愛おしい凹み

藤堂やぶん

服を脱いで、美を纏う

友人の裸を見るというのは、実に奇妙な体験である。

修学旅行や一緒に行ったスーパー銭湯なんかで見るなら、多少の恥じらいはあれどそこまで気にはならない。どちらかというと「もうちょっと筋トレとか頑張っていればよかったなあ」と、だらけきった己の身体に対する差恥心の方が勝るものだ。

身にまとうものを脱ぎ、身も心もさらけ出して向き合うような時間を共有することで親交を深めていく。「裸の付き合い」というとは本来そういったコミュニケーションのことを指す。実際に私と彼女もそういった機会を何度も共有した間柄である。

ただ今回の場合、私は大好きな服と香水を身にまとったまま友人の裸を見ていた。






彼女、松崎かおりとの一連の出来事の発端は1年前の夏に遡る。






「凪ちゃん、来週面白そうなダンスのイベントあるから一緒に行かない?ちょっとその後折り入って相談したいこともある。」


「ダンスと規模感にもよりすぎるし相談は今じゃダメなん?」


昼14時と正気の時間の割に突拍子もない連絡を寄越してきた彼女に、私は思ったままを打って返信した。踊り狂った後何を落ち着いて話すことがあるのか。


彼女こういった言動は今に始まったことでは無い。

松崎かおりは、己の興味と探究心が原動力の嵐のような人間である。ナチュラルファッションにハマったかと思えば、翌月には誰が似合うねんというくるくるウルフでバリジェンヌみたいな服で登場してくる。成人してもガブリチュウで喜べるのに、観光地のお土産を買うときは製造元が他県でないカ必ず裏面をチェックするシビアさも持っている。最近見ないなと思ったら、本場のカレーを食べてみたいという動機だけで1人でインドに行っていたりもする。心が赴くままコロコロ楽しそうに生きている彼女はとても刺激的だ。なので、皆適度な距離感を保ちながら松崎と関わっているように思う。



一方の私は至って普通の人間、岡本凪である。スポーツやら音楽やら色んな習い事をして場数を踏んだおかげで一丁前に肝だけ座っているが、特に秀でた何かがある訳でない。強いて言えば「土砂降りの嵐が起きたら濡れて楽しめばいいか」というマインドのおかげで他の人より近くで松崎の奇行を楽しめている。


「最悪相談はいつでもいい!ダンスやったことない子にはハードール高そうなイベントでね、でもめちゃくちゃ楽しそうなの!」


そう言って送られてきたホームページのリンクに飛んでいくと、“魂を解き放つ真の対話、コンテンポラリーフェスティバル2024”と銘打ったダンスイベントの詳細が記載されてあった。そこそこ大きい企業がスポンサーに着いているようで、1週間に渡って行わられるらしい。なるほど確かに、常人であれば“魂を解き放つ”時点でそっとリンクを閉じるだろう。


「私がやってたのよさこいとHIPHOPだけど大丈夫?」


「2ジャンルやってるならいけるかなと思って!」


そういう事ではないんじゃないかなぁとは思いつつも、誘われなければ飛び込めないような経験には非常に興味はある。それに、こんな催しの後に話したい相談とやらにも気になるので私は彼女からの誘いを受けることにした。










8月某日、“皆さんお好きなタイミングでお越しください”という優しい注釈に胡座をかいた私は、優雅に支度を進め開催時刻を10分過ぎた位の時間に会場に入った。文言の通り、プログラム自体は途中参加でも差し支えない構成になっていたのだが、結果的に後悔することになる要素が2つあった。

まず1つは10分少々の遅れであっても余裕で置いてけぼりにされる世界観だったということ。コンテンポラリーダンスは音楽に沿ったフリがある訳ではない。抽象的な、言ってしまえば何でもありなダンスである。自分の身体の使い方、触れ合う物や人とどう影響し合って動いて(踊って)いくのか、そういった部分をじっくり見つけていくような作業がレッスンになるのである。そして、今回の場合は外国人講師の指導を通訳を混じえて受ける内容だったので安易に手を挙げて場を止められない。コンテンポラリーをぼやっとした輪郭でした捉えないまま臨んだ私は、扉を開けた途端触り合いながらうねうねと動く参加者と友人を脳内処理するのに大分と時間がかかった。

