終わらせることで続いた世界

かいんでる

降りつづく

 窓への小さなノックで目覚める。

 水滴が窓を流れ落ち、見慣れた風景を別世界へと変えていた。

 そこから視線を外し、重くなった心を抱えて起き上がる。

 

 微睡まどろみの中、寝室からリビングへと世界を移す。

 コーヒーメーカーのスイッチを入れ、 ソファーへ体を預ける。

 テーブルに手を伸ばし、箱の中から開放した煙草を咥えた。


 煙草の箱に抑え付けられた葉書が語りかけてくる。

 お前はどうするのだと。

 それは結婚式の招待状。

 別れた彼女からの招待状。

 彼女の横に並んでいるのは親友の名前。

 

 別れは僕が望んだ世界では無かった。

 それを選んだのは僕だ。

 望まぬ世界を選んだのは僕だ。

 その決断が必要だと選んだのだ。


 


 あの日、彼女が驚き、喜ぶ顔が見たかった僕は、連絡もせずに彼女の家へ向かった。

 貯金の全てを使って買った、彼女への贈り物を胸に抱いて。

 それは、エメラルドが煌めくネックレス。

 エメラルドには「幸運」「愛の石」などの意味があるらしい。

 彼女へ贈るに相応しい宝石だと思った訳では無い。

 エメラルドには他にも意味があった。

 それは魔除け効果。

 これは浮気防止に役立つとも言われている。

 僕が彼女へエメラルドを贈ろうと思ったのは、これを知ったからだ。


 彼女の容姿はすれ違う人が振り向くほどであり、成績も優秀なうえ、スポーツも万能だった。

 僕は、その全てを持ち合わせていない。

 僕は、全てにおいて自信を持って生きたことがない。

 そんな僕と彼女が付き合うきっかけは親友だった。

 

 僕と親友は、保護猫活動をしていて彼女と知り合った。

 彼女にひと目で惹かれた僕を、親友が全力で応援してくれた。

 そのおかげもあり、僕と彼女は付き合うことになった。


 付き合うことになってから、僕は疑心暗鬼の塊となっていた。

 なぜ彼女はこんな僕と付き合っているのだろうか。

 本当に僕を好きでいてくれるのだろうか。

 何も無い僕に愛想を尽かしてしまうのではないだろうか。

 僕以外の男性に惹かれてしまうのではないだろうか。


 それらを振り払うため、エメラルドの力で守ろうとした。

 守ろうとしたのは、彼女ではなく僕だった。

 彼女を失いたくなかった。

 それは自己中心的な僕の想いだった。

 彼女を信じきれなかった僕の弱さだった。

 この時の僕にはこんな事しかできなかった。


 そんな想いとエメラルドを胸に、彼女の住むアパートへ到着した。

 大粒の雨が傘を叩く。

 その激しさに視界がぼやける。

 いや、それは雨の所為せいではなかった。

 僕の瞳から溢れるものがそうさせていた。


 エメラルドを抱えた僕の瞳に映ったのは、玄関先で親友に抱きしめられた彼女。

 親友を抱きしめ返す彼女。


 あと5分遅ければ、この事実を知らずに済んだのかもしれない。

 知ってしまった今となっては、そんな考えに意味はない。


 傘とエメラルドを道端に落下させ、天から降り注ぐものを全身に浴び続けた。

 このまま歩けば、どれだけ涙を落としても気づかれないだろう。

 頬を流れる雨粒は、僕の涙よりも暖かかった。


 僕は彼女へメールを送った。

 好きな人ができたから別れよう、と。

 彼女から帰ってきたのは「わかった」の言葉だけ。


 僕は安堵した。

 彼女を失いたくはなかったが、親友も同じくらい失いたくなかった。

 こうすることで親友と、友達へと変わった彼女を失わずに済んだ。



 

 僕は問いかけられた葉書へ返事をする。

 出席へ印を付けてポケットへ仕舞った。

 あの日から雨が止むことはない。

 僕の心を冷たい雨が満たしていく。

 いつか止むことはあるのだろうか。

 誰かが光を照らしてくれるだろうか。


 咥えていた煙草に火を点ける。

 吐き出された煙が頼りなく空間を漂う。

 やがて消えゆく煙。

 そこに存在した証として、香りだけが残っていた。

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