第5話 佳奈と久美

 佳奈は落ち着いた声色で語った。


「あの子に勉強を教えてるの。中学生の時からずっと。高校受験の時は本当に大変だったわ。毎日つきっきりで勉強を教えてたし、久美専用の問題集も作ってたわ。それで、高校生になっても心配だから同じ高校に入学したの」


 驚いた。そんなことをしていたとは。

 究極のお人よしか、何か弱みを握られているかのどちらかでもなければそこまでしないだろう。


 佳奈の性格を考えると、後者だと俺は予想した。

 そして、それは思わず口をついて出ていた。


「お前、弱みでも握られてるのか?」

「なんでそうなるのよ。違うわ全然」


 違うのかよ。何かこいつの弱みを握れる糸口になるかと思ったのに。


「じゃあなんで同級生のためにそこまでするんだ?」

「なんでアンタにそんなこと教えなきゃいけないわけ? すぐ詮索してくるあたり、ホント童貞って感じね。やっぱアンタ童貞よね?」


 ——なぜバレている。

 だがしかし、ここは冷静に大人の対応を——。


「ど、どどど童貞ちゃうわ!」

「何よ動揺して、気持ち悪い」


 完全に対応をミスった。これでは童貞丸出しだ。

 というか、俺のことをバカにしているがこいつは逆に……。


「というか、そういうお前はどうなんだよ」

「はぁ? どういう意味?」

「け、経験あんのかよ」

「……はぁ!? 気持ち悪いわね! そんなこと女子に聞くからアンタはいつまで経っても童貞なのよ!」


 顔を真っ赤にした佳奈が俺に怒号を浴びせる。

 どうやら下ネタに対しては意外とうぶらしい。

 一頻り俺を罵倒した後、しばらく口を閉じていた佳奈がため息混じりに語り始めた。


「久美は私の恩人なのよ。私の人生がめちゃくちゃになって、自暴自棄になってた時に助けてくれたのよ」

「……」


 俺は佳奈の意外な過去に正直驚いていた。

 佳奈は高校入学当初から気が強く、勉強も運動もなんでもできて、常に周りに人がいて俺とはかけ離れた人種だと常々思っていた。


 そんな佳奈にも自暴自棄になっていた時期があると思うと、劣等感ばかりの俺の人生が少し救われるような気がした。


「もういいでしょ。それと、別に私は久美に恩着せがましくするつもりはないわ。このことは黙っておいて。まぁアンタが久美みたいな人気者と話すこともないでしょうけど」

「うるせぇよ」


 相変わらず憎まれ口を叩く佳奈の表情が、心なしか少し曇っているように感じた。


「で? あの問題集は難しかった? 簡単だった?」

「え? ま、まぁ簡単すぎず、難しすぎずって感じだったな」

「そう、ならよかった。久美に解いてもらう前に誰かに感想聞きたかったのよ」

「そ、そうか……」


 いつもとは違った佳奈の雰囲気に少し戸惑っている。

 ただただ悪魔のような女だと思っていたが、少しだけ印象が変わった。


 自己中心的で口が悪くて他人を奴隷扱いしてくるだけのやつだと思っていたが、そうでもないのかもしれない。


 しかし、俺とこいつは敵対関係だ。

 こんな身の上話を聞かされたところで、情に絆されるほど俺も甘くない。


 何があっても不利すぎるこの状況をひっくり返すのだ。

 こいつの奴隷のまま高校生活を終わらせるつもりは毛頭ないのだから。


「そういえば、あれはどうなってるの?」

「え? あれ?」

「あれよ! あ! れ! 私に理想の彼氏を作るっていう計画。どうなってるかって聞いてんのよ」


 ——来た! この話題! ここから俺の逆転劇が始まる……!