2つ目は、松崎とペアになれなかった為に途中参加ソロプレイヤーになってしまったこと。開始時からいる参加者は皆もうスイッチが入っているので、己の心身と向き合いながら踊っているのだ。隣の人がどんな特徴を持った人かなんて事は気にならず、「その影響を受けて自分はどうなるのか」ということにみな注力している。加えて、松崎は知り合いがいるからといって目配せし合うような女子らしい特性をあまり持ち合わせていない。なので、想定以上に1人っきりの状態でこのコンテンポラリーイベントに臨むことになった。



出だしは幾分か遅れをとってしまったが、踊ることは好きだし未知のジャンルを開拓するのは楽しいものである。数十分もすれば私にもスイッチが入り、自分の呼吸に合わせて自然と身体が動くようになった。「次どう動くべきか」を脳で考えるのではなく振動や筋肉に任せてみる、というのは何とも不思議な感覚である。身体の使い方なんて座学や録画した映像で確認することでしか向き合ってこなかったが、こんなにも無のまま自由に人は動けるのかぁと思考は神視点に置いて、つつがなくプログラムを進めていった。



最後に講師の提案でイベントの締めくくりとして皆で輪になりその中心で1人ずつ3分自由に踊る小さな発表会が催されることになった。私はそこでようやく、すっかり頭から抜けていた松崎の存在を思い出した。自発的にここに来た者と同じくらいのめり込んでしまった己に驚いたとともに、松崎は何を得たのだろうと興味が湧いてきた。



このダンスイベントの誘いを持ちかけられた時、私は「また松崎が新しいオモシロを見つけたんだ」と思っていた。グミが釣れるお菓子やハンドスピナーを初めて見つけた時みたいに、よく分からないけど楽しそうなものに飛びついたいつものヤツだと思っていた。

しかし、5.6人目位で選ばれ真ん中に立った松崎の顔は、いつも見ている表情ではなかった。“かかっている”云々の話ではなく、本人の中では見知ったもう1つの人格を憑依させているような余裕さえ感じたのだ。始まった彼女の踊りを見た時、「これはダンスを習っている人の動きだ」というのが直感的に分かった。

今まで彼女から踊り系の話題について聞いたことがなかったし、以前文化祭か何かでTikTok撮影に巻き込まれていた時の松崎は簡単な踊りもリズムがつかめず手こずっていた記憶もある。今も決して上手い訳では無いが、リズムの乗り方・身体の動かし方が踊る人になっていたのだ。



その後、自分の出番の時どうだったかはあまり覚えていない。帰り際講師の先生に「あなたはコンテンポラリーじゃないダンスやってたね?」みたいな事を話しかけられた気がする。




「凪ちゃんおつかれー!どうだったー!?」


全プログラムを終え、帰り支度をしながら話しかけてきた松崎はいつもの松崎だった。


「いや…なんか凄い時間だったよ……。終わってみれば何だったんだって気もするし、不思議な感覚。」


「分かる!凪ちゃんなら絶対楽しんでくれると思ったんだー!」


「あんまり余裕はなかったけど面白かった。誘ってくれてありがとね。松崎は初めてに見えなかったけど経験あったの?」


「……えっとね、コンテは初めてだよ!でも、近しいダンスを最近習い始めてさ、その話も今日凪ちゃんに聞いて欲しかったんだよね。」


話とやらをようやく切り出した松崎の雰囲気で、どうやら事態は思っているより複雑なのかもしれないと気付きだした。私が必死にコンテンポラリーに食らいついている間、彼女は何か私を試していたのかもしれない。


