オーバードクター3
一度事務室のある棟を出て、通り沿いに歩いていると……なんかいた。いた、というか、落ちているというか、これは歩が初めて見る光景である。
「ーー行き倒れ?」
桜子さんがくんくんと倒れている男の匂いを嗅ぐ。
「あ、助けないと!」
あまりにもぼーっと歩いていたし、ありえない光景で受け入れがたかったが、行き倒れである。歩は男性に近寄ると、しゃがみ込んで肩を叩く。
「大丈夫ですか!?」
「うーん……」
どうにか意識はありそうだが、何かしら事故に遭ったとか怪我をしているとかあるかもしれない。そのまま声掛けを続ける。
「あの、怪我とかありませんか!?」
「は……」
「苦しいとか!?」
桜子さんも近くで見守る。男性が口にしたのは……。
「腹がへった……」
「え?」
歩と桜子さんの目が点になる。この男性は、腹が空きすぎて行き倒れていたのである。それでも歩は男性に質問を続けた。
「他に怪我や調子の悪いところは……」
「ないけど……メシ……何か食わせてくれ……」
「桜子さん、手を貸してくれる? とりあえず研究室に運ぼう。医務室じゃご飯は食べられない」
「は、はいっ」
倒れている男性をふたりで起き上がらせると、なんとか肩に腕をかける。が、そこで歩は何かに気づいた。
「……本当に歩けないんですか?」
「歩くとエネルギーを消耗するかと思って……」
「歩けるなら、研究室まで自力でお願いできますかね」
淡々と言うと、男性はようやく自分の足で立つ。まったく手に負えない人だと内心呆れる歩。桜子さんもさすがに苦笑いだ。
「あの、本当に大丈夫ですか?」
一応たずねる桜子さんだが、男性は小声で言った。
「大丈夫じゃない。腹が空きすぎていて、立つエネルギーも節約していた……」
「桜子さん、多分大丈夫。まぁ、ここで倒れられていても困りますし、学食にでも……」
「財布が……無い。今日は家に忘れた」
健康そうではあるし、特に怪我とかはないのだろう。だが、なんというか……家に財布を忘れるような人間なので、ある意味平気ではなさそうである。
入学早々出会ったのが、無茶を言う教授、化け犬、行き倒れってどんな面子だよ。さすがに自分の置かれている状況に、歩は違和感を持つ。だが、まぁ大学には魑魅魍魎が集まっているのかもしれないと人まずは置いておき、この男性の素性を知らなくてはいけない。
「あの、お名前を聞いてもいいですか?」
明らかな不審者に桜子さんが質問すると、おずおずと口を開いた。
「稲沢……。理工学部の」
「ああ、理工学部の方ですか!」
桜子さんが手を叩くと、歩はたずねた。
「桜子さん、知り合い?」
「いえ、そうではなくて。ただ理工学部の学生は、まともな食事をしていないって噂だったので」
「まともな食事ねぇ……」
「とりあえず、何か食わせろ……」
「命令口調はいけませんね」
考えながらも、口調を訂正させる歩。だが、空腹だと気が立ってしまうというのはわかる。ここは何か食べさせなくてはいけないな。しかし、ここで倒れていたのも何かの縁。学食に連れて行き、食事を奢ることもできなくはないが、いかんせん自分も高校のときに貯めた貯金で生活している身だし、特任教授の給料がいつ支給されるのかもわからないので無駄遣いはできない。
「桜子さん、大学の講義は受け放題って言っていたよね。他にも例えば研究費とか支給してくれるのかな?」
「ええ、事務に申請すれば出ると思いますよ。ただし、会食費なんかは出にくいです」
「ふむ……」
桜子さんも歩が何を言おうとしているのかわかったらしく、会食費についても教えてくれた。つまりこれは、学食で食事を奢ることはできないが、研究室で料理を振る舞うことはできるということだ。
「仕方ない。研究室まで連れて行くか」
「何か新しい研究ですか?」
「うーん、研究っていうのかな? この状況……」
桜子さんは目を輝かせるが、歩は少し納得が行かない状況でもあった。
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