2話
2
客が来るところではないからか、ビルの一室にあるスキマパパの運営会社のオフィスはひどく無機質で、パーテーションで区切られた様は公共職業安定所を連想させた。
受付を済ませると、早速個室に通されて、担当者を待つことになった。説明会といっても大勢でするものではないようだ。
一対一だと断る場合に少し気まずいかもな……勢いでここまで来たものの、役に立たなそうなら説明を聞いても意味がない。まあそれでも無料だし、ちょっとした社会勉強にはなるだろう。
「お待たせしました」
やってきたのは俺より若そうな爽やかな男性だった。
「仲江圭司様ですね。ご担当させていただく袴田と申します」
「どうも」
会釈し返すと、袴田は席についた。
「仲江様は、スキマパパサービスについてはどのくらいご存じで?」
「HPは一通り確認しました」
「では簡単におさらいしますね」
袴田はパンフレットを俺に差し出し、サービスの概要について説明を始めた。
「……とまあ、要はレンタルパパといったものです。なので主にシングルマザーの方に重宝されています。お得意様ですとサブスク契約をされる方もいらっしゃいまして、その場合正パパ派遣がされます」
なるほど、ここで正パパが出てくるわけか。常に仕事があるならパパを専業にする人もいるのだろう。
「ところで」と俺は口を挟む。「パパというだけに、基本働き手は男性だと思うのですが、たとえば注文者の女性が一人暮らしだとしたら、その、危なくないのでしょうか」
「もちろんセキュリティ面は万全を期しています。女性一人のところに男性が赴くと恐怖を覚える方もいますからね。お客様のご要望にもよりますが、たとえば勤務中は常時GPSを作動したり、小型カメラをつけて常時リアルタイムでの監視も可能です。警備会社と提携しているので、何かあればワンボタンで通報することもできます。またそもそも身元が確かな方しか採用しませんし、注文者側はその中からパパさんを吟味することができるので、ミスマッチが起きづらいシステムにもなっています。実際サービス開始以降刑事事件が発生したことは一度もありません」
「なるほど」
そうした安全面に配慮する程度にはきちんとしたサービスのようだ。
「仲江様は……」袴田が脇に置いたノートPCを覗く。「正パパご志望でしたか?」
「はい。といっても、就業するというよりは、研修を受けてみたいと思いまして」
「そうですか……基本的には正パパはスキマパパからのステップアップという位置付けですので、新規の方にはまずスキマパパの就業を勧めているのですが」
「いえ、私は実際に子どもがいるので、すでにちゃんとしたパパというか、経験者だと思うので」
「実際にパパだからといって、すなわち正しいパパかというと、そうとは限らないでしょう」
「え」なんか毒がある言い方な気が……。
「ああいえ、あくまで一般論としてですので。ほら、父親が家事をしない話とかざらに聞くじゃないですか」
「そうですね……」
やはりちくちく痛いところを突かれている感じがするのは気のせいか。……まあそれは自分のせいか。
「まあ、ひとまず履歴書を作ってみましょうか」
「履歴書ですか? まだ応募すると決めたわけじゃないが」
「先程も申しました通り、誰でもパパとして採用されるわけではないので、確認として必要でして。それに自分の経歴を振り返ることは、自分のスペックやスキルの棚卸しにもなりますからね」
「はあ、そうですか……」
「ではこちらの用紙にざっと書いてみて下さい。試し書き感覚でいいので。そのあと私と添削しながら清書した後登録しますので」
袴田が一枚のA3用紙を滑らせる。個人情報から経歴、長所や短所など、まさに履歴書といったフォーマットだ。書くのはいつぶりだろうか……と思いつつ、言われた通り簡単に欄を埋めていく。
「できました」
「ありがとうございます。では拝見いたします」
袴田が履歴書に目を通す。しかし間もなく顔を上げた。
「あの、ここの経歴欄ですが、これではただの職歴です。パパ歴も書いてほしかったのですが」
「パパ歴、ですか?」
「パパになってからこういうことをしてきたとか、こういうことが得意とか。思い当たることをあげてみてもらえますか。私が記入しますので」
「そうですね……」
パパになってからこういうことをしてきた……なんだろう、大抵のことはしてきたと思うが、ただ胸を張って経歴としてあげられるかというと少々、いや大いに疑問だ。
「料理や掃除などの家事はできますか?」
返答に窮していた俺を見かねたのか、袴田が質問してくる。
「それらは妻がしていたものでして。もちろん手伝うことはありましたが」
「家族構成では娘さんがいらっしゃるとのことですが、育児はどうです?」
「やはり主に妻が」
「あー……」袴田が言葉を探すようにペン先をぐるぐる動かす。「つまり、パパ業は未経験のレベルだということですかね」
「いや、そんなことはないと思いますが。親になってから十年にもなりますし」
「では具体的に何ができるんです? 家事や育児はパートナー様がしていたのですよね」
「えーと、キャッチボールを少々……」
「キャッチボールですか? 娘さんは野球をしてらっしゃる?」
「いえ、娘は特にそういうのに興味はなかったので……」
「つまり、一、二回しただけだと」
「三回はしましたかね……」
袴田はやや間があってから、無言で履歴書に書き込み始めた。ポジティブなことが書かれていると思えず、俺は遮るようにして話を続ける。
「しかし、私は仕事をしていたので」
「仕事をしていたらパパをしなくていいと?」
「そうは言ってませんが……」
「失礼ですが、一体この十年間何をしてきたのですか?」
ほんとに失礼だな……。「……なんか言い方きつくありません?」
「すみません、圧迫面接対策でした。厳しく突っ込んでくるお客様もいますので。逆に聞きますが」と袴田が続ける。「仲江様こそ、パパ業を少々甘くみていませんか? この程度の実績やスキルだと、このAI時代ロボットに取って代わられてしまいますよ」
「AIが?」人間の職が奪われるかもという話はたびたび目にするが……「「いやいや、パパの代わりにはならないでしょう」
「いえ、すでにパパの仕事を物理的にこなすことならほぼ可能です。よって感情的優位性のないパパが家事をしなければ、ロボットに負けることになります。ロボットはごはんもいらないし、文句も言わないので、下手なパパより断然優秀でしょう。そんなパパが逆にロボットに勝てることなんてありますか?」
「愛情を与えるとか……」
「できるんですか? 家のことを何もしないパパの言うことなんて子どもは素直に聞くでしょうか」
「キャッチボールとか……」
「ロボットもできますよ。なんならロボットは疲れを知らないので子どもが飽きるまで付き合えます。あなたはどうです?」
自分から誘っておいて疲れたと言ってすぐ休んだ記憶が蘇った。
「すみません、なんだか脅かした形になってしまって」ぐうの音も出なくなった俺に、袴田がフォローする。「未経験レベルでも問題はないので。ここだけの話、大抵のパパさんはスキルに大差ありませんから。とはいえ仲江様の場合、これだとパパ歴が空白になってしまって印象が悪いので、なんとかこれまでを振り返って実績を抽出していきましょう」
それから袴田は、俺の家庭内での行動を根掘り葉掘り聞いてきた。やはりあまり話せることはなく、正直かなり帰りたくなったが、自分がパパとして何もしてこなかったことを思い知らされたため、これは本気でなんとかしないといけないなと思えてきたので留まることにした。
そう思えただけでも、ここに来た甲斐があったかもしれない。
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