「よく分かんないけど一緒に踊ってみた後じゃないと話したくなかったのね。」


「まぁ、そんな感じ。なんか上手く言えなくてごめんね。もうちょっとだけ、付き合ってくれないかな?」


「いいよ全然、お腹空いたし、ご飯食べながら聞くよ。」


「ありがとうー!!!来る時美味しそうな中華屋見つけたから、そこ行こ!」


そう言うと松崎はニコニコと飲み物やタオルをリュックに詰めだした。










「凪ちゃんってさ、すっごいオタクだよね。」


本場の人が経営しているこじんまりとした街中華の店で、お客が私たちだけなのを確認した松崎が神妙な面持ちで話し始めた。


「なんだその切り口。一応確認なんだけど、真剣な相談なんだよね?」


「めちゃくちゃ真剣!本当に困ってるの!」


どうやら本当に困っているらしい。松崎は困り眉毛のまま、おもむろにスマホを取りだし本人のSNSらしきアカウントを開いている。


「凪ちゃん前推しの絵を描いたりラジオにお便り送ったり、自分で配信もするって言ってたじゃん。だからね、そんな凪ちゃんの意見を聞けたらなって思うことがあって……」


こんなにも店員さんに言葉が通じない事をありがたいと思ったのは初めてである。オタクが1人の眩しい陽キャの明かりで焼ききれそうな姿なんで誰にも理解されたくない。

ようやく見せたいページにたどり着いたらしい松崎が見せてくれたのは、とあるハッシュタグの付いた投稿郡だった。聞いたこともない名前の人に対する、感想?や賞賛の声に溢れている。


「これ、松崎のことなの……?」


「…………そう。


あのね、実は私ストリッパーなんだ。」



すとりっぱー、ストリップ、ストリップをする人でストリッパー。ようやく言葉が理解出来た上で、今日みた松崎の初めての表情とも答え合わせが出来ていく。


「なるほど。そういうことね。」


なるほどと言う言葉は想定外だったのか、松崎の目が大きく開く。


「凪ちゃんは驚かないの?」


「んー、別にいいんじゃない。スタイルいいし映えるだろうなぁと思う。」


ストリップとは、女性が服を脱ぎながら踊るショーである。それ位の知識はあった上で性産業にさほど偏見がないのと、松崎ならやりかねないという気持ちの二乗効果で出た本心がそれであった。


「話そうと思った時から凪ちゃんは大丈夫だと思ってたけど、それにしたって拍子抜けしちゃうなぁ。」


松崎はふにゃふにゃとした笑顔で上がっていた肩をゆっくり下げていった。彼女なりの大きなカミングアウトだったんだろう。ふぅ、と大きく息を吐き出したあと、松崎がまた真剣な面持ちに戻る。


「凪ちゃん、今日の私、どうだった?」


「どう、か。綺麗だと思ったよ。そういう背景があるなら尚更ね。」


「そっか。ありがとう。

……あのね、今からする相談は2人だけの内緒にして欲しいんだ。」


そう言う松崎に頷いてみせると、彼女は再び先程のハッシュタグを着けた投稿の一覧を見せてくれた。感想タグのようなものらしく、舞台を見た感想や演目に対する批評が連なっている。



「私今まで推しとかが出来たことなくって、自分についてくれる人のファン心理?みたいなものが分からなくて。だから、凪ちゃんに色々相談出来たらと思ったの。」



確かに松崎が何か特定の人に執着しているのを見たことがない。彼女はいつだった流動的で、それが彼女の良さでもあると思う。どういうきっかけでストリッパーになったのかとか、聞きたいことは色々ある。けど、そんな事よりも、松崎が輝ける場所があって、自分の知見が松崎のままでいられる為の力になれるのなら是非助けになりたいと思った。


「いいよ。力になれるか分からないけど、私に出来ることがあるなら一緒に考えるよ。」


「本当に!?ありがとう凪ちゃん!!!」


そう言うと松崎はテーブル越しに全力のハートを手で作って投げて寄こしてきた。



その後、松崎から色んな話を聞いた。どういうファンがついているのか、どういうパフォーマンスが人気なのか。松崎自身の描く理想はどんなもので、それがどの位ファンの理想と乖離するものなのか。

正直界隈は違えど1オタクからすれば、「これ私の推しも抱えてる悩みだったら辛い~」とグサッとくるものがあったが、新しい立場で松崎と議論出来ることが楽しかった。そして、最後に「来月近くで公演があるから是非観に来て欲しい。興味がなかったら別にいい。」と告げられその日は別れた。









9月頭になった。夏休みでお互い予定が合うことも無く、松崎とは中華屋で会ったきりになっていた。以前話した活動方針や、演出の相談なんかの連絡が来ることはあっても、観劇について松崎から触れることは無かった。私が何でも受け入れるとはいえ、流石に観客の前で裸で踊る友人を見るのは躊躇いがあるのでは無いかと彼女なりに気を遣ってくれているのかもしれない。

今年の夏は身体が危険だとアラームを鳴らすくらい灼熱で、必要以上に体力の消耗も日焼けもしたくない私はずっと自室にこもっていた。でも、ずっと心のどこかで松崎の公演のことが頭から離れなかった。




