第4話 試練と佳奈の秘密

「絶対に形勢逆転してやる……。俺がいかに脅威かわからせてやる……」


 登校中の俺はそう呟くと右の拳を固く握りしめ、顔の前に突き出した。

 このまま何もやり返すことができないままだと、俺の高校生活は完全に佳奈に潰されてしまう。


 そうだ。俺はこの高校生活の中で何者かになる。

 絶対に多くの人に俺という存在を認めさせるのだ。

 こんなところで野蛮な女の奴隷をやっている場合ではない。


「あんな計画実行に移さなきゃこうもならなかったのにな」


 健介が哀れそうな顔で俺を一瞥した。


「で、今日から鶴島んちで放課後働くんだっけ? それはマジなのか?」

「認めたくないけど、マジっぽいな。カードキーまで渡されたし、住所も送られてきた。これで冗談ってことはないだろうな」

「カードキー渡すって……。鶴島からしたらお前のことはよくわからん男子だろ。危機管理能力どうなってんだ……?」


 間違いなく同感だ。

 よくわからない男子に自宅の鍵を渡すなどどうかしている。

 まぁあの女は最初からここまでずっとどうかしているが。


「というか形成逆転とか言ってるけど、策とかあんのか?」

「ふっ。舐めてもらっては困るな。もちろん作戦を準備している」

「作戦?」

「あぁ、そうだ。名付けて『イケメン爆撃大作戦』だ」

「な、なんだそれ」


 そう。俺は佳奈に勝つための秘策をしっかりと練っている。

 いつまでも思い通りになると思うなよ。



 放課後、俺は佳奈からチャットで送られてきた住所に足を運んでいた。


 普段全く見慣れない高層マンションに俺は動揺している。


 無駄に広いエントランスと、高級感のある内装。

 誰が使うのかもわからないような場所に、見たこともない高級そうなソファーが設置されている。

 ごく普通の一軒家に住んでいる俺には刺激が強い。


「カードキーは受け取ってるけど、流石に勝手に入るのはあれだよな……。というか呼び出すくらいなら一緒に帰ればよかったじゃねぇか」


 とはいえあの地獄みたいな女と一緒に帰るのもごめんだ。

 とりあえずインターホンだけ鳴らしておくか。


 妙な緊張感に包まれながら、佳奈の部屋番号を入力し、呼び出しボタンを押す。

 聞いたことのある呼び出し音が鳴ったので、このマンションに来て初めて少しばかりの安堵を覚えた。


「ご、ごめんください……」

「はい。入っていいわよ。ていうか鍵渡してるんだから勝手に入りなさいよ。アホなの?」


 勝手に入りなさいよ、じゃねぇ。こっちは気を遣ってわざわざインターホン鳴らしてるんだボケ。

 と言いたいところだが、エントランスで揉めるのも避けたいのでその言葉は飲み込んだ。


 佳奈の部屋は最上階だった。

 エレベーターが多すぎることにも驚いたが、二つ目のオートロックがあるのにも驚かされた。

 なんとまぁ訪れるだけで疲れる家なのだろうか。


 途中途中で耳抜きが必須の厄介なエレベーターという最終関門を潜り抜け、佳奈の部屋にたどり着いた。


「お邪魔します」

「はーい」


 他人様の家に入る時は靴を揃えなさいと母に教育を受けているので、なんだか癪ではあるが律儀に靴を揃えて部屋に上がった。

 母さんが天国で見てるかもしれないので念の為だ。別にこいつのためじゃない。


 部屋に入った瞬間に俺は違和感を覚えた。

 この違和感はなんだろうか。


「鶴島、この家って……」

「そうよ。私一人よ」


 そうだ。妙な違和感はそれだった。

 三LDKのリビングにしては、物が少なすぎるし家族で生活しているにしては生活感がなさすぎると思ったのだ。


 というか、高校一年生で高級三LDKマンションで一人暮らし?

 そんなドラマみたいな話があるのか?

