第2話 運命の再会

4月1日。

 今日から新学期。クラスメートが騒ぎ立つ2年2組の教室で咲良は一心不乱に「月刊高校野球」を読み耽っていた。雑誌には中学で鳴らした猛者たちの進学先などが載っていたが、青学に来るものは居ない。はあ~~~。咲良は溜め息をつく。そりゃそうだよね。将来有望な選手がこんな弱小野球部に来ることはまず無いわね。でも。と咲良は思う。無名でも力のある選手は一杯いる。例えば日米プロ野球で100勝100ホールド100セーブを挙げた上原浩治は高校時代などは控えのピッチャーに過ぎず、ほぼ無名だったという。能力ある選手が野球部のしきたりを嫌って、伸び伸びやれるうちみたいな高校に来ることだってある。現に今いる部員たちも皆そうだ。石井部長はあれだとしても、不破君・蛭田君・黒田君は咲良が見る限り、皆能力が有ると思う。強豪校でもレギュラーになれるのではないか。だが皆昔ながらの野球部のしきたりに嫌な思いを子供の頃にしてきてそれで青学に。人数さえ揃えば1回戦で負けるようなメンバーではないのだ。今年はやるぞ。騙くらかしてでも部員を集める。始業式の後の他の部活との部員の草刈り合戦にいかにして勝つか。手塚君に会う為のタイムリミットはあと2年。去年の甲子園には手塚君は出ていなかった。全ての甲子園出場校のメンバーを調べたがいない。一体、何処の高校に進学したのかが分からない。咲良は本気で探偵を雇って調べて貰おうと思ったが、高校生に調査費用は大金。それに殆どストーカーだと自分で思い直したのである。大阪にいるとは限らない。彼ほどの選手であれば引く手数多であろう。何処の高校?必ず甲子園に出て来る選手である。今年の夏は彼の勇姿を見れるかなあと漠然と考えていた。そんな咲良に神様のお導きが1分後に下るとは予想だに出来なかった。咲良は雑誌に赤ペンでマーカーを引きながら読み、ペンを上唇と鼻の間に挟みながら物思いに耽っていた。クラスの受け持ちの指原莉乃先生が教室に入って来た時も上の空だった。朝のホームルームが始まる。さしこ先生が皆に挨拶をした。今日から2年生とかこの後入学式とか他愛のない話だ。ホームルームとは大概どうでもいい話しかしないモノである。咲良の右から入った話は左に抜けていた。最後にさしこ先生は今日から新しい仲間がクラスに加わりますと言った。転校生だ。誰かが男か女かを聞くと、さしこ先生は男だと言った。クラスの男子はがっかり、女子は色めきだった。咲良も反応した。カッコいい男子を期待した訳ではない。野球に興味が有る男子ではないか。野球部に入れられないかと食指が動いたのである。先生が廊下で待機している転校生を呼ぶと、その生徒はゆっくりと教室内に足を踏み入れ、さしこ先生の隣に立った。クラスの女子達が歓声を上げる。その生徒は眼鏡を掛けた長身の美男子だったからだ。咲良は背筋に寒気を覚える程の衝撃を受けた。鼻と唇の間に挟んでいたペンが零れ落ちる。なぜならその眼鏡と顔立ち、そして雰囲気に覚えがあったからだ。この人はまさか・・・・・・・・・・・・。さしこ先生に促され、その生徒は黒板にチョークで名前を書いた。手・・・・塚・・・・秀・・・・満・・・・。そして自己紹介する。

「手塚秀満といいます。宜しくお願いします。」

 やっぱりだ!手塚君だ!咲良は思わず興奮で席を立ち上がってしまった!

「宮脇さん、どうかした?」

 さしこ先生が咲良に訊ねる。皆が咲良を奇異の目で見た。当然である。いつもクラスで目立たない女生徒が美男子に舞い上がっている訳なのだから。少なくとも皆にはそう見えた。事情を皆は知らないのだから仕方が無いのだが。だが咲良にはそんな事は関係ない。言葉は悪いがクラスメートなど糞くらえである。

「何処の高校に居たんですか?」

 咲良の問いに手塚は無言だった。代わりにさしこ先生が答えた。

「大阪藤蔭高校にいたそうよ。」

 大阪藤蔭!なんと手塚君は夏の甲子園3連覇中の高校に居たという。大阪藤蔭は咲良の世代の高校野球界では「絶対王者」とか「不沈空母」とか呼ばれている。その高校に籍を置いていたとは!やっぱり凄い!咲良の胸はキュンと高鳴った。そして逝った。咲良は気を失って卒倒したのである。