あれから、ストリップについて少し自分でも調べてみた。踊り子自身が演目や衣装、振り付けなんかを考えていること、アイドルみたいにチェキを撮れたりなんかもすること、劇場では声を出しては行けなくて拍手で盛り上げること。松崎から聞いたことばかりだが、イマイチ想像がつかない完全に未知の領域だ。




コンテンポラリーダンスも、誘われて飛び込んでみるまでは何にも分からなかった。でもいざ飛び込んでみたら自由で答えのない表現を求める、そこでしか味わえない空間があった。勿論非常に楽しかったのだが、同じくらい「何だったんだあれは」というぽっかり穴が空くような感覚にもなる。そしてそれは刺激を受けた人にしか付かない凹みで、その穴を埋める為に、自分の表現や正解を見つける為にまた同じ空間に飛び込んでいくんだろうと思った。

私が初めて感じたこの凹み、きっと松崎はストリップの世界でぶち抜かれたんだろう。最初は観客だったのかもしれない、開けられた大きな穴を埋める方法が舞台に立つことだったのなら、そんな凸凹が松崎の嵐のような魅力たらしめるものなら、この目で見て確かめてみるしかないと思った。










ストリップ劇場というのは、思ったよりこじんまりとしていた。9割男性客であることも、女性だと分かりやすい色気づいた露出の激しい服で行くのがあまり良くないことも事前に知っていたので、お気に入りの服の中でも落ち着いた色合いのものを選んだ。

入場料を払って奥に進むと、映画館のような分厚い扉の向こうから音楽が漏れ聞こえてくる。階段を降りて重い扉を開けると、松崎ではない踊り子さんのちょうどクライマックスに差し掛かる場面だった。



劇場によるかもしれないが、調べた限りだと5人くらいの踊り子さんで1日のステージを回していることが多いらしい。持ち時間が20分位で、20×5人を4セット程お披露目しているようだ。

私は松崎のことしかよく知らないまま着たので、今の踊り子さんの名前も順番も分からなかった。けど、今が山場だということはすぐに分かった。



ライブハウス位爆音で流れる音楽に反して物音1つ立てず見守る観客、展開は分からないが白くてキラキラしたウエディングドレスのような衣装を1枚1枚脱いでいく踊り子さん。本当に真っ裸になるんだなと冷静に驚いた。不思議とムラムラしてくるような事はなくて、ピンクの証明に照らされる目の前の光景が芸術作品のようで目が離せなかった。





カーテンコールのような短いダンスが終わり踊り子さんが袖にはけると、劇場は真っ暗になった。

一瞬の静寂の後クラブのような音楽とMCのアナウンスが入り、松崎である踊り子の名前が紹介される。

ここにきて、松崎に何も知らせずこの場に来てしまったことに急激な不安を感じ始めた。劇場の席数はそんなに多くないので、私が来ていることもすぐにバレてしまうかもしれない。後悔先に立たず、人の波が動くまま引き返せない場所に移動してしまった。そんな心配ご無用だろうが、松崎はどう思うだろうか。




けたたましいファンファーレが鳴り一気に舞台が明るくなると、そこにはダンスイベントの時に見た松崎の顔があった。これは私の知っている松崎じゃない。けど、衣装や選曲、振り付けには松崎らしさが詰め込まれていた。



友人の裸を見るというのは、非常に奇妙な体験である。ただ、劇場の中にいる時の私はその光景に何ら恥じらうこともなく至極当然の事のように受け入れていた。

本当の意味で頭からつま先まで、松崎の裸はキラキラと輝いていた。今冷静になってみれば人のつま先を見ること、ましてや美しいものとして鑑賞することって普通に生きてたらないよなぁと思う。




演目が終わり、カーテンコールで再び舞台に出てきた松崎は、役の抜けた私の知っている松崎かおりの表情をしていた。ニコニコと手を振って歩き回る彼女とふと目が合った。松崎は、「みつけた!」と言わんばかりの顔でこちらに手を振った。これが真の認知なら、私がいつも推しか貰うファンサは都合のいい認知かもしれない。










その後全キャスト一通りの演目を見て、ストリップ劇場を後にした。コンテンポラリーの時同様、帰りながら「何だったんだあれ」「よく考えたらとんでもないものを見たぞ」という気持ちになった。私に大きな凹みがまた1つ増えたらしい。

次松崎に会う時までにこの穴を私でいっぱいにしておきたいと思った。

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