蹴ったものが爪先にとりつく話

砂塔ろうか

蹴ったものが爪先にとりつく話

 霊媒体質というのでしょうか。


 私が最初に霊にとりつかれたのは、小学校3年生の夏。帰り道でのことでした。


 とりつかれた、なんて言っても悪魔祓いの映画のような、大事になったわけではありません。私の異変に気付いたのは、家族の中では私の兄くらい。他は誰も、母でさえも私の異常異変に気付きはしなかったことでしょう。


 ただ、爪先に——そう、爪先だけに霊が憑依したのです。


 あの、右手が寄生生物に乗っ取られる漫画じゃあありませんが、ちょうどあの漫画に出てくる主人公の相棒の寄生生物のように、右脚の爪先は親指のあたりに口が生えたかと思うと、鳴いたのです。


 ちゅんちゅん、と。


 それを耳にして、私はその日、通学路の途中でスズメの亡骸を蹴とばしてしまったことを思い出しました。


 無論、わざと蹴ったのではありません。その日は急いで家に帰る理由があったものですから、足下をちゃんと見ている余裕などなかったのです。蹴った事実に気付いたあとも、急がなくては母が帰宅してしまうから、と振り返る時間すら惜しんで走りました。


 それが良くなかったのかもしれません。きちんと弔うより兄との約束を優先してしまったのですから。


 兄は私の、口の生えた不気味な爪先を優しく撫でては、私を勇気づけるように言いました。


「大丈夫。こういう幽霊が自分の存在を主張するのはな、そうしないと消えちまうからなんだ。だから、忘れりゃいい。俺も手伝ってやるからさ」


 兄の言葉はとても心強いものでした。きっと言葉だけでなく、行動でも示してくれたからこそでしょう。兄は毎夜、こっそり私の部屋を訪れては爪先にとりついたものが消えているかどうかを確認してくれたのです。


 そんな兄の助けあってか、スズメの幽霊はほどなくして消えてなくなりました。


 次に私の爪先が憑依されたのは1年後のこと。とりついたのはどうやら、石の霊のようでした。


 なぜこうも曖昧な表現になったのかといえば、爪先が石のように固くなったというだけで、前回のように口が生えたり何かを告げたり、ということがなかったためです。


 こちらもまた、兄に手伝ってもらってことなきを得ました。


 3度目は中学校に進学してからのこと。ふたたび、兄が毎夜私の部屋を訪れる日々が始まりました。


 しかし同時に、兄に除霊を手伝ってもらうのは、これが最後だろうと考えていました。当時、兄は高校3年生。大学受験を控えており、兄が無事志望校に合格すれば一人暮らしを始めるであろうという話がよく出ていました。


 無論、私も兄についていって一緒に引越しをし、兄の家に住むという選択肢だってありました。しかし、父はそれを認めませんでした。


 どうやら、父は私と兄の関係を訝しんでいたようです。つまり、兄妹であるにもかかわらず、なにかいかがわしいことをしているのではないかと。


 父にそう思われっぱなしなのは有り体に言って不愉快でした。当時の私は思春期でしたから、いわゆる反抗期というやつだったのかもしれません。


 ですから、兄に手伝ってもらっている除霊を父の前で実演して見せました。


 しかし、それでも父は自分が誤解しているということを納得してくれない様子。


 ですから、私と兄は一計を案じました。


 問題は、それが3体目の霊——ある特徴的なにおいを漂わせるだけの、奇妙な霊——に憑依されていた最中に起きたことで…………結論から言えば、その霊を除霊することはできなくなりました。


 ほどなくして憑依した第4の霊と融合してしまったのです。


 その後、兄は無事に念願の志望校に合格し、一人暮らしを始めます。


 私も一年後、中学を卒業してから兄の家に転がり込みました。父はついぞ納得してくれませんでしたが、母が許可してくれたので何も問題はありませんでした。




 ————しかし、大学に進学して以来、兄には女性の影がちらつくようになりました。私と離れて暮らしていた1年の間に新たな出会いがあったのでしょう。


 せっかく、親の目を気にせず除霊できる環境が手に入ったというのに、兄の心はもはや私の除霊には向けられていなかったのです。


 許せませんでした。屈辱でした。


 兄は私を、妹を世界で一番愛してくれていると、心底信じていたのに裏切られたのです。


 かくなる上は——そう思ったらすぐに行動していました。


 結果は、ええ。この通り。


 私の爪先に父同様あの女を閉じ込めることに成功しました。


 兄のにおいが染みついた爪先に魂が囚われたとあれば、あの女にとっても本望でしょう。


 そして、この爪先を見せれば兄も大人しく私の除霊を毎夜、してくれるようになりました。どうやら、兄はあの女をさほど愛していなかったようです。さすがに、あの女と一緒に私の爪先に未来永劫囚われるのは御免だったようで。


 とはいえ兄にとって苦渋の決断ではあったようです。はじめに父を爪先に捕えておき、私が死ねば私と兄の目撃者にして証言者である父が意識を取り戻すように仕込んでおかなくては、おそらく兄の殺意が私を襲ったことでしょう。



 兄の身体のすべては、私のためにあるのです。幼い私の身体を貪った兄には、その責任がある。



 まあ、ですから、この体質には心底感謝しているんですよ私。





 ですから、ねえ、霊能者さん。どうか考え直してはいただけませんか?


 私はただ、兄を私に奉仕する存在として、縛りつけておきたいだけなんですから。




 …………ああ、駄目ですか。そうですか。なら、あなたも爪先に閉じ込めるしかないようですね。


 ほら、見てくださいよこの左足。あなたのような生意気な霊能者を56人捕えたんですよ。



 なるほど。それでもやりますか。それでは——あなたが57人目です。




(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

蹴ったものが爪先にとりつく話 砂塔ろうか @musmusbi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画