第5話 町
本の出版が義務となった現代、「小説の書き方」を扱った雑誌は格段に増えた。
日頃から本を読んでいれば、そういったものは感覚的に分かる気がするんだけど、やっぱりこういうノウハウを確かめておきたいという人は一定割合いるんだろう。
僕はコンビニの雑誌棚に並んでいる雑誌の中から、一番余計なことが書いてない一冊を選ぶ。
「売れる本を書こう!」とか「今、人気のある公式デザインは!」とかあるけど、こういうのは後から考えればいいことだ。
今はもっと根本的なところが問題で、幸運なのは三ツ村さんが、難解なノウハウであっても理解できるくらいの頭の持ち主だということだ。
僕は雑誌を抱えてレジに向かいながら、コンビニの本棚を一瞥する。
そこに並んでいるのはほとんどが漫画や実用書で、そうでない本は有名人の著作ばっかりだ。
本の印税は、初版については国の出版費と相殺されるため、作者の手元には入らない。
収入になるのは、第二版からだ。だが有名人以外の本が増刷されるということはほとんどない。
それは、一般個人が自分の著書を大々的に宣伝することが稀、ということと無関係ではないだろう。
好事家は自分で本を発掘もするし、口コミも広めるが、購入者層の大多数はそこまでして面白い本を探そうとはしない人間だ。
結果として、あちこちにポスターが貼られ、テレビCMが流れる有名人の本ばかりがよく売れる。
宣伝代行を行うサービス会社もあるみたいけど、初版が売れても収入にならない現状、そこまでして自分の本を売ろうとする人間はいない。
売れても次はないのだ。
だから本を愛する人種は、出来るだけ自分の一冊を、自分が納得出来るものに仕上げることに心血を注ぐ。
そして願わくば、その一冊が誰かの記憶に残るようにと。
「一生に一作か……」
時間に悩まされないように。
アイデアが枯渇しないように。
環境に押しつぶされないように。
全ての人に生みだすことが許されたそれぞれの物語は―――― はたして本当に名作を多く含んでいるのだろうか。
※
「そんなわけがないでしょう、先崎君。もの思いに耽るなら、もっと山場でやって欲しいわ」
「山場でって」
確かに今日渡された原稿は、まだまだ冒頭もいいところだ。主人公の踏んでいる植物についての描写を削ってもまだ冒頭だ。
本当は最後まで読んでから削る場所を指定したいところだけど、それをしていると十八歳までには書き上がらないかもしれないから、遠慮なくその日ごとに削っていく。
三ツ村さんは、僕の赤が入ったレポート用紙を見ながら嘯いた。
「玉石混交って、あなた自身が思っていることでしょう。名作はあるわ。でも全部じゃない」
「でも、広くチャンスが与えられた。そのことで名作が出版されたってこともあるだろう」
「出版されるだけならね。でも、チャンスが広すぎたら誰の目にも止まらないわ。数が多すぎるんですもの」
三ツ村さんは、僕が淹れたコーヒーを飲む。
上目遣いの黒い目が、僕を一瞥した。
「先崎君、『全て』は『無』と変わらないのよ」
―――― また極論を言う。
僕はそんな風に皮肉に思ったが、口には出さなかった。
「全て」と「無」は、区別されるものがないという点で同じだ。
だから、全員にチャンスがあるなら、それは全員にチャンスがないのと変わらない。
「自分は特別だ」と訴えようにも意味がないのだ。「皆がそう」であるのだから。
途方もない虚しさだ。
だがそんなチャンスでも、本という形になるだけ可能性があるのだろうか。
いささか悲観的な気分で僕は勝手に淹れた珈琲を飲む。
薄暗いレストランは今日も僕たち二人だけだ。この店は場所代をいつ三ツ村さんから貰っているんだろう。
気になることは多々あるが、今は後回しだ。
僕は今日の総括として口を開いた。
「とりあえず、描写の密度は下がったけど登場人物が多い」
「多いかしら」
「多いよ。草原からようやく町に入ったと思ったら、出会う人間出会う人間全員に名前があるよ。いくら僕でも二十二人までしか覚えていられなかった」
「惜しいわね。あと九人で全部なのに」
「多すぎる! そのうち何人が後で登場するんだよ!」
「後で出る人間もいるし、いない人間もいるわ」
なんだろう。諭す前から徒労感を覚えている。
どうしたんだ僕。この下読みを引き受けたと時から諦めているはずじゃないか。
大丈夫。きっと分かってもらえるはずだ。よし、言ってみよう。
「三ツ村さん、登場人物を少し減らそう」
「もう? 彼らがどんな道行を辿るのか知りもしないのに?」
「この先、町が焼かれて全員が無残な死に方をするのかもしれないし、畳みかけるようなその描写が、物語の転換として圧倒的な効果をもたらす予定かもしれないけど、減らそう」
「畳みかけてきたわね、先崎君。作者の意図を無視するなんていい度胸だわ」
「そういう展開になる予定はあるの?」
「ないわ」
やっぱり。
無言になる僕に、三ツ村さんは心底不思議そうに言う。
「でも先崎君、設定では三百人規模の街なのに、住民がいないなんておかしくないかしら」
「現実らしく見えることと、現実そのものとは別だよ」
その辺は、描写の密度の問題と同じだと思う。
あるものをあるように書いていても、面白くなるわけじゃないし、現実味が増すわけじゃない。
さじ加減は必要だけど、さすがにモブが冒頭から31人は出すぎだと思う。この先、全員が力に覚醒して話のメインに絡むんだとしても、小出しに登場させてほしい。現実には人は小出しに現れないって言われそうだけど、その辺は本の読みやすさにかかっている。
僕は文句を言われるより先に、先手を打った。
「演劇でも人だかりを数人で表現するだろう? なんでもリアルと同じにすると場が散らかって焦点が見えなくなるんだ。三ツ村さんのこのシーンなら、三人もいればいいと思う。で、名前は要らない」
「名前がない人間なんていないのに?」
「いなくても、だよ」
僕はテーブルの上にデスクランプを指さす。
「三ツ村さんがこのテーブルの上全部の世界を作っているとしたら、君の書く小説はそれを照らすランプだ。見せたいものに光を当てる。それ以外のところは自然と暗くなって見えない。―――― そういうものだ」
恣意的に、見せたいものだけ浮き立たせる。
そうでなければ物語は流れない。散っていくだけだ。
たとえ世界がどれほど精巧に美しく描かれていようとも。
物語になった時点で、選択は行われている。
その選択の残酷さこそに、きっと意味はあるのだ。
三ツ村さんは、気づけばまたじっと僕を見ている。
射すくめるような視線だ。だが僕が怯む筋合いもない。
三ツ村さんは、ふっと笑った。
「先崎君は、削るようにばかり言うのね」
「そりゃ三千五百ページだからね。増やすように言ったら四千になるからね」
「この世界が小説だとしたら、きっと私たちは描写されない名無しね」
「三ツ村さんは違うと思うけど」
どちらかと言えば彼女は主役側の人間だろう。
だがそれを聞いた三ツ村さんは微笑んで、原稿の確認に戻った。
「この章が書き終わったら、二人で取材旅行に行きましょう」
そんな馬鹿みたいな言葉を、彼女は吐いた。
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