V嫌いな彼と前世Vだった彼女の事情
夜ノ雨
第1話
『みんな、みんな、今までありがとうね!私、私…絶対みんなの事忘れない!皆がいつも応援してくれたからここまで頑張れた。辛い時も苦しい時も皆がいてくれたから乗り越える事が出来た。嬉しい時も皆と一緒だったから何倍も嬉しいと思えた。ありがとう。ごめんね。私、
そう言って配信を閉じたのは、真っ黒でゴワゴワな中途半端な長さの髪に分厚いレンズの入った眼鏡をし、灰色のパーカーと同系色のウエストゴムが緩いズボンを履いて、ややぽっちゃりとした体型の肌荒れの酷い…心だけは綺麗な三十路手前の一人暮らしの女性である。
「……ごめんなさい、ごめんなさい。本当にごめんなさい」
先程まで喋っていたスレンダーで真っ白な長い髪と、ルビーのように美しい赤い目をした少女とは似ても似つかぬ容姿をした女性は眼鏡を外すこと無くレンズの上に涙を溢す。
「騙す事に疲れてしまったの。皆を騙す事に疲れてしまったの」
チャンネル登録者は個人勢ながら10万人を超える人気配信者で、同接数は安定して1000人を維持していた彼女はその界隈でも有名であった。
切っ掛けは些細な事からで、たまたま呼ばれた合コンで誰にも相手をされない中ポツンと日本酒を飲んでいた時に、一人の男性に褒められたのが始まりだった。
"きみ、声めちゃくちゃ綺麗だね。Vチューバーにでもなれば良いのに"
その後その男性と進展があったかと聞かれればそうでは無い。それだけ言ってまた別の女性と楽しく話し始めた気紛れな男性の一言は、されども彼女を刺激させた。
Vチューバー、聞いた事はあったが見たことは無かった。だけどこのまま生きてても自分は何も残せないまま人生を終えてしまう。
そう思った彼女は、いてもたっても居られずそのまま合コンを抜け出し、閉店間際の電気屋へと飛び込んで店員に聴きながら一晩で必要な機材を揃えたのだ。
翌朝目を覚ました彼女はたいそう驚いたという。普段の口下手な自分がどうやってコミュニケーションを取ったのか、思い出そうにも思い出す事が出来ず、同時に脇に転がっていた大量のビールの空き缶を見て頭痛に襲われたのだった。
探り探りで始めた彼女の配信はいつも視聴者に相談しながら「次はなにをするか」で内容を決めていた。勿論、度を過ぎた冷やかしに近い無茶な要望も多く見られたが、やんわりと否定し、されど糾弾はしない彼女の人柄に多くの者が心を入れ替え吸い寄せられていった。
予想以上に綺麗に作って頂いた立ち絵の少女とも今日でお別れである。皆に愛されたのは彼女だった。自分ではない『蛇ヶ崎巳咲』という巫女服を着た綺麗な容姿の少女だった。
たくさんの「可愛い」を頂いた。たくさんの嬉しいを頂いた。たくさんの勇気を貰った。
「愛してくれて、ありがとう。そして、いっぱい騙してごめんなさい」
何度目になるかも分からない「ごめんなさい」を残して、一生分の愛を貰った女性は…悲しいかな、罪悪感に押し潰されて、もうこれ以上は誰からも愛を貰えないと勝手に解釈して、パソコンの脇に置かれた今は亡き両親の写真に手を振って、10階に住むマンションの窓を開け姿を消したのだった。
(次はあんな綺麗な容姿に産まれると良いなあ…)
頂いた今は動かない綺麗な立ち絵に見送られながら…
▼
「は?卒業?なんだそれ…?」
とあるアパートの一室で、彼女の卒業配信を眺めていた男は驚愕していた。
「…なんで、俺最近は何も傷付けるようなコメントはしてない筈なのに」
たまたま空いた隙間時間に「卒業配信」と銘打たれたサムネを見て、直ぐさま駆け付けた画面の向こうでは彼女が涙ながらに別れを告げている最中だった。
