スキマパパ

灰音憲二

1話

   1


 家族で夕食を食べている時に、小学四年生の娘である百音が「パパみたいだね」と言うので、俺は納豆をかき混ぜていた手を止めて顔を上げた。

「何が?」

「これ」

 百音が指を差したのはテレビで、カジュアルな報道番組が映っていた。コメンテーターが今流行っているらしいスキマバイトについての見解を述べている。

「スキマバイトが? なんで?」

 隙間時間に手軽にバイトができるサービス——スキマバイトは、人によってはそれなりに有用なのかもしれないが、俺は会社に正社員として働いているので、そんな時間も意欲もないためしたことはなかった。

「隙間時間で働くってとこが。パパって暇な時しかパパのお仕事しないでしょ? それって隙間時間にパパしてるってことだから、スキマバイトみたいだなって。スキマパパみたいな」

「スキマパぶわっは!」

 百音の横で妻の渚が思い切り吹き出して大笑いする。ひーひー言いつつ、「百音最高」と百音の肩を叩いたり、いえーいと百音とハイタッチしたりする。

 母娘仲良いのはいいけどさ……。

「笑いすぎだろ……」

 俺はうまく笑い飛ばせなかった。子どもの大人びた発言というのは、大概親の真似事にすぎない。大方百音は、渚がたまに俺に向かって言う「パパの仕事して」という台詞と、仕事の一形態であるスキマバイトを関連づけただけなのだろう。

 そう推測はできても、愛娘に自分が『たまにパパらしいことをしてくれる、なんか家にいるアルバイトさん』といった認識をされているのではないかと思うと、気が気じゃなかった。

「……そんなことはないぞ、パパはちゃんとパパだぞ」動揺している場合ではない、娘の誤解を解かなければならない。「それにもしパパがバイトだったら、お金をもらわらないとだろ。でももらってないから、やっぱりバイトじゃないぞ」

「サイテー」妻がいきなり笑いを収めた。「パパの仕事はお金が発生するならやる、発生しないならやらない、そう聞こえるんだけど」

「いや、冗談だから……」

 お金の話はデリケートだから慎重に。そう娘に教えたいところだけど、あとにしておこう。

「あと、もし本当にパパがスキマバイトだったら、パパがやめたら他のパパが来ることになっちゃうじゃないか。それでもいいのか——」

「えーそれちょっといいかも」と百音。

「え、いいの?」

「マッチングサービスならこっちから選べるかもね」渚も否定しないという。「高身長イケメンパパにしよっか」

「いいねいいね」

「冗談だよな……」

 どんなパパがいいかと盛り上がる渚と百音に疎外感を覚えつつ、納豆のかき混ぜに戻る。

 ……ま、まあさすがに冗談の類、笑い話のノリだろう。大体パパを代替するなんて不可能なのだから心配することはない。……離婚さえしなければ。こうして家族揃って談笑(だと思われる)しているのだから、そこまでの『家族の立場の危機』ではないはずだ。


 しかし、百音が自分のスマホを見ながら、「え、ほんとにあるよ!」と言ったところでにわかに風向きが変わり始めた。

「なにが?」と渚が訊く。

「スキマパパが。そういうサービスがあるみたい」

「えーうそでしょ」渚も自分のスマホをいじり出した。「すごい、ほんとだ」

「高身長イケメンパパいる?」

「いるいる。検索するといろんなパパが出てくるよ。おもしろー」

 どんなパパがいいかなどと二人であれこれ目の前で協議されては、本物のパパである俺はおもしろくなかった。

「とりあえず登録してみよっかな。無料だし」

「おいおいおい」話の種だけにするならまだしも、そこまで至るとなれば口を挟まずにはいられない。「本気か? まさかほんとに頼むわけじゃないよな」

「まあ普段は頼まないけどさ。もしあなたに何かあった時に、急に男手がいる時とかあるかもしれないでしょ。そしたらこれって便利じゃない」

「いやそんなもしもの時のためにわざわざ……てか大丈夫なのかそれ、詐欺とかじゃないよな」

「SNS見たら利用した声もあるし、ちゃんとしたサービスみたい。経済ニュースにもなってるし」

「だからって、そのやってくるパパがちゃんとしてるとは限らないからやっぱり危ないだろ」

「うーん、でもさ、やっぱりパパも競合がいないと向上心がなくなってだめになると思うんだよね」

「俺は聖域と化したサッカー日本代表選手か何かか」

 俺の文句は、百音が「ねーこのパパどう?」と話を遮ってきたこともあって届かなかった。


 それ以降は各々食事を取るのに戻ったため、スキマパパの話は尻すぼみになった。俺は話を蒸し返したくなくて黙っていたが、内心ではこれはちょっとよろしくないな……と危機感を覚えていた。