 ・・・・・・・・。咲良の意識が徐々に戻ってくる。何とも言えない心地良さを感じて目を覚ますと、誰かの背中におぶされている自分に気付く。なんと手塚君の背中におぶされているではないか!両腿の裏側を手で押さえられ、咲良の胸は手塚君の背中に密着している。顔は手塚君の左肩に乗っている。憧れの神におぶわれ咲良はまたもや逝きそうになった。心臓が早鐘を打ち、手塚君に気付かれたらどうしようかと心配になった。手塚君は前を歩くさしこ先生の後を咲良をおぶって付いて行く。どうやら倒れた咲良を保健室に連れて行ってくれようとしている?様だ。意識が戻った後もこの幸せな状況を享受したい咲良は気絶したふりを続けた。背後からそおっと手塚を抱きしめ、首筋の匂いを嗅いだ。男子の良い香りが咲良の鼻孔を刺激する。これはいったいなんという香りなんだろう?咲良は自分が気絶しているフリをしていた事をついつい失念し、遠慮なく、くんかくんかと手塚の匂いを肺一杯に嗅ぎまくった。手塚は立ち止まり、前を歩いていたさしこ先生を呼び留めた。

「指原先生。」

「なに?手塚君。」

「救急車を呼んだ方が良いかもしれません。この子の呼吸の状態が普通ではないです。」

「本当?」

「念の為、手配をお願いします。」

 それを聞いた咲良は泡を喰った。本当に救急車を呼ばれては堪らない。咲良は三文芝居を打った。今、意識が戻った風を装ってこう言った。

「あれ?ここ何処?私どうしたの?」

「あっ、宮脇さん、気付いたの?」

「先生、どうしたんですか?」

「ホームルームの最中で急に意識を失ったのよ。大丈夫?」

「はい。全然平気です。ちょっと貧血を起こしただけです。救急車は呼ばないで下さい。」

「それなら良いけど。入学式には出ないで良いわ。保健室で休んでいなさい。自分で歩ける?」

「・・・・・ちょっと・・・フラフラします。」

「それじゃあ、手塚君。宮脇さんを保健室に連れて行ってあげてくれる?」

「分かりました。大丈夫です。その後で体育館に行きます。」

「OK。それじゃあお願いね。」

 さしこ先生は咲良を手塚に任せると、その場を後にした。手塚はさしこ先生が教室に引き返すのを暫く見送ってから、踵を返し、保健室に向かった。歩きながら咲良に話し掛ける。

「保健室はこの先?」

「はい。そうです。」

「それじゃあ、行こう。」

 本当は咲良は自分で保健室に何の問題も無く行く事が出来るのだが、手塚の背中から降りたくないので、フラフラすると嘘を。

「あの・・・・・、重くないですか?」

「問題ない。」

 手塚君にこの女はなんでこんなに重いんだ。等と思われるのが嫌だった咲良はホッと肩を撫で下ろした。手塚は黙って咲良を背負い、廊下を進んでいく。咲良としてはこの天が与えたもうたチャンスにもっとコミニュケーションが取りたい。6年もこういった時間を過ごせることを願い続けていたのだから。しかし何の準備も無く、いきなり夢が実現すると何を話せば良いか困る。何を話そう・・・・・。

「手塚君って、いい匂いがするね。これって何の匂い?」

 手塚はその問いに何も答えない。咲良は聞いた質問が失敗だったか?等と一人で自問自答していると、手塚は

「アックスだ。」

 良く言えば静かに。悪く言えば愛想なく答えた。

「へ~え。アックスって言うんだ。お洒落だねえ。」

 アックスって何だ?香水か?聞いた事が無いが。元々お洒落などしない咲良は、香水の銘柄など分からない。最近流行っている歌でドルチェ&ガッパーナという香水がある事ぐらいしか分からない。アックスという香水は今流行っているのだろうか?仄かな香りが男らしい。やらしく・きつくない香り。手塚にピッタリだと思った。そおっと、手塚の首筋の匂いを嗅ぐと幸福感で一杯。らりった咲良は匂いを嗅ぎながら饒舌に話しかけた。毎日、一袋、カルビーのベースボールカードチップスを食べている。佐々木郎希のルーキーカードが欲しいだとか、大谷翔平のルーキーカードを2枚持っていて、それが3千円の価値が付いてるだとか。野球オタク丸出しの話をした。咲良としては手塚もきっとカルビーのベースボールカードを集めているに違いないと思っていた。なぜなら青学の野球部員はみんな集めていたのである。みんなでカード交換会をするのは常であった。手塚君ともカードを交換して仲良くなりたいというのが、咲良の希望であったのだが・・・・・。手塚はふ~んという感じで話に乗って来なかった。咲良は話を転換する事に。