(意味が分かんねえ…何があったんだよ…)
奇しくも中身である女性と同じ年代の彼は、社会で味わった日頃のストレスを誰かにぶつけるように、配信始めたてのVチューバーを見付けてはありもしない誹謗中傷をして直ぐに姿を消す、あと一歩でも足を踏み出せば裁判所からお手紙が届くような最低な生活をしていた人間であった。
元々は。
(ふざけんな。勝手にいなくなるなよ。やっと、やっと…信じられる誰かを見付けたと思ったのに…ふざけんなよチクショウ)
そんな最低な生活を送る中たまたま見付けた彼女の配信で、いつも通り通報スレスレの書き込みをしていた彼に『蛇ヶ崎巳咲』は笑ってこう言ったのだ。
『もう、何があったか分かりませんけどね。その文章力と頭の回転の早さを他の何かに生かした方がよっぽど幸せな人生を送れるんじゃないですか?誰に対してかは、ここでは伏せますけどね。私はそう思うのですよ名も無き誰かさん?ふふっ』
何をやらせても要領が悪く、会社では先輩後輩問わず馬鹿にされ、上司からはパワハラに近い無視を繰り返される。整った容姿を持っている訳でもない。何か秀でた才能がある訳でもない。悲劇的な人生を送っている訳でもない。良い年して両親の元で実家暮らしを続ける彼は、その日初めて成人してから涙を流した。
ただ適当に思い付く限りのギリギリの悪口を書き込んでいた彼に、彼女は怒りもせず笑って誉めてくれたのだ。お世辞かどうかも分からぬその言葉に、しかしながら
故に彼は筆を取った。そして今、書きかけの小説を一斉削除する。
生きる希望を失った。いつか有名になって誇れる自分になって彼女の配信に再びコメントを残すのが夢だった。
"きみのお陰で俺は変われました"
10万字超えの自分にとっては最高傑作が姿を消していく。配信終了になって視聴者はたった一人になっても彼はその画面を見続けた。
「もう、二度と人も誰も、Vチューバーなんか絶対信じねえ…」
キチンとした卒業理由も配信では告げられなかった。彼女のXにも「一身上の都合により活動の継続が困難になりました」としか書かれていなかった。
"頑張れ"、"今までありがとう"、"蛇ヶ崎さんに会えて良かった"…
数々の応援コメントに目を通しながら、最後に一文だけ残して男は後を追うようにドアノブに向かう。フラりフラりと猛烈な目眩に襲われながら最後に残した文章は誹謗中傷以外の何者でもなかった。
"裏切り者、二度と俺の前に姿を見せるな"
しかして、それを訴える者はもういない。訴えられる人間もいま姿を消した。
愛憎たっぷりに残した彼の一文は一時期波紋を呼んだが、また直ぐに風化して別の
▼
「初めまして蛇ヶ崎巳咲です。皆さん宜しくお願いします」
二度目の人生がある等と思っていなかった彼は、学生服を着て前世とは比べ物にならないほど整った容姿で驚愕する。
卑屈な目だけはより一層険しさを増し、16年間生きてきて友人など誰一人いないが、そこがクールで格好良いなどと騒ぐ女子がいることも彼は知ず、周囲を断絶しまくっていたサラサラな黒髪の彼は、まさかもう一度聞くことになるとは思っていなかった名前に声に思わず顔を上げた。
「えー、東京からの転校生の蛇ヶ崎さんです。みんな仲良くするよーに。席はそうだな…あの窓際の一番後ろの相馬、
担任である女性教諭が自分の方を指差してそんな事を告げている。ゆっくりと歩いてきた彼女は隣に腰を下ろし、記憶にある同じ姿と声で綺麗に会釈をしてこう言ったのだった。
「蛇ヶ崎巳咲です。宜しくね相馬くん」
かつては
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