 鶴島がお嬢様であることは噂に聞いてはいたが……。


「なんで一人暮らしかって? そう聞きたそうな顔してるわね」

「い、いやぁ別に……」


 ばれていたらしい。

 高校生で一人暮らしをしているなんて、世の中的に見れば珍しいことなので気にならないと言えば嘘になる。


「花嫁修行」

「は?」

「なーんちゃって。嘘よ。アンタには関係ないからいいでしょ」

「チッ」


 柄にもなく冗談を言う佳奈は、少し楽しそうにも見えた。

 気のせいかもしれないが。


「というか、鶴島。お前の危機管理能力ってどうなってんだ?」

「はぁ?」

「よく知らない男子を一人暮らしの部屋に連れ込んで、何するつもりだ」

「い、言い方気をつけなさい! 連れ込んでるわけじゃない! ただの奴隷なんだから口を慎みなさい!」


 珍しく佳奈が頬を赤くして動揺している。

 こんな感じだが普通の女子らしい一面もあるようだ。


 とはいえ、俺が暴漢だったらどうするつもりなのだろう。

 抵抗できない女子を襲うほど童貞を拗らせてるわけではないが、そんなことを思ってしまう。

 いや別に心配とかではない。単純な疑問として、だ。


「それと」

「なんだよ」

「……いや、なんでもないわ」

「なんだそれ。で、俺は何をすればいいんだよ。早く本題を言ってくれ」

「そうね。アンタがやるべきことは決まってるわ」


 佳奈が腕を組みながら真剣な顔で俺を見ている。

 俺は乾いた唇を舌先で舐めた。


 ——正直この瞬間は緊張する。

 こいつはいつでもわけのわからないことを突然言ってくるからだ。

 次はどんな野蛮なことを言われるのだろうか。


「ここに問題集があるから、やって」

「え……。え……?」

「何をそんなに驚いてるのよ。アンタそれなりに勉強できるんでしょ。知らないけど」


 完全に肩透かしを食らった。まさかこいつがそんな平凡な頼み事をしてくるなんて。

 それにしても、勉強を他人にやらせるタイプには見えないが、実はそういう感じなのか?


「わ、わかった。宿題かなんかか? 全くずるいやつだな。他人を脅してやらせるなんて」

「うるさい。黙って問題を解いて。そこ座っていいから」

「チッ。わかったよ」


 ペンと問題集を渡すと、佳奈はそそくさと部屋に入っていった。



 1時間ほど経過しただろうか。

 渡された問題集を解き終わったが、佳奈が部屋から戻ってくる気配はない。


「はぁ」


 俺はため息をつき、佳奈の部屋をノックした。

 ——が、反応はない。


「寝てんのか? もしかして。人に宿題やらせといてあの女は……」


 他人の部屋を勝手に覗くのは少し抵抗があるが、返事がないので仕方ない。

 俺は部屋のドアを恐る恐る開けた。


「やっぱりか」


 ドアの隙間から、勉強机に突っ伏して寝ている佳奈の姿が目に入る。

 そして夥しい量の参考書やプリント、本。


「おーい、鶴島。問題集終わったぞ」

「——はっ!」


 俺の声に反応して佳奈が飛び起きた。


「ちょ、ちょっと! 何勝手に入ってんのよアホ! 誰が入っていいって言ったわけ!?」

「い、いやお前が返事しないから……」

「関係ない! 早く出ていって!」


 佳奈に無理やり背中を押され、部屋から押し出された。

 何か見られたらまずいものでもあるのだろうか。

 そんな慌てっぷりだ。


「ったく本当に自分勝手な……ん?」


 ふと下を見ると、付箋が一枚落ちていることに気がついた。


「なんか書かれてる」


 付箋には『久美用』と書かれているようだった。

 なんのことだろうか。


「久美って確か……」

「ちょっとアンタ! さっきから人の部屋とか物とかジロジロ見るのやめてもらえるかしら!!」


 後ろから佳奈の怒号が聞こえる。

 見てはまずい物だったのだろうか。


「久美ってあのお前の取り巻きのアホの」

「そうよ」

「いや友達なんだから否定しろよ」

「いやあの子はアホよ」

「そ、そうか」


 少しばかりの沈黙。

 佳奈は腕を組みながら下を見ている。


「……それはあれよ。私が作った問題集なのよ」

「え? それってどういう」

「……はぁ」


 佳奈は諦めたかのようにため息をついた。


「別に隠す話でもないかもしれないわね。誰も不幸になるわけじゃないし」


 いつもの雰囲気とは打って変わって、落ち着いた語り口で佳奈は続ける。


「私、あの子のためにこの学校に入学したの」

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