世界の母

 世界の母たちは、考えていました。自らの選択を振り返っていました。


「すみません。アルス様」


 彼女は夫である男に向けて、かしこまった口調で話しかける。


「なんだい?」


 温厚そうな口調で夫は答えます。上質そうな紅茶を啜りながら彼は見るからに複雑そうな機械に向き合っていました。


「私たちは、正しかったのでしょうか」

「.........」


「今まで、クローンなんか無視してきたでしょう。だけど、少し今になって情が湧き始めたのです」

「君、記憶が薄れてきたんじゃないのかい?昔の約束を忘れてしまったか」

「...少し、薄れてきているかもしれません。今のこの体はもう40代目ぐらいだからだんだんと記憶を受け継げなくなっているんです」


「新しい体を作っても意味はないか。今ならいくらでも作れるが」

「えぇ。もう、年季です。時が巡ってきたのかもしれません。わたしたちの行いへの因果が。クローンに、時代を譲りましょう。私たちのクローンなら...」


 男性ははぁ、とため息をつきます。


「ダメだ。わかっているはずだ。クローンに任せすぎたから、私たちは絶滅したんだ。それを忘れてはいけない」

「...えぇ。あの時のことは忘れません」


 そう言って彼女はしんみりと俯くのでした。


「だけど、彼を信じてみましょう。彼は...持ち帰るかもしれない。昔の記憶を。そうしたらまた人類は生きられる。進化個体のみの世に、私たちの目指した世を目指せます」


「......」


「引き時です。私たちが知識を授ける時代は終わりました。もう、世話をしなくても彼女たちは進化し続ける」


「ダメだ」

「ですが...」


「ダメだ!昔のように大量絶滅が起こる。クローンばかりにしていたからオリジナルは怠惰し、向上はなくなった。クローンが新たなものを作り出せるわけがないんだ!クローンはただの道具でしかない。あいつらが向上を、目指せるわけがない!」


「アルス様...間違えております。私たちが作り出した三つの産物。三人のイレギュラーは自立思考を持っています。彼らなら、私たちオリジナルを元の世界に連れ出してくれるはずです」


 男は顔をくしゃくしゃに歪め、何かを考え込んでいます。

 この集落を作り、進化個体を研究して何百年。人口のからだに記憶を受け継ぎながら彼らはずっと見守ってきました。


 ここまでに、過ちを幾つも犯しました。クローン研究は禁忌であったからです。ですが、彼女たちはそれでも追い求めました。美しい未来を。

 人がまた、地上に住める未来を。


「そう、なのか」


もう、俺たちは用済みか。


彼らと彼女も、結局は世界の道具クローンでした。


 世界の父母と呼ばれた彼らは新しい彼らに道を譲りました。その未来を信じて。

 その日、二つの命がこの世から失われました。

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