 こいつの負け顔をじっくり拝んでやる。

 そして俺に二度と舐めた態度を取れなくしてやる。


「あーあれな! もちろん進めてるぞ! 着実に!! 明日にでも俺の一押しのメンズを紹介してやる!」

「ふーん」


 急に声色が変わった俺を見て、佳奈は怪訝そうな顔をした。


「アンタ、もしかしてなんか企んでたりする?」

「え? いや別に特には……」

「本当かしらねぇ。奴隷の癖になんか仕掛けてきたらぶっ飛ばすわよ」

「は、はは……」


 まずいまずい。ここは平常心だ。焦らずいつも通り振る舞うのが重要だ。

 とにかく、ここからが俺の本当の戦いだ。


 ——ピンポーン

 突然チャイムがなった。


「!?」

「誰か来たみたいだぞ」


 予想外の来客なのか、佳奈が驚いている様子だ。

 モニタ越しにエントランスの映像を覗くと、小さく手を振る久美の姿が見えた。


「く、久美!? なんで!?」

「え? お前が呼んだんじゃないのか?」

「今日は勉強会しない日なの! アンタを呼んでおいて、久美を呼ぶわけないわよ!」


 大分焦っているようだ。

 無視するわけにもいかず、佳奈は渋々オートロックを解除した。

 そして、すぐに後ろを振り返り俺のことを睨みつける。


「ちょっとアンタ、何ぼけっとしてるのよ! 隠れなさい! そこの部屋に!」

「は、はぁ?」

「当たり前でしょ! アンタが家にいるなんてことが久美にバレたら私は◯ぬわ!」

「いやいや言い過ぎだろ!」


 どうやら俺がこの家に訪れていることを久美は知らないようだ。

 これは一つこいつの弱みを握れたと言っても過言ではない。


 童貞だ奴隷だの罵っている男子を自宅に連れこんでいるとなれば、あらぬ噂は瞬く間に学校中に知れ渡るだろう。


 ——ふっ。詰めが甘いな、鶴島 佳奈。



 久美が佳奈の部屋に訪れてからすでに三十分程が経過していた。

 俺はというと、空き部屋の中に影を潜めていた。


 幸いクローゼットや押入れの中ではなく、部屋の中なので特段苦しいといったことはなかった。


「……何もないな。三LDKなのに全く使われていない部屋があるとは、金持ちの考えることはよくわからんな」


 小声で独り言を呟いた。

 それにしても殺風景すぎてつまらないし、暇がすぎる。


 あまり趣味が良いとは言えないかもしれないが、アイツらが何を話しているのか盗み聞きすることにした。

 これも暇すぎるのが全部悪い。


 ドアに耳を押し当てると、佳奈たちの会話がうっすらと聞こえてきた。


「ありがとーかなっぴ! ここがわからなすぎて、先生に聞いてもわからなくて……。やっぱかなっぴは勉強を教えるのが本当に上手だね!!」


 久美が嬉々として話している。

 佳奈に急遽勉強を教えてもらっていたのだろうか。


「別にいいけど、これから急にくる時はちゃんと連絡してよね。びっくりしたんだから」

「ごめんってぇ! ……もしかして、なんかやましいことでもー?」


 めちゃくちゃ図星を突かれている。

 アホに見えて意外と鋭いタイプなのかもしれない。

 佳奈はなんと答えるのだろう。


「い、い、いやぁ? 別にやましいこととかはないけど!?」


 ——いやいや下手くそすぎるだろ!

 思わず声に出して突っ込みそうになってしまうくらいには酷い返答だ。

 さすがの久美でも怪しむのではないだろうか。


「本当かなぁ? もしかして、男の子連れ込んじゃったりしてぇー? なんちゃってー!」


 ——バカのくせにとんでもなく鋭い考察ッッ!

 ここで佳奈が出方を間違えれば絶対に怪しまれること間違いなしだ。


「そ、そそそそんな、そんなわけないでしょ! だ、だだだだれが同じ学校の男子なんて!!」


 ——ダメだコイツ!!!! 嘘をつくのが下手すぎる!!!

 まぁバレたところで俺に害はない。こいつの嘘に付きやってやる義理も——。

 

 いや、待てよ。

 この状況、佳奈が嘘の証言をしたらやばくないか?

 俺が無理やり自宅に押しかけてきたことにされたら、今度こそ俺の高校生活は破滅しないか?


 そうなると、今ここで久美に俺の存在がバレるリスクがデカすぎる。

 ここはどうにかして隠し通すのが得策だ。


「えー? なんかかなっぴ怪しいなぁ。それにアタシ一言も同じ学校の男の子なんて言ってないよー?」

「え、えええ? そ、そうだったぁ?」


 おいおい鶴島、お前どうするつもりだ。

 どうにか久美の疑いを晴らすんだ、頼む……!


「これは事件の香りがしますねぇ」

「い、いや! 本当に何もないから! 本当に!」


 いやこれまずいんじゃねぇか?

 このままだと——。


「ということで、家宅捜索を開始しまーす!!」


 ——おおおおおい! まじかよッ!

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