 百音のパパ——俺に対する認識だ。あまり敬われているとは思えない。今は小学生だからまだこの程度で済んでいるが、これが中高生になってきたら、邪魔者を見るような目で見てきて、無視するようになってしまうのではないだろうか。年頃の子どもならそれが普通なのかもしれないが、せめて最低限の敬意だけは持っておいてほしい。でないとさらに家庭内での居場所がなくなってしまいかねない。

 どうにかしないとかもな……と思いつつ、食器を流しに持っていく。せめて皿洗いは忘れないようにしようと、すぐにスポンジに洗剤をつけて泡立てる。

「ねえ」皿をごしごしとしていると、背後で渚が言った。「洗うならみんなのと一緒にしてよ。二度手間でしょ。これだからスキマパパは」

「スキマパパはー」

「はい……」

 ……ほんと、どうにかしないとな……。


  *


 例の『競合』が気になって仕方なかったので、自室に戻ってパソコンでスキマパパと検索する。するとまさに同名のサイトがトップでヒットしたので開いてみる。

 老若様々な男性が笑顔で料理したり掃除したりしている背景画像の真ん中に、『スキマ時間にパパ借りませんか?/しませんか?』とキャッチコピーが流れる。下にスクロールしていくとサービスの概要が表示された。

「なるほど……要は家事代行の男版、レンタルパパといった感じか」

 家庭レベルの仕事で男手が欲しい人と、隙間時間に働いて報酬を得たい人のマッチングサービスのようだ。

 パパと銘打っているが、働き手は男性に限らないという。ここでいうパパは、パパ役をする人を指しているのだろう。

 また注文者も女性に限らないようだ。考えてみれば家庭内におけるパパの役割が欲しい人は妻だけではない。子どもや祖父母の場合だってあるだろう。

 再び画面を下にスクロールしていくと、借り手と働き手それぞれの登録ページに誘導するボタンが設置されてあった。ほんとにスキマパパになってやろうかなと、一瞬やけのように思う。

 が、そのさらに下に、『正パパ支援サービスも同時提供中!』という大きなバナーを見つけて手が止まった。

「正パパ?」正しいパパ?

 その響きが気になってクリックする。すると『スキマパパから正パパを目指しませんか?』という文言が目に飛び込んできた。その下の説明を読むと、どうもフルタイムでパパをする仕事を斡旋するサービスらしい。だからアルバイト感覚のスキマパパならぬ、正パパというわけだ。

「まるで正社員就職支援サービスだな」

 けど、言うほどフルタイムでパパを雇用する人がいるのだろうか。まあ俺はすでに自分の家族がいるという意味では正パパだし、よその家のパパをする理由も暇もないから、俺には関係ないことか。

 と思ってページを閉じようとしたところで、ちょうど『そこのパパさん、自分を正パパだと勘違いしていませんか?』という文章を見つけてぎくりとした。

『たとえ実際の父親でも、家庭内のことを疎かにしていたら正パパとは言えません。家族からのけものにされてはいませんか?』

「なんだこのぐさぐさくる文章は……」

 その煽るような言い方に加え、さらに離婚率や離婚理由などのデータを付け足して、ある層の男性の危機感を増幅させにきていた。

『当社のスキマパパ事業で培った正しいパパのノウハウを、懇切丁寧にお教えいたします。研修のみから就業斡旋まで、ご要望に応じて幅広くサポートいたします』

 文章はそう締めくくられていて、その後に『お申し込みはこちら。無料説明会実施中!』と申し込みフォームへ繋がるリンクが貼られている。

 要はサービスへの加入を誘導するものとして、少々煽るような文章になっているのだろう。そうとはわかっていたものの、正しいパパという言葉には惹かれざるをえない。

「無料説明会か……研修だけでもいいみたいだし、近くでやってるかな……」

 溺れる者は藁でも掴むというか、気づけば俺は申し込みフォームを開いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る