第3話 遠くなった距離

 貴族学園に入学してから、一ヶ月が経った。


 レスターは相変わらず令嬢達から大人気で、常に黄色い声で騒がれている。


 最初は囲まれる事に戸惑い気味だった彼も、最近では流石に慣れてきたようで、令嬢達をうまい具合に躱しているようだ。加えて身を隠すのも上手くなったらしく、彼を探して学園内を走り回る──淑女どこ行った?──令嬢達も、以前より多く見かけるようになった。


 レスターが目指しているのは王太子殿下の側近の筈で、隠密ではなかったような気がするのだけど、近頃の彼を見ていると、どうにも其方側へ進んだ方が良いような気がしてしまう。そのぐらい彼は見事に令嬢達を躱し、でも気付くと王太子殿下のすぐ後ろに控えているという、離れ技をやってのけていた。


 そんなレスターだけれど、毎回逃げ仰ることは流石に出来ないらしく、たまに逃げ遅れて令嬢達に捕まっている時もあった。そういう時の彼は、麗しい微笑みで見事令嬢達の心を撃ち抜き、眩暈を起こさせて逃げるという荒技まで習得していて、初めてその現場を見てしまった時には、あまりの驚きに心臓が止まりそうになってしまったほど。

 

 笑顔で眩暈を起こさせるって、どんだけなのよ……。


 例え逃げる為であろうと、彼が令嬢達に笑顔を向けるたび、私の胸はズキリと痛む。


 学園に入学するまでは、私だけのものだった彼の笑顔。それが今は不特定多数へと向けられ、逆に私へは全く向けられなくなってしまった。


 私に向けられる彼の笑顔を最後に見たのはいつだったかなんて、もう思い出すことすらできない。それ程までに、私達の距離は短期間で遠くなってしまったのだ。


 彼が王太子殿下の側近になる為、小さい頃から懸命に努力してきたことは知っているし、その為の人脈作りが必要だということも理解している。だから彼の邪魔をするつもりはないし、できるなら応援したい。


 けれど、理解はできても心が追い付いていないのが現状で。


 見ても辛いだけだと分かっていながら、私はつい彼の後を追い、行動を観察してしまうのだ。


 一歩間違えば、ストーカーと勘違いされても仕方のないことをしている、という自覚はあるが、どうしてもやめられない。


 これをやめてしまえば、クラスさえもレスターと別々になってしまった私は、彼の姿を見ることすらできなくなってしまうから。


 月に二度の定例茶会も、彼が私に冷たい言葉を吐いてから以後、一度として開かれてはいなかった。


 茶会の招待状を出しても、『提出物で忙しい』とか『今はそれどころじゃない』と返事がきて、彼が姿を見せなくなってしまったからだ。家族ぐるみの食事会も、なんだかんだで中止になったまま、今ではその話すら家族の話題に出ることはなくなった。


 学園で距離を置いても、茶会と食事会は今まで通りで良いなんて、嘘ばっかりだ。


 それでも私は、レスターに少しでも会いたいから必死に時間を作って彼を追いかけているのだけれど、彼が令嬢達に笑いかける姿を見る度、もう彼の中に私への気持ちはないと再確認させられているような気持ちになり、胸が苦しくなってしまう。


「元々、彼と私が釣り合っていないことなんて、分かっていたもの……」


 自嘲気味に自分へと言い聞かせるのも、もう何度目になるだろうか。


 まるで絵本から飛び出してきた王子様のように格好良いレスターと、何処からどう見ても平凡というか、寧ろ人から避けられ気味の私。巷で人気のある物語の登場人物に例えてみるなら、レスターは間違いなく王子様で、私はどう贔屓目に見ても可哀想な主人公を虐める悪女といったところだろう。


 そんな私がレスターの婚約者だなんて、まさに恋愛小説の舞台そのもので、現実に笑うしかない。


「早く婚約破棄しなくちゃね……」


 さすがに恋愛小説と同じ展開にはならないと思うけど、念には念を入れるに越したことはないだろう。


 レスターが私を断罪することはないにしても、彼の新しい婚約者が、どう出てくるかは分からない。私を極限までレスターから遠ざけるため、小説のように冤罪を被せてくる可能性も、ないとは言い切れないのだから。


 行動を起こすなら、できるだけ早く動くべきだ。


 それに、彼とは婚約破棄をすると、入学式の時に誓った筈。なのにあれから良い考えが浮かばなくて、今日までズルズルと来てしまった。


 ……ううん、本当は違う。彼と別れたくなくて、そのことを考えないようにしつつ、未練がましく引き伸ばしていただけ。


 こんな関係を続けていても、誰も幸せになれないことは分かっているのに、レスターとの唯一の繋がりを失くすのが嫌で、今まで行動に移せなかった。


 幾ら先延ばしにしたところで、レスターに愛する人ができたら、どうせ破棄されてしまう婚約なのに。


 だったらその前に自分から破棄しようと考えたのは、他ならぬ私ではなかったか。彼の幸せの、後押しをするのではなかったか。


「私はこうしてレスターの姿を毎日見ているけど、彼は……」


 きっと、私に気付いてはいない。


 毎日物陰からコッソリ彼を盗み見る私の姿になど、絶対に気付いてはいないだろう。


 距離を置こうって言われたんだもの。気付いていたら、文句の一つぐらい言ってくるわよね……。


 まさか文句の一つも言いたくないほど無関心を装われているとは思いたくなくて、私はレスターにとっての自分の存在を『単に気付かれていないだけ』と決め付けると、そっとその場から離れたのだった。


 









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愛しの婚約者に「学園では距離を置こう」と言われたので、婚約破棄を画策してみた @mylene001

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