2.りんごゼリー

 僕は、義務教育課程のひよっこ、小学1年生である。今日は、学校から帰宅してすぐ、冷蔵庫に「あるもの」を見つけた。

「お、今日のおやつはりんごゼリーだ」


 僕は別に甘党ではない。しかし、このような機会はそうそうない。

 いつもなら、少ししょっぱい菓子を好んで食べるので、今日くらい流れに身を任せて見るというのも風流というものだ。というわけで、今日はゼリーをおやつとし、その後は気持ちよくお昼寝と洒落込もう。

 すぐさま、冷蔵庫2段目にある魅惑のぷるぷるりんごゼリーを手に取った。ひんやりとしたそれは、異常なほど魅力的に見えた。理由は、おそらく僕の血中グルコース濃度が限界点に近づいているからであろう。それを証明するように、僕の腹はぐるぐると鳴る。


「よし、この皿に逆さまに乗せて」

 ぷち!

 裏側にあった細いタブを引き、ゼリーとプラスチック容器との間に生じている表面張力を解除する。その音は、今の僕にとって女神の微笑み、あるいは眠る前の電気を落とすあの瞬間...。まあ簡単に言えば、「幸せ」の音である。


「それでは、いただくとしよう」

「ちょっと待った」

「何だ、今取り込み中だ」

「お母さんもそれ食べたい。あと1個しかないから、じゃんけんをするよ」


 く。後少しのところで邪魔が入る。僕は、最高のおやつタイムに茶々を入れられ、少々げんなりしていた。しかし、ここで引いては戦士の名が廃る。

 もし仮に「僕のおやつだもん。僕が先だったもん」などとでも言えば、僕が積み上げてきた地位と名誉。それらは一挙に奈落へと下る。

 そういうわけで、僕はこのつまらぬ申し出を受けるしかなかった。

「よーし。じゃあ、じゃんけん3回勝負といこう」

「望むところである」

 じゃんけん。それは、グー、チョキ、パーの三種類の手札で構成される簡易的なカードゲームと言っても良い。日本人のみならず、大陸でも同様に親しまれているゲームであって、その使用状況と方法は多岐に渡る。

 いや、そんなことは今はどうでもいい。まずはこの初戦を手にする。それだけに全てを賭けるのだ。余計な考察はせず、まずは運に頼るしかない。

「いくよ〜。最初はグー」

 最初はグー。まずはここから考察を進める必要がある。「最初は」と自ずから発言することで、僕の潜在意識下において「グー」を刷り込もうとしている、ということが僕には分かった。ならば、僕の出すべき手は「チョキ」だということになる。

「じゃんけん、ぽん」


 よし。僕は、「チョキ」によって勝利を収めた。まずは初戦を勝ち取る。

「あちゃ〜。次も負けたら、お母さんのゼリーは、失われる」

 ぬるい。このようにへらへらと立ち振る舞うことで、時間を稼ぎ、作戦を立てるためのインターバルとしていることは僕にはお見通しである。有無を言わさぬために、すぐさま2戦目に以降する。

「最初はグー」

「え、ちょっと早いな。じゃんけん、ぽん!」


 運の世界と言うものは、大変に恐ろしいものである。こんなこともある。

 僕が負けるということも。

 最終戦に向けて、僕は頭の中で作戦を立て直すこととした。まず、ここまでの相手の手は「チョキ」「パー」であった。人間というものは、物を選び取る際、できるだけその中から、均等に取り出すという傾向があるらしい。最後は、賭け事らしくその法則に肖ってみせよう。

「最初はグー」

「じゃんけん、ぽん」


 僕は負けた。僕の人生を詰め込んだ、この勝負。無念にも儚く散った僕のりんごゼリーへの想いは、まるでそう、ゼリーのようにぷるぷると揺らいだ後、でろんと崩れたのだ。

 完敗である。


「あ、お母さんやっぱ、チョコレート食べるわ」


 僕の血中グルコース濃度は、正常値に戻った。

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