僕の血中グルコース濃度は、正常値に戻った。

コーヒーの端

1.どうぶつクッキー

「何だこれ?」

 僕は棚の中にあったおいしそうなクッキーの箱を見つけた。丁度いい。今は三時を少し過ぎたところだ。今日は、これをおやつに決定。そしてお腹を満たした後は、気持ちよくゲームと洒落込もう。

 高さ百八十センチほどある棚の一番上の引き出し。そこがこのクッキーの在処である。しかし、僕には届きそうもない。僕は義務教育課程のひよっこ、小学一年生である。両手を力いっぱい伸ばしても、この引き出しには三十センチほど足らないことを経験則から了解している。

だけれども、どうにも諦めることができぬ。血中のグルコースは既に基準値を下回っていて、ほとんど用を成さない。そのためか、僕は眠気が段々と湧き上がって来ている感覚に、妙な心地よさを覚えた。

「しかし、どうしようか。」

 わざとらしく呟いて、意味の無い発言であったな、と内省する。いや別に、そんなことはないであろう。言葉にしてから漸く、湧き上がってくるアイデアや、名案なんかもあるだろう。

 そうだ、何か踏み台を持ってこよう。

 そう思い付くのに、随分時間を使ってしまった。おかげで、僕の血中グルコース濃度はいよいよ限界点に達し始めた。しかし、それは良いことももたらしてくれた。空腹が生み出す、野生本能。それが、僕の心地よい眠気を幾分か取り去ってくれたのだ。これはありがたい。

 恐らく、踏み台の名案が浮かんだのは、このように自身を追い詰めたこそであったのだろう。早速、準備にかかる。そこら中に散らばるおもちゃ達の中から、いつもの二つを選び取る。

「よし、それでは作戦に移る。」

 ありきたりなロボットのおもちゃと、かわいい蛇のおもちゃ。この二人が作戦の補助員だ。

 目算で僕の手のひら五つ分はある、それらを無理やりにポケットに押し込む。彼らがいることで、幾らかの勇気を得た僕は、台所にある高さ三十センチ程の踏み台を手に入れに向かう。

 いよいよオペレーション開始だ。台所に到着し、緑、赤、青の柄が無作為に並べられた、カラフルな踏み台を掴む。中々に重い。しかし、僕は負けていられぬ。こうしている間にも、僕の血中グルコース濃度はみるみる減少しているに違いない。

「んん〜‼︎」

 気概に溢れた雄叫びを上げながら、何とか持ち上げる。よし、第一段階クリアだ。ポケットにいる仲間達に微笑みかけたが、右ポケットにいたかわいい友人「へび」の姿が見当たらない。まさか、あそこで離脱したのか。

 今行くぞ。と思ってから、数瞬程の短い時間で結論に達した。

「すまない。お前の分まで必ずオペレーションを達成する。」

 心の奥にある「ちょっと回収に行くの、億劫だな」との声が端緒で、その考えに至ったことをじくじく痛む僕の心は了解していた。しかし、やらねばならぬ。少しの罪悪感と「へび」の面影を今は無理やりに忘れる。

「第二段階だ。」

 僕は呟いた。左ポケットの相棒がそれに応じる。

「行けるか、ウォリアーよ。」

 ああ、ばっちりだよ。そう応えてから、重量のある踏み台をクッキーの棚まで運ぶ。しかし、考慮していなかった事態に、またもオペレーションの中断は余儀なくされた。

「うわああ。」

 ぐらぐらと揺れる踏み台。どうなっているんだ。考えを巡らせてみる。少し考えて、気づく。そういえば、この踏み台の中は空洞になっていて、中には缶詰なんかが収納されているのだった。

 味方であるはずの踏み台は、牙を剥いた。もう、どうにもならぬ。右にシェイクされた踏み台の動きに抗い、次は左へ。次はまた、右へ。このような動きを繰り返していては、徐々にその動きは大きくなる。終いには、その揺れに耐えることができず、僕自身が倒れ込んでしまう。しかし、僕はある解決策を思い付いた。それは、左ポケットにいる親友に関することであった。

 彼をこの左ポケットから、捨て去る。

 この選択を取れば、僕の左半身は幾らか重さを減らし、左右のバランスに均衡が取れるだろう。そうなれば、この鬱陶しい揺れも収まる。

 しかし、僕の心はそれを認めなかった。頭では分かっていても、どうしてもできぬことが人間にはある。そういう訳で、僕はロボットと一緒に地面に倒れ込んだ。

「くっ...。」

 ま、まだ終わってはいない。「へび」と「ロボット」の為にも、ここで諦めることはできない。

 そんな僕に、尋ねる声が聞こえた。

「何だ、今取り込み中だ。」



「あら、そう。おやつのどうぶつクッキー。ここに置いとくね。」



 僕の血中グルコース濃度は、正常値に戻った。

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