第2話
「蛇ヶ崎巳咲です。宜しくね相馬くん」
かけた挨拶に返ってくる言葉は無かった。ただ呆然とこちらを見る相馬孝仁という少年は、驚く程に整った顔をしていて、巳咲がこれまで出会ったどの男子よりも大人びた表情をしていた。
席に着いてもまだ視線を感じる巳咲は、それでも気にしないようにして真新しい教科書類を机の中にしまい込む。
自惚れなどでは無いが今世の容姿が他人の目を集めてしまうのは重々承知で、事情を知らない巳咲は、隣の人物が一時間目が始まってもまだ横目で気にし続けているのも仕方ないのかなと思っていた。
(すみません…私のこの姿は偽りなんです…)
そっと心の中で呟く謝罪は誰の耳にも届かない。満月から遠ざかるように真っ暗な地面へと落下する記憶は途中までしか残っていない。痛みも苦しみも感じること無く、死を実感する前に覚えたのは新しい人生をスタートさせる産声だった。
父も母も黒髪黒目で今の自分とは輪郭も何もかも違う平凡な容姿をしている。それでも何も疑わず優しい笑顔を向けてくれる彼等には、蛇ヶ崎家の長女として産まれ変わってからこれまでずっと罪悪感を抱いていた。
今の私は作られた偽物の偶像に過ぎない。だから人に愛される資格も無い。誰かに愛してもらうなんて烏滸がましい。
あの日願った愚かな望みは、叶えられてしまった今の巳咲を切ない程に苦しめていた。
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(マジかよ…信じられねえ…てか、なんだコリャ?転生
第二の人生が本当にある等と思っていなかった孝仁であったが、過去に小説家を志していただけあって、巳咲とは違いわりとスンナリと今の「生まれ変わり」という現状を受け入れる事は出来ていた。
―――この時までは。
意味が分からない、ただその言葉だけが頭の中を駆け巡る。前世とそっくりそのまま同じ名字と名前で生まれ変わったと気付いたあの時よりもその衝撃度合いは上であった。
同じ名字と名前であるが、自分を育ててくれる今の両親は前世の両親とは違う者達だ。
過去の両親より遥かに整った容姿をした者達の元に産まれ、生活環境も何もかも全てが上位互換で、それは見た目だけでなく自身の頭脳や身体能力に至っても同じであった。
勉強をすれば少し教科書を読んだだけで頭に軽くインプットされてしまう。スポーツをすれば自身が想像する通りの動きをこの身体はしてくれる。
あまりに出来すぎる今の自分に畏怖を覚え、孝仁は週に一回は長い夢でも見てるのじゃないかと頬をつねって生きてきた。そしてその癖は16年経った今でも止める事は出来ていない。
(まんまだよな…俺のあの記憶が嘘じゃないって言うなら、隣にいるコイツは紛れもなくあの憧れた憎きVチューバーだ…)
かつて3D配信で見た事がある彼女が更にリアルになって目の前に現れた。髪の毛一本一本細部にまで描かれて、隣に座っては真剣な眼差しで黒板を見つめている。
呼吸をし、たまに眉間に皺を寄せ、閉じる瞼の睫毛は髪の色と同じ白で、開いたルビーのような瞳は外の景色を艶やかに映し出している。
「あ、あの…何か私の顔に付いてますでしょうか?」
少しばかり見すぎていたのか、静かな声で注意を受ける。
「いや何でもない。少し昔の知り合いに似ていただけだ…」
「知り合い…ですか?」
「気にするな、忘れてくれ」
授業中にも関わらず見つめ合う形になった彼女の綺麗な紅い瞳には、珍しく動揺した自分の顔が映っていた…
▼
東北の田舎の自然が多い場所へと引っ越してきた蛇ヶ崎巳咲は初登校を終え、肩の荷が下りた状態でゆっくりと自転車を漕ぎ、片道15分の道を30分かけて帰路を辿る。
塗装されてない凸凹した道もたまに通りながら身体いっぱいに緑の香りを吸い込んで、流れるような景色を楽しんでいた。
「良い景色。向こうではいっぱい迷惑かけちゃったから、こっちでは頑張らないと」
都会からわざわざこんな娯楽の少ない田舎へと引っ越してきたのは、何を隠そう彼女が原因であった。
転生、などという文化があるのを前世の彼女は知らなかった。あの時願ったのは流れ星にでも祈るような感覚であって、聞き及ぶ事も、耳に挟む事も一切なく、死んだら天国か地獄に行くものだとばかり思っていた。
産声を上げ、耳に馴染み過ぎた名字に名前を付けられ、成長するにつれ理想の自分に近付いていく。憧れ焦がれ続けた姿が現実の物として顕れ、その身体を機材を使わずに生身で動かせるのは歓喜でもあったが、それ以上に悲劇でもあった。
部屋にある全身鏡を何枚割ったか分からない。授業中窓に映る自分の姿を見て悲鳴を上げたのは一度や二度ではない。
"なに自分だけ幸せになろうとしてるの?皆を騙して裏切って、最後は自分だけ逃げ出した卑怯者の癖に…"
映し出された姿を覆い隠すように前世の自分が現れては毎度そんな事を囁かれる。妄想なのか現実なのか、薄く笑う彼女は今もなお
――キキッ!!
「はぁ…はぁ…はぁ…はぁ…」
たまたま、自転車に取り付けられたミラーを覗いた時にまたも過去の幻影が見えた気がした。
「…つ、強く、強くならないと」
真っ青な顔で息を切らし、震える腕でハンドルバーを強く握り締め、九月初旬のまだ蒸し暑さが残る季節の中ポタリポタリと冷たい汗が綺麗な顎先から滴り落ちる。…巳咲は呼吸が落ち着くのを待ってから再びペダルを漕ぎ出した。
(もう、逃げる訳には行かない…お父さん達のあんな辛い表情はもう見たくない…)
それは去年の今頃、中学三年生の秋に、ここよりも暑さが残りやすい人も車も建物も格段に多い場所で…巳咲は一度、この身体でも自殺未遂を起こしていた…
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