「さしこ先生は野球部の顧問なの。昔はソフトボールやってたんだって。そうは見えないよね。」

 とにかく咲良は何でも良いから手塚と話がしたくて堪らなかった。手塚の背中で匂いを嗅ぎながら話をするだけでランナーズ・ハイの様な気持ち良さを覚えるのだ。手塚の返事は素っ気なかった。

「喋らなくて良い。」

「えっ・・・・・。」

 咲良はドキリとした。五月蠅い女と思われたのか?喋りすぎたのが拙かったのか?だが手塚の答えは意外なモノだった。

「息が苦しいんじゃないのか。さっきからハアハア言ってる。気を使って話し掛ける必要はない。」

 手塚君は私が匂いを嗅ぎまくっているのを、呼吸が苦しいからだと思っているようだ。それで無理に話しかける必要はないよと言ってくれているのだと咲良は判断した。なんて優しい人なのだ。思い続けてきた手塚君と話すのは今日が初めてだが、やはり思っていた通りの人だったのだと思うと咲良の胸はキュンとした。

「ありがとう。」

 咲良はそう言うと、手塚の首に手を回し、強く抱きしめた。首を絞められる形になった手塚は小さく「苦しい・・・・。」と呻いたが、自分の思い込みの世界に浸る咲良には聞こえなかった。


 保健室には誰も居なかった。仕方なく手塚は咲良を一番奥のベッドにおぶって行き、そこで降ろした。ベッドの上に寝かしつけ、掛け布団を掛けてやる。咲良はお姫様の様に扱われ夢見心地だった。手塚はベッド脇の椅子に腰掛ける。そして咲良の顔をまじまじと見た。咲良は心臓の鼓動を抑えられない。まさか手塚君も私に好意があるのだろうか?

「あの、何ですか?」

「何が?」

「私の事をジロジロ見るから何でかなって・・・・・・。」

 手塚は目を背けて言った。

「以前、会った子にあまりにも似ていたから。それで。」

 えっ!それって・・・・・。手塚君も私の事を憶えていた?これは完全に脈ありじゃない?こんな事ってある?咲良は一人で盛り上がり、顔を紅潮させた。手塚は左手で咲良の額に手を当てた。まじまじと顔を見つめ、言った。

「熱もあるようだ。呼吸も苦しい。急性気道炎かも・・・。保健の先生はおそらく体育館で入学式に出ているんだろう。呼んでくるから、大人しく寝ているんだ。」

 手塚は保健室を出て行こうとする。咲良は呼び止めた。ここまでしてくれる手塚君に一言、伝えておかなくては・・・・・・。

「あの、手塚君・・・・・。実は・・・、私、マネージャをしていて・・・・・。」

 手塚は何も言わず、しげしげと咲良を見つめる。

「3年生が引退して、その・・・・・・。」

 咲良の声が小さくなる。せっかく青学に手塚君が来てくれたのに、言いずらいなあ。

「部員が足らないの・・・・・・。」

 手塚は無表情だ。がっかりさせたくはない。

「だけど、心配しないでね。私の責任で新入生からメンバーを絶対集めて見せる。約束します。」

 咲良は力強く断言した。メンバーを集められる確証は無かったが、手塚に良い顔をしたかったのだ。恐る恐る手塚の表情を窺う。手塚は微笑を湛えながら言った。

「頑張って。」

 それだけ言うと、手塚は保健の先生を呼びに保健室を後にした。それを見送った咲良はベッドに横になる。自然とにやけてしまう。手塚君は私に頑張ってと言った。これは私に期待しているという事ではないのか?少なくとも咲良はそう受け取ったのである。青学の弱点でもあるピッチャーは超高校級の手塚君がいる。これで部員は5人。あと4人揃えれば本当に甲子園に行ける。本気でそう思えた。手塚君を甲子園になんとしても送り出すために手段は選ばない。なんとしても部員を揃えることが私の使命だ。放課後が待ちどおしいなあ・・・。

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野球の王子様(聖ミカエル青春学園野球部の始まり) 軽部雄二 @mai-kuraki

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