第6話 黙っておいてあげるから

 まずい。非常にまずい。このままだと久美に俺の存在がバレる。

 ひとまず落ち着け。とりあえず部屋の中でも最も見つかりづらい場所に隠れよう。

 

 とはいえ、この殺風景な部屋で隠れられる場所はクローゼットの中くらいしか見当たらない。

 俺はとりあえずそこに隠れることにした。


「ここが怪しいかぁー!? ここかー!?」


 リビングでは、久美の家宅捜索がスタートしていた。

 引き出しや戸棚を開けたり閉めたりしているようだ。


「ちょ、ちょっとぉ! 久美! アンタね、勝手に開けるんじゃないわよ!」

「かなっぴが白状しないならやめなーい!」

「ちょっ……!」


 他の部屋のドアを開ける音が聞こえ始めた。

 その音が段々と近づいてくる。

 まずすぎる。このままこの部屋に入ってきたら終わりだ。


 ——ガチャ。


 ついに俺が隠れている部屋のドアが開く。

 ハイペースで脈打っている自分の心音が聞こえてくる。


「あれー? 本当に誰もいない!」

「だ、だから言ってるでしょ誰もいないってば」

「ふーんつまんないのー」

「あ、あっちの部屋に戻るわよ」

「わかったぁ」


 会話とは裏腹にこちらに足音が近づいてくる。

 そして、クローゼットの扉が僅かばかり開いた。

 視界に飛び込んできたのは久美だ。


「花澤ッ——」

「シーッ!」


 久美は人差し指を口の前に突き立てた。

 そして小声でこう続ける。


「黙っておいてあげるから、アタシの言うことを聞いてね」

「なっ……」


 それだけ言うと、久美はそっとクローゼットの扉を閉めてリビングに戻って行った。


 『言うことを聞いてね』というどこかで聞いたような台詞。

 俺は佳奈の奴隷では飽き足らず、久美の奴隷にもなったということなのだろうか。


 どちらにしても、この件がバレたらまずいことは確かだ。

 ここは久美の言う通りにしておいた方が無難だろう。

 普通に嫌だが。というか最悪だが。


 用事の済んだ久美はその直後、いつもと変わらない様子で佳奈の部屋を後にした。


「もう出てきていいわよ」


 クローゼットの外から佳奈の声が聞こえる。

 やっと解放されたようだ。

 俺はクローゼットの扉を開けた。


「はぁ。やっと出られた」

「アンタも今日はもう用事が済んだんだから帰りなさい」

「言われなくてもな」

「明日も放課後ここに集合だから。わかってるわね。アンタは私の奴隷なんだから」

「チッ。わかったよ」


 俺はせめてもの抵抗で舌打ちをし、特に挨拶もせず佳奈の部屋を後にした。


 明日もここに来ると思うと憂鬱な気分だ。

 放課後はすぐに家に帰って自分の時間を過ごすに限るというのに。


 マンションのエントランスから出ると、少し空が暗くなっていた。


「クソ……。こんなことに時間を奪われてる場合では……」


 一人で呟いていると、背後から声が飛んでくる。


「あ! 女子生徒の家に忍び込んでた人だ!」

「……!」


 聞き覚えのある声だったので急いで振り返ると、そこには久美がいた。


 茶色がかったショートヘアがサラサラと風に揺られている。

 一般人離れしたスタイルの良さと、クリクリとした大きな瞳。


 このシーンだけ見ると、まるでドラマのワンシーンかのようだ。

 まさか誰もこの美少女を天真爛漫なアホだとは思うまい。


「は、花澤。何してんだ? こんなところで」

「何って、決まってるよ。君を待ってたんだよ」


 そう言うと久美は一歩ずつゆっくりと俺に近づいてきた。

 そして、俺を見つめながら悪戯っぽい笑顔を浮かべた。


「伊藤勇太くぅん。君は女子生徒の家に勝手に押しかけて、何をしようとしてたのかなぁ? あれは軽く事件だよ事件。いや、軽くないかも!?」

