【短編】つま先で届く距離

吉乃直

つま先で届く距離

「んーっ、んーっ!」


 閑散とした図書館の一角、児童文学のコーナーで、ひとりの女の子が背伸びをした状態でぴょんぴょんと跳ねていた。


 お目当ての本に手が届かない少女は、辺りを見渡したり別の棚に移動したりして何かを探してから、肩を落として元いたところに戻る。


 そして少女は再びお目当ての本に手を伸ばした。


 ただお目当ての本がある棚は位置が高く、少女の身長ではどれだけ手を伸ばしても届くことはない。


 上手くいかない状況に少女は次第に顔を赤くさせ、つぶらな瞳に涙を溜める。


 そんな時だった。ひとりの少年が少女の隣にやって来て、つま先立ちになり一冊の本を棚から引き出す。


「これ?」


 ぶっきらぼうな口調で少年が本を見せると、少女は今にも泣きだしそうだった顔に笑顔を咲かせる。


「うん! ありがとうおにいちゃん!」


 少女の笑顔を見て、少年は安堵したように表情を弛緩させる。


「あのね、おれいにこれあげる!」


 お目当ての本を大事そうに小脇に抱えながら、少女はポケットから何かを取り出して少年に差し出す。


「……しおり?」


 それはクローバーやポピーなどの押し花があしらわれた厚紙の栞だった。


「うん! このまえ先生とつくったの!」


 少年はそんなものをもらっていいのかと少し困った表情を浮かべるが、満面の笑みで見上げてくる少女を見て栞を受け取る。


「ありがとう。大切に使うよ」


「うん! 本取ってくれてありがとね、おにいちゃん!」


 手を振って去っていく少女の姿を見届けた少年は、手に持った栞に視線を落として小さく笑った。



   ◇   ◇   ◇



「そんなこともあったなあ」


 高校三年生を数日後に控えた春休み。俺は久々に訪れた図書館で、妹から懐かしい昔話を聞かされて感慨に耽る。


 確かあのころは小学校の低学年くらいだったはず。もう十年も前のことなのに、よく覚えているもんだ。


「でも驚いたよ。あのときのおにいちゃんが本当にお兄ちゃんになるなんて」


「それは同感だ」


 彼女と再会したのは、つい先日。親父が再婚するにあたって顔合わせも兼ねて開かれた会食のときだ。


 その時は互いにまったく気づかなかったが、いざ我が家に引っ越してきたところで栞を発見され、あの時の女の子・おにいちゃんだと発覚した。


 そして彼女――佐奈さなの提案で、二人でこの図書館に訪れたというわけだ。


「あの栞、本当に大切にしてくれてたんだね。まさか十年たっても形が残ってるなんて思ってもみなかったよ。しかもご丁寧にラミネート加工までしてあるし」


「まあ、せっかくのもらい物だしな」


「あー、お兄ちゃんってもしかして贈り物いつまでも捨てられないタイプ? 大変だよー、それ」


「普段そんなに物をもらうことがないから何とも言えないけど……この栞をくれた時の女の子の笑顔が頭から離れなくてな」


 そう答えると佐奈はかちんと固まってからみるみるうちに顔を赤くしていく。


「そ、そっか……ふぅん、へぇ」


「なんだよ」


「べ、べっつにぃ?」


 佐奈はくるりときびすを返して本棚の向こうへと歩き出す。俺はゆっくりと彼女のあとを追った。


 ふらふらとまるで目的もなく歩いていたような佐奈は、不意に立ち止まって「あった」と声を上げた。見るとそこは児童文学コーナーだった。


「ということでとうちゃーく! 二人の思い出の場所!」


「おお」


「あの本ってどこにあったっけ?」


 佐奈は棚に並んだ本にひとつずつ目を通していく。


 ただ、どうやら本のタイトルをすっかり忘れてしまったようで見つけることはできなかった。


 にしても、すっかり大きくなったな。


 本棚を眺める姿に昔のぴょんぴょんと跳ねる姿を重ねたが、あの時の佐奈と俺は結構な身長差があったはず。


 だというのに今の俺と佐奈は数センチしか変わらない。しかも俺は百七十センチの後半なので、佐奈の成長は著しい。


「大きくなったなあ」


 ぼんやりとしながら呟くと、佐奈はこちらを見てから胸を腕で隠した。


「お兄ちゃんのえっち」


「身長の話だ、ませガキめ」


「ガキって、もう高校生ですけどー?」


「そういうとこが子どもっぽいって言うんだよ」


 そう返すと佐奈は頬を膨らませてから抗議するようにぽかぽかと胸部を叩いてきた。


 しばらくして満足したのか、佐奈は「ふぅ」と息を吐いてから俺の顔を見上げてくる。


 この距離で見ると本当に大きくなったものだ。


「で、なんで無言で見てくるの? 俺の顔に何かついてる?」


「んー? いや、ただつま先立ちしたらもう同じくらいなあって」


「まあ、そうなんじゃないか?」


 適当に相づちを打つと佐奈の顔がふっと近づいてくる。


 ――ちゅ。


 次の瞬間、頬に何か柔らかくて温かいものが触れた。


 つま先立ちをやめたのか佐奈の顔が遠ざかり、そこで彼女が頬を赤らめていることに気づく。


「な、なんで?」


「いやあ、キスできそうだったから」


「そういうことじゃなくて」


「――やっと王子様と再会できたんだもん。キスくらいしちゃうでしょ?」


 佐奈はにへらと笑いながらも、真剣さのこもった瞳をまっすぐと向けてくる。


「……なんだよ王子さまって」


「本を取ってくれた王子様、みたいな?」


「あまりかっこよくない王子さまだな、それ」


「ううん、そんなことないよ。私にとっては世界で誰よりもかっこよかったよ」


 嫌というほど伝わってくる佐奈の感情に、先ほどのキスも相まってすっかり顔が熱くなる。


「そりゃどうも。けど……俺たちは兄妹になったんだぞ?」


「でも、義理だし。法的なしがらみはないよ」


 だから、と佐奈は続ける。


「覚悟してね、王子様おにいちゃん

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