒めるなよ~少年~」

「褒めてはないですよ」

「そんな冷たく言わなくていいじゃん」

「これが僕の普通です」

「こんな綺麗なお姉さんとおはなししてるんだぞぉ~。もっと楽しそうに話そうよぉ~」

「見えないんで綺麗かどうかは判断しかねます」

「真面目かっ!」

「よく言われます」

「本当の真面目くんだったか」


 こんな話を楽しいと思うわけがない。

 そろそろ飽きて切ってくれるだろ。


「あっ、看護師さんが来た。じゃあまたね!」

「えっ、看護師って?」

「その辺はまた明日!」


 切られてしまった。

 まぁいいか。

 また明日なんて言ってたが、もう掛かってこないだろう。

 掛かってこないだろうが、登録だけはしておくか。

 

 それにしても元気な人だったな。

 あの声を聞いていると、なぜだか胸が暖かくなった。

 こんな感覚は生まれて初めてだ。

 

 ――――――――――――――――


 思えばこの時、僕は彼女に惹かれ始めていたのだろう。

 もう掛かってこないと思いつつ、また電話が掛かってくるのを期待していたのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る