「いや、まて誤解だ。あれは鶴島に呼び出されて!」

「ふぅーん。本当かなぁ。君は学年全員に告白するような男の子だからなぁ。アタシも告られて弄ばれたからなぁー」

「くっ……」


 当然の反応だ。女子から見れば俺は学年全員に告白した野蛮な男だ。

 俺の弁明など無力に等しいだろう。


「安心して。バラしたりしないよ。その代わり、アタシの言うことを聞いて」

「な、なんだよ」

「クックック……。どんな試練を与えてやろうかなぁー」


 不適な笑みを浮かべて俺のことを見ている。

 一体久美は何を考えているのだろうか。


 ただでさえ佳奈の奴隷とやらで面倒臭いことになっているので、これ以上の面倒ごとは本当に避けたいところだ。


「…………」

「……?」


 急に黙り込む久美を見て、俺は思わず不思議そうな顔をした。

 さっきとは打って変わって真剣な表情で俺を見つめている。


「伊藤勇太くん」

「な、なんだよ」

「これからいうことは、約束だよ。絶対に破らないって誓う?」

「あ、あぁ。じゃないとお前に俺の高校生活をぶち壊されるからな」

「そっか。じゃあ安心だね」


 断ると言う選択肢がないだけだ。今はな。

 一旦お前らの思い通りになったと思わせてやる。

 いつか俺にちょっかいを出したこと、後悔することになるがな。


「で、なんだよ。もったいぶってないで早く言ってくれ」

「……かなっぴを守ってあげてほしいんだ」

「……は? 守る?」


 佳奈を守る? 言ってる意味がよくわからなかった。

 何から守るのかもわからないし、そもそもアイツは強い。

 俺が守るまでもないと思うが、どういう意味なのだろうか。


「かなっぴはさ、一見気が強くてなんでもできて、美人で自立してるように見えると思う」

「そうかもな」

「でも、違う。本当は繊細で人一倍優しくて不器用だし努力家で、一人で何でも抱えこむような子なんだ」

「あの鶴島が?」


 久美が語る佳奈は、俺の知っている鶴島 佳奈とは全くと言って良いほど違った。

 にわかには信じがたい話だが、昔から付き合いのある久美がいうのだから、嘘をついているとも思えない。


「伊藤勇太くん。君が知ってるかなっぴはどんな人? もしかしたら今はかなっぴのことが嫌いかもしれないね」

「うん。嫌いだ」

「えぇ!? そんなストレートに言う!?」


 当たり前だ。

 どれだけ身の上話をされようが、友人からお願い事をされようが、佳奈は高校生活の脅威になりうる存在なのだから。


「でも、君にしかお願いできないと思ってる。本当は強くないかなっぴを、何かあった時は守ってあげて」

「俺にしかできないって……。別にそんなことはないだろ」

「あるよ」

「なんでだよ」

「それはね——」


 何かを言いかけた久美が口を噤んだ。

 口角をきゅっと上げた久美は再び口を開く。


「奴隷の君ならなんでも言うことを聞くからね!」

「はぁー?」

「じゃあ、そういうことだからお願いしました! アタシは先に帰ります! 伊藤勇太くんと一緒に帰ったら付き合ってるって思われちゃうかもだし!」

「おいなんか微妙に失礼なこと言ってないか」


 一方的にお願い事をした久美は小走りで去っていった。

 しばらく久美の背中を眺めた後、俺も帰路についた。

 そして大きなため息をつく。


「まじかよ……。なんかどんどんややこしくなってないか……」


 夏休み前までの平和な高校生活が嘘のようだ。

 こんな調子で色々な面倒ごとに巻き込まれていくのかと思うと、正直気が滅入る。

 

 だがしかし——。

 明日から佳奈への逆転劇が始まることを思えば、この程度どうってことない。

 今に見てろ。鶴島佳奈。


「ククク……」

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